女神の眷属(デー・セルヴィウント)
勇者たちが、会場の扉の前に立つ。
ルチフはその一番最後に並んだ。
その中にレーゼンの姿はない。やはり間に合わなかったのだろう。
しかし、彼女ならば遅れた登場の方が盛り上がるだろう。
最前列のセヴァンから、緊張の気配がする。
今まで全く知らない世界に放り込まれたようなものなのだから当たり前だ。
「よろしいでしょうか」
セヴァンたちの前にいる、門のそばに控えたウァレリアが言った。
セヴァンが後ろを振り返る。
それぞれ正装に身を包んだ仲間たち。
聖職者の正装であるであるテルンを除いて、みんな一様にアングレス風の服だ。やはりこの百年で文化の遷移が起こったのだろう。
「ああ。頼む」
「それでは」
大きな扉が両側から開けられる。
赤いカーペットが敷かれ、向こうへと続いている。
数段高くなっている場所には純白貴族、プリムス伯爵閣下。
玉座に腰を据え、その目をまっすぐにこちらへと向けている。
周りには数多くの机と、それのまわり、もしくはその間に縫うように立つ人々たち。
服装からして、帝国士族や非帝国貴族など、それなりに高貴な身の人間たち。
明るい色だけではないところから、必ずしも帝国の人々ではないことがわかる。
歩を進める。
ざわめきが周りから立つ。
勇者たちを目にしたことに驚いているのだろう。
セヴァンは緊張していたようだが、その緊張顔はそれなりに威厳のある顔に見える。本人は気づいていないだろうが。
カーペットの中ほどまで歩き、足を止める。
勇者一行全員がその場に跪く。
「プリムス伯爵閣下」
セヴァンが挨拶の辞を述べる。
事前にウァレリアから聞いていたセリフだ。
「お招きいただき感謝します」
なかなかいい声だ。しっかりと芯の通った声。
傍からは緊張しているとは気づかないだろう。
「良い」
凛とした声が、会場に響く。
成人したばかりの年齢だというのに、そうとは思えないほど威厳を感じる声だ。
「面を上げよ」
全員が顔を上げる。
「勇者セヴァン。僧侶テルン。戦士ディエン。そして自然冒険者ルチフ。貴公がたを招くことが出来て嬉しく思う」
威厳はあれど、そこから感情を感じることはできない。
しかし、限界まで張った琴の弦を爪弾いたかのような、清冽な声。
「立つが良い」
全員が立ち上がる。
そして、プリムス伯爵も玉座から腰を上げた。
長い髪の端が空におどる。白い貴族装束の端が揺れた。
ゆっくりと歩を進め、段を降りる。
圧倒的な存在感。ただでさえ美しかった芸術品が動き出したかのような錯覚。
しかし歩き方は颯爽として優雅だ。軸の通った姿勢で、頭の位置がほとんどぶれない。
まるで滑るように闊歩する。
魔王は天使を連想した。
ぴたり、勇者の前で足を止めた。
背が高い。セヴァンが見上げる形になっている。
プリムス伯爵の右手が閃く。
セヴァンの気配が驚く。しかしそれが外面に出ることはない。
それは敬礼だった。胸の中心に下げた貴族の紋章が刻まれた宝玉に、親指以外の指をあてて頭を下げる、帝国貴族式の。
一瞬セヴァンは何をしたのかわからないようだったが、すぐに自分の胸に手を当てて返礼した。
それに後ろの仲間たちも続く。
素早い動作で伯爵が手をさげる。
顔を上げ、セヴァンに目と目を合わせた。
「改めて歓迎する、勇者セヴァンどのとその仲間たち」
「改めて感謝します、プリムス・アルブ=サージェル・アクインクムの伯爵・アルブム閣下」
「良い。今宵はそなたたちが主役だ。存分に楽しむが良い」
「ありがとうございます」
そばに、酒や飲み物を載せた台車を押して従者たちがやってくる。
ほかの来賓の人間たちのところにも。
ウァレリアがプリムス伯爵のそばに行き、ワインの入ったグラスを恭しく渡す。
ほかの従者が勇者一行にそれぞれ事前に指定した飲み物を渡していく。
セヴァンはリンゴジュース、ディエンはラム酒、テルンはイプスム・ビノムという帝国産のワイン、そしてルチフはオレンジジュースだった。
プリムス伯爵が会場の全員に酒や飲み物が注がれたのを見て、杯を高く上げる。
