帝国貴族(ノビリタティス)
マジか、と勇者セヴァンは思った。
セヴァンは平民の出身だ。それも帝国から見れば田舎も田舎、カルラーム王国の。
帝国の支配領域はカルラーム王国の何倍倍にも及ぶ。大陸の大半を支配する、文句なしの超巨大国家だ。
正式な名を、ビタロス統一帝国。
国力と文明力はいわずもがな、一〇〇〇年続く歴史と文化は、帝国を力だけではない由緒正しき国であることの裏付けをしている。
良い歴史があれば、悪い歴史もある。
巨大帝国である帝国の支配を裏付けるものはその強大な軍事力のみ。
数々の戦争を成し、多くの血を流し、帝国の勢力図を塗り上げてきた。
帝国は、帝国として成立して以来、その歴史において一度も敗北を喫したことがないという。
ただ広がり続けるその土地には帝国の首都から貴族が封され、帝国の支配を盤石なものにするために動いている。
もちろんそれは一枚岩ではない。なかにはその地の統治者としての理念を忘れるものもいる。ただ私腹のために民を動かすもの、我欲のために民から奪うもの、私利のために厳しく町を治するもの。
帝国の圧倒的な力を背景としているために、誰も口も手も出せない。
これならばまだ良い。未だ封建的な国は多くあり、上の問題はそれにどこでもつきまとう問題の一つだからだ。
人間の常だが、それがたとえ良いものであったとしても、強大すぎると恐れが生まれてしまう。
セヴァンは今それだった。
何人もの衛兵に囲まれながら、勇者一行は橋をわたっていた。ダヌビウス川をまたぎ、ブダー町とペシュト町をつなぐ橋のひとつである。
そこから、ブダー町の連なる建物の向こうの高地に、城があるのが見えた。他の家々と似た赤い屋根の様式の、しかし比べ物にならないほどの大きな城だった。
ビストリタ町の中心部にも城があった。しかしこれと比べてみれば、あれはちょっとした塔のようにも見えた。広さはその数倍ほどある。この城は一つで町の区画の一つを占めるほどの大きさだった。
あそこに帝国から封された貴族がいるのだろう。
セヴァンの表情が思わず固くなる。
ビストリタ町のファルイ・ビストリタはいい人だった。町の人々にも大いに信頼されていた。あの人は準貴族だがそもそもあの町で生まれ育った人であり、王国から派遣されてきた人ではない。そもそも準貴族という地位も彼が人生の途中で授かったものだ。生まれながらの貴族でもない。
今回はすべてが逆だ。
おそらく生まれながらの帝国貴族。階級は伯爵。帝国ではどのような役職の位置づけなのかははっきりしないが、上から三番目の貴族階級。生まれながらの貴族だろう。
果たしてなぜ呼ばれたのか。説明は受けていないし皆目検討もつかない。なぜか厳重に護衛がかかっている。
いや、これは自分たちのための護衛ではなく、貴族のための護衛なのだろう。とセヴァンは思った。
自分たちが貴族のご尊邸に行くのに、粗相をしないように。
他国から来た冒険者パーティであり、一応それなりの戦力でもある者たちを警戒しない訳もないだろう。
セヴァンはそう結論付けた。
振り返ってみると、テルンが堅い顔をしている。レーゼンやディエン、ルチフはなぜこのような状態でも平然としていられるのか不思議だ。
話でもして気を紛らわせたいけれど、そんな雰囲気じゃない。
誰も一言も発さず会話のできない道歩きは、ひどく長く感じる。
橋をわたり終え、ブダー町に入る。
そこからの道は直接視界の向こうの城につながっていた。
高地に堂々とそびえる広大な城を見上げる。
道行く人々が、なんだなんだとこちらを見てくる。
ひどく長い時間が経ち、勇者パーティはそれを取り囲む衛兵と共に、城の門の前にたどり着いた。
ビストリタの城と違って堀はなく、背の高い石の壁に囲まれていた。そこに大きな金属と木の門がはめ込まれている。
門番によって門が開かれる。
衛兵が進み、勇者たちも進む。
城の中に入ると、そこは大理石の摩天楼だった。
