魔族
勇者たちが出発して二週間。カルラーム王国国境から数十キロ。エルト村。
平原に佇む人口百人程度の小さな村。カルラーム王国の南にある、ラザーヌディア王国からの旅人や商人たちの中継地点として賑わっているらしい。
出発してから二度目の人里。生活魔法が整ったおかげで最初の一週間よりは楽にここまで野宿で過ごすことができた。
ただ一つ問題があった。路銀が足りないことだ。最初の村でほとんど食事や生活に使い尽くしてしまったため、四人分の宿代すらもうない。
「誰かがあんなに酒を飲まなければな……」
みんなで町の門をくぐりながら、ディエンが低い声でテルンを皮肉混じりに見上げる。これまでの旅の中で、少し無愛想なイメージがあったディエンとひょうきんなテルンは、軽い悪態を突き合うぐらいの中になっていた。
「まあまあディエンさん、実際一週間分の路銀で二週間も過ごせたわけですし……というかそもそも一週間分の路銀しか勇者パーティーにくれない王様の方が悪くありませんか?」
「聖職者なのにそんなこと言っちゃっていいの……?」
セヴァンが不安そうに指摘する。
「聖職者としての自覚が足りないんじゃないかお前は」
今回のディエンは少し辛口だった。野宿に慣れているというディエンもできれば宿屋に泊まれるに越したことはないらしい。
「でもお金がないのはやっぱり困るな……このままじゃ宿屋があるのに野宿することになる……」
そこで勇者ははたと足を止めた。
「どうかしましたか?」
テルンが勇者の顔を覗き込むと、眉根を寄せていた。
勇者が二週間の旅でこのような顔をしたことはなかった。他の四人全員がそれに気づいていた。何かのっぴきならぬ自体が近づいているとでも言うかのようだった。
次の瞬間レーゼンが何かに気づく表情をした途端に後ろを向く。
それに遅れて、テルンとディエンも後ろを素早く振り返った。
二人は絶句した。さっきまで歩いてきた道が見えなくなっていた。そこにあるのは白い光のベールだった。なかったのは今まで来た道だけではなく、 さっきまで広がっていた青空も全て白いベールに覆われていた。半円球の巨大な天蓋が村全てを覆い、蓋をしているようだった。
「……やられた」
レーゼンがつぶやき、視線を前に向ける。ディエンとテルンもそれにならった。
おかしいことが起こっていた。 ありえない事象であった。全ての村の住民が一瞬にして消え去っていた。まるで初めからそこには誰もいなかったかのように。
勇者はずっと視線の先を、向こうにある町の中心に固定していた。
そこには人間の形をしたものがいた。
身長三メートルを超えるだろう、黒い礼服に身を包んだ男に見えるそれ。
色素の薄い髪をしていて、青い目の、口元は三日月のようにゆがんだ笑みの男だった。
勇者パーティーの全員は知っていた。それが人間ではないということを。人間の形だったとしても、それは到底相容れない存在であると。
「魔族……!」
半ば無意識に勇者はつぶやいた。
今までの野生の生物などではない、それはこの旅において、真に敵と言える存在だった。
この瞬間初めて勇者パーティーは、彼らは本当に戦うべき相手と遭遇した。
勇者は反射的に腰に下げていた剣に手をかけた。魔族は右手を前に向け、何か行動に移ろうとしている様子だったからだ。魔族との距離は数十メートルほどもあった。しかしその中でもセヴァンは相手の動きをしっかりと見定めていた。
「〚アスファル〛」
セヴァンの横を白い魔力の奔流が通り過ぎていった。
それはまっすぐ魔族へと伸びていき、直撃したかのように見えるとはじけて砂埃を巻き起こした。それはレーゼンのものだった。
彼女の両手にはいつのまにか本人の身長よりも長い、実践用の魔法杖が構えられていた。
「〚聖域展開〛」
半円球状の半透明のそれはテルンの展開した魔法領域。テルンの中心とした半径五メートルに展開され、持続的に体力向上などのバフ効果と傷の治癒などを行う。高等の聖域魔法だった。
ディエンも錆だらけの長剣を抜いた。結局この一週間で折れることはなかったが、取り替えることもできなかった。
砂埃が少しずつ晴れていく。
くつくつ、と不気味な笑い声が、魔族と勇者パーティー以外誰もいない村中に不気味に響き渡る。
砂埃が晴れた向こう側にいたのは、全く無傷の魔族だった。
魔族は両腕を広げ、恍惚とした表情で何かを語り始める。
「素晴らしい。ここで勇者パーティーと出会えるとは。つらく忌まわしい人間たちの希望! それを今ここで摘むことができ――」
言い終わる直前、勇者は魔族の眼前に迫っていた。勇者の剣が目にも止まらぬ速さで振り下ろされる。
