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第39話 おとぎ草子ラササン・アサシネ

第39話 おとぎ草子ラササン・アサシネ


俺の中に現れた戦国の武将は、どこか遠い目をしている。

男は一族の中でも少し浮いた存在だった。

父親もおらず、その伯父が養父になったが、養父にはすでに嫡男があり、

養父がどう推しても男が家督を継げるはずなく、まったくもって無駄な存在だった。

その上、養父に衆道の関係を強要されていた。

衆道とは別に家は男に妻を持たせた、男とはまたいとこに当たる身内だった。

祝言の儀が初対面の、いわゆる政略結婚だった。


養父の手前、妻を愛してはならなかったし、愛する気もなかった。

妻との間に子供はなかったし、側室を置く事も無かった。

子供を作らない事が男のささやかな復讐だった。

男は家など滅びればいいと考えていた。


男は妻を置き去りにして、男と関係を結んだ。

男を籠絡して彼は戦国の世を生きた。

それが男の仕事だった。


男はいつも穏やかだった。

その周りにはいつも人がいた。

人前では愛想よくしていても、どこか遠い目をしていた。

心の奥底には澱のような本音が眠っていた。


…殺した男が自分の中で大きくなっていく。

死んだ男が死にながら歩き出す。

たくさんの物を、人を、背負って歩き出す。

俺は俺を苦しめるために歩き出す。

俺は俺を殺してよかったのか。



物語の主人公は自分の中の犯人の影を追い払おうと戦う。

「おいはフライド丸」、「おいはフライド丸」、

俺が自分に、他人にそう言い聞かせて、過去を消すように。

結局犯人の存在が心から消える事はなかったが、思い出程度に小さくなって終わる。


読み終わった俺は、また涙を流していた。

…これが子安どんの仕事なのか。

人気があるのもよくわかった。

考えなしに潰してしまって、本当に悪かったな…。

今まではなんとなく手伝って来たけれど、次からは本気で手伝いたい。

「おとぎ草子ラササン・アサシネ」のように、心を振るわせる作品を作れるように、

俺も自分の持てる最善を尽くしたい。


「読み終わたで…泣いた」


俺はぼろぼろと涙をこぼしながら、子安どんに本を返した。

子安どんは笑って、俺の頭を撫でてくれた。


「子安どん…『愛してる』ちゅうて欲しかと」

「何をいきなり」

「おい、過去ば殺いた事…悔いてはなかけんど、忘れられん。

殺いて良かったんか、殺いてそいで片がつくんか。

殺した過去が影んなって、時間と共に鮮明に甦ってくんじゃ…。

そやから、子安どんに『愛してる』言うてもろたら、そうして良かった思える。

自分の心に折り合いつけられる」


俺はじっと子安どんの目を覗き込んだ。

子安どんはぷいと顔を背けてまた笑った。


「…やだな、そんなの」

「なんでやあ」


子安どんは真っ赤な顔をして振り向いた。


「そんなの愛してる、愛してるに決まってるではないか…!」


いい歳こいたおばさんのくせに、こういうところはまるで乙女子そのものだ。

とても可愛らしい、とても愛おしい。

俺のした事は間違っていない、俺は過去を殺してよかった。

子安どんのためだったら、俺は誰を何人でも殺せる。

子安どんが俺に死ねと命じるなら、俺は喜んで自分を殺す。


「よかった…こいでおいはもう忘れられる」

「無理して忘れる必要はない、いつか思い出ぐらいになればそれでいい、

過去を忘れるには、自分の心に折り合いをつけるには、時間がかかる。

私はそう思うし、そう書いた」

「『おいはフライド丸』、『おいはフライド丸』…そいでよかとね」

「そう言い続けていればいつか過去は思い出になる。

お前はフライド丸、他の誰でもない」


子安どんはそう言うと、俺を抱き寄せて顔を埋めた。

どこにも行かないで、そう言っているようだった。

俺も子安どんをぎゅうと抱きしめた。

そばにいると、どこにも行かないと。



「まじすか、先生」

「本当だ、『月刊ヤングアンプルール』に『おいは揚丸』の連載が決まった」


それから数日後、子安どんは家臣らを再び集め、移籍と次の連載が決まった事を話した。

子安どんは連載の準備で疲れているのか、居間の長椅子の背もたれに寄りかかって、

だらりとしたまま話をしていた。

彼女の話に家臣たちは歓喜に湧いた。


「すげえ! 『月刊ヤングアンプルール』は規模こそ小さいけど、オタ受けはすごいっすよ。

青年誌だから画面も作風も真っ黒な成富先生の作品は絶対受けます」

「俺らのトーン節約術は青年誌でこそ生きる! 」

「『トーンもったいないからベタを塗れ』、俺らは次もこれで行くぞ!」


「とーん」とは家臣らが貼っていた灰色の膜の事だと、子安どんが耳打ちした。

あの膜は1枚がとても高価なのだとも教えてくれた。

代わりに墨で塗り潰すから画面が真っ黒になるとも教えてくれた。

確かに、子安どんの本は切断面からしてもう真っ黒だ。


家臣らがそれぞれの領地に帰ったあと、担当となった津軽どんがやって来て、

よろしくの挨拶をした後、「ねーむ」のチェックに入った。

子安どんはやっと背もたれから、体をむくりとだるそうに起こした。


「ここはもっと大きく見せて…あとここはテンポ悪くなるんでカットす」

「はい」

「でものっけからものっそい殺戮と、主人公のあやしい関西弁は面白いと思います。

現代の東京を薩摩と思い込むアホぶりも面白いと思いますが…」


俺はお茶を出して、それから子安どんと津軽どんの話し合いをじっと見ていた。

くそ、俺はアホかいな。

俺は目があまり見えないから、東京湾を錦江湾と思った。

ごみの再利用処理施設を桜島と思った。

灰色の高層建築物が林立する東京を薩摩だと思った。


何百年もの未来の東京を新しい薩摩だと思い込んだ、

アホの戦国武将は、子安どんの手で描かれようとしている。

子安どんが心を注ぐ命になろうとしている。

…嬉しい、すごく嬉しい。


「現代の東京、これは電脳…デジタルを強調しましょう、思いっきり。

バッキバキのサイバーパンク、それで行きましょう、成富先生!」


津軽どんは力を込めて言った。

子安どんは目を丸くして、驚きながらも少し戸惑った。

でも、すぐに笑顔になって応えた。


「サイバーパンク…そうですね、はい!」



子安どんの新しい連載、「おいは揚丸」はこうして始まった。

前の連載とは違って、仕事をする子安どんの顔は楽しそうだった。

生きている、そう思った。

物語の続きに詰まって、頭を悩ませていても、それもまた彼女の喜びだった。

「風溜まる愛なる薩に身を置きて 吹き乱るるも心は豊し」、

彼女はきっとこの事を歌に詠んだのだ。


「なあ、子安どん」


俺は子安どんの作品が載った本を見ながら言った。

本の中の揚丸は実物のこのフライド丸より、ずっと「いけめん」に描かれてある。

そんなんじゃデブの殿に衆道されまくりだろうが。

しかもすごいアホだ、絶対頭沸いている。

おかげで本を見た島津の夫婦にも笑われている。


「何でおいが事を描こ思たとね?」


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