「勇者パーティどのの来訪とこれからの旅路の幸運に」
大きく息を吸う。
「乾杯!」
「「「乾杯!」」」
会場の全員が杯を上げ、あおる。
そしてそれは晩餐会の始まりの合図だった。
静かだった会場が、すぐさまにぎやかな喧騒に変わった。
パーティは始まったが、まだ主役と主催の挨拶は終わっていない。
セヴァンとプリムス伯爵の挨拶としての会話が始まる。
そして手の空いた他の仲間たちはプリムス伯爵に呼ばれるまで、来賓の貴族たちとの接待が始まる。
見たところ、帝国の貴族としてはプリムス伯爵のみのようだ。帝国臣民や士族などはいる。
やはりどれも帝国らしく明るい色で着飾っている。
「よろしいですか」
声をかけられてそちらを向く。
男性だ。白髪の混じった高齢の男性。格好からして帝国士族だろう。
ニコニコしていて好印象だ。
「どうも」
ルチフは頭を下げた。
「お会いできて光栄です、ルチフどの」
同じく会釈をして、グラスを片手に手を差し出してくる。
その手を握り、握手をする。
「わたくし、スプリウス・アンナエウス・カナと申します。お目にかかれて光栄です」
「こちらこそ、アンナエウス殿」
早速接待の始まりだ。
人間という、友好に基づく社会形態を持つ、地球上で唯一の知的生命体。
体験するのは百年ぶりだがうまくいくかな。
魔族の場合は友好とは程遠い。彼らはそもそも晩餐会などしない。
人間の形をしているのが不思議なくらいだ。
人間の体は野生の中を生きるには軟弱すぎる。
だが、魔族は人間の姿を取った。しかし中身は全く異なり、ただ知能と見た目だけが人間によく似ている。
魔族とは人間によくにているが、違う。そういう生物だ。
性格の悪い人間、と人間はよく捉える。
だが違うのだ。結果的に人間の倫理から見るとそう見えるだけ。
獅子と羊の関係がどう頑張っても違うのと同じ様に。
「わたくし、小さな頃から勇者さまたちを一目見るのが、夢でしてね」
ニコニコと笑いながら、アンナエウスは切り出す。
「小さい頃からの夢がひとつ、叶いましたよ」
「光栄に思います」
この星に生まれ落ちてこの方、光栄という感情を魔王は持ち合わせていない。
だが帝国の不文法がそう言えと告げているのだから仕方がないだろう。
「注ぎましょうか?」
アンナエウスがそこらの机を指差す。
「お言葉に甘えて」
空のグラスをかるく掲げてみせ、無表情にルチフは言った。
「何を飲みます?」
酒ののった机に近づきながらアンナエウスがいう。
「グリューラクをいただいても?」
グリューラクとははるか東の島の国から伝わった酒だ。
上品な味わいで、ワインと比べれば少し辛口であるが、繊細で嗜むように飲む事ができる。
本来グリューラクなどという名前ではなかったらしいのだが、帝国に伝わる過程で訛りになまってグリューラクとなったらしい。
確か、星星というような意味だったと聞いたことがある。
「ほう、お好きですな」
「あまり直接的な味は好みではありませんので」
「奇遇ですね、私もです」
アンナエウスは満面の笑みで、ルチフのグラスにグリューラク酒を注いだ。
そもそも魔王はあまり酔えない。酔おうと思えば酔えるのだが、今はそのような気分ではないし、酔ったところで、という感じだ。
「出発してから七ヶ月、というところでしたかな?」
アンナエウスはグラスの中の酒を飲み干した。
「はい」
ルチフはちらりとアンナエウスのグラスに目をやった。
これも不文法的な社交辞令の一つだ。相手に「これから酒を注ぎますか? と聞きますよ」という合図だ。
「お好きなものは?」
ルチフは社交辞令のとおりに聞いた。
「では、同じものを」
酒瓶をアンナエウスの方へ傾けると、グラスをこちらに差し出してくる。そこにゆっくりと、不文法で定められているちょうどいい量の酒を注いだ。
「カーパティア山脈を超えるのはお辛かったでしょう」
注がれた酒を一口のみ、アンナエウスは言った。
