謁見前──静けさと緊張と紅茶と
白い石畳の通路を進み、執政庁の荘厳な扉の前に立った。
朝の光がステンドグラス越しに差し込み、静かな気配が空間を包んでいる。
ユーリが一歩前に出て、扉の取手に手をかけた。
──ギィ……。
重厚な扉が静かに開くと、柔らかな光と冷たい空気が交差するように流れ込んできた。
受付カウンターの奥には、清楚な制服を身につけた若い受付嬢が控えていた。
彼女は一行に目をやると、軽く会釈をする。
「パーティ、ユグドラシル。謁見に参上しました」
ユーリは懐から召集状を取り出し、丁寧に差し出した。
受付嬢は手早く受け取り、書状を目で追いながら頷く。
「……はい。少々お待ちください」
彼女は手元の装置を操作し、奥へと連絡を送った。
数分後──
革靴の音が石の床に響き、奥の廊下から現れたのは、端正な執政官──レオンハルト・グレイヴだった。
朝の光を受けて青みがかった髪が揺れ、銀縁の眼鏡が理知的な光を宿している。
彼は姿勢正しく歩み寄り、ふと視線を上げてユーリたちを見た瞬間──
目を見開き、数歩分ほど足を止めた。
「……まるで、王都の舞踏会か何かかと……」
小さな独り言が、彼の口元からこぼれる。
そのまま少し笑みを浮かべると、背筋を伸ばして一礼した。
「みなさん、おはようございます。今日はよくいらっしゃいました」
視線を女性陣に移すと、思わず声が漏れる。
「……お美しい。まるで神話から抜け出た使節団のようですね」
ルシアはふふんと笑みを浮かべ、軽く会釈した。
「ありがとうございます。でも、パーティドレスはもっとすごいですよ?」
「それは……楽しみにしております」
レオンハルトがわずかに頬を緩める。彼にしては珍しく、完全に本音が出た一瞬だった。
ふと視線を横に向けると、後方に控えていたエルナと店員たちの姿が目に入る。
「彼女たちは……?」
エルナが一歩前へ出て、優雅に一礼した。
「エルナ・クロスレインと申します。彼女たち──パーティ“ユグドラシル”のスタイリングと、謁見後の着替えのお手伝いに同行しております」
レオンハルトは眼鏡を押し上げ、彼女の顔と服装を観察すると──すぐに理解したように頷いた。
「なるほど、クロスレイン……なるほど。ご同行、感謝いたします」
レオンハルトは手を軽く上げると、近くに控えていた騎士らしき人物に指示を出す。
「彼らを控え室へ案内してあげてください」
部下が一礼し、「こちらへ」と身振りで導くと、ユーリたちは整列し、ゆっくりと歩き出した。
その様子を見届けたレオンハルトは、時計の懐から取り出した手帳を確認しながら、静かに言った。
「私はこれより、謁見の最終準備がございますので──ここで失礼します」
深く一礼を交わすと、彼は再び奥の通路へと姿を消していった。
「こちらでお待ちください。時間になりましたら、お呼びいたします」
そう告げた騎士に導かれて、ユーリたちは重厚な扉の奥へと案内された。
控え室と呼ぶには、あまりに豪華すぎる空間だった。
大理石の床には深紅の絨毯が敷かれ、金の縁取りが施された調度品が並ぶ。シャンデリアは朝の光を受けて淡く輝き、壁際には装飾彫刻と絵画が並んでいる。
王城の格式──それを目の当たりにしたユーリは、思わず息を呑んだ。
「……これが“控え室”?」
小さく呟いたセラも、居心地の悪さにそわそわと指を絡めている。
部屋の中にはすでに、給仕役のメイドが一人待機していた。
黒と白の礼装をきっちりと着こなし、きちんと背筋を伸ばして一礼する。
「皆さま、おはようございます」
その丁寧な挨拶に、ユーリとセラも思わず背筋を伸ばして頭を下げた。
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
その様子を見たメイドは、にこやかに微笑むと、すぐに本来の給仕業務へと戻った。
「お待ちの間、紅茶はいかがですか?」
「ええ、いただくわ」
ルシアが答え、隣でカイルも頷く。
「俺ももらうよ」
二人は部屋の中央にあるソファへ腰を下ろし、銀のポットから注がれた紅茶を受け取る。
