その令嬢は片手にナイフを隠してもう片手で握手する
老いた王と一人の令嬢が、使用人たちに見守られながら向かい合って座る喫茶室。
本来ならば令嬢は単独で王と向き合うなど到底出来ない。
しかし彼女は王子の第一令息の婚約者であり、その婚約に関する意見を奏上するとして訪れたのだ。
王も時間を作って会う他ない。
令嬢は、一言ふたことほど前置きのように当たり障りのない言葉の応酬をしてから、背後に控える己の侍女に書類の束を出させた。
「アレクセイ様の問題ある言動に関する報告書にございます。
当家の使用人から学園での他派閥生徒の証言まで、複数揃えております」
「ほう。では拝見いたすか」
長らく書類仕事と向き合って磨かれた速読で王は書類を読み進め、ある程度のところで止めた。
「教育係には見せなんだ裏の顔がようく見えたわ。
これを報告せぬ側近どもにも問題があろうな」
「ええ。わたくし、何度も忠告をいたしました」
「それでも聞かぬというのならば王たる資格はないな。
どちらが親に似るかを観察しておったがこちらであったか。
よろしい、儂の権限で今日この時を以てしてそなたは自由の身だ。
長きに渡る奉公に報いる謝礼金と、そなたの好ましいと思う男との縁談を保証しよう。
指名があらば儂自らがその家に打診するが、どうじゃ」
令嬢、エカテリーナは艶やかに笑む。
ああ、思った通りになった、と。
エカテリーナの親の世代、すなわち王の息子世代は、大変荒れた世代である。
王の息子、すなわち当時王太子と目されていた王子が自らの感情を制御せずに恋心を暴走させ、ありもしない罪をでっちあげて婚約者であった侯爵令嬢を処刑しようとしたのだ。
幸いにして、侯爵令嬢には人望があり、また彼女の行動は常に多数の者が見守っていたので即座に無実の証明が取れた。
王子はその愚かさから王太子として、次期王としてふさわしくないと判断された。
しかし王の子はその王子のみである。
故に王は、即座に王子をその不貞の相手と結婚させ、精力剤を毎日飲ませ続け、速やかに子を産ませた。
産まれた孫は双子の男児であった。
念のためにともう一人産ませてみれば女児であったので、両親となる二人には「病死」してもらった。
孫三人は念のために、万が一のために、各々違う宮で違う教師、違う使用人をあてがって育てさせた。
乳母も信頼のおける人間を用い、男児のいずれにも各々の派閥の人間をなるたけ同じ人数だけ側近として与えた。無論才覚に問題なしと判断されたものだけで。
女児も勿論女王となる可能性を考えた教育を施され、特に何もなければ女公爵として独立することを許されていた。
そんな双子の片方、長男のアレクセイは、大人の目があるところでは優秀そうなそぶりを見せるが、婚約者であるエカテリーナから見れば大層なボンクラであった。
最も親密で最も信頼を置く立場となる未来の妃に対して、大人が見ていない場所では小ばかにして貶めるのは当たり前。わざと茶器を割っては
「エカテリーナ。機嫌が悪くてもモノに当たってはダメだよ」
などと大声で言うなど、それはもう鬱陶しい存在であった。
ちなみにエカテリーナの専属侍女は一部始終を見ていたので、使用人たちはその後、二人から離れなくなった。
なので罪の擦り付けは早々になくなったが、笑顔であれこれ毒を吐いてくるようになった。
城の使用人たちが奏上しないギリギリのラインを狙い。
エカテリーナを虐げ続けてきたのだ。
しかし、エカテリーナの使用人たちは話が別だ。
雇用主はエカテリーナの父だし、その雇用主からエカテリーナを支えるよう命じられている。
故に、彼女が最優先である。
なので、二か月に一度の茶会での暴言は全て記録されていた。
十四歳で結ばれた婚約以降、全て。
もちろん罪をひっかぶせたことも記録されている。
何月何日の茶会で、と、詳細に。
学園に入学してからは、使用人こそ遠ざかったが、今度は未来の王子妃として注目を浴びた。
同じように王子妃となるもう一人の令嬢にも同じだけの視線が注がれたが、エカテリーナはこの視線を盾とし剣とすることにしたのだ。
クラスを同じくする令嬢を派閥関係なしに連れ従え、朝登校してから夕方帰宅するまでの全ての時間につじつまを合わせた。
すべては、アレクセイが何かよからぬことを企んでも反論の材料とできるように。
そうしてアレクセイは、エカテリーナの予想した通り――ある意味では予想外に――彼女を貶めようとした。
その原因は、彼が恋した伯爵令嬢にあった。
正気を疑う話だが、彼は己が愛した女を正妃として迎えんとしていた。
王命に逆らってまでして。
その王命を覆すために、エカテリーナが悪であるとするべく悪評を立てようと頑張っていたのだが。
彼女の言動は全ての生徒が見定めていたのに。
己の父と同じことをしようとしていたのだ。
常にともに行動している令嬢たちはそのような悪評は虚実であると断言してくれた。
毎日同じメンツがともにいるわけではない。
派閥とて、次期王子妃と縁を結んでおきたいという思惑からクラスにいる全ての派閥が彼女を放っておかなかった。
すべてはエカテリーナの思惑通り。
エカテリーナは令嬢たちに王に直訴するとして令嬢たちから証言を調書としてまとめさせてもらった。
その場には教師も居合わせたので教師にも。
問い合わせればいくらでも証言を得られる程度に、アレクセイは慢心していたのだ。
エカテリーナに虐げられる恋人。
悪辣な婚約者から遠ざける以外に対抗策のない現状。
