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魔王と帝国貴族

 責任と特権ノーブレッセ・オブリーゲ。セヴァンにはそう教えた。


 だがレーゼンのその地位には責任も何もなかった。


 ただ女神のように崇められる地位。


 人間がエルフである彼女に求めるのは、ただ高潔で高貴であることだけだった。


 一斉に彼女の下へ人々が集まってくる。


 レーゼンは一瞬それにたじろいだが、すぐに諦めたようにため息をついた。


「レーゼンさま、お会いできて光栄です」

「うん……」

「レーゼンさま、わたくしペシュト町の――」

「そう……」

「わたくし帝国士族エクエスの――」

「へえ……」


 口々に人々が挨拶をし、自分の身の上を告げる。

 彼女から少しでも言葉を賜るため、彼女から少しでも意識を向けられるため。


 それをレーゼンは全く魂のこもっていない返事で返していた。めちゃくちゃ嫌がっていた。


 もはや勇者たちは目の外だった。

 ほんの少しの風変わりな人々を除いて、全員がエルフに群がっていた。


「やはり、こうなりましたか」


 近くに来ていたアンナエウスが、眉根を寄せてレーゼンの方を見ていた。


「アンナエウス殿」

「どうも、ルチフどの」


 ぺこりと彼は会釈をした。


「わたしはこの町の生まれでしてね。叩き上げで士族になったものですから、残念ながら、貴族がたが言う、エルフの扱い方がしっくりこないのですよ」

「ええ……」


 ルチフは曖昧に返事をしてみせた。


 かつてのエルフの王国を統治していたのはとあるエルフの一部であって、エルフ種族全体というわけではない。


 つまりレーゼンは無関係に等しい。

 だが建国神話に犬が出てくる国があるとしたら、その国は個体にかかわらず犬を大切にするだろう。


 レーゼンはそのエルフ版ということだ。


 犬や牛や鳥は人間が自分をどう扱おうと知ったこっちゃないだろうが、レーゼンの場合は同種の人類が自分をまるで他の生き物――というか女神のように扱ってくる。

 しかも本人は何もしていないと来た。


 そもそもレーゼンはこういう場が苦手だ。今まで助けた町の中で、率先して村長や領主と話したことはほとんどない。


 今レーゼンは何十人もの人々に囲まれてもみくちゃにされている。


 耳を澄ましてみると、レーゼンはほとんど言葉を発していない。のに、周りの人々が勝手にいろいろと口走って盛り上がっている。


「だから嫌って言ったのに…………たすけて…………」


 精神的に追い詰められているようだった。これまでにない脱力した顔だった。


 耳がついていないのか、盲目的な人たちは群がるのをやめない。


 晩餐会が始まってまだ三十分も経っていない。この地獄の晩餐会はおそらくあと二時間は続くだろう。


「なんであそこまで盲目になれるんでしょうか?」


 ルチフは自分から聞いた。

 アンナエウスは白髪の混じった眉毛の間を寄せながら言う。


「そうですねェ……たぶん、形のある信仰対象を求めているのではないですか? 女神様はこの世に形を持たない。でも、人間はほとんどの感覚を目に頼っている生き物ですから、どうしても形を求めてしまう。こんなところでは? 知りませんけど」

