3.爪あるもの
「どういう……ことですか」
桑野さんの言葉を、あたしは理解できなかった。
「柿野坂教授は見つかった時にはもう亡くなられていました。左の首筋から足にかけて三本の裂傷がありました。大きな爪のようなものでひっかいたような傷でした。それと、研究室は荒らされていました。何かを探していたようです。何か思い当たるようなことはありますか?」
殺された……おじいちゃんが? あの温厚なおじいちゃんが? 七十を超えても山登りしてピンピンしてたあのおじいちゃんが?
「嘘……」
ありえない。そんな……てっきり病気だと思ってた。もうそれなりの年だし、無茶もしてた。だから、きっと研究室で倒れただけなんだと、そう思ってたのに。
殺人?
殺された?
そんなこと、ありえるはず、ないじゃない!
「誰かに恨まれているようなことはありませんでしたか?」
「ありえません! ……おじいちゃんはすごく優しい人で、研究室の人からも慕われてて……。恨まれるだなんて……」
「……すみません」
桑野さんが頭を下げる。
つい語気が荒くなっちゃった。でも、だって、おじいちゃんが怒ってるところを見たこともないのよ。あたしが間違ったことをした時は、すっごく悲しそうな顔で諭される。怒られるより、ぶたれるより、おじいちゃんにそんな顔をさせたことがなにより辛かった。
だからきっと、他の人にもおじいちゃんは怒らなかったはず。
あたしにはわかる。
「しかし、そうですか……。では、研究室を荒らされた件については」
「おじいちゃんは……植物学者です。最近は宇宙から持ち込まれた植物が増えてて、その研究をしてるって聞きましたけど……」
珍しい植物を見かけたという噂を聞きつけてはあちこちの山に行ってた。週末の山登りもその一環だった。
「では、その植物が狙われたのかもしれません。現場はまだ鑑識が調査中ですが。他にその研究に携わっていた人をご存知ですか?」
「いえ……研究室の人は何人かいますけど、宇宙から持ち込まれた植物の研究はおじいちゃん一人でやってたんじゃないかと思います」
研究室の人の顔を思い起こす。助教授の牧野さん、助手の飯沼さんはあたしも顔を知ってる。よく植物採集に一緒に行ったもの。でも、宇宙植物の採集の時に二人が一緒だったことはない。
「なぜそう思うんですか?」
桑野さんは不審そうに言う。あたしは紅茶のマグを見つめながら口を開いた。
「普段の植物採集なら牧野さんや飯沼さん、それからゼミの学生の人とか大勢で行くんですけど、土日に宇宙植物の採集に行くときはあたししか連れて行かないんです。だから……」
あのしんどかった山登りも、もうしなくていいんだ。いや……できないんだ。そう思うと、また涙がこみ上げてきた。
「では、かおるさん。あなたが宇宙植物の採集には同行されていたんですね?」
「ええ……」
だって、七十を過ぎたおじいちゃんを一人で山登りに送り出すなんて、怖すぎるもの。どっかで倒れてるんじゃないかとか、崖からぶら下がったりしてないかとか家で不安を募らせるよりよっぽどいい。
「研究室に残されてる採集物を見れば、何がなくなっているか分かりますか?」
「たぶん……わかると思います」
新しい植物や花を見つけたらいつも一番に見せてくれた。おじいちゃんの研究を全部理解してるわけじゃないけど、植物のことを語るときのおじいちゃんのきらきらした顔を見るのはとても好きで……。
「では、明日、現場検証に立ち会っていただけませんか。お願いします」
「……分かりました。ところで、おじいちゃんを……殺した犯人って、捕まったんですか?」
顔をあげる。今度はあたしが聞きたいことを聞く。どんなつらいことだって、ちゃんと聞きたい。
しかし、桑野さんは首を振った。
「いえ、まだです。ただ……」
「ただ?」
「僕は、犯人は地球人じゃない、と思っています」
とても言いにくそうに桑野さんは言う。
「……まさか」
あたしは笑い飛ばそうとした。でも、笑えなかった。
「ええ、そうなんです。凶器に使われたと思われる三本爪は、別件でも使われた同じ武器の可能性がありまして……捜査対象外の事件の可能性があります」
捜査対象外。
今朝テレビでやってたニュースを思い出した。宇宙人による被害が増えているって……。
「ご存知かどうかわかりませんが、現在の地球では宇宙生命体は人間として認められていません。宇宙生命体は動物と同じ扱いとなり……」
桑野さんはその先を言わなかった。知ってる。通りすがりの犬に噛まれたのと同じで、殺人にならないのだ。
「じゃあ……捜査してもらえないんですか?」
「いえ、そのために僕が来たんです」
そういって、桑野さんはほんの少し笑ってくれた。