白鷲亭の朝──心でつながる仲間たち
朝霧が薄く漂い、王都アリステリオの空が徐々に黄金色へと染まり始める。白鷲亭の窓から射し込む陽光が、やわらかく室内を照らしていた。
そんな静かな朝の中──
ユーリは、ふと目を覚ました。
「……ん、もう朝か……」
シェルターの寝室ではなく、王都の宿で迎える朝。しばし天井を見上げた後、ユーリは身体を起こし、宿のシンプルな洗面台で身支度を整えた。
廊下を抜けて階段を降り、白鷲亭の食堂に入ると──すでに仲間たちの姿があった。
窓際のテーブルでは、ルシア、セラ、カイル、そしてアリエルがそれぞれ湯気の立つマグを手にしていた。
「おせぇぞ、ユーリ」
カイルが顎をしゃくりながら声をかける。テーブルの上には既に人数分の食器とコーヒーが並び、香ばしい香りが漂っていた。
「お腹すいちゃった……」
セラが不満げに小さく呟きながら、膝の上で手を握る。少女の瞳は、どこか期待に満ちていた。
ふと、ユーリはその横顔を見て首を傾げた。
「……あれ、セラ。髪、いつもと違う?」
髪をかんざしでまとめたハーフアップスタイル。光を受けてきらりと輝くそのかんざしには、《リリィ・アリア》の小さな白百合が咲いていた。
「セラ、よく似合ってる」
その言葉に、セラはぱっと頬を染め、照れくさそうに微笑んだ。
「おはよう、ユーリ。さあ、早くだしてちょうだい」
ルシアが頬杖をつきながら、マグを小さく揺らし、まるで当然のように促してくる。
「おはようございます。今朝は何が出てくるのか、楽しみですね」
アリエルは静かに笑みを浮かべながら、ぴしりと整った制服の袖を直す。光を受けて黒髪がきらめいていた。
「……はいはい、今出すよ」
ユーリは苦笑しつつ、腰に下げたポーチから銀色に輝く《BX-7》を取り出した。そのカード型デバイスの裏面に指を触れると、空中に淡いホログラムが展開される。
──Shelter Memory_Storage:Last Registered Meal《ロイ・ファルガレン作/夕食セット》
浮かび上がったメニューを確認しながら、ユーリはひとつずつリストをタップしていく。するとテーブルの上に、まるで魔法のように次々と料理が再構成されていった。
スープにはふんわりと香るハーブが漂い、肉料理は肉汁をたたえたまま、まだ湯気を立ち上らせている。サラダの瑞々しさも損なわれておらず、パンは焼きたてのような温かさを保っていた。デザートは果実のタルト。
「うわぁ……昨日と同じ香り……」
セラがうっとりと鼻を近づける。
「見た目だけじゃないのね。温度も、香りも、食感もそのまま……」
ルシアが感心したように料理を見つめ、フォークを手に取った。
「この保存技術……一般技術とは思えませんね」
アリエルもひとつひとつの料理を興味深そうに観察していた。
「……まじで、あったけぇままだ」
厨房から姿を現したロイ・ファルガレンが、思わず唸るように声を漏らす。
「オレが昨日作ったやつだろ、これ。味も落ちちゃいねぇ。ほんと、すげぇよ……」
彼は腕を組んで感心した様子で頷くと、にやりと笑った。
「これなら、店が忙しくても仕込みだけやっときゃ回せそうだな。なあ、ひとつオレにも分けてくれよ、そのカード」
「無理言わないでください、ロイさん……これは特殊すぎますから」
ユーリが苦笑しながら返すと、ロイは肩をすくめた。
「まあそうなんだけどよ。何かと便利な技術だよな。夢が広がるぜ」
そんな軽口を交わしながら、朝食の準備が整う。
「いただきます!」
セラが笑顔で手を合わせる。それを合図に、みんなが手を伸ばし──白鷲亭の朝食が始まった。
気が付けば、テーブルの上には笑い声と湯気、そして幸せな香りが満ちていた。
(……こうしてみんなで朝食を囲めるの、なんだか久しぶりだな)
パンをちぎりながら、ユーリはふと思う。この日常が続けばいいと願う心と、これからの“非日常”に向けた決意が胸の中で交差していた。
そして──朝食の後、ユーリたちは今日一日の予定を確認し始めることになる。
「さて、今日の動きだけど──まずは冒険者ギルドに顔を出すことになるな」
カイルがパンを頬張りつつ、指を折って予定を数えていく。
「ランクアップの手続きと報酬の受け取りですね」
アリエルが頷きながら、手元の端末で簡易メモを呼び出した。
