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華の高校生、夢の高校生活が始まってすぐのことだ。
平々凡々、ゆっくりと変わらぬまま進んでいくのだろうと思っていた自分の生活が変わった。
目の前には黒塗りの車。以前テレビで見たことあるぞ、こんな高級車、と思ったら車の扉が開いた。
まるで自分を待っていたようだ。と馬鹿なことを考えながらも、早くここから動かないとなにか厄介なことに巻き込まれそうな気がするぞと智樹は無い頭を働かせてどうにか動こうと足を一歩進ませた。
しかし、その行動は一歩どころか十歩ほど遅かったのではないだろうか。
「高橋智樹くんだね?」
目の前の黒塗り高級車から出てきたオールバックの、それなりに整った顔の男は、呆然と立ち尽くす俺に向かってそう問いを投げかけた。
男の服装はぴっちりした黒スーツ。ネクタイは紫と黄緑が自然な感じで交わりあっており、どこか高級感をかもし出している。がっちりした体格、一応百七十はある智樹の身長を越し、見下ろせるだけの体躯。パーツパーツまでもが整っている顔を見るのも恐ろしい。先ほど、あの切れ長の鋭い瞳と目が合ってから体が竦んでいるほどだ。
――――高橋智樹、十六歳。平凡なはずの高校生活を始めてまだ一週間も経っていないのに、なぜだか平凡な生活を送れない気がしてきた。
これはいけない、どうにかして逃げなければ。
「い、いえ! 人違いだと思います! 智樹くんなら……」
智樹は焦り、どもりながらも人違いだと告げてみる。そして「智樹くんならまだ教室にいた」とでも答えてこの怪しげな男から逃げてしまおうと思っていたのに。
「高橋智樹くんはこの学校には二人いるんだろうか。私が持っているこの写真の高橋智樹と、君の顔は全く同じに見えるんだけど」
にっこり、そういった擬音がつきそうな笑顔で男は写真を見せてきた。撮影した覚えの無い写真だ、それにどこか明後日の方向に視線がいっているし。これはもしや、もしかしなくても――――盗撮という奴ではなかろうか。
はじき出された答えにさあっと血の気が失われていくのがわかる。
そして、盗撮だということがわかったところで、目の前の写真にはしっかりと智樹の顔が写されている。毎日歯磨きをするたびに見る、自分の顔が。
「き、きっとその、その写真を撮った人が間違ったんですよ! そ、それに、本物の智樹くんはもっと格好いいです!」
どこからその写真を入手したのか、というのは恐ろしくて問うことなどできない。だから智樹は舌を噛みながらも「高橋智樹」という人間はもっと格好いいとアピールをし、人違いだからで逃げようとした。
が、そんなに現実は甘くない。
「そうかい。なら申し訳ないことをしたね」
「い、いえっ、お構いなく」
「これでは私の気がすまない、お詫びをしたいからこのままお茶でもどうだろうか。さあ、乗って」
「だだっ、大丈夫です! 本当にお構いなく!!」
何故こんなことになっているのだ。自分と同じく下校していく学生たちは不思議そうな、それでも黒塗りの怪しい車に脅え、同情的な視線を送ってくる。こんなことになるならば、ゲームを買いに行くからというつまらない理由で友人と一緒に帰る約束を反故にしなければよかった。智樹は心底十分ほど前の自分を憎んだ。
「いや、乗ってくれないと私の気が治まらないんだ」
自分がこのような輩に絡まれる理由など一つも心当たりなどないのに、こういった自体に陥っているのは何故か。智樹は目の前の男がどのような目的で自分に近づいているのかと思うと、恐ろしくて仕方ない。
この男は、どうやってでも自分をどこかに連れて行きたいらしい。
自転車ならば断る理由もあったというのに。
「い、いえ、あの、本当に……」
おかまいなく、といいたかったのだが、あとの言葉は声にならなかった。
「――――時間がないんだ。いいから乗れ」
先ほどまではやはり見せ掛けだけでも優しくしてくれていたようだが、どうやら堪忍袋の緒が切れたらしい。
智樹は比べ物にならないほどの恐怖に負け、男に背中を押されるようにして車の中に体を入れた。