「なるほど」


 まあ概ねその通りだろう。

 それに子供の頃からの刷り込みは強力だ。どんな人間でも、人格形成期に体験したことが、その後の人生に多大な影響を与える。


 エルフの王国一件のお陰で女神も反省したのだろう、一つの種族全体に祝福を与えるということはしなくなった。だがその影響が何千年経ってもまだ残っている。


「わたしはもうお暇するとします。みなさんにご挨拶もできたのでね」

「そうですか」


 アンナエウスは一礼して、扉へ向かっていった。


 ルチフはプリムス伯爵の方へと歩を進める。

 プリムス伯爵は一人でレーゼンと群衆の近くに立っていた。


 途中でこちらに気がつき、深い黒の瞳孔の視線をよこしてくる。


 胸に手を当て、プリムス伯爵に敬礼をする。


「お会い出来て光栄です」

「ああ……ルチフどのか」


 プリムス伯爵は先程まで、行動に感情が伴っていなかった。しかし今回、少し気配が揺らいだ。


 やはり、若い。

 二十歳はたちは十分に大人だが、伯爵という地位を授かるには若すぎる。


 帝下五家の貴族が一人前になるには、例外なく軍部経験が必要となる。

 それにはまず軍学校スコーラエに通い、学びをたてる必要がある。帝国法レクスの定めるところによれば、学校入学は、最低でも十二歳から。

 そこから五年、学びをたてる必要があり、それを卒業すれば、ようやく帝国軍に入り、軍に従事する段階になる。

 そこから更に、最低でも五年の軍役を果たさなければならない。


 全てを終えるまでに、普通なら十年以上かかる。それが貴族に課された義務だ。


 最短ルートを駆け抜けても、その人間の齢は二十二才。おそらく、プリムス伯爵はそのくらいだ。

 法は入学最低年齢を十二と定めてはいるが、普通に考えて十二で入学は異常事態だ。軍学校スコーラエは自動的に入学できるものでもなんでもなく、入学試験を受ける必要がある。


