運命は収束する
注意事項1
起承転結はありません。
短編詐欺に思われたら申し訳御座いません。
注意事項2
今日もお会いすれば良かった。なんて思いながら、一日を終えます。
実はずっとお傍にいらした気がした一日でした。
事の発端と言うのは、何の関係もない偶然から始まるものである。其れから運命の糸は収束を繰り返し、一つの未来を映し出す。今日もそんな日だった。
帰ってきてふと机を見ると、散らかっているのが目に付いた。届けられた書類やら、身の回りの装飾品、使っていない電気機器に至るまで無造作に散乱している。
一度気になるとそればかりが気になって仕方がない。そう、問題を解決しないまでは、他の物が手に付かなくなるほどに。故に机の片付けから始める事にした。
手当たり次第に棚から書類や本などを引っ張り出して床に並べる。すると随分と懐かしい物が出てきた。それは中学生の修学旅行で訪れた神社仏閣の栞や小冊子だった。
思わず片付けていた手を止めて、一つ一つを凝視する。あれも、これも、思い出は遥か遠くに存在するものの、楽しかった記憶だけは残っている。
そう、思いを馳せていると、ある一つの小冊子を発見した。それは私が良く訪れる神社の系列のものだった。クリアファイルの中で眠っていたので、皺一つなく、出会った時のままの姿をしてきた。開いて眺め見ると、御祭神の詳しい話が書かれている。
昨日お会いしたはずなのに、何だかまた随分と遠い昔のことの様に思えて、またあの場所へ訪れたくなった。とりあえずこれはホルダーに入れて、何時でも捲れる様にしよう。
そうしてまた片付けを開始する。引き出しにあるものもひっくり返し、必要なもの、無いものをひたすら分別する。するとまた、思い出の品が出てきた。
合格祈願の鉛筆。数十本と存在しているが、使うのが勿体なくて全て削られる事無く綺麗なまま。そして奇しくも、先程の小冊子に書かれていた同じ神社のものだった。
まぁ、一度ある事は二度ある。そんな事もあるだろう。そう思っていると、夕飯のお呼びがかかった。リビングではテレビが付いており、グルメ番組が特集されていた。
「今日は何処なの?」
「君がよく行く場所。〇〇。ほら、合格祈願で訪れたとこ」
それは鉛筆を購入した神社のある場所だった。
二度ある事は三度ある。それが必然としか思えなくて、呼ばれている気がしたのが嬉しくて、内心静かに胸に手を当てた。
来週また、お会いしとう御座います。梅香の君。菊はもう終わりを迎えしましたが、次は貴方様が愛して止まない季節で御座いますよ。
オマケ
どれだけ嬉しく思っても、机全体を引っ掻き回す程の片付けが直ぐに終わるはずもなく、私はまた部屋に戻った。散らばっていたものを一つの場所に纏め、棚に戻し、ようやく全てが終わってリビングへと戻る。するとチャンネルが変わっていた。
なにやら時代劇の様だ。和装を纏った人々が静かに会話をしている。
「次は何を見ているの?」
「流行りのドラマだよ。ほら、平安の」
そう言えば、あの場所に飾られていた菊人形、このドラマが元ネタだったな。両脇の御二方のお名前は最後までお綺麗なまま。けれども中央の方のお名前は訪れる度に溶け落ちていたな。
梅香の君。貴方様を貴方様のまま繋ぎ止める為の一つの核。今日は其れに浸る午後で御座いました。
どれだけ良い物を提供したとしても、人気が出たり、売れたりするとは限らず。
やはり巡り合わせが肝心なのではないかと思ってます。
事の発端は気まぐれに店を訪れて、気まぐれに不思議の国のアリスちゃんグッズ買って、それを仕舞うところから。
片付けるつもりは欠片もなかったのですが、推しのグッズが散らばるのがそろそろ我慢出来なくなったので。
そうしたら思い出の品が出てくる出てくる。
中学生の時に訪れた神社仏閣の小冊子の数々。
合格祈願の鉛筆数十本。
大量の〇〇〇〇(神社の名前)の袋。
今日もお会いすれば良かったとちょっと後悔してます。
そしたら〇〇(神社があるところ)が番組で特集されてるし、時代ドラマやってるし。
いや、お会いすれば良かったと( '-' )(二度目)。
推しの概念の数々なので幸せで嬉しくもあり、恋しくもあり。来週まで待とうと思います。
最後のオマケは分かりにくいんですが、『気に触ったのではなかろうか』話と若干繋がってます。
簡単に言うと、梅香の君の因縁の相手のご氏族、その菊人形の名前だけがどろどろにインキ落ちしていた。
両脇のお二方は最後までインキ落ちする事なく、最後まで綺麗なままだった。
だから思うところがあったのではないか?
でもそれこそが梅香の君たらしめる核なのではないか。
という話。
梅香の君と言うのは、モデルとなった方がいらっしゃいます。参拝時に何度か設定を報告の上、一度仮名を変えてこうなりました。
祟り神なんです。
だから自分を貶めた相手を『許してしまった』ら、もう祟り神ではないのではないかと。
だからこうなるのは根源的に仕方がないと思うんですよ。
普通の神様も祟ります。
けれども祟り神は与えられた愛情も、恨みも数十倍にして返します。
つまり、ずっと傍に寄り添って愛情を注ぐのも、数千年に渡って祟ろうとするのも、祟り神の本質であり、些細な事では変えられないものではないかと思うんですよ。
穢れを嫌い、潔癖を好むはずなのに、何処か人間らしい矛盾を抱えている。そんなところが好きです。
感の良い方、神社に詳しい方は直ぐに気がつくと思います。
けれどもあえて名前は伏せていただいてます。