魔族の顔が一瞬だけ真面目なものとなって、勇者の一撃を横にずれることで凌いだ。
「〚アスファル〛」
レーゼンの魔法、今度は六発、曲射で放たれた。
それが魔族の体に直撃する瞬間、その体を守るように六角形の障壁のようなものが六つ発生する。
レーゼンの魔法はそれによって全て防がれた。それは防御魔法と呼ばれる類のものであった。
魔法が直撃する一瞬、剛腕のディエンが跳躍し、魔族の背後に回っていた。体全体のバネを利用した高質量の長剣の一撃が、魔族の首めがけて放たれた。
バキン、という音がして、瞬時に展開された防御魔法を前に、長剣が限界を迎えた。
さすがと言うべきか、ディエンは瞬時にそれを把握してその瞬間に後方へ離脱した。
「ふっ!」
勇者の剣が再び放たれる。しかしそれも後方に避けられる。
またも放たれる三発の魔法。それに合わせてセヴァンが剣を振る。しかしどれも防御魔法によって防がれる。
魔族の体がふわりと浮遊し、上空十メートル近くのところで停止する。
「何を……!」
セヴァンはそれに合わせて跳躍しようとした。しかし魔族の足元に魔法陣が展開されたことで、足に込めた力を緩める。それは幸いにも適切な判断だった。
その魔法陣には、瞬時に膨大な魔力が込められていた。
「セヴァン離れて!」
レーゼンの一声。初めての焦りの混じった声。
仲間の言葉を疑いもせず、その言葉にこもった感情が示す「危険度」を察知して、渾身の力で地面を蹴る。
その瞬間、視界が白に染められた。次に膨大な魔力を認識し、恐怖に襲われた。
白いそれは魔力の砲撃であった。間一髪だった。
それは、町の真ん中に、巨大な風穴を開けていた。かつてそこにあったはずの地面が、きれいに丸くくり抜かれているかのように消え去っていた。
危機を脱した安心感が体を覆う――間もなく、自分の身体が地面に激突して何度か転がった。
「いっ……てぇ…………」
着地した場所はちょうどテルンの聖域だった。おかげで背中の痛みが少しづつ和らいでいく。
「大丈夫ですか!?」
テルンがセヴァンに駆け寄る。
「怪我はない。大丈夫……」
素早く立ち上がり、臨戦態勢に戻る。
レーゼンが全員に忠告する。
「強力な魔族だ。油断しないで」
「具体的には?」
セヴァンが聞く。
「油断したら死ぬくらいに」
「マジかよ」
あの魔法を文字通り至近距離で目の当たりにしたセヴァンだからわかる。あまりにも現実的な死の予感。
そう軽口を叩きつつも、確かな感想を口にする。
「あの魔法を食らったら、死ぬ…………」
テルンがごくりと唾を飲む。
「これが初めての死地体験ですか……」
「ルチフ、あの魔族について何か知っているか?」
セヴァンは油断せずに魔族に目を向けながら言った。
一番後ろにいたルチフが静かに答える。
魔王は魔族の全てを知っているが、かと言って全部を話すわけにもいかない。
「一般的によく見る魔族だと思われます。 ただし魔力の量が平均的なものより高く見えます。そしてあの魔法は見たことがありません。 魔族は寿命が長いため、オリジナルの魔法を作り出すこともあります。 今の地面を穿った魔法はそれかもしれません」
「なるほど……どういう魔法かはわかるか?」
「すみません。そこまでは」
「そうか……」
正直に言えば全て知っている。あの魔法は オリジナルでも何でもなく、魔王が魔王城を出る少し前に魔族の中で開発された魔法だ。その名は〚ラハドエラヴ〛。貫通力に特化していて、採掘現場などでよく使われている。そのため人間の体ぐらいならば、簡単に消し飛ばせる。
すでに魔族の軍隊では取り入れられていたはずだ。これがあれば簡単に人間の軍勢ならば魔族一人でも殲滅できる。だがそれを確かめる前に出てきてしまったので、実際どうなのかは分からない。
そういえば、と魔王は、もう一つ軍隊で取り入れられた魔法があるのを思い出した。確か名前は――――
「〚リムホーク〛」
魔族の詠唱と同時、目の前に巨大な魔法陣が形成される。とっさに前に飛び出したレーゼンが展開したものだった。
それは確か魔族とは違った人間界の防御魔法。形式としては、魔法陣に触れた魔法を打ち消すように変質させた魔力をぶつけるもの。
もちろん扱うものの技量によってその効力は変化する。レーゼンの防御結界はかなり質がいい。現代の魔法をほとんど完璧に防げるだろう。おびただしい魔法陣の式からそれが見て取れる。
防御魔法陣に〚リムホーク〛が激突する。
轟音。それと同時に少しずつ押される魔法陣。レーゼンが杖を前面に押し出して〚リムホーク〛と押し合いをしていた。
しかしそれではダメだ。〚リムホーク〛の性質は、この防御魔法では防げない。
