表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/87

第29話 生きる屍

第29話 生きる屍


戦国の世界に俺の帰るところはもうなくなった。

あとは扉が現れても塞ぐだけだ。

俺はふと、歴史をあれだけ動かしたのに、なぜこの「ねお薩摩」に変化がないのだろうと、

不思議に思って、更に調べものをしてみた。


まず、徳川のその後。

家康どんの嫡男が江戸に幕府を開いた事になっていた。

そして島津家のその後。

性格最悪な忠恒がごねてごねて、ごり押して、領土の安堵を勝ち取ったとか。

結局あの後、子安どんや揚弘の言う徳川の時代が来たのだ。

…もうええ、俺の帰るところがなくなったんだから、何も関係あらへん。


最後に、「島津豊久」を調べてみた。

やはりお笑い芸人の元祖として記されてある。

そして関ヶ原の戦いの後は行方不明とあった。

俺はまたしばらく体をよじらせて大笑いした。

そりゃそうだ、揚弘はこの「ねお薩摩」へ帰ったのだから。

豊久さあは歩く死体、俺がそうしたのだから。



異世界への扉は性懲りもなく、またマンションの駐車場に開きやがった。

ちょうど島津の大きいのと市場へ、特売に並びに行った帰りだった。


「こんなでかい穴危ないな、塞いじゃおうか」


島津の大きいのはすぐに穴の周辺を囲って立ち入り禁止にし、

電脳な薄い小箱を使って、工事を行う業者に手配をした。

業者はその翌日にやって来て、穴を塞ぐ工事をさっそく始めた。

誰も取り込めない穴はずっと開きっぱなしのままだった。

俺は家事の合間に家の外に出て、その様子を上から見ていた。


まず、穴の上にごつい鉄板で蓋をして、

それからその上から砂の泥を薄く流し込み、それを固めて、

表面を琉球の黒糖のような、粘りの強い黒い飴のようなもので覆って、

熱いうちに表面をならして、それを冷やし固めた。

こうして工事は3日ほどで完了した。

マンションの駐車場には一部に出っ張りが出来てしまった。

もう戦国の世界へは帰れない。

これで俺はちゃんとこの「ねお薩摩」の者になったのだ。


故郷を捨てたというのに、淋しくはなかった。

あのまま戦国の世界にいても、俺なんかどうしようもなかった。

庄屋屋敷にかくまわれているところを発見されて、

村人らや家臣らと一緒に殺されていたかもしれない。

たとえ落ち延びる事に成功したとしても、どこかの農村に帰農して、

誰かから紹介された、どうでもいい女を嫁に迎えて一生を送るのもどうかと思う。


あのまま戦国の世界にいたら、俺こそが歩く死体になっていた。

でも俺はもうちゃんと死んだ。

戦国の世界の俺はもう死んだのだ。

もう捕り方に怯えなくてもいい、もうどこにも隠れなくてもいい。

優しい人たちに嫌疑がかかるのを恐れなくてもいい。

俺はこの「ねお薩摩」で生きている。


戦国の死人は次の世でよみがえる。

死人は新しく生まれて呼吸をし、動き、そして歩く。

俺は生きながら、自分の死を心から喜んだ。



「近々持ち込みに行くぞ」


戦国の世界から戻って1週間後の昼飯時、子安どんが言い出した。

久しぶりに子安どんとまともに食事をする。

最近の子安どんはほとんど部屋に籠りきりだった。


「ほんま? 新しい話出来たとね、どげんもんね?」

「『おいは揚丸』」


子安どんはにいと笑った。


「あ! まさか!」

「言ったろ、その気になったらお前が止めても書くと」

「嫌じゃあ、なんでじゃあ!」

「『むかしむかし、ある所にあやしい大阪弁を話す揚丸という、アホの戦国武将がいました。

揚丸は戦で負けて美濃へ落ちて、かくまわれていたのを逃げ出し、

死のうと川に入るとどんどん流されてしまい、電脳でデジタルな薩摩まで流されてしまいました。

その薩摩で揚丸は隼人の女と出会って…』」


子安どんはによによとしながら、物語のあらすじを話し始めた。

俺はやめろと叫びながら、子安どんの肘に食らいついた。

そのまま俺たちはじゃれ合い、そしてもつれ合った。



