第2話 同接10の絶望
気管支から血の味がする。
喉の奥に張り付く、乾いた砂の感触。
背後から迫る複数の咆哮。さっきの犬の化け物、レイス・ハウンドの群れ。
走る。ただひたすらに、赤黒い荒野を駆け抜ける。
フォロワー1。
足枷が外れた程度の筋力補正。陸上選手になれたわけじゃない。ただの運動不足な成人男性の、貧弱な肉体。
心臓が肋骨を突き破りそうなほど跳ねている。
足がもつれる。転倒。
膝を擦りむき、赤黒い土に顔を突っ込んだ。
痛い。熱い。
だが、立ち止まることは許されない。
手元のスマホ画面。数字が容赦なく現実を突きつける。
【同接:10人】
【同接:8人】
【同接:5人】
血の気が引いた。
怪物の牙よりも恐ろしい、無関心という名の暴力。
『ただ逃げてるだけかよ』
『絵面が地味』
『別枠いくわ』
弾幕が薄くなる。数字が減る。
連動して、視界の端の【残りヒート】の減少速度が跳ね上がった。
クソが。
飽きられたら終わり。ここはそういう世界だ。
かつて地下アイドルの運営をやっていた頃、見飽きるほど見てきた光景。
「推し」への熱が冷めたファンは、昨日までの熱狂が嘘のように去っていく。消費し尽くされ、ポイ捨てされる少女たち。
今度は俺が、使い捨てられる番か。
笑わせるな。
俺はコンテンツだ。お前らの時間を、感情を、一滴残らず搾り取ってやる。
カナタは立ち上がり、あえて群れから逃げる「安全な平地」のルートを外れた。
向かう先は、切り立った岩肌。足場が崩れ落ちそうな、すり鉢状の渓谷の縁。
「おい、どこ行くんだよ」
ドローンカメラを睨みつけ、血塗れの顔で笑う。
「ただのマラソン大会じゃつまんねえだろ? 特等席を用意してやるよ」
崩れやすい崖の縁を、わざとギリギリで駆け抜ける。
小石が谷底へ吸い込まれていく。一歩踏み外せば、数十メートル下へ真っ逆さま。死へのダイブ。
『え、そこ走るの?』
『落ちる落ちるww』
『バカじゃんコイツ』
数字が止まる。
【同接:6人】
【同接:9人】
喰いついた。
他人の危機は最高のエンターテインメント。命綱なしの綱渡り。
息が続かない。視界が白濁し始める。
それでも、カメラに向けた挑発的な視線は外さない。
「落ちて潰れるか、食い殺されるか。賭けろよ。……俺の命のチップは、もっと高いぜ?」
崖の崩落。
足元の岩が丸ごと剥がれ落ちる。
宙に浮く体。
『うおっ!?』
『マジで落ちた』
『やばいやばい!』
落下しながら、岩肌に突き出た木の根に、錆びた鉄パイプを全力で引っ掛ける。
ギギギッ、と肩の関節が嫌な音を立てた。
激痛。腕が引きちぎれそうな衝撃。
だが、落下は止まった。
谷底で、追ってきた怪物たちが忌々しそうに吠え上げている。
宙吊りのまま、カナタは息を荒らげてカメラを見上げた。
「……どうだ。いい絵、撮れたか?」
コメント欄が加速する。
『草』
『悪運つええ』
『ほらよ、見物料だ』
システム音声。
【ギフトを確認:シルバー・コイン(500円相当)】
【物資を転送します】
ドローンから光の粒子が溢れ、カナタの胸元へ落ちてきた。
片手でそれを受け止める。
透明なフィルムに包まれた、ただの「塩むすび」と、小さなペットボトルの水。
這い上がる筋力はない。
崖の中腹、鉄パイプ一本で宙吊りになりながら、カナタは包装を噛み千切り、泥だらけの指でおにぎりを口に押し込んだ。
しょっぱい。
血の味か、ただの塩味か、わからない。
【同接:12人】
【残りヒート:00:45:00】
数字が増える。寿命が延びる。
胃袋に炭水化物が落ち、震えていた手足にわずかな熱が戻る。
もっとだ。
もっと俺を見ろ。
この狂った地獄の底から、最高のエンタメを配信してやる。




