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静かな開戦

 勇者一行が出発してから七ヶ月と一週間。ビタロス帝国属州、ブダーベシュト町。もしくはアクインクム地方、プリムス伯領。


「……魔族の侵攻が?」


 自らの執務室において、伯爵は驚愕した。


「はい。帝都からそうお達しが……」


 男補佐官、リーヌス・ロクス・スューヌが青ざめた顔で肯定した。


「馬鹿な。なぜ今?」


 伯爵は身を乗り出す。


「分かりません。今までこんな様子は少しも見せることはありませんでした」

「昨晩一瞬にして最南端のドリュス伯領、フェブス男爵領、ローム伯領の三つが壊滅させられた。こんな大侵攻が昨晩、一夜のうちに?」

「ただ、書面はそう告げています」

「こんなことは――――」


 今まで一度も無かった。そう言おうとして、伯爵は口をつぐんだ。


「あった。リン」


 伯爵は顔を上げて補佐官に目を合わせた。

 伯爵は呼びにくいリーヌスの名前を、略してリンと呼んでいた。


「ええ」


 思い当たったのか、彼も首を縦に振った。


「百年経って、魔王が重い腰を上げたか」

「そうと思われます。でなければ、魔族たちがこのような団結を見せるはずはありません。ドリュス伯領、フェブス男爵領、ローム伯領はどれも魔族の大陸と帝国の大陸のつなぎ目を横断する位置に続く領地。それに、魔族の領域付近のために、どれも軍備は十分にあった場所です」


 補佐官リンは有能だ。彼はほかに多忙すぎる伯爵の手が回らないところの情報まで代わりにしっかりと頭に入れてくれる。


「第一防衛線はすでにすべてやられたのか?」

「ええ。今朝の報告で、他の南端に連なる領地、ダルシュ伯領、フェルム侯爵領もほとんどが壊滅。すでに防衛能力を失っています」

「完璧に不意をつかれた形か」

「ええ。最初の三領はほとんど何もできずに壊滅状態に陥ったそうです」

「歯がゆいな」

「ええ」


 プリムス伯領は帝国の最東端の一つ、中欧諸国とその先の東の大陸へと続く位置にある。つまり、魔族の領域から最も離れた場所の一つでもある。


「こんな時に、戦えないとは」


 帝国の貴族は、貴族であると同時に軍人でもある。

 十二から軍を目指し、十七から軍に従事し、青春時代をすべてそこへと捧げて全力で駆け抜けて来た彼女が、戦いを嫌うわけもなかった。


「そのうち後方従事の貴族は前線に呼ばれるでしょう。それに、あなたは」

「言うな。結局それは一〇〇〇年間一度も施行されていない」

「しかし今回は魔王がいます。こちらもやはり今まで一度も例がない。どうなるかはわかりません」

「どちらにせよ、こちらも今やるべきことをやるのみだ。すぐに手配するがい」

「ただちに」


 リーヌスは踵を返して退出した。


「ついにか」


 伯爵は独りつぶやいた。


 まだ実感がない。生まれてこのかた、彼女は一度も魔族の脅威を実感したことがない。

 おそらく、魔族の恐ろしさを知っているのは、帝都に住む最長老組くらいのものだろう。


 その油断が今回の奇襲を許してしまった一つの要因なのかもしれない。


 魔族は寿命と言うものが存在しない。物事を忘れはするかもしれないが、それを少しでも知っているのとはなから経験したことのないのでは全く異なる。

 〇と一の差は天と地ほどある。それは帝国軍養成学校スコーラエにおいて誰もが習うことだ。


 であるならば、何もしないでいるわけはない。帝国は特権にはそれ相応の義務と責務を求める。


 東端で平和と言う特権を持つプリムス伯領。その義務は、その平和の中で蓄えた物資たちで、前線の勇敢な仕事をする者たちへ支援をすることだ。


 一〇〇年経ったと言えど、帝国は常にきたるべき日の戦いのために備えてきた。


「勇者たち……」


 彼女は、今自身の城にいる者たちを思い出した。


 このタイミングで魔族たちが動き出したのは必然か、偶然か。それとも、それに合わせて勇者たちが動き出したのか。


 この進行ですべては終わるのだろうか。


 歴史において、何も名を残せなかった勇者たちは数多くいる。

 しかしその中でも、後世において、彼らが実は成し遂げて来た物事が浮上したりもする。むろん、すべてではないが、それももしかしたらまだ解明されていないだけかもしれない。


 今回の勇者たちは、果たして。何を成すのだろうか。


 おそらく、結果がどうあれ、両陣営の歴史に残る大戦となるだろう。


 その中に、彼らは一石を投じる存在になるのだろうか。






Quies initium belli

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