ふわりと立ちのぼる香りに、ルシアは思わず瞳を細めた。
「……おいしいわ。香りも温度も完璧」
「さすが王城ってとこだな。……ただ」
カイルはカップを口に運びながら、周囲を見渡し、ぽつりと呟いた。
「……この対応、普通じゃないな」
彼は少し間を置いて、穏やかに説明を始めた。
「本来、一般市民が謁見する場合なんて、椅子もない狭い待機室で立たされたまま、時間までずっと待たされるんだ」
「騎士も付かないし、給仕なんてまず来ない。こんな応接間を貸し出されるなんて……」
彼の視線は再び紅茶とソファを往復する。
「……つまり、今回の謁見は“特別扱い”されてるってことだ」
カイルの分析に、ユーリは小さく頷いた。
(おそらく、ノード調査報告と──あの“都市型マナ・リアクター”の件か)
国の根幹に関わる発見。それを王へ直接報告できるという意味は、思っていた以上に重いのかもしれない。
ユーリとセラは、次第に緊張を隠しきれずにそわそわと動き始めていた。
「うぅ……手が冷たくなってきた」
「セラ、だいじょうぶ……あ、ボタンが……」
それを見たエルナがすぐに近寄ってきて、ふたりの服を軽く整えながら言った。
「落ち着いて。服がしわになっちゃうわよ」
けれど彼女自身も、普段の落ち着きがどこか抜けていた。指先にわずかな震えがある。
「……エルナさんも、緊張してる?」
ユーリの問いに、エルナは小さく苦笑した。
「当たり前でしょう? 私の店の服が“王城で披露”されるのよ。これ、実は商売的にもとんでもないチャンスなの」
「それもそうだな」
カイルが納得したように顎をなでる。
そのときだった。
窓のそばに立っていたアリエルが、小さく目を細めた。
「……声が、聞こえます」
ユーリが振り返る。
「アリエル、声って……誰かの話し声?」
「いえ、違います。音声ではありません。……念話に近い波形。
いま、私たちに向けて……何か、信号が送られてきています」
その言葉に、ルシアもハッとしたように目を閉じ、集中する。
薄紅の光粒子がわずかに揺れた。
「……アリエルが言っていたノードね。確かに感じるわ」
彼女の声は低く静かだったが、どこか緊張を含んでいた。
「ここに在る。……この王城の“地下”よ」
思わぬ情報に、一同は静かに息を飲んだ。
「ノードがあるってことは……」
ユーリは小さく息を整えながら、静かに呟いた。
「……ここにもAIがいるってことか」
アリエルが頷く。
「ええ。信号の波形と内容から判断して、間違いありません。明確に“こちらへ”向けて送られています」
ルシアも腕を組み、瞼を閉じたまま続けた。
「ただし──“友好的”かどうかは別問題だけどね」
その言葉に、場が少しだけ沈黙した。
王城という場所の重みと、地下に存在する未知の存在。慎重にならざるを得ない。
「……遺跡調査に“それ”も加えておいたほうがいいかもな」
カイルがソファにもたれながら、重い口を開いた。
「王家が気づいてるかどうかも分からねぇ。だが、こういうのは早めに押さえておくに限る」
セラは椅子の上で背筋を伸ばし、不安げに声を漏らした。
「……王様たち、そんなこと許してくれるかな……」
その時、ユーリの視線がふと控え室の隅──静かに立つメイドの姿に向かう。
彼女は紅茶を静かに片付けているだけで、こちらの会話に注意を払っている様子はない。だが──
この部屋は王城の中。何気ない会話一つも、軽々しく口にするのは危険かもしれない。
ユーリは一呼吸置くと、そっと目を閉じて《念話》に切り替えた。
(……もしかして、地下にノードがあること自体、王城では“機密扱い”なんじゃないか?)
思考に応じるように、すぐ隣からカイルの念話が返ってくる。
(十分ありえるな。城内には、遺跡由来の装置や端末があちこち使われてる。
……ただの制御装置と思ってる可能性もあるが、実態を知らなきゃそれで済む)
ルシアも軽い調子で会話に乗る。
(でも“AI”って言葉自体、ここの人たちには多分理解されてないでしょ? だからセーフじゃない?)