 成人が受けてうからないのならば諦めたほうがいいぐらいの試験だが、十二が受けてうかるなら天賦の才がある。


「そうか、そなたとの挨拶がまだだったな。失念していた。ゆるすがよい」

「恐縮です。私はただ伯爵とお話がしたいだけです」

「ふむ……ウァレリア」


 プリムス伯爵が名を呼ぶ。

 するとすぐにウァレリアがやってきた。


「椅子を用意するがよい。二人分だ」

「かしこまりました」


 すぐに二脚の簡素な木の椅子を持ってきた。少し重そうだった。


「掛けるがよい」

「感謝します」


 近くの机に置かれた椅子に腰を落ち着ける。


 伯爵の気配を見る。


 魔王の目には、その気配に疑念と疲労が浮かんでいるのが見えた。


 二十二。恋する乙女の歳だ。いや、人間には少し遅いかもしれないが。


 プリムス伯爵の佇まいには威厳がある。それは生まれたときから行っている、その身に染み付いた貴族の威厳だ。


 その威厳ある佇まいを誰も演技だと思わないだろう。しかし今、彼女の威厳は少し弱くなっている。


「私と何を話したい?」

「社交辞令は必要ですか?」


 ルチフが言う。

 プリムスがまっすぐに目を見開いてルチフを見た。


「……そなた、年はいくつだ?」

「二十五です」

「そうか」


 伯爵は少し逡巡した。


「私は二十三だ」

「そうですか。それでは、アクインクム領の伯爵に就任したのは、去年ですか?」


 プリムスが少し驚いたように気配を揺らがせる。


「知っているのか」

「書物の知識ですが」

「そうか。一目みてそなたが博識だとは思っていたが、予想以上だったようだ」

「おそれ多い」


 ちらり、伯爵がと未だに群がる人々の方を一瞥する。


い。どうせもう誰もこちらを見ておらん。社交辞令はここらでよかろ」


 プリムスの口調が少し砕けたものになった。


 その瞬間、彼女の気配が大きく揺らいだ。

 凝り固まってほとんど動かなかったのがほぐされたように。


 魔王は大いに興味を持った。


 自らの気配をここまで統制できるとは。


「ふぅ」


 彼女は小さくため息をついた。

 気配としては大きなため息をついてもいいくらいのものだが、そこは貴族としてのクセだろう。


「あの仲間はレーゼンと言ったか」

「はい」

「エルフは初めて見た。話には聞いていたが」

「ええ。帝国では女神に継ぐ高貴な存在だと」


 プリムスは頷いた。


「その通りだ。しかし、だからといって盲目的に崇拝するのは如何かと思う」


 囲まれているレーゼンの方を見る。


「それに、あのレーゼンには全くそのような扱いを受ける覚えもないだろう」


 答え合わせを求めるようにルチフを見る。


「はい。旅の中での彼女はどちらかと言えば内気です」

「そうであろ」


 プリムスが背もたれに深く体重を預ける。


「では、なぜ?」


 自分から聞いた。


「あのような儀式を、ということか」

「はい」


 少しプリムスが考え込む。


「私もどう扱ったらいいのか分からんのだ、正直なところ」

「そうですか」

「それで、古代の文献を引っ張り出して、エルフへの最上級の礼儀の払い方を調べた。敬意を払われて悪い気持ちはしないであろ。少なくとも悪意を払われるよりは」

「そうですね」

「だからああしたのだが……。最適だったのはわからない。そなたはどう思う?」

「無礼を恐れずに言うのならば」

「社交儀礼はもう良いと言ったであろ」

「では。あの場でなんとかするには悪くはないかと」

「そうか」


 プリムスは真剣に考え込み始めた。


 意外と人懐っこいな、この女は。

 初めて言葉を交わすルチフに対して既に心を開き、その言葉を真に受けている。


 気配を無意識のうちで捉えているのか、レーゼンの人柄を一目で捉えたところから、人を見る目もあるようだ。

 ルチフのことも心を開くのに相応しい相手だと思ったのだろうか。少なくとも彼女は今魔王を信頼して心をひらいているのだが。


 幼少期のプリムスはきっと人懐っこい女の子だっただろう。機会があったら身辺を調べてみるか。


「ウァレリア、グリューラクを」

「はい」


 ウァレリアがそばに来て、グラスに酒を注ぐ。


「グリューラク酒ですか」

「ほう。わかるのか」

「私が好きな酒です」

「なかなか見る目があるな。ほかの酒はどうも苦手でな。この酒は味は少し辛いのだが、嗜みやすい味だ」

「私もそう思います」


 アルコール度数はワインと変わらないが、甘く酸味のあるそれとは一線を画す。

 もしこれを古代の人間に飲ませたとしたら、酒だとは思わないかもしれない。今でもこんなものは酒じゃないという過激派もいるくらいだが。それに関しては酒とはアルコール飲料であると定義した者を恨むしかない。


「はあ……」


 酒が入ったせいか、プリムスのため息が少し大きくなった。


「退屈なものだ。主催者としてここを離れるわけにもいかんし、だからと言って客人は私の方へ来ない。こんなことになると予想していないわけではなかったのだが……」

「そのうち飽きるのではないですか」

「私はもう飽きているが」

「来賓の方々がです」

「わかっている」


 気配がほとんど普通の人間並みに揺らぐようになっている。こちらを気にしていないとはいえ、まだ多くの人がいる場所だというのに。それだけ疲れているのだろうか。


「……いや、いいか。あとはもう彼女たちに任せよう。ウァレリア」

「はい」


 控えていたウァレリアが返事をする。


「私はこれで暇にする。あとは頼んだ」

「かしこまりました」


 ウァレリアは恭しく礼をした。


 この女は部屋の案内をしているときは好印象の女なのだが、今は従者らしく感情を表に出さずに仕事をしている。オンオフが上手なタイプだ。


 プリムスは立ち上がった。


「私はもう行くが、そなたはどうする?」

「私も戻ります」

「そうか。そなたたちが主役だというのに、すまないな、退屈をさせて」

「古代でもないのですから、だれも気にしません」


 古代においては、客人を十分にもてなせないものはそれを金銭で償うという風習があった。すでに千年以上前にすたれているが。


 プリムスは笑った。


「ではな」


 扉に向かって歩いていく。


 レーゼンに群がる人々はだれもそれを気にしない。


「プリムス伯爵閣下!」


 セヴァンだけが声を上げた。先ほどからこちらの様子をうかがっていたが。


 その会話も気になるが、正直もう興味がなくなってきた。そして眠い。


 旅の中で毎日寝るということを初めて七ヶ月。たったの七ヶ月だが、この体に習慣がつくには十分だったようだ。


 起きているのは簡単だが、眠いものは眠い。寝よう。


 席を立ち、ウァレリアに一礼をしてから、扉へ向かう。


 セヴァンとプリムスが一緒に扉から出る。

 そのあとに自分も外へ出た。


 背の扉が閉まると、あとは足音の響く静かな廊下。


 そこを歩く。あとはふかふかのベッドで眠るだけ。






sleepy

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