本を造る魔法
「イヴォール?」
白い髪の毛を揺蕩わせ、耳のとがったエルフは、自分が向けていた本から顔を上げて行った。
その視線の先には、目の覚めるような赤い髪の毛を持った勇者が座っていた。
エルフの視界に映る勇者の姿は揺れていた。
ゆっくりと、左右に、しかし心地のいいリズムで。
その揺れと共に、木の骨組みが擦れる音も聞こえてくる。
「うん。知っているかなって」
勇者は微笑みながら、小さくうなずいた。
エルフは目を細めた。
最近、この男と何度も話をしていて、気づいたことがある。
まず、この男――勇者セヴァンは、ものすごく自分に対して話しかけてくる。
自分に対して、と限った訳ではないのだが。彼は、仲間全員に対して、ものすごく熱心に話しかけてくる。
そして、話すときは、いつも、何か微笑むような、いつくしむような声音で聞いてくる。
なぜだろう?
正直嫌なわけではない。微笑まれて、優しい声で何かを言ってくる相手に嫌悪を覚えるわけはない。
だがしかし、気味が悪かった。
何をそんなに、自分に対して微笑みかけて、優しく話すことがあるのだろう?
今こうして考えているときも、セヴァンは自分に対して、微笑みの顔を向けていた。
その目は興味深々に自分の目をのぞき込みつつも、口端は上がっていて。
目は若い人間の子どもにありがちな表情をのぞかせていたが、その口元はその目とは不相応に感じられた。
そしてこの男は、自分が答えるのに時間を要しても、待つ。
今こうやって黙って思考をして彼の顔を見ても、全くその顔を崩さないのだ。かれこれ五秒くらいは沈黙しているはずなのだが。
そろそろ待たせるのも悪いかな、と、レーゼンは自らの口を開いた。
「知ってるよ。なんで?」
長く生きているエルフであるためか、何かを言われると、それに返すのにある程度時間がかかる。
何かを脳に入力すると、それだけで、膨大な情報を連想して思考に返してくる。そこから処理して、外に出力するための言葉を選んで、相手に返す。
一瞬、しかし大量に思考する分だけ、言葉を返すのが遅くなる。
エルフが戦いに向いていない理由だ。老いない頭は常に最高の出力ですべてを返してくる。
その中で、レーゼンはセヴァンがなぜその名を知っているのか、という疑問を摘み取って、口から出力した。
「なあテルン、聖典を貸してくれないか? 保存用の方で良い」
セヴァンは首を回して、近くに座る聖職者に話しかけた。
その聖職者は読んでいた分厚い本から顔を上げ、セヴァンにそのメガネ顔を向けた。
「いいですよ。どうぞ」
その手にしていた分厚い本をパタンとしまい、セヴァンに手渡す。
「ありがとう。それでさ」
セヴァンはレーゼンに顔を戻して、その聖典の裏表紙を開いた。
そこにはまっさらな紙の面に、短い文章が帝国の言葉で書かれてあった。
エルフは思考した。
セヴァンは帝国語が読めないはずだ。彼は中欧諸国出身の人間だ。中欧諸国で使われている共通語と帝国属州の実質的な共通語である帝国語は、元をたどれば同じ言語であるが、今は分かれて意思疎通が難しいほどの距離が離れている。
文章ならばなおさらだ。帝国語は文字の綴りの通りに読むことが多いが、中欧諸国の共通語はその歴史の中で発音が大きく変化してきた。そしてその発音に合わせるために文字の綴りを変え、かつては帝国語と同じ綴りだったがもはや原形をとどめていない。それは今でも更に変わって、今やその言葉は綴りと読みがあまり一致しない厄介な言語になっている。
そこに書いてある帝国の言葉の短い文章を、エルフは頭の中で読み上げた。
『IVOR SAPIENS, QUI MAGICAM CREANDI LIBROS GENUIT』
つまり、こうだ。
『本を造る魔法の創造者、賢者イヴォール』
「これがどうしたの?」
レーゼンはその文字に目を向けたまま聞いた。
隣からセヴァンが文字を指さしながら口を開く。
「これ、確か『本を造る魔法の創造者、賢者イヴォール』、って書いてあるんだっけ?」