アリエルは、少しだけ距離を取った位置から理知的な補足を入れる。
(問題は──“王城側がこのノードをどこまで把握しているか”です。
知っていて黙っているのか。知らずに放置されているのか。それ次第で、今後の対応は大きく変わります)
緊張と共に交わされる静かな念話。
言葉を交わさなくても、空気がひりつくような圧を帯びていた──その瞬間。
「……あ」
ふと、小さく間の抜けた声が控え室に響いた。
視線を向けると、セラが給仕のメイドから紅茶を受け取り、そっと口をつけたところだった。
「おいしい〜……!」
セラはほわっと頬を緩め、湯気の立つカップを両手で包み込みながらうっとりと笑っている。
ユーリは思わず目を丸くし──カイルは苦笑。
ルシアは呆れたように息を吐き、アリエルは「よかったですね」と静かに頷いた。
ピリついた空気が、少しだけやわらいだような気がした。
そのとき──
コン、コン、コン
控え室の扉が静かにノックされた。
その音と共に、空気がぴたりと張り詰める。
念話を中断し、全員がそろって視線を扉へ向けた。
──扉が開き、端正な姿のレオンハルト・グレイヴが姿を現す。
完璧に整えられた制服に、光沢ある手袋と銀縁眼鏡。その姿からは、公務に向けた気概と緊張がにじみ出ていた。
「みなさん──お待たせしました」
彼は軽く一礼し、穏やかに口を開く。
「準備が整いましたので、参りましょう」
その言葉を合図に、ユーリたちの胸の奥で、再び心拍が高鳴った。
レオンハルトの言葉を受け、一同が立ち上がる。
そのとき、控え室の後方──壁際に控えていたエルナと店員たちが、静かに一歩前へ出た。
「ここから先は、私たちはご一緒できません」
エルナは胸の前で手を重ね、まっすぐにユーリたちを見つめた。
「どうか、自信を持っていってらっしゃい」
その言葉は、衣装の制作者としての誇りと、母のような眼差しを内包していた。
セラは小さく手を握り、
「はいっ……! ちゃんと、着こなしてみせます」と頷く。
ルシアは軽くウィンクし、
「これだけ整えてもらったら、もう引き返せないわね」と笑う。
アリエルは静かに一礼し、カイルも片眉を上げて言う。
「王様に服の名前くらい覚えてもらえるよう頑張るさ」
そして──ユーリは深く頭を下げた。
「ありがとうございます、エルナさん。……本当に、心強かった」
エルナは微笑んで、小さく首を振る。
「いえ……これが私の“晴れ舞台”でもあるんだから」
その言葉を最後に、ユーリたちは踵を返し、玉座の間へと向かうレオンハルトの後を追った。
扉が閉まりゆく中、エルナたちは誰もが手を胸に添え、
その背中をまっすぐに見送っていた。
──いよいよ、玉座の間へ。
執政官レオンハルト・グレイヴに先導され、ユーリたちは王城内の白亜の回廊を歩いていた。
床は磨き抜かれた大理石、天井には王家の紋章を模したステンドグラスがはめ込まれ、朝日が色彩豊かな光を差し込んでいた。
靴音が石に反響し、五人の一歩一歩がまるで儀式のように響く。
誰もが言葉少なに歩を進め、目の前に近づく“その扉”を見つめていた。
やがて、一行は玉座の間へと続く巨大な扉の前へとたどり着いた。
高さ三メートルはあろうかという大扉は、厚く装飾が施された黄金の文様が刻まれており、中央にはアリステア王家の紋章──翼を広げた白鷲が刻まれていた。
扉の前には、近衛兵が二名、直立不動で待機していた。
彼らはユーリたちを一瞥し、敬礼のように剣を垂直に立てて構える。
「こちらでお並びください」
レオンハルトが柔らかく告げる。
ユーリを中心に、ルシア、セラ、カイル、アリエル、全員が整列した。
レオンハルトは玉座の間の扉に歩み寄り、近衛兵に小さく頷いた。
兵の一人が口を開く。
「──“パーティ・ユグドラシル”一行、ご到着」
その声は、玉座の間の向こうへと響き渡った。
次の瞬間──
ギィ……ギィィ……
左右の扉が、荘厳な音とともにゆっくりと開かれていく。
白と金を基調とした巨大な謁見の間。
幾重にも連なる大理石の柱、上部にはフレスコ画が描かれ、壁面には王家の歴史を語る絵画とタペストリーが整然と飾られていた。
広間の両脇には王城の高官たち、貴族らしき人々、そして整列した近衛兵たちが居並んでいる。
視線が一斉に、扉の向こう──ユーリたちへと向けられる。
緊張に思わず喉が鳴った。
その奥、壇上の中央。
黄金の玉座に威厳ある姿で座るのは──アリステア王国国王。
その隣には王妃。そしてやや下手には第一王女の姿も見える。
ユーリは無意識に手のひらに力が入るのを感じながら、小さく呟いた。
「……練習通りに、だな」
それは自分自身への確認でもあり、仲間たちへの合図でもあった。
ゆっくりと歩を進める五人。
赤絨毯の上を真っ直ぐに進み、所定の位置まで到達すると、揃って一礼し──
そして、跪いた。
荘厳なる謁見の儀式が、今──始まろうとしていた。




