♯7 体育祭ですか。①
理事長室はアリーナの入っている一番大きな建物の三階にある。食堂から入れる裏門側だけが三階建て構造になっているため、外から見ると出張って見えた。だから気になって、何があるのかナザに聞いておいたことが功を奏した。じゃなかったら確実に迷ってる。
俺は先刻訓練場に降りるために使った階段を、今度は上へと昇って行った。
理事長室の扉は他のどの扉よりも重厚で威厳を放っていた。隣にあった校長室の扉とは比べ物にならない。学校というところには不釣り合いな、精緻な細工がその地位を明確に表す。
俺は息をのんだ。
どうして呼ばれたのだろう。まさか、退学とか……はヴァラン陛下の力で編入したことを考えると考えにくい。なんせ国王様だ。後ろ盾が大きすぎて何も思い浮かばない。受け入れる腹積もりだけしておこうか。
俺は固く握った拳で、慎重にその扉をノックした。緊張して手汗がにじみ出る。
入れ、と聞こえたのはまだ張りのある男の声。
ひげを蓄えた長老みたいなのを想像していた俺は僅かに驚いて、恐る恐ると扉を押した。
「失礼します」
軽く会釈をして入り、頭をあげた瞬間に俺は目を奪われた。
ダークブラウンのソファに腰掛け、優雅にカップを傾ける銀髪の男。
長く梳いた銀髪は俗に言うウルフカットで、目と首元を覆い隠している。その毛先の合間から首に嵌められた青いチョ―カーが見えた。
俺は、その男の見覚えがあった。
ヴァラン陛下の妻、ゼン妃。
俺はその場に立ち尽くす。
えっと、どうしたらいいんだろう。俺はこの人と会話したこと無いし。ってかお后様じゃんかひれ伏せばいいのかな。
必死に考えていると、ゼン妃はこちらを向き、そして対面のソファを指した
「かけろ」
「は、はい」
変に声が硬くなってしまう。動きも固くなってしまいそうで、ゆっくり動くことで何とか平静を装う。失礼します、と声をかけて、ふかふかのソファに腰を下ろした。
俺の態度に思うところがあったのだろう、彼は「む」と唸った。
「そこまでかしこまらなくていい。今は王族関係なく僕はこの学園の理事長としてここにいる。そう呼べ」
「……分かりました、理事長」
まさか、理事長がお妃さまだったとは。これじゃ表に顔を出せないわけだ。王族は、一般には顔を見せないらしいから。式典の時なんかも、遠目でしか見れないとか。けど、なんでこの学校の理事長に王族を据えているんだろう。聞いてみてもいいことだろうか?いや、やめておこう。きっと余計な興味だ。
ことん、と俺の机にカップが置かれる。はっとして見上げると、机の脇にこれまたどこかで見覚えのある長髪美人が立っていた。彼女は理事長の紅茶を継ぎ足して、一礼をして下がっていく。
あの黒髪の女の人、どこで見たんだっけ……。
「神子から魔力の放出を抑える所までいったと聞いている」
二杯目の紅茶をすすって、理事長は言った。
抑えると言うか、確かに流れを掴むことはできるようになって来たけれど、まだコントロールが出来ない。なんとか、膨大に放出されそうになる魔力をおさえているってところ。
しかしクラウがそういったというのなら、きっとこれでいいのだろう。俺は頷いた。
「ならば、次は僕の番だ。ヴァランからの命でもあるからな。日時は放課後。場所は変わらず風紀の訓練場だ」
「よろしくお願いします」
座ったままだが深々と頭を下げる。色んな人にお世話になっているなと、しみじみ思った。こっちの神様の勝手で巻き込まれたって言うのを考えても、贅沢すぎる気がする。しかし、この国のため、俺がこの力を持て余しているのは都合が悪いのだろう。「黒蝶の騎士」の目的も阻まなければいけないわけだし。そういえば、奴らの目的って何なんだろう。儀式って言っていたけれど、何を成すための儀式なんだろう。
これは聞いてみてもいいよな、と思案していると、理事長が「それから」と言って懐から何やら赤いものを取り出した。机に置かれたそれらは折り畳まれたカードのようだった。赤いカードが二枚。緋色に近い色合いで、その濁りが不思議と不気味に思える。
「見てみろ」
言われて、俺の方に押し出されたカードを手に取る。開く前に理事長を窺うも、俺の手元を見つめていて急かされている心地になる。
ゆっくりと開いたカード。折り目から下の面に、俺は釘づけになった。ぞわりと、全身に悪寒が走る。
俺の名前と、初日の強姦事件を示唆する文面。未遂で終わったが、確かに俺に恐怖を植え付けたあの出来事が、このカードの指示にのっとっていた……?