どこもかしこもが白く滑らかな石で構成され、地面に敷かれた、果して平民が踏んでもいいのだろうかと言う絢爛豪華な真紅のカーペットが敷かれている。
廊下にならぶ調度品は、それをのせる机までもが一目で一級品だとわかり、高い天井から吊り下げられるシャンデリアは外からの光を乱反射して美しくキラキラと輝く。
どうしても顔を動かしてそれらを見ずにはいられなかった。
それがどれだけの価値のものなのかはわからなかったが、少なくともセヴァンが一生を粉にして働いても一つも手に入れられないほどのものであろうことは予想できた。
「止まれ」
前を見ていなかったセヴァンは驚いて足を止めた。
兵が大きな扉の前で立っていた。
「勇者一行殿。これよりプリムス伯爵閣下からご拝謁賜る。くれぐれも無礼のないように」
「はっ――はい」
「分かりました」
「…………」
「…………」
「はい」
勇者、聖職者、魔法使い、戦士、自然冒険者の順である。なぜか二人は黙りこくっていた。
そばに付いていた全ての兵が横にはけ、その扉の側に居た二人の兵が扉に手をかける。
ゆっくりと扉が開けられた。
そのむこうに広い空間が見える。
そこはまるで、王の玉座の間のようであった。
広い空間の一番向こう。
三段ほど高い位置に、玉座があった。
そこに座る若い人間は、白かった。
白い装束、長く白い髪、これまた色白の淡い肌。
おそらくその身も潔白なのだろう。
セヴァンは帝国の貴族は総じて美しいと聞いたことがある。その通りだった。
玉座におはします者は、勇者へその唯一黒い双眸を、少しもずらすことなく向けていた。
そして勇者も、気づけばそれに目を合わせていた。
「行け」
その横でささやく声に、セヴァンは我を取り戻し、足を進めた。
中程ばかりまできたところに足を止める。
「礼を。名はプリムス・アルブ=サージェル・アクインクムの伯爵・アルブム閣下だ」
先程から一人でセヴァンの近くについて命令を出す兵が言った。
膝をつき、頭を垂れる。
「お目にかかれて光栄です――――プリムス・アルブ=サージェル・アクインクムの伯爵・アルブム閣下」
セヴァンはなんとか間違えずにその名を口にした。
もし間違えていたら貴族の名前が長いことを一生恨んでいたかもしれない。
それに当たり前だが、名前がビタロス帝国風のものになっていた。やはり生まれながらの帝国貴族なのだろう。
「勇者、セヴァンと申します」
「聖職者のテルンです」
「魔法使いレーゼン」
「戦士ディエン」
「自然冒険者のルチフと申します」
同じ様に後ろで跪く仲間たちが名前を言っていく。
そこでセヴァンは、この目の前の貴族がルチフとは真反対であることに気がついた。肌以外とにかく黒いルチフに対して、この貴族はとにかく白かった。
「良い」
凛とした声が、空間の中に響いた。
そこでセヴァンは思わず目を上げた。
玉座に坐すこの貴族は、ただ美しい。なぜ貴族とは皆この様に美しいのかと思う。そして、男性のようにも、女性のようにも見える。つまりどちらともとれるほどの、中性的な美形だ。
しかし女とは思えないほど背が高い上に、その体は凹凸がわからない白い貴族装束で着飾られている。
だからセヴァンは性別をきめあぐねながら、無意識のうちに、とんでもない思い違いをしていた。
てっきりこの帝国貴族が男だと思っていたのだ。
よく目を凝らすと、確かに、胸のところにほのかな膨らみが確認できた。
「面を上げよ」
セヴァンはそう言われる前に顔を上げてしまったのを少し恥じた。
「勇者セヴァンとその一行の随伴者たち」
大きな声を出しているわけではない。しかし、よく耳に届く声だ。それになぜか心地よく感じる。
「よくぞ参った。歓迎する。長きに渡る旅ご苦労だった。疲れも溜まっていることだろう。今は、よく体を休めるが良い」
えっ?
セヴァンは戸惑った。
そのために呼ばれたの? いやそんな訳はない。じゃなきゃ、こんな場所にわざわざ招かれないはず。
いやもしかしたら、これが帝国貴族流の礼儀なのかもしれないが……?
