エルフと、古本屋に行く魔王
「……ここは?」
ルチフはその場所の看板を見上げた。三階建ての、ありふれた民家のような場所であったが、その看板によると、そこは「古本屋」のようであった。
「見ての通り、古本屋だよ」
レーゼンはそっけなく言った。
「気になる本がないか、見てみようかと思って」
「そうですか」
低い階段を上がって、ドアを開ける。澄んだ鈴の音とともに中の様子が目に入ってくる。
暖色と木の色のまさに古本屋という感じの場所だった。レーゼンがドアを閉めるとそこは完全に外の空間と隔絶された別の場所であるかのようになる。
「あら、いらっしゃい」
店の奥の受付に白髪の少し腰の曲がったおばあさんがいた。目が少し細いが、物腰や雰囲気はものすごく柔らかく見える。人間の年の功というやつだろうか。どうも寿命の短い人間の人格の変化は早すぎる。
するとレーゼンが単刀直入に行った。
「ここに魔導書はありますか」
魔導書とは、その名の通り魔法に関することの書かれてある書物だった。ほとんどの魔導書は、文量にこそ差があるものの、ほとんどが一冊まるまる使って一つの魔法について書かれている。魔導書一つ読めば、熟練の魔法使いであればその魔法が使えるようになる。
「あら、珍しいわね。魔導書を買い求めるなんて、お二方は魔法使い かしら?」
「いや、私が魔法使いで、こっちは……何かな。便利屋というか……お助け要員というか……」
特に馬鹿にしているというわけではない。ただ本当にルチフには決まった職業がない。その上この一週間で、役に立ったことといえば、川の魚の取り方とか、蛇の出ない寝床の選び方とかだった。本当に便利屋とかお助け要員という呼び方の方が似合っているくらいだった。
「自然冒険者です」
ルチフは自分の今の立場を言い表すのに最も良い単語を選び出した。勇者パーティーにいる以上は全員が冒険者であったが、その中でも自然でのサバイバル技術などの専門家であるということを示していた。まあ意味的には便利屋というニュアンスがあるのは変わらなかった。
「あらま、そうだったの。ということは、冒険者のパーティーのお客様ね。ちょっと待ってね、今奥から魔導書を持ってくるから」
そう言って 店主は店の奥へと引っ込んでいった。
「ルチフはなにか欲しい本とかある?」
待ってる間に静かになった古本屋で、レーゼンがルチフに話しかける。
「ありませ――いえ、ひとつ気になるものが」
ルチフの知識は魔王の知識。ほとんど知らぬものなどなかったが、それでも最近の情報はどうしても、遠く離れた地の魔王の耳には届かない。
「何が気になるの?」
「歴史書です。魔法の歴史や最近の出来事について興味を持っているので」
歴史書や魔導書などは、かつての部下たちが盗んできた戦利品などにいくらでもあったが、しかしそれは中央から離れた周辺諸国の、さらに周辺の、しかもそれほど新しくないものだった。
中央諸国の情報や、その土地で書かれた新しい歴史など、知ろうはずもない。特に中央諸国の最新の魔法の研究成果などは魔王の耳に入りにくい。その成果は、いつも自分の部下たちが、手痛い目にあって帰ってくる時に耳に入る。
「へえ、そうなんだ。そのなりで……」
そうやってレーゼンは背の高いルチフの顔をまじまじと見つめた。
ここで初めて、ルチフの格好を具体的に描写しよう。
一言で言い表せば、肌以外が黒、であった。黒い、軽くリーゼントヘアになった髪。黒い鎧にその下に黒い服。高身長でしかもそれなりに筋肉質な体。よく言えばハンサム、悪く言えば低く抑揚のない声。
彼を見てイメージカラーが黒ではないと答える人は、まあ世界中のどこを探してもいないだろう。それら全てを脱げば死人のように白い肌が覗いているのだが。
「最初からずっと気になってたんだよね。何で敬語使ってるの?」
つまり要約すると、とても敬語を使うような格好には見えないらしい。
随分と遠慮のないエルフである。
しかしその表情や抑揚から、全く悪意のないことが伺い知れる。人間が少し堪えるところを、少し口に出しているだけなのだ。
「礼儀は大切だと思いまして」
「ふーん……」
「あらお待たせ。冒険に役立ちそうな魔導書、ちょっとしかないけど持ってきたわよ」
店主のおばあちゃんが、三冊の本を胸に抱えて持ってくる。
「ほら、こっちへいらっしゃい」
二人は言われた通りに受付台の方へ歩いて行った。おばあちゃんはそこに三冊の本を横に並べた。
「体を洗浄する魔法、毛穴のケアを保つ魔法、寝床に虫が寄り付かないようになる魔法……」
レーゼンがそのタイトルを口に出してつぶやいた。
随分とマニアックなものあるんだな、と魔王は思った。
「毛穴のケアを保つ魔法は知ってる」
知ってんのかい、と魔王は思った。
「あら、そうなの?以前にもこの店にいらしたことがあったかしら」