「…おいは嫉妬深か男か?」


暗い風呂桶の中で、子安どんの背中を抱きながら俺は聞いた。

「ねお薩摩」の風呂はとても狭いので、こうでもしなければ二人一緒になど入れない。

風呂場には灯りを点けず、外の脱衣場の灯りだけにしてあった。


「今こげんしっせえ子安どんば手の内ん抱いちょるのに、

島津の大きいのん事が、子安どんの過去が頭から離れん…。

島津の大きいのは今でん子安どん忘れてなかかもとか、

子安どんも島津の大きいのに、今でん心残しちょっやなかかとか、

そげん邪推が頭ん中でぐるぐる回っちょっ」

「…………」


子安どんはうつむき、湯の中で俺の腕を掴んだ。


「…その嫉妬わからんでもない。私は井伊直政を殺したから」


俺は後ろから子安どんの髪留めをそっと抜いた。

まとめてあった長い髪がほどけて、夏の黒雲のように水面に散らばった。


「お前の心を井伊直政に取られてしまう、そう危機感を抱いた。

どうしてもどうしても、井伊直政を許す事が出来なかった、だから殺した」

「子安どん…」

「私はずっと自分の心を決めかねていた。

お前は別の世界の人間、愛してもお互い後が辛いと。

お前はいつか帰って行く人間、私の前を通り過ぎる時の旅人なのだからと。

でもお前はここに残ろうと必死だった、 死に物狂いで愛してくれた、私は揺れた。

そこに井伊直政が現れて、私の中のずっと抑えて来た感情を解き放った。

私は井伊直政を殺して、自分の心を決めた…」


子安どんは俺の腕の中でくるりと前に回り、湯からはみ出す俺の肩に頭を置いた。


「…お前を愛してもいいか?」


俺は一瞬驚き、そして湯の中で手を伸ばした。


「愛し、うんとうんと愛してくいや。

おいはもう子安どんとおんなじ『ねお薩摩』のもんじゃから。

おいん帰っとこはもうここしか無か、もうどこにも行かんから…!」


俺たちはずっとずっとお湯の中で抱き合って、いろんな事をいっぱい話した。

そして初めて、未来の話をした。



「っちゅうわけで、井伊どんは『ぐっじょぶ』やねん」

「何がグッジョブや、135回目やろその話。用がないならもう帰ってんか」


それから1週間ほどした午後、俺は島津家で発泡する果物汁を飲みながら、

揚弘にのろけ話をしつこく聞かせていた。


「ああん! 用はちゃあんとあっど!」

「何やの、早よ言わんか」

「おいば今様ん『いけめん』にして欲しかと!」

「ぶっ!」


揚弘は果物汁を吹き出し、げほんげほんと激しくむせた。

それが落ち着くと、今度は体をよじって手足をばたつかせ、激しく笑い出した。


「イケメン! その思いっきり和風な顔でか! 無理!」

「ああん! 頼むう! 明日子安どんが持ち込みに行っと。

おいが子安どんの代わりにお上ん男こましちゃらんと…!

子安どんに色使わせたなか! 頼むう!」


俺は床にうつぶせになりながら揚弘の膝に滑り込んだ。

そして、上目遣いで揚弘の顔を下から覗き込んだ。


「頼むう」

「…うーん、要は『おやじキラー』になれればええのやな」


揚弘は手で俺の頬を挟んで、ぎゅうと押しつぶした。


「むい」

「出かけんで、支度しい」


揚弘はいきなり立ち上がった。



俺たちは連なった長い鉄の箱に乗って、薩摩の森に出る。


「『おやじキラー』を目指すなら、可愛らしさを出さなあかん。

年下の可愛い弟分…よっしゃ、それで行こか」

「『おやじきらあ』て何ね、揚弘」

「『親父殺し』、年上のおんちゃんらの心をがちい掴んで離さん人の事や」

「『親父殺し』…」


戦国の世界では本職やったし、得意やったけど、

この「ねお薩摩」ではまたこまし方も違うのだろうか…。

俺は揚弘の腕を掴んで森を進んでいく。

その時俺たちの前方の何もない空間に、白の四角い今様の扉がすうと浮き上がって来て、

ぱかりと開き、中から男が走って飛び出して来た。


「あ、井伊どん」


出てきた男は子安どんに殺されたはずの井伊どんだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