どうやらその口調から、セヴァンはこの文章を読めるというわけではなさそうだった。
「そうだけど。これがどうしたの?」
レーゼンは目だけをセヴァンに向けて訊いた。
セヴァンは口をかしげ、疑問を口にする。
「これ、どの本にも書いてあるんだ。保存用のこの聖典にも、ほかのいろんな本にも。ほら、レーゼンが今読んでる本の一番後ろのページにもあるだろ?」
レーゼンはそれを聞いて、無言で膝の上にある本を一番後ろまでめくった。
そこにはやはり、帝国語で『本を造る魔法の創造者、賢者イヴォール』と書いてあった。
「ほら、やっぱり。これは帝国語のだろ? でも、これ、ほかの中欧諸国の本の一番最後のページにも書いてあるんだ。帝国語だったからだれもそれを読めなかったけど」
ああ、なるほど、それでか……。
それでこの旅が始まって、テルンか誰か、帝国語がわかるものになんて書いてあるのか教えてもらったのだろう。
「それで?」
レーゼンは声だけで聞き返した。その視線は、本の文字に向けられている。
「うん。それで、この賢者イヴォールって、だれなのかなって。本を造る魔法を創った人、っていうのはわかるんだけど……」
「じゃあ、教えてあげるよ」
レーゼンは半ば遮るように言った。
少し呆気にとられたセヴァンはよそに、レーゼンは自分の本の、その文章を、指でさらりと撫でた。
黒く印字されたインクの文章――
「これ、何で書かれてるかわかる?」
「え? それは、もちろんインクで……」
「そう思うよね」
――ではなかった。
とたん、その黒い文字たちが、淡く黄色に光りはじめる。
「えっ……!?」
セヴァンは目を丸くした。
「なんだなんだ」
隣から戦士ディエンも顔をのぞかせてくる。
相も変わらず、黒い軽鎧に身を包んだルチフはただ顔をこちらに向けて、様子をうかがうだけだった。
じわじわと、黄色い光が染み出すように、黒い文字たちを飲み込んでいく。
それが終わると、黄色い光たちはそれだけに飽き足らず、そのページ一面にも広がっていった。
まるで、黄色く光るインクをページにたらしたかのようだった。
しみこむように広がるように、ページ一面を侵食していく。
ページの四隅まで飲み込むまで、それはとどまることろを知らなかった。
「これぐらいでいいかな」
そのページの、ちょうど真ん中。
レーゼンは人差し指と中指をそろえて、ページの真ん中に、指を置いた。
とたん、ぶわり、と風が吹いた。
「!?」
カッ、とレーゼンの指の下から、激しい光が漏れ出てくる。
セヴァンは思わず目を細めた。
セヴァンは見ることはかなわなかったが、その瞬間、レーゼンが引っ張り出すように、指をページから中空へと話した。
そこからまるで糸か紐のように、細く黄色い何かが、レーゼンの指について飛び出していく。
レーゼンはもう片方の手でページを掴み、指から離すように、腕を広げた。
シュルルル、とページの中心からなおも黄色い光の紐が飛び出してくる。
レーゼンはそろえていた指を解き、指を伸ばして手を開いた。
その手の向こうに誘導されるように、さらに本のページの真ん中から、光る紐が飛び出し続ける。
セヴァンはそれを唖然と見つめていた。
魔法にある程度の造詣があるテルンも、それを驚いたように、興味深いように、メガネからのぞき込んでいる。
しばらくして、ようやくページから飛び出す紐がとまった。そのころにはページも光を失い、元の紙のように戻っていた。
ただし、そのページの中心にあったその文章は、もはやどこにもなかった。
そして空中には、本から飛び出した数メートルの光の紐が、腕を広げるレーゼンの前で、ゆらゆらと揺蕩っていた。
本を片手に腕を広げているその姿は、さながらおとぎ話に出てくるような魔法使いのようであった。
「れ、レーゼン、これは……」
訊きながらも、その目は空中を漂う紐から離せない。
レーゼンは紐に目を向けながら、セヴァンに答えた。
「これが、『本を創る魔法』、だよ」