ピシリ、と防御魔法陣にひびが入る。
精巧な式で成り立っている魔法陣は、ひびが入った時点でその魔法がまともに発動しなくなる。
一瞬後には防御魔法のすべてが破壊され、〚リムホーク〛がこの場にいる四人全員を飲み込むだろう。
仕方がない。
ルチフは左手を前に出した。それを引くようにすると、レーゼンの体が同調して、一瞬の間にルチフの後ろに飛んでいく。
防御魔法が破れる。あらわになる広範囲の黒い魔力の弾幕。それが〚リムホーク〛だった。
それと同時にルチフが一番前へと飛び出した。
そして左手を掲げ、魔法を使う。
「〚リムホーク〛」
一瞬よりも短い時間で形成される、巨大な魔法陣。
〚リムホーク〛の性質上、対抗には〚リムホーク〛が一番いい。
魔法陣から現れる魔力の弾。それが幾百幾千と集まり、濃密な弾幕を形成する。
放たれる雨のような黒い弾。
それが向かってくる〚リムホーク〛を次々に打ち消していく。
弾幕の濃さが違う。向こうのものがスコールだとしたらこっちは滝だ。
もはや弾幕というより魔力砲である〚リムホーク〛は、あっという間に魔族との半分の距離まで押し返す。
こちらの〚リムホーク〛のおかげで向こうの状況は見えないが、魔力から大体の予測ができる。
押し合いをするどころか、向こうはもう数秒も魔法を保っていられまい。
「これは一体……」
後ろからセヴァンの驚愕の声が聞こえる。
「同じ魔法……ですか?」
テルンのほうけたような声も聞こえた。
レーゼンはわからないが、気配はしっかりと後ろにある。
〚リムホーク〛の魔法陣がルチフの左手に収束して消える。向こうの攻撃が止まるのに合わせて魔法を消した。
「魔力切れだ」
ルチフは後ろの面々が聞く前に言った。
視界の先には、驚愕の表情で手を震わせている魔族がいる。
魔族が背を向ける。逃げの体制に入っていた。
ルチフがチラと後ろに目を向ける。
そこにいる全ての人間がルチフに意識が行っている。エルフだけが魔族を追いかけようと走っていた。
魔族がそれから逃れようと地面を蹴り、魔法で飛び上がる。
それに杖を向けるレーゼン。
「〚アスファル〛」
もはや防御魔法も使えない魔族の背中をあっけなく貫く。魔族はうめき声を発して、空中で脱力した。そのまま重力に従って地面に落ちていく。
ドシャリ、と地面に叩きつけられる。
もはや体の魔力を維持することはできず、体の末端から魔力が解けていくと共に肉体が崩壊する。
レーゼンは油断なくその過程を最後まで見つめる。おそらく魔族と相対した経験があるだろう彼女ならば、そうそう油断はしまい。
「く……そ……」
肘までほどけかかっている腕をレーゼンの方に向けて、魔族が呻く。しかしもう何もできることはない。
ルチフがレーゼンの横に立つ。魔族に向けて魔法陣を展開する。
「なっ……」
「〚リムホーク〛」
魔法陣から魔力の弾丸が放たれて、魔族の体を一瞬にして消し尽くす。
『魔力を中和して打ち消す』それが〚リムホーク〛の性質であり、今の人類の防御魔法では防げない理由である。
『魔力を中和して打ち消す魔法』を『魔力を中和して打ち消す防御魔法』で防ごうとすれば、それはイタチごっこを繰り返すだけである。そして単純に物量の強い方が勝つ。
それが〚リムホーク〛が魔力砲のような放出形式ではなく弾の形を取っている理由の一つである。次々に襲い来る何百何千もの弾丸を、たった一枚の防御魔法で防げようはずがない。
そして、〚リムホーク〛同士がぶつかる場合は、〚リムホーク〛が〚リムホーク〛を中和し合うため、単純に物量が勝負を決める。だから魔法の実力が単純に勝負を決めるため、魔王からすれば〚リムホーク〛相手には〚リムホーク〛が一番いいのだ。
勇者たちがこちらに駆け寄る。
「これは一体……」
驚きの声を上げる勇者セヴァン。
「ルチフ……あの魔法は一体……あの魔族と同じ……」
街を取り囲んでいた巨大な魔力の帳が消えていく。それを発動させた魔族が死んだからであろう。
すると、街のそこら中から人々の声が聞こえ始める。これも全て魔族による仕業のようであった。
「おい、どうなっている」
向こうの方からディエンが歩いてくる。
「あの魔族から離れたと思ったらいつの間に人々のいる街の中にいた。これも魔法か?」
彼らにとってわけのわからないことが多すぎた。一度時間を取る必要があるようだった。
セヴァンが口を開く。
「ルチフ。教えてくれないか。その魔法のことや、君が知っていることを」
ルチフは少しの逡巡の後、「では、まずは宿屋を探しましょう」と小さく言った。
Happy Halloween (too late)