「もう一枚も見ろ」
急かされて、慌ててもう一枚を開く。文面をもう見たくないと訴えかける俺の脳は、徐々に俺の精神を蝕む。ただでさえ最近の俺は弱いのに、これ以上弱りたくないのに。
二枚目の文面が俺に与えた衝撃は、一枚目の比ではなかった。
先のカードのことを話せという文と共に、かき添えられた一言。
『タツミ・セガワはこの学校の害になる』
俺は耐えられなくて、カードを閉じた。
体の真ん中にヘドロでも流し込まれた気分だ。ヘドロは固まって、俺の胸を圧迫する。掻き掴んだ胸元でパーカーにしわが寄った。変に忙しない心臓と、全身から噴き出す汗が余計に焦りを生む。
害?俺が?害になる?もうなってる?わかってる。だから、魔法を。なんで?だから?俺が、俺がいなければ――
がちゃ、とカップが倒れる音がした。目の端に、広がりだす紅茶と、俺に近づく脚が見える。
過呼吸になりそうな胸元をおさえ、必死に大きく深呼吸する。
落ちつけ落ちつけと自分に言い聞かせていると、背をさすってくれる手を感じた。
誰かの手。理事長の手だ。
まだ、俺には支えてくれる人がいる。そうだ、利害関係の元だとしても、一人ではない。それに――利害関係抜きで俺を支えてくれる人もいる。
ト―レ、テラ、エイナ、クラウとダンテさんだってきっとそう。そして、イ―ズ。
支えられている、俺が立たないでどうする。俺が折れてしまってどうする。
押しつぶされちゃいけない。
「もう、大丈夫です。取り乱してすみません」
正常に戻った呼吸に大きく息を吐く。そうか、と安堵の覗く浅葱色の瞳が細められる。
「気にするな。僕も配慮不足だったかもしれない。神子に従っておけばよかったか……しかし、この学校を大切に思っていてくれているようで、理事長としては嬉しい」
元の席に腰かけながら、理事長は笑みを浮かべずにそういった。優しい声音。そういえば幾度か彼を見かけるうちで、笑みを浮かべているのを見たことはない。そういった場面で無かったということ以外に、笑わない理由でもあるのだろうか。ふと疑問が浮かぶも、それこそ俺の踏み込むことではないと頭から追い出す。笑みはなくとも、俺は理事長の言葉だけで胸の内が晴れるのを感じたから。
「はい……大切です」
何度も思った。自分を変えてみたい、と。
でも実際やろうとすると、すごく難くて。
異世界に飛ばされても、それは変わらない。
俺は結局、ただ全てを受け流すことで一変した景色に対応した。けれどそれは最初だけで、俺はきっと、ちょっとずつ変われていたんだと思う。変わりたいと思う自分でさえ、気がつかないうちに。その変わった自分が、何よりもかけがえなく思った居場所は、やっぱり、この学校だったんだろう。
俺はいつの間にか、受け流すのを止めて、受けとめようとしていた。
友情も、訓練も、現状を飲み込むのでさえ、すごく難しい。でも、昔に受け止めるのを止めてしまった時の虚無感は、もう味わいたくないと思っていた。逃げたくなかった。
俺なんか、って言うのは、最大級の遠慮に見せかけた逃げだ。
逃げちゃいけないことから逃げるために、俺はいつも自分なんかと卑下して、人との関わりも逃げてしまう。
それで成り立ってしまった元の世界。この世界に来て、俺はそれじゃ駄目だと初めて思った。殻に閉じこもって出てこようとしないヒヨコは成長できない。つまり、そういう事。
自分のことさえ満足に受け止められない俺だから、支えが必要で、こんな俺でも支えてもらえるって言う事は、俺は自分で卑下するよりもずっと意味のある存在なんじゃないか。神力箱云々に関わらない部分で、そうだったらいいと思ってしまう。
「俺は、ここにいてもいいんですよね……」
呟いたのは、自分への確認を含んでいた。
「ああ、お前は我が校の生徒だ。ただの生徒だ」
対面するこの学校の長は、相も変わらぬ真顔だった。
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