席を立った。
本を持っていない方のレーゼンの手に、短い方の魔法の杖が出現する。
それを握ると、くるくる、と光る紐の前で先端をまわして見せた。
「〔魔法を紐解く魔法〕」
その瞬間、紐が割れるように上下に分離した。
まるで、編まれていた紐の繊維がバラバラに広がるかのように。
しかし、現れたのは、細かい繊維のようなものではなかった。
それは魔法陣だった。
黄色い光で構築された大小の魔法陣が、縦に横に連なっていた。
セヴァンはそれが何か知る由もなかった。
ただ、中空に浮かぶ美しい図形こそが、『本を創る魔法』であることのみ、理解できた。
「久しぶりに見ても、術式は変わってないね。最近発行された本なんだけど」
呆然とするセヴァンの前で、レーゼンは淡々と解説を始めた。
「簡単に説明するね。『本を造る魔法』は、大きく分けて、三つの小魔法で構築されてる。一つは、本の繊維を編む魔法。二つは、本に印字をする魔法。最後に、本を本として保つ魔法。それらすべてが、本の最後のページに編み込まれてる。だから、『本を造る魔法』はまず、材料と、この術式、つまりあの言葉が印字されている紙を用意するところからはじまるんだけど……」
レーゼンは浮かぶ魔法陣を前に、解説を始めた。
「複合魔法陣ですか……実物は初めて見ましたね」
興味深そうに、テルンが口を動かした。
「なんだい、複合魔法陣って?」
首を回してセヴァンはテルンに聞いた。
テルンが魔法陣から目を離し、セヴァンに解説を始める。
「いくつかの異なる魔法を組み合わせた魔法陣のことです。普通、魔法陣は一つの魔法円の中にいろいろな術式を組み込んで、ひとつの魔法陣とするんですが……」
テルンは改めて、宙に浮かぶ黄色い図形に目を向ける。
「これは、複数の魔法陣を組み合わせて、複数の効果を生み出すようにする、『複合魔法陣』です。しかし、初めて見ました、本当に。しかも、三つの効果を生み出す『複合魔法陣』とは……」
口元に手を当てて、テルンはじっとそれを眺め続けた。
「さすがテルンは良く知っているね。『複合魔法陣』はより高度な次元にある魔法のひとつだよ。これはそのなかでも、かなり凝った魔法陣だけれどもね」
「そんなにすごいのか、この魔法……『本を造る魔法』は」
「すごい、どころの話じゃありません。いったいどれだけの研究や研鑽を重ねれば、ここまでの複合魔法陣を……!」
熱心に魔法陣を見続けるテルンの目は、感嘆と驚愕に見開かれていた。
「ひとつの魔法円に組み込むのならばともかく……! 違う『核』をもつ魔法をこれだけ組み合わせて、複合的に重ね合わせて……! 互いに相乗的に効果を生み出し、しかも一冊の本を造りだすという複雑な事象を正確に発生させるとなると……! これはもう、人間の到達できる領域じゃありません……!」
「そ、そんなに……!?」
「そう、そんなに、だよ」
レーゼンは杖を一振りした。
くるくる、と魔法陣が、その場で回転を始める。
「『周りの状況を認識する魔法』『材料となるものを特定する魔法』『材料を検知して記憶する魔法』『材料を動かす魔法』『材料を組み合わせて繊維を編む魔法』…………。さっきは大きく分けて、って言ったけれども、小さく分けると、これだけの魔法が、今言った以上の数で複雑に組み合わさっている。これらを一つの魔法円で再現しようとしたら、たぶん集落ひとつくらいの大きさになるんじゃないかな。それを困難だけれども、『複合魔法陣』で作ることで、これだけの大きさに縮小させることができる。言い換えれば、集落ひとつ分くらいの大きさになるはずの魔法を、たったこれだけの大きさに詰め込んでいることになる」
正気の沙汰じゃないよね――――
レーゼンは最後に、小さくそう呟いた。
