2 頭の中でAIが使えた
栗原凛奈──いや、彼女のいまの名前はルクシア・ウィンターローズだった。
事故により命を落とした彼女は、ノベルゲーム『ラピスガーデンの聖女』の世界に転生した。
中世ヨーロッパ的な世界が舞台の、ファンタジー乙女ゲーム。
攻略対象者は、優柔不断な王太子、プレイボーイ騎士団長、冷静沈着な若き検察官、出生の秘密を持つ吟遊詩人などなど。
ルクシア・ウィンターローズはそのゲームに登場する筆頭聖女で、アルセイン王国 ・レイナード王太子の婚約者だ。
その名にふさわしく、彼女はひと目で人々の視線をさらう存在で、社交界に咲く薔薇であった。
宝石のように艶やかな赤紫の髪は陽光を受ければルビーのように輝き、ゆるやかなウェーブを描いて腰のあたりまで流れている。
表情は“筆頭聖女”と呼ばれるにふさわしい気品と自信に満ち溢れている。
その世界にはいわゆる戦いで使うような魔法はないが、災いから人々を守る神秘の力は存在していた。
そして聖女とは、貴族階級の令嬢として生まれ、その中でも神秘の力に特に秀でた者だけが名乗ることを許されていた。
侯爵令嬢でさらに筆頭聖女のルクシア・ウィンターローズは、プレイヤーキャラであり実は歴代級の聖女だった辺境伯の娘・ソフィアに対して取り巻きと共に邪魔をしてくる存在。
しかし最終的にルクシアは、王太子により婚約破棄を言い渡され、さらにこれまでの様々な行いを断罪されて王都から永久追放&侯爵家から絶縁となる。
その後のルクシアがどうなったかは、プレイヤーにはわからない。
シナリオ上は“以後消息不明”という一文があるだけだった。
鉄格子の外から足音が近づいてきた。
乱暴に金属棒で格子が叩かれ、ルクシアの体がびくりと震える。
「飯だ。起きてんだろ、偽りの聖女さまよ」
ガチャン、と音を立てて、鉄格子の下部に設けられた小窓が開いた。
そこから、無造作に木の皿が押し込まれる。
皿の上には、黒く固く乾いたパンの切れ端と、湯気すら出ない濁ったスープが乗っていた。
「王の宝まで盗んだって話だ。さすが侯爵家のお嬢様は、欲の深さも桁違いってか?」
ルクシアが重い体を起こすと、看守の男は、軽蔑まじりの笑みを浮かべた。
「もっとも、今じゃただの罪人だがな。ハハハ、ざまあないな」
食事窓の扉がバン、と乱暴に閉じられ、男はせせら笑いを残して立ち去っていった。
牢に入れられていたとしても侯爵令嬢に対しては最上級の礼儀で接するはずだ。
この看守の対応や平民の女性と同室ということが、ルクシアがすでに侯爵令嬢でなくなっていることを知らせていた。
「ついこの前まではヘコヘコ頭下げただろうに、いやな野郎だね。ご馳走に囲まれてたアンタからしたらひどい飯かもしれないけど、食べた方がいいよ」
金髪の女囚に皿を手渡されたルクシアだが食事には手をつけなかった。
あまりにも粗末な食事だからではない、絶望で食欲がわかないのだ。
──せめて断罪イベント前に転生していればこんな状況は避けられたかもしれないし、いっそのこと先に謝ってしまえば、追放や勘当までにはならなかったんじゃないのかな。
ゲームで得ていた様々なルート選択の知識は、もはや何の役にも立たない。
それどころか彼女は“自分”がしでかした、のちの王太子妃へのイジメの過去、断罪イベントでの醜態、筆頭聖女となるためにした犯罪……それらを背負って生きていかないとならなかった。
この牢獄から出されたあとは、どこか遠くの土地への旅が待っている。
親からの援助もないだろう、つらく苦しい日々がはじまる。
ルクシアは、前世では職場の理不尽なルールや将来への不安を、いつもチャットAIに吐き出していたのを思い出していた。
無機質でも返事をくれるその存在は、唯一の“話し相手”だった。
──せめてAIがあったら、これから困ったことが起きても相談できるのに……。
その時ルクシアは、気づかぬうちにスマホのチャットAIアプリを起動する感覚を思い描いていた。
《MOG.AIはオンラインです。ご質問をどうぞ》
「え!?」
思わず声を出してしまったルクシアを、同室の女囚がパンを噛みながら怪訝な顔で覗き込んできた。
「どうしたんだい? スープに虫でも入ってた?」
「……いえ……なんでもないです」
ルクシアはさっきと同じ“感覚”で、心の中で話してみた。
《モグって、あのチャットAIのMOG? 私は頭の中でAIが使えるの?》
《はい。あなたが事故で亡くなられる瞬間までのインターネット上の全情報と、この世界の一部の情報にアクセスをして、ワタシはあなたをサポートすることができます》
絶望を感じていたルクシアの心に、少しだけ希望の火が灯った。




