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第22話 時は今

第22話 時は今


「えっ…」


子安どんはぐりんと俺の方を振り向いた。


「何を今さら…お前はもうとっくに狂っているだろが。

最初、精神病院からの脱走者かと思ったくらいだったぞ。

変な格好で変な言葉で変な事ばかり言ってて、あまりにも物を知らなさ過ぎて…」

「そういう意味やなかで、おいに狂気っちゅうもんを感じっかっちゅう事じゃっど」

「お前は…ただ燃えているだけだ、狂気は感じぬ。

狂っているのはたぶん私の方だ…」


子安どんはまた遠くの森に目をやった。


「…漫画とは己を殺す芸術だ。

芸術でありながら、心のままに表現する事は許されない。

漫画家として大成するかどうかは、どれだけ己を殺せるかにかかっている。

それゆえに漫画家は心のどこか壊れた者が多い。

私もまたその中のひとりなのだ…」


…わかる。

漫画家の狂気は戦国の武士たちの狂気と似ている。

己を殺すと言う中核は同じだ。


「ふうん? そげん事やったらおいの方がううんと狂うちょる…」


漫画は人を楽しませるけれど、武士は人を斬る。

殺した人たちの命が加算され積み重なって、

そうして殺しに慣れて、倫理が麻痺していく。

それが武士の狂気だ。

心が麻痺して自分で気付かないだけなのだと思う。

たぶん、俺も狂ってる。


戦国の世界での俺もちょっと変わった人と言われていた。

世継ぎを作るという、武家の義務に反したからだ。

衆道は武家のたしなみではあるが、それとは別に世継ぎを設けなければならない。

俺は室との間に子供を設ける気などもちろんなく、

側室を置くという訳でもなかった。

生きるために男の相手をするだけだった。

あんな家なんか世継ぎなく滅びればいいと思っていた。


そんなだったから、例の性格最悪ないとこが家督を継ぐ事に決まった時、

俺は心底ほっとした。

いとことは互いに家督をなすり付け合って、争ってばかりいた。

例のデブ殿は俺を推していたようだったが、

秀吉さまが血筋からいとこに家督を継がせるように命じたのだった。

いとこは性格最悪だから、きっと家は滅んだ事だろう、いい事だ。



家に帰って、子安どんは電脳二枚貝を開いた。

ほら貝を持ち歩くための袋が欲しいのだと言う。

…持ち歩く気なんだ、ほら貝。


「そういやさ子安どん、こんマンションが住民は警察呼べないち、どげん言う事ね?」

「みんな訳ありなのだ。例えばほら貝を貸してくれた下の家のデニーロさん」

「出新納?」

「デニーロだ、通称なので本名は知らないのだが…、

デニーロさんは殺人で逃亡中、修験者にまぎれて山に入ったそうで、

それでほら貝を持っていたのだ。

他にも島津家と反対のお隣さんの伊集院さん、あの人は窃盗団をやっている」


子安どんはいろいろと住民の事を教えてくれた。

みんなどうして警察に頼れないかを。

子安どんも悪いおかんから逃げて来たので、

警察を通して実家に連絡されるとまずい、

ここならみんなが守ってくれるのだと言った。


「ここはみんな訳ありで本名を名乗らない人が多い。

私や島津の夫婦のように本名で生活している者はわずかだ」

「本名なあ…」

「お前もだ、フライド丸。私も今まで聞く気はなかったし、

『フライド丸』という事にしているが、本当は何て言うのだ?」


…俺はもう死んだ男だよ。


「おいはフライド丸じゃ。子安どんと出会うた時、そう自分で命名した。

過去はもう捨てたと、じゃからおいはフライド丸じゃ」

「…そうか。では『子安揚丸』、以降はそう名乗るがよい。

通称は『フライド丸』でも良いが、人名となるとちょっとおかしい」

「ほんま? おおきに子安どん!」


俺は名前をもらったのが嬉しくて、子安どんの首筋にぎゅうとしがみついた。


「こいでおいも立派な子安家のもんじゃ、こいで子安どんと夫婦じゃあ」

「…あ、それは無理」

「なんでやあ!」

「お前戸籍ないだろ、この『ネオ薩摩』での婚姻には戸籍が要る。

戸籍ってのはお前がどこの家の子か記したお上の記録で、家ごとに籍が作られている。

その戸籍がない限り、お前は誰とも婚姻は出来ないのだ」

「そんなあ!」


俺は子安どんと婚姻出来ないという事実に衝撃を受けた。

戦国の世界では祝言をあげればそれで夫婦になれたのに。


「戦国の世界から来た、身元も本名も不明のお前はどう見ても無戸籍者だ。

結婚どころか車の運転免許も取れない、健康保険にも加入できない、

銀行に貯金する口座も開けない、海外へ渡航も出来ない。

異世界に転生すると言う事はそういう事なのだ」


子安どんはにべもない。

おとぎ話によくある異世界転生の現実は甘いものではないのだ。

転生した先の世界の住民になれるとは限らないのだ。

愛する人と結婚も出来ないのだ。


かといって、戦国の世で子安どんと一緒になるのも難しい。

まず今いる妻とは離縁しなくてはならないし、

それも政略結婚となれば政治的に難しい。

また離縁が成立して再婚となっても、

武家の者が一般市民と結婚する事は、周囲が許しはしないだろう。


「だが、今は『事実婚』と言うものがある」


子安どんが「事実婚」なるものを言い出した。


「何ねそれ」

「事実婚てのはだな…」


その時、子安どんの背後で扉がまた開いた。


「子安どん危ない!」


俺はとっさに彼女を突き飛ばして扉の前から離した。

穴は開いたまま、赤黒く渦巻いた中身を露出させている。

時は今だ。


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