謁見の間にて──ユグドラシルの功績
広間に、静寂が満ちる。
重く厳かな音を立てて、玉座の間の大扉が閉ざされた。
その瞬間、外界との繋がりは断たれ、ここはただ一つの「王の間」として切り離される。
空気が変わった。
息を呑むような張り詰めた気配が、床から天井へ、壁から天蓋へ──すべてを包み込んでいく。
玉座の最上段──
中央に座すのは、アリステア王国国王。
年の頃は五十手前、凛と整えられた口髭と、鋭さと威厳を湛えた双眸。
その視線は、まっすぐにユグドラシルの五人を見据えていた。
王の右手には、王妃。
淡い金髪を編み上げた優雅な佇まい。
その微笑みは柔らかく、母のような包容力と、知恵深さを併せ持っていた。
左手には──第一王女。
気品ある立ち姿と、整った輪郭。
胸元に煌めく家紋のブローチが、彼女が王家の血を引く証であることを静かに物語っていた。
その瞳はじっと、真正面に立つユーリを見つめて離さない。
列席する重臣たちが、その脇を静かに囲む。
色とりどりの衣を纏った貴族たち、王政参謀、宮廷魔導士、そして整列した近衛兵──
誰もが一様に、いまここに集った五人に視線を注いでいた。
堂内に、澄んだ声が響き渡る。
一歩前に進み出た近衛が、宣言するように名を読み上げた。
「──アリステア王国、冒険者ギルド・エインクレスト支部所属、パーティ“ユグドラシル”──」
「代表者、ユーリ・アルヴェイン」
「並びにその一行──ルシア、セラ・ルディア、アリエル、カイル・バルナー。ここに参上仕りました」
名が呼ばれるたび、五人はそれぞれ一歩を踏み出し、静かに頭を下げる。
礼装の布が揺れ、靴音だけが石の床に小さく響く。
誰も言葉を発しない。
ただ──視線と沈黙だけが、この空間を満たしていた。
近衛の宣言に続いて──
重臣たちの列の最前、右側に控えていた人物が、静かに歩を進めた。
それは、アリステア王国執政官──レオンハルト・グレイヴ。
冷静沈着で知られる行政の中枢を担う人物。
この玉座の間において、国王の言葉に次ぐ重みを持つ男である。
彼は王の正面、所定の奏上位置まで進むと、胸に右手を当て、恭しく一礼。
「──陛下」
その声は朗々としてよく通り、広間の静寂をきれいに切り裂いた。
空気が引き締まり、重臣・貴族たちが再び耳を傾ける。
「彼らの功績について、謹んでご報告申し上げます」
レオンハルトは視線を王へ向けたまま、明瞭な口調で言葉を紡いでいく。
「まず、エインクレスト郊外にて発見された《ノード07》の調査と保全に成功し、
王国の都市防衛網において、重要な基盤を築くに至りました」
わずかにざわめきが起きる。
“ノード”という言葉の持つ重みを知る者たちが、その意義を察したのだ。
「続いて、スカルナ山地において発見された《スカルナ遺構》の踏査においては、
複雑かつ広大な内部構造を把握し、その安全性と資源性を確認。
学術的、戦略的双方において、極めて高い価値を残すものであります」
言葉は淀みなく続けられる。
「また、国境防衛線の一角、第三前線治療所にて発生した魔物襲撃の際には──
現地防衛隊長クラウス殿の指揮下にて、患者および施設の防衛に貢献。
現場より寄せられた証言によっても、その事実は確認されております」
王妃と王女が、目を細めて頷く気配を見せた。
民を守ったという事実は、それだけで大きな尊重を受ける。
だが、レオンハルトの奏上は、そこで終わらなかった。
「さらに、彼らは《トランプ》と呼ばれる新たな遊戯を創案し、
商業ギルドを通じてその製品を流通させました」
その言葉に、貴族たちの一部が驚いたように顔を上げる。
「これらの遊戯は、王都にてすでに娯楽として広まりつつあり──
経済と文化の両面に、新たなる潮流をもたらすものであると評価されております」
そして、レオンハルトは最後の言葉を静かに重ねた。
「──以上。
これらすべての功績は、王国の誉れとして然るべきものと存じます」
深く一礼し、彼はゆっくりと後退した。
