それぞれの印象──赤髪の背中を見送って
カイルが去った後、バーの中には静けさが戻っていた。
淡いランプの光がゆらゆらと揺れ、誰もいないカウンター席に彼が残していった煙の匂いが微かに漂う。
ルシアはくるりとユーリの方へ向き直ると、腰に手を当ててため息をついた。
「……ったくもう。やり方がめちゃくちゃなんだから」
「ごめん、ルシア。でも、あの人……たぶん悪い人じゃない」
ユーリが苦笑混じりにそう返すと、ルシアは不満げな顔をしながらも、どこか納得したように頷いた。
「確かに、完全に敵ってわけじゃなさそうだったけど……でもね、ユーリ。最初に盗むのは減点ポイントよ?」
「……うん、そこは同感」
そのやり取りを聞いていたアリエルが、感情を抑えた穏やかな声で口を開く。
「彼の言動は一定の規範から外れてはいましたが、敵意はなかったと判断できます。少なくとも、この場では」
「でもアリエル、君が珍しく言葉を選んでるね」
ユーリがそう問うと、アリエルはほんの少しだけ視線を落とした。
「……私、彼の目を見た時、感じました。過去に多くのことを経験してきた人の、複雑な迷いと……覚悟」
言葉の尾に、ふっと影が落ちる。
「過去に、似た目をしていた研究者がいました」
それ以上は語らず、アリエルは静かに視線をバーの出口へ向けた。
──そして、ユーリもまた、去っていったカイルの背中を思い返していた。
(力、知識、金、権力──持ってない奴は食われる……)
それは、前世の社会でも幾度となく耳にした言葉だった。
だが今のユーリは、それを自分のものとして飲み込むには、まだ若かった。
「……でも僕は、持っているもので誰かを“食う”ような人間にはなりたくない」
小さな決意を噛みしめるように呟いたその言葉に、ルシアとアリエルはそれぞれ微笑んだ。
そんな三人の会話を背に、カウンターの奥にいたバーのマスター──白髪の小柄な老人が、グラスを磨きながらぽつりと呟いた。
「まったく……やさしいな。カイルは……」
その声は誰に聞かせるでもなく、ただ静かに酒場の空気に溶けていった。