貴族にとっては、カーパティア山脈の山越えは拷問にも等しい苦行だろう。が、勇者パーティには弱音を上げるものなどテルンくらいしかいない。そのテルンも音を上げたとて実際に本当に辛いというわけではない。それこそ社交辞令のようなものだ。
ルチフは軽く首を横に振りながら答えた。
「いえ。冬を越した後で、天候にも恵まれたので、それほどは辛くありませんでした」
また彼の顔がくしゃりと破顔する。
「はっはっは、流石は勇者パーティ。山一つ越えても弱音すら上げないとは」
「恐縮です」
ルチフは社交辞令を発した。
うーむ。つまらない。
百年ぶりの社交辞令はうまく行った。少なくとも帝国のものは百年間あまり変わってもいないらしい。よくも不文律を百年も受け継げるものだ。下手をすれば言語や国家の変化よりも長く続くのではないか。
自分が社交辞令をまだまだ使えるという確認は終わらせた。それ以上に収穫はない。
この士族、スプリウス・アンナエウス・カナは気配から見ても、悪い人間ではない。しかし物事の暗い面も知っている男だ。
そして生まれながらの士族ではない。
物事の悪い面を知っていなければ、士族という身分は勝ち取れない。
一〇〇〇年続く帝国が、その中で文化文明を研ぎ澄ましてきたとはいえ、人間の汚い面を排除できたとは言えない。
汚い仕事は巨大な国家にはつきものだ。
帝国はその規模で他と比べれば奇跡的にそれが少ない方であるが、だからといって純粋で汚いものに無知な人間が特権階級を得られるような場所でもない。
そんな彼の人生譚でも語ってくれれば少しは楽しいのだが。しかし初対面の人間にそのようなことを話すのは、社交辞令的不文律には当てはまらない。
「それでは、私はこの辺で失礼いたしましょう。ルチフさま、勇者一行のお仲間がたと話したい方は他にいくらでもおりましょうから。わたくし一人で独占するわけにもいきますまい。それでは」
「ええ」
ぺこりとお辞儀をするアンナエウスに会釈を返し、ルチフの身はフリーになった。
伯爵の方へ目をやる。
セヴァンは話し終わり、ディエンとたむろしていた。
そこに、アンナエウスが向かっている。
というか他には誰もセヴァンに近づいていなかった。遠慮しているのか?
ということは、アンナエウスは切り込み隊長みたいなものか。
ルチフはグリューラク酒を一口あおった。
薄く味をまとったアルコールが口に入り、飲み込むと、舌の奥に少しの後味と辛味をのこして、胃へと流れていく。
その過程を魔王はじっくり味わう。
この嗜むように飲めるところが魔王は好きだった。
今伯爵はテルンと話していた。
耳を澄ましてみると、勇者パーティとしてではなく聖職者と貴族という立場で話しているらしい。
帝国の信仰するものとカルラーム王国の信仰するものは同じだ。あの女神を信仰している。
そしてその信仰の総本山はビタロス帝国の本土にある。そのため、テルンはそこを訪れたことがあるのだろう。
そしてその話もそろそろ終わりそうだ。次に呼ばれるのはディエンかルチフか。
プリムス伯爵がドワーフのディエンと最後に話すのはなさそうだ。まずディエンと話して、最後に人間であるルチフと話そうとするだろう。
――む。
その前に、もう一イベントあるだろう。
強大な力を内包した魂を感じる。
思わず笑みがこぼれる。
その魂の持ち主がこの部屋に入ってきたとき、そしてそのあとの出来事が起きたとき、仲間たちは各々の反応をするだろう。
それを見るのが楽しみだ。
その魂は、この世のどの魂よりも、起源からして純白だ。
なぜならば、女神によってそう定義されたから。
魂の高潔さと当人の性格は必ずしも比例しないが、どこか人格に魂の影響の片鱗が出てくる。
レーゼンはその一人だ。
何よりも高潔な魂を持つエルフは、かつてその魂の純潔を古代の人間に認められ、神に等しい扱いを受けた。
かつてはエルフが人類の頂点に君臨する時代があった。
その起源から女神の祝福を受けた人種、エルフによる王国が。
懐かしい。最初の百年、私は怒りに任せてそれを滅ぼした。
