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本を造る魔法②

「賢者イヴォール……」


 わたしはそうつぶやいた。


 エルフに集中していた視線がとたんに私の方に集まる。


 全員が大勢を変えたからか、川の上に浮かぶ小舟がギシリと揺れた。


 勇者一行はアクインクム(ブダーペシュト)の街を出て、ダヌビウス川をのぼる(・・・)舟に乗っていた。

 下りよりも時間のかかる舟はゆっくりと、川の流れに逆らって、しかし歩くよりは少し早く、五人の勇者一行たちを運んでいた。


「知っているんですか?」


 ふとテルンが私へ疑問を口にする。


「賢者、イヴォールについて、ですか?」


 わたしはそう聞き返した。

 それについての疑問であったのは明らかだった。

 テルンは頷いて肯定の意を示す。


 知っていると言えば、まあ知っている。

 今までの旅の中で読んだ本の最後には、ほとんど『本を造る魔法の創造者、賢者イヴォール』と書かれてあったのだから。


「わかりません」


 しかし、知らないといえば知らない。

 なぜならば、わたしは『本を造る魔法』というのを、今さっき知ったのだから。

 正確には『本を造る魔法』そのものを、初めて見た、というのが正しい。


 わたしが魔王であった百年のうちに広まった魔法か。

 やけに見ないうちに、人間界に安価な本がたくさんあると思えば、どうやらそういうことだったらしい。


 複合魔法『本を造る魔法』。

 わたしの目で見ても、今の人類には似つかわしくないほどに高度な魔法だ。

 しかし逆に、今の人類には手の届かないほどの領域、というわけではない。

 百年前の人類の技術であるならば、時間こそかかれど、研究して解明のための理論を構築するくらいなら可能だろう。


 そして今の人類ならば、この魔法を解析できる所まで行っているところもあるかもしれない。


 つまり、実に絶妙な難易度の魔法だ。


 個人では無理だが、それこそ帝国が研究のための専門機関でも立ち上げ、時間をかければ解明は不可能ではない、という程度だろう。


 しかし問題なのは、個人では到底解明できないこの魔法を、個人で作り出した者がいるということだ。


 それが賢者イヴォールということか。


 魔王以前には、聞いたことのない名前だ。


 しかし、少し趣味の悪い名前だな。

 イヴォールと言えば、エルフ語で水晶を意味する言葉だ。


 賢者イヴォールは自らを『わたしは水晶です』と名乗ることになる。

 あまりにも、エルフ本人がつける名前としては直接的だ。


「そっか。ルチフでもわからないか」

「ルチフでも、って……ルチフの知識を疑うわけじゃないけど、歴史的な話だと、レーゼンの方が詳しいんじゃないのか?」

「別に、わたしは特に歴史とかには興味ないからね。それにここ数百年は流浪してただけだし。セヴァンたちと出会ったのも、その途中のほんのたまたまからだったでしょ。わたしは常に歴史の当事者なんだよ。当事者ほど、歴史の内容を客観的に見られない。歴史に関してはわたしより歴史書の方が詳しい」