いよいよ命の危機となってからやっと決断し、エカテリーナを断罪する。
そういった、娯楽小説のような筋道を立てていたのだろう。
しかし恋人である伯爵令嬢は別段誰にも虐げられていないし、エカテリーナは学園の内外どちらでも人の目に晒されていて虐げる時間などどこにもない。
自作自演――要するに、アレクセイが恋人を殺すつもりで陥れない限り、断罪劇など起こせるはずもない。
全ては計画通りだとエカテリーナは内心でだけニンマリ笑う。
愚かで未熟な婚約者、アレクセイとの絶縁こそが望みだった。
自分と言う後ろ盾を失い、王太子レースに脱落し、己の父と同じ精神性を持ち合わせていると知られてしまったアレクセイがどうなるかなど、想像に容易い。
しかし、それがなんだというのだ。
愚王など要らない。
稚拙な策を弄して悦に入るような男が夫だなど虫唾が走る。
支えるつもりにもなれない。
支える必要性さえ感じない。
後ろ盾として必要とするのならばせめて表向きだけでもエカテリーナを尊重すべきだった。
例え後に愛妾を召し上げて享楽に耽るとしても、だ。
幸いにして、エカテリーナの調べ上げたところ、双子の片割れであるイアンはごく平凡な王となるだけの素養があり、誠実である。
婚約者との関係も良好で、お互いに支えあおうとしているのを知っている。
優れた王である必要などない。
平凡であってもいい。
愚かでなければそれでいいのだ。
それは貴族たちの総意である。
目に見えて愚かでなければ誤魔化しようがある。
支えられる範囲であれば。
しかし、アレクセイは駄目だ。
そう、彼女らの世代は判断した。
エカテリーナ個人の問題でもありつつ、世代の問題でもあるのだ。
でなければ令嬢たちも証言はしなかったろう。
稚拙な策を弄する程度しか出来ない愚かな男に王座を与えれば、誤魔化すだけでも一苦労。
ならば弟王子のイアンを支えたほうがよほど良い。
選択肢がある以上、そうなるのは必然であった。
それに。
イアンでさえダメなのなら、王女を選んでも構わないのだ。
王女アデルハイドはまだ入学前だが、問題なく教育も進んでいると情報が入っている。
人柄も温厚で、イアンと同じく平凡な王になるだけの器量があると判明している。
女公爵としても勿論問題ないとも。
長男であるという驕り。
己こそが王となるという驕り。
それらにアレクセイは溺れた。
結果、溺れ死ぬのだから笑い話でしかない。
「わたくしの次の縁談に希望はございませんわ。
当主である我が父がお決めになられることでございます」
「そうか。
では、一筆認めるので暫し待て」
さらさらとその場で王は当主宛の手紙を気軽に書き、封筒に投じて封蝋をする。
「そなたには面倒をかけた。
今後もよく王家に仕えてくれ」
「もちろんでございます。我が忠誠は王家にございますれば」
「うむ。では儂はゆくが、茶菓子を楽しんで休んでから戻りなさい」
座ったままでよいという言葉に甘え、軽い礼をして執務に戻る王を見送る。
王宮で出される菓子は流行の最先端でありつつも品がいい。
一流の菓子職人が作り出す、細く華奢に作られた線状のショコラを交互に重ねた菓子のなんと上品なことか。
一段ごとに違う味わいのショコラが織り成す味わいをじっくり堪能し、お茶も飲んでからエカテリーナは王城を後にした。
その後。
アレクセイは両親と同じ病を得たとして学園を中退し、療養のためにと離宮に移されたが敢え無く病死したと報じられた。
幸いにしてイアンやアデルハイドにはその病の兆候はなし、とされたし、感染する確率が高い病ではないともされ、しかしとある伯爵令嬢にはその兆候ありとされ、その伯爵家は令嬢を保養地に入れたという。
学園を卒業する間際。
イアンは公式に王太子となり、アデルハイド王女は予定通り女公爵となることが決まった。
エカテリーナも、父たる当主の定めた、東方の辺境伯家に嫁ぐこととなって、隣国の言葉を追加でより深く学習している。
老王はイアンの様子を観察し、問題ないと判断すればいつでも王座を明け渡すとし、信頼の出来る家臣たちにもよくよくイアンを見守り、支えるよう命じたという。
本来ならば老王の子に仕えるはずだった彼らも熟した年齢となって久しい。
イアンの即位後、数年は確実に見守ることが出来るが故に、王の命に従ったそうだ。
「エカテリーナ様、婚礼衣装の合わせのお時間です」
「あら、もうそんな時間?」
エカテリーナは近く辺境へと嫁ぐ。
夫となる人とは社交シーズンに顔を合わせる程度だったが、あのボンクラとは比べるのも失礼なほどできたひとだった。
そうでなければ、ある日突然開戦となるかもしれぬ国境を守る一族の長になどなれないだろう。
三男でありながら次期辺境伯というところも、実力を感じさせる。
別に彼女は優秀な夫でなければ、などと思ってはいなかったが、父は努力を重ねた分だけ見合った家に嫁がせようと思ったらしい。
王妃となるだけの教育を受けた女性を遊ばせておくわけにはいかぬ、ということだそうだ。
まあ当主の考えがそうであるのならば、と、エカテリーナも逆らいはしない。
それに、情勢次第でいつきな臭くなるかもしれぬ土地で、政治闘争に身を置くのも悪くない。
無論平穏な関係が続くのならばそれでいい。
しかし、相手が後ろ手にナイフを隠して笑顔で隙を狙ってきているような状態になったならば。
その時は、アレクセイと同じように。
願わくは、エカテリーナのナイフが振り下ろされないように。
ぬるま湯の如き世であるように。
平穏こそ最も尊いのだから。