静寂が、広間を包む。
それは、王の裁定を待つ「間」。
誰もが息を殺し、次に発せられる“王の声”を待つ。
そして──
「……ふむ」
玉座に座す王、レグナス・ユリウス・フォン・アリステアが、重々しく言葉を発した。
「余は、聞き届けた」
低く、深く──だが確かな威光を帯びた声。
「ノード07の調査、スカルナ遺構の踏査、治療所防衛における働き──
いずれも王国にとって大なる益をもたらしたこと、疑う余地はない」
広間に、安堵とも畏怖ともつかぬ気配が流れる。
「また、新たな遊戯を創り出し、商業ギルドを通じて広めた才覚もまた、
この国の未来を豊かにするであろう」
王は目を細め、わずかに笑みを浮かべた。
「我が娘も、“トランプ”とやらに夢中になっていたようだからな」
広間に、控えめな笑いが生まれる。
だが、それも束の間──すぐに静けさが戻る。
王は玉座にゆるりと身を正すと、脇に控えていた侍従へ目配せを送った。
侍従が恭しく進み出て、手にしていた小箱を玉座の前へと捧げる。
黒革に金の細工が施されたその箱は、王国の格式ある報奨品を納めるためのもの──それだけで、この場に立ち会う者たちの息を呑ませるに十分だった。
侍従の白手袋が蓋を開くと、中からは光り輝く金貨がぎっしりと現れた。
陽光を受けてまばゆく輝くそれは、まさに“王の金”──王家より賜る正真正銘の報奨。
「まずは報奨として──金貨二百枚を与える」
王の声が、広間に低く響いた。
「これは、そなたらの労に報いるためのものである。受け取るがよい」
その瞬間、広間の空気が震えた。
目に見えない、重圧とも呼べる緊張が走る。
──金貨二百枚。
それは、冒険者として活動していれば数年を要する報酬額。
しかも、それが王の口から直接与えられたという事実の重みは、単なる数字の価値をはるかに凌駕していた。
列席していた貴族の中には、微かに目を見開き、息を呑む者すらいた。
注がれる視線を受けながら、ユーリは静かに一歩前へ出る。
その場に片膝をつき、深く頭を垂れた。
「……ありがたき幸せにございます」
その声には、偽りのない敬意と、緊張の内にある感謝が込められていた。
王はそれに頷き、重ねて言葉を紡ぐ。
「加えて──余は汝らを『王国功労冒険者』として認める」
再び、広間が静まり返る。
「この称号は、特例的に与えられる栄誉である。
王都への自由な出入りを許し、王城においても正規の来訪者として認定されることを、ここに約す」
セラが小さく息を呑み、ルシアとアリエルが目を合わせる。
ただの金銭に留まらぬ、“地位”と“信用”の保証──それは、冒険者としての在り方すら変える、破格の処遇だった。
ユーリはすぐにその意味を理解し、王の言葉を心に刻む。
──これは、王国が本気でこちらを「仲間」として扱う、という宣言だ。
そして、王はしばし沈黙した。
玉座の背後に描かれた壮大な王家の壁画が、朝の光を受けて黄金に輝いている。
その荘厳な光を背に、王は重々しく、次なる言葉を発した。
「……そして、もう一つ」
緊張が走る。
「余には“願い”がある」
その一言に、列席する者たちがわずかにざわめいた。
王が“願う”という言葉を使うのは、極めて稀だ。
「近年、各地にて古代遺構が次々と発見されつつある。
だが、王国の力のみでは、調査も保全も追いつかぬのが現状である」
王の言葉に、一部の重臣がうつむき、王妃もまた静かに頷いた。
「そなたらの才覚と胆力は、すでに証明されておる。
ゆえに──余は王国の名の下に要請する」
王の瞳が、真正面からユーリを捉えた。
「今後の遺跡調査において、王国の協力者として、力を貸してほしい」
その瞬間、広間が明確にざわめいた。
それは単なる“依頼”ではない。
──国家が正式に、一個人に要請する「協力」である。
それがどれほどの意味を持つか。
列席する者すべてが、その重さを理解していた。
ユーリは胸の奥が熱くなるのを感じた。
