大統領はやり直す
大統領はやり直す
1943年、アメリカは日本に対して段階的に強化してきていた経済制裁を、石油全面禁輸という所にまで引き上げ日本を締め上げた。
それはドイツと同盟国である日本を挑発し、暴発させ、アメリカが対独参戦するためであった。
そして12月。日本は米英に対し宣戦布告を行った。
日本は宣戦布告の直後にハワイ真珠湾を奇襲攻撃し、米太平洋艦隊の全ての空母を沈め、多数の戦艦を損傷させたのであった。
アメリカは対日宣戦布告し、ドイツとイタリアが対米宣戦布告を行ってきた。アメリカは対独参戦できたものの、米太平洋艦隊は当分行動不能となり、その間に日本は東南アジアを制圧していった。
大統領は海軍の立て直しに力を入れてはいるが、一朝一夕に立て直せるはずもなく、嫌がらせ程度の高速戦艦による一撃離脱の艦砲射撃がせいぜいであった。
しかし、この艦砲射撃が日本の目をインド方面ではなく、太平洋方面へと向けさせたのである。
1944年6月に、日本機動部隊はミッドウェー島を攻略した。
暗号の解読からこの情報を掴んではいたが、日本機動部隊は8隻の空母で来襲し、迎え撃った米空母は悉く沈められ、戦艦は損傷し、追撃の日本戦艦部隊による攻撃で米艦隊は壊滅的打撃を被る事になってしまったのである。
8月にはハワイ諸島に日本機動部隊が来襲し、日本軍によるハワイ攻略作戦が開始された。
一方オセアニア方面の島嶼も日本軍に占領されていき、オーストラリアが孤立した。
オーストラリアは度重なるアメリカの敗北と、孤立した状態での日本軍による空襲を受け続け、とうとう講和に応じ中立を宣言した。
12月には日本軍が米西海岸に攻撃を仕掛け、サンフランシスコ・ロサンゼルス・サンディエゴなどが艦砲射撃を受ける事態にまで発展した。
これにより、今まで隠蔽していた度重なる敗北が米国民に露呈し、厭戦気運が急速に高まっていったのであった。
1945年2月。日本艦隊によりパナマ運河が破壊された。
これにより、日本軍は西海岸でさらに暴れまわることになったのである。
西海岸の港湾が破壊された事で、ソ連への支援の半分を占めていた太平洋ルートが途絶し、東部戦線に影響を与えることになってしまった。
アメリカはドイツに対し、戦略爆撃機B-17の大量投入で工業地帯を攻撃し始めていたが、抵抗が強く、効果は限定的だった。
ソ連も満洲の日本軍が減った事で、極東ソ連軍を東部戦線に送り込めたのだが、太平洋ルートの支援が来なくなったため、ソ連軍は攻めあぐね東部戦線は膠着していた。
インド洋においては二線級の日本機動部隊の攻撃により、イギリス東洋艦隊が壊滅した。
これに伴いドイツはスエズ運河攻略を開始した。
3月。イギリスで政権交代が起き、イギリスと枢軸国の講和交渉が始まってしまった。
そしてアメリカ国内でも厭戦機運の高まりから、世論は講和を求める声に包まれた。
4月。屈辱の講和交渉が始まり、大統領は体調が悪化し、失意のうちに息を引き取った。
■
1933年2月。就任式を控えた次期大統領は、フロリダ州マイアミでの演説直後、銃撃を受け、シカゴ市長が倒れた。
そのショッキングな出来事で衝撃を受けた次期大統領は、既視感を覚えた。
(以前にもこんな事がなかったか?)