「これが、『本を造る魔法』。人類の中で最も偉大な発明品、と言われる所以は、ただ便利だから、というだけじゃない。『本を造る魔法』を見た魔法使いたちが、この術式を見て、かつて誰一人としてこれを真似できるとは思わなかったんだ。『本を造る魔法』、という、いかにも人間のために生み出された、ほんの小さな魔法なのに、それを構成する内容は、当時の人智が追いつかないほどの内容だった。だから偉大な発明品と呼ばれたんだ」
トン、とレーゼンは、本の最後のページの真ん中を、杖の先端でついた。
すると、くるくると回っていた魔法陣が、シュルシュルと小さく細くまとまっていき、一本の紐のようになり、かつての居場所であった本の中心へと吸い込まれるように帰って行った。
本のページが黄色く、まばゆく発光を始める。
紐の最後の一端がページの中に入り終わると、発光はゆっくりと収まって行った。
そしてそこには、『本を造る魔法の創造者、賢者イヴォール』の文字が、最初と全く同じ様子で書かれてあった。
レーゼンはほんのそのページを、目を細めながら眺めた。そして、静かに口を開く。
「そしてこの魔法が開発されて以降、多くの魔法使いは、この複合魔法陣の研究に取り組んだんだ。そして『本を造る魔法』と手本として、複合魔法陣の技術は大きく進んだ」
セヴァンは唖然として、目をしばたたかせた。
「そんな魔法を発明したのが、『賢者イヴォール』。本を造る偉大なる魔法の創造者だよ」
「さすが、『賢者』の称号を戴いているだけ、ありますね」
テルンは興奮気味にそういった。
パタン、とレーゼンは手の上の本を閉じる。
「うん。賢者はなにかしら偉大な発明を人類に残した魔法使いにつけられる称号だからね。もしイヴォールに賢者の名がふさわしくないとなれば、歴代のほとんどの賢者は賢者じゃなくなる。それほどの魔法使いだ」
すとん、と席に腰を下ろす。
いつもと変わらないその黄色の双眸を、セヴァンに向けた。
「とりあえず、これが賢者イヴォールについてわかっているほとんどのことかな」
はっ、とセヴァンは我に返った。
そして取り繕うように、手をバタバタさせて話す。
「あっ、ありがとう、レーゼン。よくわかったよ」
「それならよかったよ。ほかに何か聞きたいことはある?」
じっ、とレーゼンの目がセヴァンの赤い瞳孔をのぞき込んだ。
「え、えっと……」
しばらく考えて、セヴァンは口に出した。
「さっきの、イヴォールについてわかっているほとんどのこと、って……?」
「ああ……賢者、って呼ばれてる魔法使いの中でも、イヴォールって、特に来歴がよくわかってない魔法使いなんだよね……。文献の中でも、ほとんど現れないし」
「ああ、そうでしたね。一度聖教会が大規模な調査研究を行いましたが、賢者イヴォールについての新しい発見は、ほとんどなかったと聞きました」
思い出したように、テルンが言葉を挟んだ。
「そうなんだよね。たぶん流浪の魔法使いなんだろうけど」
「そっか……」
セヴァンは曖昧な相槌をうった。
「ちなみに、この魔法はいつごろ開発されたものなの?」
「そうだね、時期としては……百年とすこし前かな」
「そっか……。じゃあ、もう故人か。これだけすごい魔法使いなら、もっといろんなところで名前を見つけることができると思ったんだけど……」
「ある意味、いろんな本で見かけますがね。その文章だけですが」
「いや、別に故人じゃないよ」
「「え?」」
テルンとセヴァンが同時に声を上げた。
「そらそうだろう。そのイヴォールってやつが、人間と限った訳じゃあるまい」
ディエンが隣から口を挟む。
「た、たしかに」
セヴァンはうなずいた。
「その通りだよ。『本を造る魔法』を発明したのは、人間じゃない。エルフだ」
「待ってください、レーゼンさん」
テルンが抗議の声を上げた。
「エルフと決まった訳でもありません。なんでわかるんですか? 聖教会が総力を挙げて探索しても、種族の特定すらできなかったんですよ?」
「まあ、だって、会ったことあるからね」
レーゼンは本を開き、それを眺めながら、いつも通りの声音で答える。
セヴァンとテルンは、その目を今までにないほどに丸くした。




