第3話 おとぎのねお薩摩
第3話 おとぎのねお薩摩
「訳あって島津ん者にはちいと会いたくなか」
俺は子安どんの背中を盾にして小さく縮こまった。
「訳て、何やらかしたんだお前」
「話せん、じゃどん見つかればただじゃ済まん」
「だが会わぬ訳にはいくまい…ほれ、ちょうど島津の夫婦のご帰館だ」
子安どんは城の前の道路の向こうに目をやった。
そこには男が大小二人、手をつないで歩く影が見えた。
「夫婦ち…男同士やなかか! 衆道やなかとね!」
「今は同性同士でもああやって結婚出来る」
「恐ろしか、わっぜえ恐ろしかあ…!」
島津の夫婦は子安どんに気がついて、「こんにちは」と挨拶をした。
「あれ、子安っさんまた新しい彼氏? …てか武士?」
夫婦の小さい方が、寝間着姿に子安どんの外套を羽織った俺を見て言った。
背は俺よりまだ低く、隼人の者らしくはっきりとした、なかなかに可愛らしい顔をしている。
歳の頃は二十歳過ぎだろうか、衆道の者が好みそうな若者である。
殿がいなくてよかったな。
「『彼氏』とは何ね?」
俺は耳慣れない言葉に子安どんの背中へ問いかけた。
「女から見た恋人の事だ。いや、これはうちの新しいアシスタントで…」
子安どんはぼそりと俺に説明すると、笑顔を作って島津の小さいのにそう答えた。
そして、尻まである長い髪をした島津の大きいのに挨拶をした。
小さい方と比べるとずいぶん歳の差がある。
40歳前後だろうか、悪くはないが地味な顔の男だ。
「島津さん、うちのアシスタントがうるさくすると思いますが、
なにぶんまだ慣れておりませんので、どうかお許しくださいまし」
「いえいえ、うちこそいつも夜中にうるさくしてすみません」
島津の大きいのは腰を低くして、子安どんにぺこぺこと頭を下げた。
そして小さいのと連れ立ち、先に城へ入って行った。
「島津の夫婦はうちの隣に住んでいる。
あの髪の長いご主人の方はヤクザだから、もめ事は起こしてくれるな。
でないと後々面倒な事に巻き込まれかねん」
「子安どん、ヤクザち何ね?」
「悪い人らの集まりとその構成員だ」
「徳川ん軍みたいなもんとね、そら悪りか」
「徳川の軍が悪ねえ…ここじゃ徳川こそが今日の礎を築いた義だ」
子安どんは先に歩き出して俺を城の中へと誘った。
「この城…マンションと言うのだが、
ここは部屋を賃貸ししたり、分譲したりするために建設された民間の城だ。
うちはこの城の一角を買って所有している」
彼女はそう説明し、最上階の角から2番目の扉の前に立った。
そして、俺の羽織っている外套に付いている物入れの袋に手を入れ、
鍵を取り出すと、鍵穴にそれを差し込んで回した。
「絵! 絵じゃ! 美しか絵がようけあっと!」
子安どんの部屋は狭く、いたる所に絵があった。
壁にはもちろん、床にも散乱しており、
平らなところという平らなところには絵が積み重ねられてあった。
その上、頭上に張った縄にも絵が提げられてある。
しかもそれらの全てはみな同一の絵師によるもののようだった。
絵は白黒で小さな枠に区切られてあり、
人物のそばには尻尾の生えた円がほぼ配置されてある。
「『ねお薩摩』ん絵師は見事じゃっどね。子安どん、こん絵師好いとっと?」
「私が描いた。仕事の『漫画』と言う絵物語だ」
「…おいにこいを手伝えっちゅうとか?」
「いや、お前じゃ戦力にならん。お前には別の仕事をしてもらう。
とりあえず風呂からだ、濡れっぱなしは風邪を引く」
子安どんはそういうと、広い部屋を出て、玄関の横にある扉を開けた。
そこには鏡と栓のついた左右2つの口に、受け鉢の据え付けられた台、
その奥にも小部屋があり、水色の陶器の小板を敷き詰めた中に、
少し濃い水色の浴槽が嵌められてあった。
栓はないが、2つの口はこの浴槽にも上下に付いている。
彼女はその浴槽を薬品を浸した海綿で洗い、壁に付いた弁当箱をいじった。
すると、下の口からお湯が勢いよく湧き出した。
「温泉か?」
「いや、このマンションには水の管がめぐらせてあって、
高火力の釜にそれを通す事でお湯を瞬間的に沸かして、
それをこの浴槽に流し込んでいる」
「それはどげんして制御しちょっとか?」
「…いくら入院期間が長いとは言え、お前はなぜこんなにも物を知らない?」
子安どんは振り返って不審そうに聞いた。
本当の事を話してもいいのだろうか。
子安どんは俺の話をどこまで信じてくれるのだろうか。
「おい…美濃から流さいて来たと、美濃ん川からこん『ねお薩摩』まで。
おい、戦で負けっせえ殿ば逃がした後、仲間らと美濃ば東に落ち延びたとね。
槍やら刀やら鉄砲でもうぼろぼろじゃったと。
美濃ん人らはおいたちに優しゅうて、おいたち敗走ん兵ば匿もうてくれよった。
…ばれたら自分らが罪んなっとよ、そいば承知ん上でじゃっど。
おいそげん事もう苦しゅうて苦しゅうて…!
抜け出しっせえ、夜ん山道に分け入ったと、そいだら川ん出て…」
言いながら涙がこぼれて来る。
「おいはもうけ死んだと、おいひとりけ死ねばそいでまあるく収まっと。
そげん思て川ん入った、そいだら『ねお薩摩』じゃっど。
薩摩にはよう行った、知ったもんもようけようけいよる、
け死んだもんがおめおめと生き延びっせえ、しかも薩摩なんかにおったらいけんじゃろ。
ここが薩摩やなかで、おとぎの国じゃったらよかかちゅうんに…!」
俺は子安どんの尻もとに伏せ、声をあげて泣いた。
すると白い大きな手が伸びて来て、俺の頭をそっと優しく撫でた。
「おとぎの国だ、ここは『ねお薩摩』というおとぎの国だ。
死んだお前が新しく生まれて生きる、次の世の国だ」
「新しい生まれて生きっ…」
「お前はその戦いで死んだ、そして新しく生まれた。
おまえがここに流れ着いた日…お前の誕生日は10月22日だ。
実はその日、私も誕生日だったのだ。
誕生日はいろいろあって散々だった、でもお前と会って面白い一年の始まりだったぞ。
…お前が私の誕生祝い、そう思う事にする」
子安どんはふふと微笑んで、何度も何度も俺を撫でてくれた。
無愛想だが、優しい女なのだな…。
「あんな、子安どん」
「何だ?」
「おい、ここんおってん子安どんは罪に問われっとか?」