15 ソフィアの微笑みー王太子妃視点ー
「ねえ、もっと急いでできないの? 手を抜いてるんじゃないでしょうね?」
ソフィアは、紅い絹のドレスの裾をつまんで、壊されていく東の離宮を眺めていた。
王族ゆかりの離宮は、今まさに瓦礫となりつつある。
その脇で、職人たちが汗だくで動いている姿を見ていたソフィアは、もう飽き始めていた。
小さな石の破片が飛んできて、ソフィアの靴に当たって跳ね返る。
「そこの者! 私の靴が汚れました!」
「はっ、申し訳ございません……!」
「出てって。あなたのような無神経な者は必要ありません」
「そ……それは……勘弁してください! うちの女房の薬代を稼いで帰らないといけないんです!」
周りの職人たちは同情するような顔で彼を見た。取り壊しを急かすソフィアに従うと、どうしても破片が飛ぶのは仕方がないことなのだ。
しかし彼を助けようとする者はいない。見て見ぬふりしかできなかった。
震える声で謝罪する中年の石工に、ソフィアは手巾で頬を拭きながら冷たく告げる。
「はい? ちょっと聞こえなかったわ、私が誰だかその愚かな頭でちょっとよく考えてから、もう一度言ってもらえますか? はい、どーぞ」
石工は下を向いたまま、押し黙った。
ため息とともに背を向ける。
その背後で、建物の一角が崩れ、乾いた音を立てた。
「……ああ、待ち遠しいわ」
優雅に踵を返し、多くの従者に囲まれて自室へと向かうソフィアの顔には、微かな笑みが浮かんでいた。
部屋には、この国で最も高価な香が焚かれていた。
リネンのカーテンは特注品。絨毯は西方諸国から取り寄せた手織り。
一口も口をつけていない朝食が、銀の食器に整然と並べられている。
ソフィアは豪奢なベッドに体を沈め、天蓋を見上げながらふうっと息をついた。
「ふふ……ルクシアさんったら、やっぱり敗者だったのね」
彼女の唇に浮かんでいるのは、無邪気な笑みだ。
「侯爵令嬢ですって? 神秘の力が強かった? それで王太子と婚約してたからって、何よ。おとぎ話の主人公気取りだったのでしょうね」
──でも、最終的に勝ったのは私。だって、そうなるのが当たり前じゃない?
彼女にとって当然のことだった。
ソフィアは「選ばれる側」でなければ、ならなかったのだ。
──田舎ではずっと、そうだったもの。
彼女は辺境の聖なる泉のほとりで生まれ、神の声を聞く子として育てられた。
村の誰もが頭を垂れ、伯爵である父は「うちの娘は神の祝福を受けている」と誇らしげだった。
──みんな、私を褒めた。美しいって。特別だって。私はずっと、それが当たり前だと思ってたの。
けれどソフィアは、王都に来て、初めての挫折を知る。
ルクシアは全部が、ソフィアより上だったのだ。
──なーんか、あの人って何でもちゃんとしてる風でしょ? えらい人たちは、そういう“お行儀のいい女”がお好きなのよね、ほんとつまんない。
口元にくすり、と笑みが漏れた。
──でも、結局……彼は私を選んだの。
ソフィアは独り言をつぶやく。
「だってそうよね。ルクシアさんっていつもムズカシイ顔してて、お勉強ばっかりで、かわいくないんだもん。王太子は癒しが欲しかったのよ。私は、笑って、褒めて、甘えればいいの。そうすれば、“いいこいいこ”してくれて私の味方になるの」
それが、ソフィアの無邪気な“真理”だった。
計算して天然ぶっているわけでもない。
彼女にとって、それは「努力」でも「策略」でもない。
ただ、「自分の思うままに振る舞って、欲しいものを手に入れる」だけのこと。
「それにしても王太子妃って、すごく退屈」
彼女は寝返りを打ち、豪華な枕に顔を埋める。
「でも、楽しいこともあるわ。新しい離宮ができたら、今度はどんな宝石で壁を飾ろうかしら。私の絵も飾らないと」
無垢な笑顔。
その奥にある毒を、彼女自身はまるで知らない。
「……ルクシアさん、今どんな顔してるのかしら。辺境の罪人居住区って、寒くて汚いって聞いたわよ」
耳に届かぬ誰かに話しかけるように、楽しげにささやく。
「あ〜かわいそ。でも私が王太子妃だもの。いまさらルクシアさんが真の聖女だったなんてバレても、誰も信じないでしょ?」
カーテンの隙間から、朝の光が差し込んでいた。
それは彼女にとって、祝福のように見えていた。
「……王子が生まれて、レイナードが王になって。それからもし、レイナードが早くに亡くなってしまったら摂政になるのは、きっと私」
それはソフィアが目指している最高到達点だった。
けれど彼女は、それが夢物語だとは思ってはいない、
────そういえば、王さまって最近ずっと咳してるって聞いたわ。ふふ……この国、もっと楽しくなりそう♡




