封鎖区画へ──道なき森を往く
朝霧が残る草原を、黒銀の車体が静かに走っていく。
エンジン音はなく、粒子駆動の唸りさえほとんど聞こえない。代わりに、足元の地面を踏みしめるようにタイヤが草を撫でていく音だけが、周囲の静けさに溶け込んでいた。
「予定ルート、進行良好。右前方に迂回推奨区画。距離、二百メートル」
後部座席──左側から、淡々とした女性の声が響く。
「うわ、私の役目取られた……」
後部右に浮かぶ光の粒子──ルシアが、少し不満そうに唇を尖らせた。
「アリエル、それ……ナビゲーション、私の仕事だったんだけど」
「音声出力を優先制御。事前に合意済み。目的:精度向上およびユーリ様の運転支援」
彼女の瞳には淡い青の光が揺らぎ、前方視界をホログラムでスキャンしている。
ユーリは、運転席で思わず苦笑した。
「まあまあ。どっちも助かってるから、取り合いしなくていいって」
「ふん、じゃあ私の出番は料理と突っ込みね」
ルシアが浮遊しながら視界の隅へ移動した。
助手席ではセラが、窓の外に広がる森の影をじっと見つめている。
「……ほんとに、こっちの森って感じが違うね。いつもの薬採りの森より、空気が重たい」
「地形データ解析によると、元々この一帯は“エネルギー供給ノード”が集中していた区域の模様。周辺の植物構造にも異常が散見される」
アリエルが答えた。
「うん。言いたいことは分かるけど……普通に怖いよ、この森」
セラの指先が、無意識に膝の上で握られていた。
ユーリはハンドルを握る手を少し緩めて、優しく言った。
「無理しなくていい。様子を見ながら進もう」
「……うん」
X-Runnerのディスプレイには、スカルナ区画外郭までの距離──『17.6km』と表示されていた。
だが、その直線距離に意味はない。
森の中には倒木、崩落、霧の発生箇所、さらには地盤の変化など、走行ルートを阻む障害が数多くある。
現地に到達するには、想定ルートの数倍の距離と時間がかかるのが常だ。
「そういえば……」
セラが、ぽつりと声を漏らした。
「こうやって誰かと旅するの、初めてだなって……ふと、思って」
助手席からそっとユーリを見上げる。
「俺もだよ」
ユーリも微笑みながら応じる。
「前は一人で歩いてたから。だからなんだろうな、今の時間って──なんか、すごく不思議で」
言葉にするには少し照れくさい。けれど、あたたかい沈黙が流れた。
「次の分岐まで──三百メートル。推奨ルート:左」
アリエルの冷静な案内が、空気を引き締める。
「了解。左だな」
ユーリがハンドルを切ると、タイヤがぬかるんだ地面にわずかに沈み込んだ。
車体が傾くたびに、後部のルシアがひょいっと浮かびながら言った。
「この森、ほんとに人が来なくなって久しいのね。魔素の流れも歪んでる」
「このあたりの気配、なんだか……呼吸がしづらい」
セラが胸に手を当てる。
「汚染値、常時上昇──レベル2相当。防御膜展開を推奨」
アリエルが前に出て、ホログラム操作で車体の防御シールドを再展開した。
X-Runnerのボディに淡い光の膜がかかり、外部の微細な粒子を遮断する。
「大丈夫、セラ。しばらくはこれで安心だ」
「……うん。ありがと、ユーリくん」
ユーリは小さくうなずきながら、森の奥へと車体を進めていく。
深く静かな森の気配が、じわじわと彼らの周囲を取り囲み始めていた──。
◆ ◆ ◆
道なき森を進む車体の周囲は、やがて薄暗い木々の影に囲まれ始めた。
幹の太さは人の胴ほどもあり、ところどころで幹そのものがねじれ、ねばつくような蔦が絡みついている。
「……この森、やっぱり普通じゃないよね……」
セラが不安そうに窓の外を見ながらつぶやいた。
「地形構造に明確な人工的干渉の痕跡あり。複数の地盤隆起、線状伐採面……おそらく、旧時代のアクセスロード」
アリエルがホログラムに表示された地図を操作しながら、冷静に言った。
表示された地形には、かすかに直線的な構造物の痕跡──舗装路らしきものが浮かび上がっていた。
「地図上には載ってない道、か……これ、昔の遺構の通路ってこと?」
「推定一致率82%。推奨進行ルートとして上書きします」
「たぶん……昔ここに“何か”があったんだよ。今は森に飲まれてるけど」
ユーリは慎重にハンドルを切り直しながら、道らしき方向へと車体を滑らせた。
木々の合間──わずかに空が開け、金属の表面が一瞬、陽に反射した。
「……ん? 今の、何か光った?」
セラが前方を指差す。
ユーリはX-Runnerを静かに減速させ、ルシアがすぐに反応する。
「ちょっと待って。今の、たぶん……人工素材。森の中で自然に光を反射するような物じゃない」
ルシアが光の粒子を飛ばし、ホログラムにその場を拡大表示させた。
そこには──半ば土に埋もれた金属柱が一本、斜めに突き立っていた。
「分析中……構成材質、チタンクロム合金。用途不明。おそらく旧時代の“センサーポール”」
「ってことは、ここ……完全に遺構の管理圏内なんじゃ……」
「その可能性は高いわ。とりあえず、X-Runnerには記録データを残しておくね」
ルシアがホログラムの保存アイコンに触れた。
「……そうか、ここからが本番ってわけだな」
ユーリが息を吐くと、緊張が車内に漂った。
そのとき──
車内ディスプレイに、アリエルのシステム通知が表示された。
>>《ネットワーク反応》検出
>>旧ノード帯域にて微弱なビーコン信号──形式:PreCollapse_Protocol
「反応──? って、遺構からの信号?」
「詳細不明。識別コードは旧式。アクティブ化条件不一致。現在は未接続状態」
アリエルは無表情のまま告げるが、その口調にほんの少しだけ興味の色が滲んでいた。
「近づいたら、また何か起きそうだな……」
ユーリはX-Runnerのメインディスプレイを確認し、進路を再設定した。
「このまま進んだら、間違いなく何かあるってことだよね?」
「うん。でも……」
セラは小さく微笑んだ。
「ちょっとだけ、楽しみかも。ユーリくんと一緒だから」
助手席からのその言葉に、ユーリは頬をかすかに赤らめて運転席を見つめた。
「俺も、だよ。セラが一緒なら──どんな道でも、進めそうな気がする」
その横で、ルシアがふわりと浮かび上がりながら、軽く肩をすくめた。
「なにこの青春劇場。……でも、いいわね。進みましょう、“次の扉”の向こうへ」
そしてアリエルが、静かに言葉を添える。
「目的地まで、残り16.2キロ。推定走行時間、57分。外部ビーコンの再解析継続中」
X-Runnerは再び、森の奥へと滑り込んでいった。
歪んだ木々の向こうに──まだ誰も踏み入れていない世界が、静かにその口を開けようとしていた。