これまでの行動が──異邦人である自分の歩みが、ついに国家の信頼に結びついた。
彼は片膝をついて深く一礼し、静かに、だが揺るぎなく応じた。
「……畏まりました。
微力ながら、この身の及ぶ限りを尽くす所存です」
王は満足げに頷き、王座に響き渡る声で宣言した。
「よい。汝らの働き──余は、しかと見届けた」
「王国は、そなたらと共に歩むことを選ぶ」
その言葉が終わると、広間に再び、深く静かな沈黙が降りた。
それはただの無音ではない。
王国が──一つの民の行いを、公式に“未来の力”として認めた瞬間の、重厚なる余韻だった。
玉座に身を預けていた王が、ふと身体をやや乗り出すように姿勢を改めた。
その声音は、先ほどまでの荘厳な調子とは異なり、穏やかで柔らかな響きを含んでいた。
「……さらに、余の耳には、もうひとつ届いている」
広間の空気が、わずかに揺れる。
「街道沿いの小集落にて──干ばつに苦しむ民へ糧を与え、
種を分け与え、村を立て直す助けとなった……と」
「そのような行いを、汝らは為したと聞く」
ユーリの心臓が、どくんと大きく跳ねた。
報告した覚えは──ない。
隣に立つセラが驚いたようにこちらを見上げ、
ルシアはわずかに目を細めて、状況を静かに観察している。
カイルはわずかに首を傾け、視線を斜め上へ──玉座左、王女の席へ向けた。
言葉を返そうとしたユーリだったが、うまく声が出ない。
「……それは……」
ようやく絞り出した声も、すぐに王の手のひらに制された。
高く掲げたわけではない、しかし確かな“静止”の意図を持つ手だった。
「案ずるな」
王は静かに語る。
「余は、そなたらを責めてはおらぬ」
その言葉に、ユーリの胸が少しだけ軽くなる。
「むしろ──民を思うその心、誉れとして、余は嬉しく思う」
王の眼差しが、広間を緩やかに巡った。
その途端、ざわめきかけていた重臣や貴族たちの口が一斉に閉じられる。
空気が張り詰めたわけではない。
ただ、王の言葉に敬意と畏敬が自然と従った、それだけのことだった。
「功績は、力によってのみ量るものではない」
王の声は静かだったが、その響きには確かな力があった。
「人を救う心もまた、王国にとっては──大いなる宝だ」
「……覚えておくがよい」
その言葉に、ユーリは深く、ゆっくりと頭を垂れた。
王女──エステリナが、あの村のことを報せてくれたのだと、すぐに察した。
だが、ここで名を出すべきではないこともまた、理解していた。
セラは胸元にそっと手を置き、目を伏せる。
その瞳には、こぼれそうな感情の波が揺れていた。
泣くまいと懸命にこらえているのが、手に取るようにわかる。
ルシアはそんな彼女をちらりと横目で見て、ほんのわずかに、唇の端をやわらかく持ち上げた。
微笑というよりも、“慈しみ”に近い表情だった。
やがて、金貨の入った小箱が、侍従の手によって静かにユーリの前へと運ばれた。
同時に、深紅の封蝋が押された書状──王国功労冒険者の証書が、恭しく差し出される。
ユーリは片膝をつき、両手でそれを慎重に受け取った。
そして、床に額が触れそうなほど深く頭を下げた。
「……陛下のご厚情、心より感謝申し上げます」
玉座の上。
王はゆるやかに頷いた。
その瞳には──ただの威厳ではない、確かな人間としての温かみが宿っていた。
「よい」
そして、最後の言葉を紡ぐ。
「功績もまた、心もまた──」
「そなたらがこの国にもたらしたもの、余はしかと見届けた」
「今後も遺跡の探求において、王国と共に歩んでほしい」
「その力、決して無駄にはせぬと──約そう」
そのとき──玉座の右手、王妃がそっと前へ身を乗り出す。
静かに目を細めながら、柔らかく、しかしはっきりとした声音で言葉を紡いだ。
「勇敢なる冒険者たちよ」
その声に、ユーリたちはすぐさま姿勢を正し、再び跪く。
「……民を思うその心、私も嬉しく思います」
「力ある者がその力を、弱き者のために用いること──
それこそ、私たちが真に望む“勇気”の形なのです」