「それから、王都技術展示館にも行くんでしょ?」
ルシアがカップを置きながら、さらりと続けた。「あの、マナ・リアクターってやつの解析」
「あ、グラードさんっていう技術者の人に会うんだよね」
セラは嬉しそうに身を乗り出す。「ちょっと緊張するかも……」
「そのあと、商業ギルドで商会の立ち上げに関する説明を受けて……」
ユーリは指で空中に予定をなぞるようにしながら、最後の項目を口にした。
「夕方には仕立屋のエルナさんのところ。パーティの件で、報告と支払いをしなきゃ」
「ふふ、きっちり請求されるのね」
ルシアが肩をすくめながら微笑んだ。「女神モードの費用込みで」
テーブルの上には、自然と一枚の“行動予定メモ”が置かれていくような感覚だった。朝から晩まで、まるで旅程のように詰め込まれた一日。
「……今日も予定でいっぱいだなあ……」
ユーリは食後のコーヒーを啜りながら、ややげんなりと呟いた。
「たまには、ゆっくり休みたい」
「無理ね」
ルシアは即答した。からかうような笑みを浮かべて、マグを傾ける。
「商会を立ち上げたら、休みなんてないかもね。管理、運営、仕入れ、販売、報告──おまけに会合もあるかもしれないし」
「……なにそのブラック企業」
ユーリが思わずむくれた顔をすると、セラがきょとんと首をかしげた。
「ブラック……? 黒いの?」
「いや、そういう意味じゃなくて……」
ユーリは少し考えてから、なるべくやさしく説明する。
「“ブラック企業”っていうのはね、すごく働かせるのに、休みもなくて、待遇も悪い会社のこと。前世の言葉だけど、要するに“超大変”ってこと」
「わ、わたしたち……そんなのになっちゃうの……?」
セラが不安そうにユーリを見上げる。
「ならないように頑張ろうな、みんな」
カイルが最後にフォローを入れ、皆が笑いながらうなずいた。
ひと通り今日の行動予定を確認し終えると、ルシアがふとカップを置きながら口を開いた。
「そういえば……商業ギルドでは、昨日“念話”で話してた例のお酒の件も、説明を受けておきたいわね」
「お酒の件……?」
セラが首をかしげる。
「えっ、私が寝てる間にそんなこと話してたの?」
小さな声に、ユーリは気まずそうに笑いながら肩をすくめた。
「いや、起こしちゃ悪いかなって思ってさ」
セラはぷくっと頬を膨らませ、すぐに視線を外してから──目をキラキラと輝かせた。
「……私も“念話”したい!」
その言葉に、ユーリは「ああ」と笑みを浮かべながら、腰のポーチからカードサイズの《BX-7》を取り出した。
「わかった。セラも使えるようにしよう」
ホログラムインターフェースを展開し、ユーリは念話用の通信装置──イヤーカフ型デバイスを一つ、掌に転送する。
「これを耳に付けて。左耳のほうが反応が安定すると思うよ」
「うんっ!」
セラは両手でそっとイヤーカフを受け取ると、鏡も使わず手早く左耳に装着する。細くて透明な機構が、ピタリと耳に沿って収まった。
少しドキドキしたように、セラは目を閉じる。
「声に出さずに、心で会話するイメージで話すんだ。強く思い浮かべる感じで」
ユーリのアドバイスに、小さく頷いたセラは、深く息を吸って──ゆっくりと意識を集中させた。
(……ユーリ、聞こえる?)
可愛らしく慎重なその“声”が、直接ユーリの思考に届いた。すぐに、彼は優しく微笑みながら念話で返す。
(うん、聞こえるよ。これでセラとも話せるね)
(ふふっ、なんか不思議な感じ……でも、すごく楽しい)
セラの心の声には、弾むような喜びが滲んでいた。
だが──その会話の輪の中に、もう一人、当然のように割り込んでくる者がいた。
(これで、内緒話もできなくなるわね)
それは、ルシアの声だった。どこか“にやり”と笑っている気配すら感じられる。
(ちょ、聞いてたの!?)
(聞こえるわよ。共通回線で話してるんだから)
(まったく……気が抜けないんだから)
(セラに内緒のことなんて、ないよ)
ユーリがそう返すと、セラが照れくさそうに笑う声が、また念話で届いた。
(……えへへ。ありがとう)
不思議な静けさの中で交わされる“心の会話”。言葉を発さずとも伝わる感情の余韻が、白鷲亭の朝に、優しい温もりを添えていた。
こうして、王都での新たな一日が始まる。




