STAGE7
猿童廻。
身長は180ほど。
スラリとした、しなやかなモデル体型で、将来は芸能の道へと進むのではとも言われていた。
でも、本人は全くその気はなく。それは当時彼女はあることに熱中していたからだ。
犬崎恋、猿童廻は幼い頃からとある空手道場に通っていた。
健康、または自衛のためとしかお互いの両親は考えていなかっただろうが、家だけでなく学校、そして習い事と、過ごす日々の中で恋と廻は共にしていた。
それでなくても、廻は学校の他に塾にも通っていたし、ピアノ、バレエと習い事の多い子供だった。だが、それを一度たりとも嫌だとか言うことのない、むしろそれを良しとする向上心の固まりだったのを覚えている。
そのふたりの関係に亀裂が入ったのは小学生の高学年の頃だ。
恋の格闘因子が目覚めたのだ。
必然的に、恋は空手の道を閉ざされる。
その先の夢が無かったわけではない。将来、自分が得たものを誰かと比べて戦う日がくるのならば、それは吝かではなかった。少なくとも、プロへの道は絶たれた。
無論、嗜む分には完全にその道を完全に降りなくても良い。だが、その頃の恋にとって、生きがいでもある空手を取り上げられたのは絶望に等しく、これから先の道が真っ暗な闇で塗りつぶされた感覚があったのだ。
恋は塞ぎ込み、空手を辞めた。
廻は恋を励まし続けた。
腕を競い合うことを禁じられた訳では無い。いつか、拳を交え合おう。
廻はそう、言った。
だが。
その言葉を言い残し、廻は家族と共に海外へと飛び立つ。
空手ではなくバレエの勉強のため。
引っ越して間もなく、それを追うように廻は格闘因子に目覚めた。
格闘因子がもたらすものはスポーツのプロへの道だけでなく、学んでいたものに対しても平等で。
バレエダンサーの夢が閉ざされたその胸の内はいかほどだろうか。
だけど、廻は恋のように塞ぎ込まなかった。起きたことは仕方ない。それはある種の諦めにも似た。
廻が不敵に笑った。それは決して自分の運命を悲観したものでは無くて。
海外は進んでいて、中学生でも戦う権利があることを知った。廻はそこで格闘者としてのスキルを磨いた。
それは、遥か先を行っている幼馴染みに追いつくために。
バレエの夢が断たれても、廻は新たな目標を掲げて戦うことを決めた。海の向こうに居る、幼馴染みに向かって。
目が覚めると、見覚えのない天井が廻の視界の中に入る。
どうやら自分はベッドに寝かされているようで。その原因をすぐに思い出し、廻は嘆息する。
「・・・相変わらず、下品な戦い方ですこと」
意識がなくなる直前、自分に推しかかる衝撃と、掛けられた技だ。
思い返すと、彼女は小さい頃から戦略と言うものを知らない。幼かったから、という理由だけでは説明ができない。
いつでも先頭を行き、いつでも無鉄砲だ。己の直感と、前に進むことしかできない獣のように。いつでも自分の前を歩き、それゆえ、廻は知らずの間に守られていた。
自分の顔に覆いかぶさり、力付くでねじ伏せる。自分の力によほど自身があるか、バカでなければやらない芸当だ。
「・・・だれが下品だって?」
聞き馴染みのある声が聞こえる。
視線だけで目をやると、そこには見知った顔と、知らない顔がいた。
片方はかつての幼馴染み。もうひとりは1組に赴いたときに見た、恋の友人だろう。
廻に負けず劣らずの長身が、心配そうにこちらを覗き込んでいる。
「人の顔面に股間を押し付け、無理矢理地面に押し倒すことのどこが下品でなくて?」
「お前のその言い方のほうが卑猥だと思うぞ」
呆れたように恋が睨む。
「・・・で。何か御用でしょうか。心配してお見舞いに来たというわけでも有りませんでしょうに」
廻の問いに、恋はベッド側にある椅子に無造作に腰掛ける。
「・・・お前、何をしに来たんだよ」
それは、なぜこの真清への転校の来たのか、の意ではない。
「・・・私は、貴女に格闘因子に目覚めた時、貴女を支えることができなかったことを悔いていたわ」
過去を回顧するように、廻は目を伏せた。
自分の夢を閉ざされ、塞ぎ込む恋を、自分は励まし言葉を掛けたが、それが彼女の気力を回復させるには至らなかった。
時々、母親を通じて向こうの様子を聞く事もあった。新たなエクストリームファイトという夢ができ、ひとまずの落ち着きが見えたことび、廻は胸を撫で下ろした。
それを追うように廻にも格闘因子に目覚めた時、道が閉ざされたという感覚よりも、不思議とすぐに幼馴染みの顔が浮かんだのだ。
高校に上がるのを機に、廻は日本へと戻り、その身を寄せる学校を真清へと決めた。
久しぶりに対峙する幼馴染みは、かつての記憶と寸分違わぬ姿で。自分は海外に言っている間に時空が捻じれてしまった感覚に陥った。
彼女は、過去のことなどとうの昔に振り切り、新たな夢へとその足を前へ進めていた。だから、安心したのと同時に、自分の胸がざわめくのを感じる。
これが格闘因子の効果によるものなのか。
あの頃と同じく、拳を合わせてみたい衝動に陥った。
本懐を遂げることのできなかった、あの頃の時間を取り戻すように。
恋はその小さな体格に甘んじること無く、鍛錬を続けていた。
無論、エクストリームファイトにとって、体格や性別の差が何の意味を成さないことも知っている。
「早いは話が、猿童さんは」
恋の背後から穂実果が顔を覗かせ、口を開いた。
