第1話 命の値段は100円
口の中に広がるのは、ひどく乾燥した砂の味。
肺が焼け焦げるような熱気。
目を開けると、そこは赤黒い空の下に広がる荒野だった。
過労で倒れたはずのワンルームの天井ではない。
「……ッ、げほっ」
喉にへばりついた砂を吐き出し、身を起こす。
全身が鉛のように重い。風邪の引き始めのような怠さではない。重力が倍になったかのような、物理的な圧迫感。
眼前に、銀色の小さな球体が浮遊していた。
ドローンカメラ。レンズが、無遠慮にこちらを見下ろしている。
手元には、見慣れない漆黒のスマートフォン。
画面が強制的に立ち上がり、無機質なインターフェースが浮かび上がった。
【Inferno Live へようこそ】
【同接:10人】
【フォロワー:0】
【残りヒート(寿命):00:05:42】
画面の端を、半透明の文字が右から左へ流れていく。
『あ、新人きた』
『すぐ死にそうw』
『賭ける? 3分もつかに10円』
弾幕。
動画配信サイトで見慣れた光景。
冗談じゃない。俺は裏方だ。演者としてカメラの前に立つ趣味はない。
地鳴り。
荒野のひび割れた大地から、腐肉の臭いが立ち昇った。
這い出してきたのは、皮膚の剥がれた巨大な犬のような怪物『レイス・ハウンド』。
黄ばんだ牙から、粘着質な唾液が滴り落ちる。
逃げろ。
脳が警鐘を鳴らす。だが、足が動かない。
恐怖で竦んでいるわけではない。物理的に、筋肉が命令を拒絶している。
【フォロワー:0(筋力デバフ:極大)】
ふざけるな。
俺の足は、どこの誰とも知らない10人のクソッタレに許可を貰わないと、一歩も踏み出せないのか?
怪物が身を屈める。跳躍の予備動作。
残りヒート、5分10秒。
流れるコメント。
『あーあ、終わった』
『南無』
ふざけるな。
俺は、こんなゴミ溜めみたいな場所で、たった10人の暇つぶしのために死ぬのか?
俺の人生の価値は、その程度か?
――違う。
カナタは、這いつくばったまま顔を上げた。
眼前のドローンカメラを、真っ向から睨みつける。
血の滲む唇を歪め、最高の、そして最悪の「営業スマイル」を作った。
「……お前ら」
掠れた声が、マイクを通して配信に乗る。
「安いチップで、面白いもんが見れると思うなよ」
媚びない。命乞いもしない。
ただ、画面の向こう側の「嗜虐心」を真っ向から煽り立てる。
安全圏から見下ろす連中が一番喜ぶのは、綺麗な優等生じゃない。泥を啜りながら中指を立てる、滑稽な道化だ。
怪物が跳んだ。
牙が迫る。
その瞬間。
『は? ww』
『生意気なやつ』
『ほらよ、死に銭だ』
システム音声が無機質に響いた。
【ギフトを確認:ブロンズ・コイン(100円相当)】
【武器錬成を開始します】
頭上の虚空が歪む。
カラン、と乾いた音を立てて落ちてきたのは、一本の錆びた「鉄パイプ」。
それを掴んだ瞬間、指先に確かな「力」が宿った。
「上等だ……ッ!」
振り抜く。
頭蓋を叩き割る鈍い感触。
飛び散る腐肉。赤黒い血飛沫が、カナタの頬を汚す。
怪物の巨体が地面に沈み、光の粒子となって消滅した。
【初撃破ボーナス:ヒート+10分】
息を乱し、血塗れの鉄パイプを肩に担ぐ。
カメラを見据え、口角を吊り上げた。
100円分は働いてやった。
次はもっと高い金を用意しろ。死んでも、飽きさせてやらない。
ピコン。
【新規フォロワー+1】
【ステータス補正:筋力アップ】
少しだけ軽くなった足取り。
だが、安心する暇などない。
遠くの荒野から、先ほどの比ではない数の、おぞましい咆哮が響き渡った。
地獄のライブ配信が、今、始まった。