思い返すも記憶はおぼろげで、しかし確かに以前にもこんな経験をしたと確信が持てていた。
時は過ぎ、ドイツがポーランドへ侵攻した時にも既視感を感じ、英仏がドイツに宣戦布告しファニーウォーと呼ばれたときもそれを感じた。
そして、ドイツがフランスへ侵攻した時には、(そういえばそうだった!)と感じたのだった。
ドイツが日本と同盟を結んだ時には、(日本!そうだ!日本にしてやられたのだ!)と思い出し、日本が北部仏印へ進駐した事で翌年には南部仏印へと進駐することを思い出したのである。
思い出した記憶では、南部仏印に進駐した日本に対し段階的に経済制裁を行っていったが、そのせいで開戦の時期が遅くなりすぎ、日本にしてやられる結果となってしまったのである。
長らく続いた日米の関係悪化により、日本は対米戦争準備を整えていたのである。対してアメリカは準備不足で開戦を迎え、緒戦で大損害を被り、その後も連戦連敗となってしまったのであった。
詳細は思い出せないが、アメリカに不利な内容で講和交渉はまとまりかけていたようだった。
1941年7月。日本が南仏印へ進駐した。
そして石油全面禁輸などの経済制裁を即座に行い、日本を一気に締め上げ挑発した。
11月になり、日本が12月にハワイを攻撃する可能性があるような気がしたが、大統領はよく思い出せなかった。
12月。ハワイ真珠湾が日本の空母機動部隊による奇襲攻撃を受け、戦艦多数に大損害を被った。
そして思い出したのである。
(そうだった!空母だ!航空機だ!これからの海戦は空母機動部隊の時代だった!戦艦は航空攻撃で沈む!)
日本を早期に暴発させる事に成功し、真珠湾への奇襲攻撃は受けたものの肝心の空母は無事であり、ドイツとイタリアの方からアメリカに対し宣戦布告を行ってきた。
大統領は空母戦力の充実と、機動部隊創設を推し進めていくのだった。
1942年4月には日本の首都東京への機動部隊による攻撃も成功させ、その実績により米国内の戦意高揚を成功させたのであった。
また結果として、日本の目がインド方面から太平洋方面へ向くことになり、日独の通商路復活の可能性を遠退かせたのである。
6月にはミッドウェーを巡る海戦で、日本の正規空母4隻を撃破した。
日本は最強の矛を失うことになり、それを立て直す頃にはアメリカの機動部隊は圧倒的戦力となっていると考えられた。
ソロモン諸島を巡る戦いでは消耗戦となってしまったが、戦争準備が万全に整いつつあり、アメリカは物量で日本軍を圧倒していった。
太平洋の島嶼を巡る戦いでは、降伏しない日本軍に手を焼きながらも歩を進め、遂にマリアナ諸島を攻略した。
これで日本本土に戦略爆撃を行うことができ、日本も早々に音を上げると考えられた。
フィリピンを巡る戦いで、日本軍は組織的に航空機による体当たり戦法を取ってきた。
大統領は強い衝撃を受け、日本軍がとても正気とは思えなかった。
(やはり日本は侮るべきではない。全力で、そして過剰とも思える戦力で叩きのめさなければ、大損害を被ってしまうのは米軍の方になってしまう!)
硫黄島の戦いでは過剰な戦力を投入したにもかかわらず、日本軍の縦深防御戦術により米軍は大損害を被った。
米軍の大損害に大統領は戦慄し、大きな衝撃を受けたのだった。
(硫黄島に対して過剰な戦力で臨んだはずなのに、何故こんな事になった?!)
続く沖縄戦では日本軍のカミカゼ攻撃が本格化し、大統領は対日戦争の長期化を覚悟せざるを得なかった。
対独戦争はもはや終盤であり、ドイツがここから巻き返す可能性はなかったが、硫黄島や沖縄での戦いから、日本本土での戦いで米軍はどれだけの犠牲を払うことになるのか、考えただけでも頭が痛くなる話だった。
大統領は、おぼろげではあったが日本にしてやられた記憶があった。
そして対策を講じ、日本を追い詰めることができた。
しかし、その追い詰めた日本がいつまで粘るのか、まったく先が見えなかったのである。
大統領の病状は悪化していた。日本との決着を見ることは難しいかもしれなかった。それ以外のこともである。
大統領は、無念でならなかった。
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