その言葉は、王妃としてだけでなく、ひとりの“母”として、国民と向き合う姿勢そのものだった。
ユーリは胸に右手を当て、深く、静かに礼をとる。
「畏れ多きお言葉……心に刻みます」
続いて、王の左──王女・エステリナが椅子から立ち上がった。
彼女の動きに、周囲の視線が一斉に向けられる。
「私からも──礼を言わせてください」
その声は年若く清らかでありながら、芯の通った力強さを宿していた。
「国境の第三前線治療所にて、あなた方が魔物の襲撃を防ぎ、
傷ついた兵士たちに治癒を施してくださったと聞いています」
王女の言葉に、広間が静まり返る。
「防衛隊長は“死を覚悟した瞬間に救われた”と、語っていました。
……あなた方の存在は、剣よりも強く、薬よりも深く、
兵たちの心を支えたのだと──私は、そう思っています」
彼女は深く、静かに頭を垂れた。
「お言葉、恐れ入ります。
治療所へ参じたのは、私の仲間──セラ、ルシア、アリエルの三名にございます。
いずれも心より貴国の安寧を願い、己が為すべきことを尽くしたまでのこと。
過分なるお言葉、何よりの励みとなります。」
ユーリの言葉に続いて、セラとルシア、アリエルの三人が一歩前へ進み出る。
そろえた動作で、静かに優美な一礼を捧げた。
「本当に、ありがとう」
誰も言葉を発さなかった。
その“ありがとう”が、どんな勲章よりもまっすぐに、ユーリたちの胸に届いたからだ。
王たちの言葉が終わると、広間の奥で一斉に、重臣たちが最敬礼の姿勢をとった。
その敬礼は、玉座の主にではなく──
新たに“認められた者たち”へと向けられた、誠実なる礼でもあった。
玉座の間に再び沈黙が訪れたそのとき──
近衛の一人が一歩前に進み出て、剣の柄に手を添えたまま、張りのある声で宣言する。
「──これにて、謁見は以上と相成ります」
その一言に、広間の空気が音もなく収束した。
列席していた貴族や重臣たちも、深く頭を下げ、謁見の終わりを静かに迎える。
ユーリたち五人は、玉座に向けて最後の跪拝を捧げ、
ゆっくりと立ち上がった。
背を向けぬよう、数歩を後退。
誰もが練習した通りの所作で、踵を返し、堂内の大扉へと向かって歩き出す。
王も王妃も、王女も、その背中を静かに見つめていた。
荘厳な扉の前まで来ると、衛兵たちが音もなく動き、大扉が開かれる。
その瞬間、玉座の間の重々しい空気から、外の世界へと空気が入れ替わるような感覚に包まれる。
一行は揃って振り返り、玉座の間へ向けて深々と一礼。
──そして、大扉が静かに、重く閉じられた。
緊張という名の鎖が、ふっとほどける。
重圧から解放されたように、誰からともなく息を吐いた。
セラは胸元をそっと押さえて、長く息をつく。
「……緊張したぁ……」
ルシアは髪を耳にかけながら、ユーリをちらりと横目で見て、
小さく、けれども明確に言った。
「……よくやったわね、ユーリ」
その言葉に、ユーリは思わず苦笑を浮かべた。
肩の力がようやく抜けると同時に、胸の奥に、確かに何かが“残っている”のを感じる。
それは、責任か。誇りか。期待か。──あるいは全部か。
控え室に戻ると、扉を開けた瞬間に明るい歓声が上がった。
「おかえりなさい!!」
エルナと店員たちが駆け寄るようにして出迎え、全員を見回して目を潤ませる。
「もぉ、緊張してこっちが胃痛だったんだから……」
彼女のその言葉に、セラが思わず吹き出し、アリエルが小さく笑みを浮かべる。
「でも──本当に、みんな……無事でよかったわ」
ルシアが何気なく手を広げると、エルナが思わず抱きつくように飛びついた。
カイルはソファに腰を落とし、肩を回しながら呟く。
「……なんか、やっと“降りてきた”気がするな」
ユーリは金貨と証書の入った箱を傍らに置き、窓際に立って空を見上げた。
高く晴れ渡った空が、どこまでも広がっている。
──ここまで来た。
でも、ここからが本当の始まりなのかもしれない。
そんな予感が、胸の奥に静かに灯っていた。