分裂した人類は各地に散らばり、それぞれの王国を作り、そのエルフの王国を継ぐものとして名乗りを上げた。しかしどれもエルフのように高潔にはなれず、人間同士で醜い争いを繰り広げ、もしくは魔族の侵攻を受け、ほとんどが滅んだ。
そのエルフの王国の流れをくむ最後の国が、ビタロス統一帝国。
かつてのエルフの王国に倣い、人類の再統一を願う帝国。
だから、彼らは、彼らが最も敬意を払う女神から、最も祝福を受けたその種族を愛さずにはいられない。
彼女が受けた熱烈な歓迎とは、このことだ。
その最も高潔な種族の末裔が、扉一枚隔てたところに立っていた。
扉が開かれる。
ざわり。
一瞬大きな喧騒が起き、それが静まると、だれも口を開かなくなった。
純白のアングレスドレスに身を包んだ、尖った長い耳のエルフがそこにはいた。
それは、この場にいるほとんどの者が、女神のように崇めて来た存在。
この場において、おそらくはプリムス伯爵よりも高貴な存在。
その瞬間、会場の全ての人間が膝をついた。
勇者一行と、プリムス伯爵を除いて。
跪く全ての人間が、恐れと敬いを心に宿していた。
それは、光栄の一言で表せる。
「――――我が帝国の偉大なる祖先の末裔よ」
伯爵が口を開いた。話していたテルンはどこかへいなくなっていた。
それにお構いなしと、レーゼンは赤いカーペットの上を歩いてくる。
場の多くの人の気配がそれに見とれていることを表していた。
ぴたり、と、途中でレーゼンが足を止める。伯爵の挨拶に付き合う気はあるようだった。
しかし、顔と体は伯爵を向いているものの、目はカーペットへと落とされている。
「この世でもっとも高貴な魂を持つ存在よ」
プリムス伯爵が、ゆっくりとレーゼンに近づいていく。
セヴァンは、驚愕に目を見開いていた。
「レー……ゼン?」
うわごとのようにつぶやいている。そして、周りに跪く人たちをきょろきょろと眺めていた。
ディエンまでも、この事態で何が起こっているのかわからないようだった。いつもはほとんど崩さない表情に焦りが見える。
テルンだけ事情を知っているのか、複雑そうな顔をしながらも、端の方に立っていた。
伯爵がレーゼンの前で足を止めた。
そして、伯爵が、レーゼンに頭を垂れ、跪いた。
胸の紋章宝玉に手を当てながら。
セヴァンの魂が大きく揺らぐ。
「なっ……」
伯爵の純白の服が地面につく。
それで汚れが付くかもしれないということに躊躇を少しもせず。
エルフの前では、この帝国貴族の白い服も、ただの見栄っ張りだと言わんばかり。
「ご拝謁に賜り、光栄の限りでございます。レーゼン様」
レーゼンの口が開く。
「――――あなたの敬意と歓迎を受け入れる。プリムス・アルブ=サージェル・アクインクムの伯爵・アルブム――――」
傍から聞けば、静かで清廉な声。
仲間から聞けば、ひどく悲しそうな声だった。
「はっ――――」
まるで家臣のように、高貴な帝国貴族は返事をした。
「レーゼン様のご厚意、恐悦至極に存じます――――」
レーゼンが右手の甲を差し出す。
プリムスはそれを手に取った。
そして顔を上げ、それに接吻する。
セヴァンとディエンの魂がまたも大きく揺らいだ。
プリムスが静かに立ち上がる。
「どうか今宵は、最後まで」
それは社交辞令のセリフ一つ。そして唯一の人間からエルフへの要求。
「受け入れよう、プリムス・アルブ=サージェル・アクインクムの伯爵・アルブム」
エルフ請待の辞が終わった。
最後に伯爵はレーゼンに敬礼をして、レーゼンを社交儀礼から解放した。
すべての人は、レーゼンに意識が行っていた。
誰も勇者たちに話しかけようとしなかった理由が分かった。
女神の眷属たる彼女を差し置いて、先に人間に挨拶するなど、おこがましいと思ったからだ。
レーゼンは虚ろな目で視線を落としていた。
セヴァンには、責任と特権の話をしたが、レーゼンには取るべき責任などなかった。
ただ神の眷属として存在するだけで、人々は崇め奉る。
エルフとはこの国において、そういう存在だった。
それを知らなかったセヴァンは、その事実にただ立ち尽くすほかなかった。
Op




