第30話 井伊直政ゾンビパニック!
第30話 井伊直政ゾンビパニック!
「くそ…殺す、あの女絶対殺す…!」
いきなり浮き上がって来た白い今様の扉から出てきた井伊どんは、
戦国の鎧や兜などは着けておらず、髷も切り落としてあり、
白の裾がくるぶしまである、長い筒っぽのような衣を着けて、足元は裸足だった。
そしてその最大の特徴は、背中に白の大きな翼を背負っており、
頭上に光の輪が浮かんでいる事だった。
「ぎゃあ! ゾンビ来たあ!」
戦国の世界で井伊どんを見ている揚弘は、悲鳴を上げて俺にしがみついた。
「『ぞんび』て何ね?」
「歩く屍の事や、英語やと『ウォーキングデッド』、『リビングデッド』!
フランス語やと『ラ・モールヴィヴァン』!」
「はーん、おいたちで言うお笑い芸人ん豊久さあみたいなもんじゃっどな」
「それやそれそれ! 地獄からの使者やあ、ひー!」
さすが「ねお薩摩」は驚きの国だな!
俺は初めての「そんび」が珍しくて、近づいて行き、
それからまじまじと近くで見つめて、あちこちをぺたぺたと触ってみた。
ちゃんと人の感触はある、体温もある。
ただ気配は生身の人間のものではない、澄み切って清らかだ。
やっぱり死んでるのかな。
「やめんか」
「またまたあ、俗世への執着強過ぎじゃっで?
じゃどん『ぐっじょぶ』じゃっど、井伊どん。
お前んおかげで子安どんが心、物ん出来たんやし」
俺は井伊どんの体をぱしぱし叩いて笑った。
「死んだもんがなんで動いとんねや、てかゾンビが何しに来てん?」
揚弘は気を取り直して、井伊どんをぎろりと睨みつけた。
井伊どんはふっと気がついた。
「…お前誰? そこの衆道は覚えているが…お前らは一体何者だ?」
「俺? 俺は島津揚…」
俺は慌てて揚弘の口を塞いだ。
「駆け出しのお笑い芸人じゃ。おいがフライド丸で、こいつが相方の島津豊久。
二人は『ねお薩摩サイバーパンク』! 芸を磨きに来てん。な?」
「なんで俺が…!」
揚弘はちいと言って反発した。
俺は井伊どんに聞こえないように、揚弘の耳元に小声で言った。
「一度名乗た以上は通すんが筋っちゅうもんぞ。
戦国が者らん前では島津豊久、以降そいで通し。よかね」
「何凄んでんねや、お前こそいっつも名前間違いそうになっとるくせに」
「おしゃべりは終わりだ、餓鬼ども」
井伊どんが俺たちの肩を掴んだ。
「俺を殺したあの女…お前らの仲間であろう、案内いたせ」
「いけん、井伊どん」
「隠すな、あの女の居所に案内いたせ」
「そいはいけんでね! 井伊どんおまんさもうけ死んだとね!」
俺は井伊どんの手を振り払った。
「子安どんとこなんか行ったら危なか! また殺されに行くんかアホ!
子安どんは長い銃2丁持ちん名手ぞ、そげなおなごん城は近づけもせん、
そげな狂うたおなごん領域ん入ったら、姿見えんでも殺されっど!
子安どんは死体ばなおも撃ち続けっ狂うたおなごぞ、何またわざわざ殺されに行く! 」
「一矢報いるため! 戦国の武将の名にかけて!」
揚弘は首を横に振って、俺に路地から拾って来た鉄の細い管を手渡した。
「やろか」
「揚…豊久さあ、ばってん!」
「また間違いそうになっとる」
俺と揚弘はそれぞれの鉄管を交差させた。
「『ぞんび切お笑いてんしょん揚げ揚げ十字』…ぞんびは成仏して遠くのお空に帰りい!」
俺たちは2本の鉄管の交差する点で井伊どんを、力の限りぶっ飛ばした。
井伊どんはお空の遠い遠いかなたへと飛んで行き、
「ねお薩摩」の空高くで一番星になって消えていった。
「『ぐっじょぶ』じゃっで揚弘」
「お前もな。ろくに見えてへんのに良うやるわ」
俺たちはそれぞれ拳を作って、それをぶつけ合った。
それから俺たちは今様の「いけめん」になるための着物を探したり、
美容院なる新手の髪結いに行って、今様の髪型に整えたりして、
夜が近づく森を漂うように彷徨って、例の店で夕飯に犬を食べて、
それからマンションに戻って来た。
「じゃあなフライド丸、明日がんばれよ」
家の前で揚弘がそう言って帰ろうとすると、島津家からすごい叫び声がした。
「ぎいやああああ! 痛い! 痛い! やめっ…!」
「大人しくしろ! よくそんなんで戦国の武将が務まるな!
こんなの指詰めや切腹よりましだ、それともすまきにして東京湾沈めるか、ああコラ!」
島津の大きいのの声だ、こんなに声を荒げるのは珍しい。
俺たちは解散を延ばして、島津家に入って行った。
すると、島津の大きいのが出迎えてくれた。
「あ、お帰り。今、マンションの近くで負傷者が倒れてたから保護してるんだ」
「…負傷者?」
「銃弾でぼろぼろ、どこかの組から狙撃されたらしい。
急所こそ外れているが、そのすれすれのところだけをきれいに狙ってある、
くそ…どこの凄腕スナイパーだ、うちに欲しいな、正体割ってスカウトしようかな…」
…絶対子安どんだ。
揚弘は島津の大きいのの持っている医療道具らしい物を見て聞いた。
「で、兄さんヤクザみたいな声出して何しとったん? 消毒か?」
「ああ…そうなんだけど、あいつ戦国武将のくせしていちいち大げさなんだよ」
「戦国武将…?」
嫌な予感しかしない。
俺たちは島津家の今様の小じゃれた居間を恐る恐る覗いてみた。
「お帰り餓鬼ども」
居間のふかふかした布張りの長椅子には、包帯と絆創膏だらけの井伊どんが、
足を組んで深々と腰掛けており、その手には取っ手のついた南蛮の茶器があり、
不敵な笑みを浮かべて、なんだかえらく気取っていた。
「ぐはあ! 井伊どんの『ぞんび』!」
「お前、昼間の! 井伊のゾンビ!」
俺たちは「ぞんび」再登場の衝撃でがくうと崩れ落ちた。
「貴様死んだんやろが、早よ戦国ん帰りい!」
「あ、それ無理。俺、死人だし。
今は浄土で新しい仏様を天界にお連れする役目についておる」
「え…天界? 誰迎えに来たん?」
すると井伊どんの「ぞんび」は、びしと俺を指差した。
「お前だ、変な上方言葉を話す衆道の」




