13 アルセイン王
ルクシアは王太子から手首を強く掴まれている。
ロレンツォは王太子の前腕を握った。
「ルクシア様から、その手をお離しください……殿下」
王太子はロレンツォを睨み、ルクシアから手を離した。
カチャリ、護衛騎士が腰の剣に手をおく……王太子の指示ですぐ動けるように。
レイナード王太子はアルセイン王国の第一王位継承者だ。
つまり将来は王となるのが決まっている彼は、この国で絶対的な存在だった。
しかしロレンツォには、王太子に対して臆するような雰囲気がいっさいなかった。
王太子は苛立った。彼にとって王以外の人間は自分よりも「下」でなければならなかったのだ。
「ほう……君がルクシアを迎える?」
「はい、そうです殿下。そのために僕は来ました」
王太子は少し考えた。
「この国に、ルクシアを連れていこうとしてる私から奪おうなどと考える者はいない……君はアルセイン王国の人間ではないな? 外国の貴族か?」
「お察しの通りでございます。海の向こうの小国、フィロレンシア共和国の人間です。そして僕は貴族でも、もちろん王族でもなく、平民でございます」
「平民!?」
ロレンツォが平民だとわかると、王太子の態度は一変した。
「あははははっ! なるほど、よく見れば下品で無知な平民の顔をしている、納得だよ……それにしても私も舐められたものだな」
「殿下……僕は思うんです。どうするかはルクシア様本人が選ぶべきだと。このままこの地に残るか、王太子殿下とここを出るか……」
そう言うとロレンツォは、振り返ってルクシアの顔を見た。
「あるいは、僕の国に一緒に行くか……ルクシア様はどれを望まれますか?」
その言葉が、ルクシアの胸にじんわりと沁みてくる。
──私に……選ばせてくれるのね。
自分のことを所有物としか思わず選択肢を与えない王太子とは……彼は真逆の人間だった。
彼女はずっと、誰かに決められてきた。
聖女としての役目も、王太子との婚約も、断罪された日も……全部、他人の手で運命を動かされてきた。
──でも正直に言えば、ほんの少しだけ怖いの。自分で選ぶということは、自分で責任を負うということだから。
今の彼女は疲れきり、もう傷だらけで、ちゃんと立っているかどうかも怪しかった。
それでも、自分が歩き出すそのときには、きっと彼が隣にいてくれる。
無理に手を引かれることはないけれど、必要なときにはそっと手を差し伸べてくれる──そんな気がした。
ルクシアは、まるで導かれているような、不思議な安心感に包まれていた。
「私は……ロレンツォさんとご一緒したいです」
ロレンツォは、ルクシアの言葉を静かに受け止めた。
「ありがとうございます……僕は、あなたのその選択を、これからの人生をかけて背負う覚悟です」
その声に偽りはなかった。
まるで求婚のようなその言葉に、ルクシアの心がわずかにざわついた。
「ルクシア! お前は私のものなのに、な、なぜ私を拒む! 立場は妾かもしれないが、平民なんかより豊かな生活を私は与えられるのだぞ!」
護衛騎士のひとりが王太子の横に立った。
「殿下……これ以上平民ごときを相手にされる必要はございません」
「そうだな、戯れが過ぎたか……そもそもお前のような人間はここからはルクシアを出せはしない。ルクシアの罪は国家への反逆罪だ、この私であっても出せないのだよ」
「なるほど。では……どなたならばルクシア様を解放できるのですか?」
「私の父上……アルセイン王国の国王だけだ! そして私がここに来たのは、父上がこの近くを視察していることを知っていたからだ!」
ザッザッと揃った歩行の音が聞こえてきた。
王太子の護衛騎士とは比べ物にならない数の兵士が罪人居住区に入ってくる。
「どうやら、お見えになったようだ」
王太子がにやりと笑ったその瞬間「ドォン」という重厚な足音とともに衛兵が道を開ける。
そして王が現れる。
レイナード王太子は母親ゆずりの女性的な顔立ちだったが、アルセイン王は男性的で無骨な顔立ちで、獅子のような風格があった。真紅のマントをひるがえしながら王は威風堂々と歩いている。
王太子は王に駆け寄った。
「父上!」
「レイナードよ、報告は聞いた。なぜ罪人ルクシアを流刑地から出すのだ?」
「それは……私の手でルクシアを更生させようと思ったのです。罪人に堕ちたからといって、元婚約者を放っておけるような冷たい人間ではない私の性格を、父上もよくご存知のはず」
王太子はロレンツォを指差す。
「それを……あの平民が邪魔をし、さらに無礼な態度を繰り返したのです!」
アルセイン王はロレンツォを見つめている。
そして王と王太子はロレンツォとルクシアの前までやってきた。
「はっはっはっ! よくも私を愚弄してくれたな、不敬をはたらいた覚悟はできているのだろうな? 父上、この男の処罰は私に任せていただけますでしょうか?」
王は自分の息子をじっと見つめた。
王太子はこれまで以上の勝ち誇った顔で、ロレンツォを激しく責める。
「王族から奪おうとしたことを悔やむのだな! なにがルクシア本人が選ぶべきだ……だ。笑わせる。選ぶことができるのは、力がある者だけだ! さあ、ひざまずけ! 頭を地面に擦り付けろ!」
アルセイン王の目が鋭く光る。
パチィィィン!
王の強い平手が打たれた。
……しかしそれは、ロレンツォにではなく、王太子の頬にだった。
その場の空気が、ぴたりと凍りついた。
「……ち……父上?」
王太子の声が震える。
王は、ゆっくりと手を下ろした。