「サルヴス、案内せよ」
「はっ――――」
伯爵閣下――プリムス伯爵が、側に侍る従者に命令を下す。
そのサルヴスと呼ばれた女性が玉座の側から離れ、勇者一行の側に近づいてくる。
その代わりに、先程までセヴァンをガイドしてくれた兵士が下がる。
「こちらへ」
サルヴスは礼をし、静かに勇者一行を案内する。
勇者たちは玉座の間を出、また廊下に出た。
バタリと背後の扉が閉まると、不意に一気に肩の力が抜けるのを感じた。
想像以上に緊張していたようだ。
カルラーム王の謁見を賜ったときよりも緊張した。
「お疲れ様でした」
少し歩いたところで、サルヴスが足を止め、くるりと振り返ってくる。
黒い髪に青い目をした女性だった。
「ああ……ありがとうございます。サルヴス、さん?」
セヴァンが言うと、その女は少し目を見開いた。
そしてふふっと微笑む。なんだか可愛らしかった。
「わたくしはサルヴスですが、名前ではありませんよ」
「えっ? それはどういう……?」
名字だったりしたのだろうか。帝国の文化圏だと名字で人を呼ばないとか? でもプリムス伯爵のプリムスは名字だしな。
「セヴァンさん」
後ろからテルンがたのしそうな笑みを浮かべ、話しかけてきた。
「サルヴスというのは、帝国語で従者の事を言うんですよ」
「マジ?」
「大マジです」
ふふっ、と、名前のわからない女従者が笑う。
「そのとおりです。私の本名は、プリマウァレリア・ニグルムと良います。周りからはウァレリア、とよばれております」
「セヴァンさん、帝国の人の名前は、名前・氏族名・家族名で構成されます。女性の場合は名前にあたる部分を持たずに氏族名を変化させてする場合が多いです。最近は名前を持つ女性も多いですが」
「そうなんだ…………帝国のことは全然知らないな。よろしくお願いします、ウァレリアさん」
「ええ、よろしくお願いします、セヴァンさま」
ぺこり、とウァレリアは礼をして、踵を返し、また歩き始めた。
「それにしても、お聞きした通りの博識でございますね、テルンさま。いえ、ヴェドラージュ・テルンさま」
歩きながら、ウァレリアは言う。
「えっ?」
セヴァンがすっとんきょうな声を上げた。
「知り合いなの?」
「私って結構有名なんですよ? 知りませんでしたか?」
「ええ。テルンさまは有史以来の屈指の天才として、帝国にもその名は届いていますよ。その身一つで聖域を操り、しかもその規模は町ひとつをおさめられるほどだとか」
「いや〜、それほどでもあります」
聖職者らしくなく褒められて喜ぶテルンをセヴァンは複雑そうな顔で眺めた。
ディエンもじとりとした目で彼を見る。
レーゼンはやはりいつも通り興味なさそうにしていた。
しかし実際そうなので誰も文句は言えない。龍と戦ったとき、クリューヴと戦った時に展開してみせた〚聖域〛は町一つと言わずとも、小さな集落くらいなら包み込めそうな程の規模だった。どれも即席の展開だったので、本気で展開しようとすれば本当に町一つの規模にできるのかもしれない。
「確か、マジェスタスインペラトル……失礼、皇帝陛下の謁見に拝したこともあったのでしたよね」
「あれ本当だったんだ……」
貴族の謁見であれほど緊張したのだから、皇帝陛下相手ならばどうなるのだろうか、とセヴァンは思った。
廊下の角を曲がり、階段を上がる。そこにもカーペットは敷いてあった。
なんでこうも貴族はカーペットの上を歩きたがるんだろうか、とセヴァンは思った。どちらにせよ靴履いてるんだから別に良くないか?
「失礼ですが、一つよろしいですか?」
ウァレリアがまた口を開く。
「なんですか?」
セヴァンが返事をする。
「セヴァンさまは、人間ではないお仲間を多く連れていらっしゃるようで」
レーゼンとディエンのことだろう。
セヴァンは後ろをちらりと振り返る。
「わたし?」
レーゼンがセヴァンの視線に気がついたように言った。
どうやら全く話を聞いていなかったようである。
「エルフは初めて見ました」
それにレーゼンが反応する。
「数が少ないうえにあんまり外出たがらないからね。放浪してるのは私くらいのものでしょ」
「帝都では苦労しませんでしたか?」
「熱烈な歓迎を受けたよ」
「つまらないことをお聞きしましたね。失礼いたしました」
「一〇〇年も前のことだよ。今更気にしてないし、歓迎してくれた人はもう殆ど死んでるから」
「そうでしたか」
少しして、ウァレリアが足を止めた。
「こちらが勇者ご一行様がたのお部屋です。人数分用意しております」
恭しく頭を下げ、案内をする。
廊下の先に連なる五つの部屋それぞれが、勇者一行の個人個人のための部屋なのだろう。
「一つ聞いていいかい?」
セヴァンが言った。
「なにでございましょうか?」
「こんなに素晴らしい歓迎を受けて申し訳ないんだけど…………。なんでこんなに歓迎されているか、分からなくて」
ウァレリアは微笑む。
「それは、あなた方が勇者さまとそのお仲間さまたちだからでございます」
「それはどういう……?」
「帝国は、歴代の勇者さまたちに、大変なお世話になっているのですよ」
釈然としないセヴァンにテルンが口を開く。
「セヴァンさん、一度歴史書を勉強したほうがいいですよ」
「どういうこと?」
「なんか歴史上にあったのか?」
セヴァンに続いてディエンも聞く。
「一〇〇〇年前の勇者レヴァードを筆頭として、帝国は勇者の協力によってその存亡の危機を幾度も乗り越えているのですよ。これくらいは一般常識だと思いますが」
「そのとおりです」
ウァレリアは首肯した。
「一般常識かどうかは存じ上げませんが。今はぜひ、それに基づくプリムス閣下のおもてなしをお受けになることがよろしいかと」
そう言われて、セヴァンは大人しくご厚意にそうことを決めた。
それでも自分が帝国を救った英雄と同じ扱いを受けるに足る人間であるとは、まだどうしても思えなかった。
Linguam Latinam nimis difficilem esse sentio.




