第2話 隼人の女
第2話 隼人の女
隼人族の女はぷいと顔を背けた。
「貴様に話す筋合いなど無い」
至極もっともだ。
こんな初対面の男に話せという方が無理だ。
「蹴ったりして悪かったな」
隼人族の女はそのまま立ち去ろうとした。
俺はふと思い出して、彼女を呼び止めた。
「何だ?」
「あの…ちょと聞きたいんじゃけんど、ここは薩摩でよかかね?」
ここは一応共通語で話さねば。
隼人の女と言えど、様変わりした薩摩では言葉も変わって通じぬかも知れない。
「…薩摩!」
隼人族の女は目を丸くした。
そしてぷうと吹き出し、腹を抱え、先ほどとはまた別な涙を流して大笑いした。
「薩摩、そう見えるか! 確かに薩摩じゃ、新しい薩摩…『ネオ薩摩』だな!
てかその話し方は大阪弁のつもりか! 笑える! 」
女は半分嘲笑するような口ぶりで答えた。
「ああん! 笑うな! こいでも上方ん言葉ぞ! 『ねお薩摩』とは何ぞ!」
「いや、確かに『ネオ薩摩』だ。そういう発想はなかったぞ」
彼女はまだ笑っている。
「して、ここがそん『ねお薩摩』ちゅ事は、そなたは隼人ん女か?
その濃いくっきりとした容貌に、立派な体躯はどう見てん隼人の者じゃ」
「隼人! そんな男は知らん、私は独り者だ」
隼人の女は更に笑いを重ねた。
どうやらこの「ねお薩摩」には「隼人」なる名の男がいるらしい。
薩摩隼人も庶民の男の名になるとは落ちたものだ。
「貴様こそ何だ、寝起きの落ち武者か? どこのテレビ局から抜け出して来た?」
「てれ…?」
「テレビ局。役者が出入りする局だ、この辺りに多い。
貴様のようなおかしな格好の者など役者としか考えられぬ。
しかも抜け出して来るような根性なしだ、それじゃ売れないぞ」
「えっ、おいだけ?」
よく見れば他の通行人らも、彼女のような南蛮風らしき変わった服装をしている。
寝間着と言えど着物を着ているのは俺だけだ。
その上、髪型も変わっている。
男はみんな髪を短く切ってあり、誰ひとりとして髷を結う者はおらず、
腰に刀を提げる者もいなかった。
「そしてなぜ濡れている、海にでも落ちたか?」
「あ、いんや…桜島との間から泳いで…」
「桜島! しかもこんな秋も終わりの冷たい中を泳ぐとは! …わかったぞ」
桜島と聞いて、女はまた大笑いした。
そしてすぐに笑みを消して真顔になった。
「お前、精神病院から脱走して来たんだろ? まだ幻覚妄想ばりばりだ。
病院内でよほど辛い事があったのだろうな、かわいそうに」
「誰が幻覚妄想じゃ、それに精神病院とは何ね?」
「あまりにも辛い目に遭ったために心の壊れた者たちを収容して、
休養と治療を行うための医療施設だ」
「なるほど」
確かに俺も「あまりにも辛い目」という物に遭っている。
戦の中で心を殺した事もたくさんあった。
そして大勢の仲間を死なせ、殺そうともしていた。
あの優しかった村人たちを罪に貶めようとしていた。
「その様子では行く宛てもないのだろう、私と一緒に来るがいい。
ちょうど人手が欲しかったところだ、私の仕事を手伝って欲しい。
貴様の面倒は見てやる」
「そなたに仕えろと? こんおいが?」
「仕えろ。私が貴様を拾う、今から私が貴様の主人だ。
心から私に仕えよ、お前自身のためにな」
「なしておいが…」
「よいな」
隼人の女は俺をぎろりと睨みつけた。
あまり見えない俺でもわかるくらいにくっきりとした目は、眉との間がうんと近く、
大きな黒目と濃いまつ毛で真っ黒なほどで、それだけに視線に力があった。
俺は身がすくんで動けなくなった。
確かに今の俺では行く宛てもないし、寝泊まりする場所もない上、
大きく様変わりしたこの「ねお薩摩」はあまりにも不案内だ。
おまけに目もろくに見えないと来ている。
ここはおとなしく彼女に従った方が賢明だろう。
「…わかり申した、そうしちゃる」
すると、彼女が俺に手を差し伸べた。
おなごのくせに何と大きな手なんだろうか。
でも色は白く、骨も細く華奢で、指は長い。
こういう繊細さはやはりおなごならではのものだ。
「私は子安留津だ、貴様は?」
「えっ、おい?」
困った。
見知った者もあるこの「ねお薩摩」に、死んだはずの者が生きて戻っているのはまずい。
この無愛想な隼人の女…子安どんが口外するとは思えないが、
それでも他の者に気付かれるのはまずい。
あの肥えた殿に知れたらただでは済まない。
「おいは…」
俺は辺りを見回した。
何と名乗れば良いのだろうか。
するとその時、近くの小さな小屋に「ふらいど」何とかという旗が立っているのを目にした。
見たところ食べ物屋らしい、茶屋か何かだろう。
俺はとっさに間に合わせの命名をした。
「…おいは『ふらいど丸』じゃっど」
俺は差し出された彼女の手を取った。
彼女はふっと微笑んだ。
「『フライド丸』? 変わった名だな…まあいい、そういう事にしておこう」
それから俺は子安どんの外套を羽織らされ、
彼女に連れられて大通りまで出、鉄で出来た自走する車に乗せられた。
「速か! わっぜ速か! 早馬などよりずうっと速かあ!」
車の後ろの席に座る子安どんの隣で、俺は透明な石で出来た窓にびたりと張り付いて、
早瀬のように流れる景色を眺めながら、この車の速さに喜んではしゃいでいた。
車は灰色の森を抜けて、低い林へと出た。
林はどうやら民家で構成されているらしいが、やはり角ばった変わった形をしており、
屋根の色もさまざまで、何よりも民家にしてえらい狭く小さかった。
子安どんは石造りの小さな城の前で車を停めさせ、銭を支払った。
「着いたぞ」
「何ねこん城は? 島津ん城か?」
その城を島津の城だと思った俺は、子安どんの背中にすっと隠れ、
そこから恐る恐る城の様子を盗み見た。
「『島津マンション』、確かに『島津の城』だな」
「殿、おらんとやろね?」
「殿て…島津の家臣じゃあるまいし」
俺はぎくりとした。