 常に歴史の当事者、か。

 そもそも歴史書と言うのは、限りある寿命を持つ人間から生まれた文化だ。自分が生きられない未来の時代の人々に、自分が生きた時代を伝えるための物。

 エルフにとっては、歴史書は日記のようなものに近いだろう。その時代を実際に生きているのだから。

 実際にその歴史を生きていた人々にとっては、歴史書は、歴史をただ別の視点から書き直したものに過ぎない。


 もしくはわたしのように、知らなかった遠く離れた地域の情報を知るためのアイテムか。


「ではレーゼンさん、実際に会った時のお話をお聞きしてもいいですか?」


 テルンが興奮気味に尋ねる。

 かつて聖教会か総力を挙げても発見することのできなかった事実を、知ることができる機会なのだ。

 しかしレーゼンはなぜだか難しい顔をした。


「どうしたんですか?」

「だってたまたま会って、ちょっと立ち話しただけだから……。あんまり求めてる情報じゃないと思うんだけどね」

「それでも、かまいません! すこしでもきっかけが分かれば……!」


 ずい、とテルンはレーゼンに詰め寄った。


「いや……ちょっと……」

「なんで遠慮するんですか!?」

「だ、だってあれだよ。ちょっとたまたま出会って、自己紹介して、普通に分かれただけだし……!」


 ……レーゼンの魂が揺らいでいる。

 これまでにないほどの揺らぎ方だ。魂が激しく動揺している。

 つまり隠しているな。そしてそれが珍しく、態度にまで出てしまっている。


 千年生きた彼女を動揺させる何かが、賢者イヴォールとの邂逅にはあったという事か。


「久しぶりにあった同族とそんなにあっさり分かれるんですか! 絶対何かあったでしょう!」


 テルンがレーゼンに覆いかぶさらんばかりに詰め寄っていた。

 テルンの影がレーゼンの顔に落ちていた。

 レーゼンは口をぐむっとつぐんで、手を胸の前に出して、詰め寄るテルンにから身を守ろうとしていた。


「ちょ、ちょっと……!」


 ぐらり、とレーゼンの魂が大きく揺れた。少しまずい兆候だ。止めた方が良い。


 がしっ、とテルンの服のすそがつかまれた。


「テルン! やりすぎだ!」


 セヴァンが声を張り上げていた。


「ですが! 人類の大きな謎のひとつが、わかるかもしれ――――ぐえっ!!」


 ガツン!


 鈍い音がした。


「ひっ!」


 舟の舵取りの女性が悲鳴を上げた。


 テルンの体がきれいな弧を描き、


 ドボン!


 見事に川の流れのど真ん中に落ちた。


「テルーーーーーーン!!」


 セヴァンが波打つ川の表面に手を伸ばし、慟哭の声を上げた。


「ディ、ディエン! やりすぎだろ!?」

「あんな教会で何を学んだかもわからんバカにはこれぐらいがちょうどいいだろう」


 シュウウウ……と、その拳からは煙が昇っていた。


 目にもとまらぬ動作で、ディエンはテルンの頭に拳を叩き込んでいた。

 たぶん気を失ったのだろう。川底に落ちたテルンの腰がぷかぷかと水面に浮かび上がり、そのまま舟の進行方向と逆へと流されていく。


「か、舵取りさーん! ちょっと舟戻してくださーいっ!」

「はっ、はひっ!」


 おびえるような手つきで、舵取りは舵を動かして、舟の向きを変えた。


「テルーン! あっどんどん流されてく!」

「しばらく溺れさせてい置いた方がちょうどいいだろ」

「鬼か!?」


 辛辣なドワーフとセヴァンがやりとりをしているところ、わたしはレーゼンに顔を向けた。


 テルンに詰め寄られた体制のまま、レーゼンはその視線を船底に落としていた。


 何たることだろうか。感情に支配されていた。感情に支配され、体を動かす事が出来ていない。

 千年以上を生きたエルフが。


 テルンに詰め寄られたことではなく――まあそれもすこしあるかもしれないが――イヴォールをきっかけに、何かの動揺が引き起こされているのだろう。


 何があった?

 これほどのエルフを動揺させるほどのことが、わたしのいない百年の間に。


 わたしは手のひらに魔法陣を構築した。


「大丈夫ですか?」


 そしてそれを、レーゼンの近くに展開する。


 レーゼンはの魂がはっとして――動作には現れなかった――わたしに顔を向けた。


「……これ、何?」

「精神を安定させる魔法です」

「そう……やっぱり、見えるんだ」

「何がです?」


 今、はたから私の魂を見れば、きっと揺らいだことだろう。


「魂が」


 少し舐めていたようだ。千年生きるエルフの動揺を。

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