「あ。私、穂実果って言います。恋ちゃんの、そのお友達で」
なぜか頬を染めながら、穂実果は言いつつ。
「話を元に戻すと、猿童さんは」
「廻でいいわ」
穂実果の言葉を遮り、廻は言う。
「えーと。廻ちゃんは、恋ちゃんのことを心配していたんだよね」
しばしの静寂が保健室に流れる。
廻の、何故か憐れむような目を恋に向け。
「貴女のお友達とやらは、随分と頭のおめでたい方なのね」
何を言われているか解らず、穂実果はただ困惑の表情を浮かべている。
何年も顔を合わせてないとはいえ、また会えたのなら自分ならば嬉しいからだ。と、穂実果は思う。
その証拠に、恋は廻をKOした後、保健室へと運ばれる対戦相手を追いかけたのだ。
今の今まで、穂実果の知る限りどの対戦の後にも行わなかった行動だ。無論、格闘因子の性質により、身体はダメージを負わない。
でも、それがかつての友達を心配する行動だと言われたら、穂実果は疑いはしなかっただろう。
「アタシがコイツのことを心配していたって?」
恋は乾いた笑いを吐き出し。
「コイツの延びた顔を拝みに来ただけだ」
その言葉に、廻はあからさまに不快な顔に眉根を変形させ。
「相変わらず小憎たらしい言葉を放つ方ですこと・・・!」
心底忌々しそうに、廻は表情を歪めてみせた。
「今回は私の油断も有り敗北を喫してしまいましたが、これで完全に私に勝ったと思わないことですね。『奥の手』も見せてはいませんし」
「奇遇だな。アタシもだ」
廻と張り合うように顔を突き出す恋。
そのふたりの姿を見て、穂実果はなんだかいいな、という思いを感じた。
たぶん、穂実果の知らないものが、ふたりの間にあるのだろう。口ではいがみ合っていても、なにか通じるものがあるのだろう。・・・もしかしたら、ふたりはそれすらも否定するだろうけど。
穂実果は、少しだけふたりの関係に妬けたのだった。
昼休み。
いつもの通り、恋と穂実果は顔を突き合わせて昼食を摂っている。
「・・・」
「あはは」
恋は難しい顔で、横からの気配に無言のオーラを放ち、穂実果は困った顔でその様子を見ている。
「お前、自分のクラスに友達いねえの?」
半眼の視線を受け、廻は丁寧な動きでサンドイッチを一口。
「私がどこでお昼ご飯を食べようが、勝手でしょう」
1組に現われた侵入者。猿童廻に、恋を除くクラスメイトは表情を固まらせ、目を驚愕に見開いている。
隣のクラスで噂の転校生が再度降臨したからだ、
「凄いぜ・・・!1組の女神と2組の姫が一同に会しているこの奇跡!」
それを遠巻きに見ている男子生徒が、額の汗を袖口で拭いながら戦慄している。
「・・・いつの間にそんな異名がついてたんだよ」
それを矢島は冷静に、半ば呆れ顔で言う。
転校生が深窓の令嬢の如く、一部から早くも熱狂的なファンが付いているのは知っている。先の恋との対戦では負けたが、見た目とは裏腹の戦い方すらも華麗で麗しいのもその一因となっている。
穂実果も、その穏やかな佇まいと、男子ならばほぼほぼガード不能であるその体躯により、支持を集めている。誰にでも優しいその微笑みと豊かさ(主に胸部)が放つ温もりに、誰が付けたか1組の女神とは穂実果のことだ。
「犬崎しか見てねえお前には、知る話じゃないだろう」
友人の言葉に、矢島は無言で言葉の主を殴りつけた。
身長でも異名でも名高い双璧に挟まれた恋は、自分の席なのに形見が狭そうに両サイドを睨みつけている。
「廻ちゃんと恋ちゃんは、幼馴染みなんだよね」
「そうね」
廻は穂実果の問いに、耳だけを傾ける。
「昔の恋ちゃんって、どんなだったの?」
穂実果は、今の恋しか知らない。廻は空いている時間があっても、過去の恋を知っている。
「可愛かったわ、それはもう。小憎たらしい強気な態度も、幼かったからこそ許せるところがあったわ」
小さくなったサンドイッチの最後の一口を口の中に放り込み、廻はスマートフォンを取り出すと、画面を操作。
その画面を穂実果へと差し向ける。
そこには、今よりも少し背の低い、廻の姿の地、そこに寄り添うような少女。
まるで今の時代から過去にタイムスリップしたと言っても過言ではない、寸分違わぬ恋の姿がそこにはあった。
「うわぁ、可愛い〜っ!」
「てめえっ!何を見せてやがんだ!」
写真の中の少女の可愛らしさに見惚れる穂実果と、顔を紅蓮に染め、廻に詰め寄る恋。
「私のスマートフォンの中に入っている写真を見せて、なぜ貴女の怒りを買わないといけないの?」
にやり、と廻は口元を歪めながら廻は笑う。まるで、敗北をしたあの時の仕返しかの如く。
掴みかかろうとする恋を、廻が軽い身のこなしで躱す。
格闘因子の発動していない状況では、背の差は致命的で。高く掲げられたスマートフォンを恋が奪えるわけもなく。
右へ左へ。左右に動くスマートフォンを、恋は赤い顔のまま小さな身体を跳ねさせながら。
そのふたりのやり取りを、穂実果は微笑ましい眼差しで見やる。
このふたりの間には、穂実果の知り得ない何かがあるのだと。決して、ただいがみ合っているだけの関係ではないのだということが分かって良かった。
そして、少しだけ羨ましいという気持ちも僅かに感じるのだった。
それは、格闘者同士でしか通じ得ない気持ちもあるのだろうか。
そう思うと、羨ましい思いも生まれるのだ。