「うん、だいたい六〇年ぐらい前だったかな」
六〇年といえば、三〇歳くらいの人間の体感時間にすれば、六ヶ月から六年くらいの時間間隔である。
だからレーゼンはこの古本屋にまっすぐ向かったのだ。
すると、おばあちゃんが少しハッとしたような表情をする。
「あら、もしかして……何だったかしら、レーズンさんかレーザンさんか……」
「惜しい、レーゼン」
「ああ、レーゼンさん!」
どうやら一度面識があるようだった。
しかし人間にしては六〇年前のことをよく覚えているものである。
「随分と年を取りましたが、覚えてますか?」
そう言っておばあさんはレーゼンをじっと見つめた。
レーゼン口元に手を当てて右上を見て、何か思い出すようにする。
「あー、あの時の……何だったかな、当時冒険での肌のケアに困ってた私に、自分もにかけるっていう条件で魔法を売ってくれたあの女の子か」
するとおばあちゃんは嬉しそうに微笑む。
「ええ、その通りです。私はシェーレと申します」
「ごめん、 名前までは……」
「いいえ、良いのです。お気になさらず。それより、レーゼンさん、あれからお肌の調子はどうですか」
おばあちゃんはにこりと微笑みかける。
「おかげであれからいい感じだよ。あの魔法のおかげで一週間お風呂に入れなくても全然大丈夫だった」
「そうですか、それは良かった。ではこれらの魔導書はどうしますか?」
するとレーゼンはこの時初めてにこりと微笑んだ。
「もちろん、全部もらってくよ。これから長い旅になるからね。それにしてもいい時代だね。体を洗浄する魔法、寝床に虫が寄り付かないようにする魔法か……ちょうど欲しいと思ってやつだ」
そう言ってレーゼンは懐から手のひらサイズの包みを取り出した。レーゼンはそれを開いて本を買うのに銀が足りるかどうかを数え始める。
すると、その途中で手を止めた。
「一枚足りない……」
一〇〇〇年以上の時を生きたであろうエルフでも必ずしも金を持っているとは限らないようである。とは言ってもルチフも金を持っているわけではない。
魔王城を抜け出す時に国庫から純金を一キロほど持って出たが、中央諸国での戸籍取得と住居購入、その他生活用品もろもろの購入のために、使い尽くしてしまった。ちなみにおかげでカルラーム王国の金の価値が一割ほど下がった。
するとおばあちゃんがまた微笑んだ。
「では、その魔法をまた私にかけてくださいますか。そうすれば、銀貨一枚をまけます」
「よし、乗った」
そう言ってレーゼンとおばあちゃんは店の奥に引っ込んで行った。取り残されたルチフは特に何をするわけもなかったので、歴史書と魔法書を探すために店の中を物色した。
ちなみにルチフの持ち金はレーゼンの倍程度だった。なのであまり大きな買い物はできない。
『近代魔法学』、『近代魔法史』、『一冊でわかる!中央諸国の歴史』。こんなところだった。同じ三冊でもお値段は魔導書よりも二割ほど安く済んだ。
このような多くの人が買いそうな書物は税が安かったりそもそもどこの書店でも取り揃えているから安いかもしれない。それにここは古本屋だったのを思い出した。となるとあの魔導書も定価より数段低い価格で売られているはずである。なるほど、持ち金が少なかったから、レーゼンはこの店に入ったのか。
パラパラと三冊の本を順にめくる。何百何千何万の情報の本流が次々に脳を駆け巡る。十数秒後、ルチフはその一言一句すべてを記憶していた。
パタン、と本を閉じる。感想としては、最初の二つの魔法書は良かったが、最後の『一冊でわかる!中央諸国の歴史』は内容が漠然としすぎてて分からなかった。
しかしあれだけ苦労して手に入れようとしていた歴史書がこれだけ一瞬で記憶できるとは皮肉なものである。とりあえず歴史書はまた別の内容が詳しいものを探すことにした。
ルチフが本を物色し始めてから、おおよそ三〇分が経った。これだけ長い時間かかるとは思わなかったもので、結局店中の歴史書を全部読んでしまった。
するとそれから数分後ようやく二人が店の奥から姿を現す。
そこにはお肌がツヤツヤになったおばあちゃんと、ひとっ風呂浴びてきたかのような湿った髪のレーゼンがスッキリしたような顔で出てきた。言葉通り魔法を試してきたようである。
「待たせたね、ルチフ。行こうか」
その胸には二冊増えた五冊の魔導書を抱えていた。
「この三冊、お願いします」
「あら、どうも」
ルチフはそれを受け付け台に出した。前半二冊は同じものだったが、最後の一冊はかなり古く分厚い『中央諸国全史』だった。どれくらい厚いかと言うと、人間の顔ぐらい厚い。
「こんなに分厚いもの持っていけるの?」
レーゼンが訝しげに言う。
ルチフは代金を払いながら答えた。分厚すぎる本は売れないのか、最初のものより少し安く済んだ。
「魔法でなんとかします」
「そう。やっぱり使えるんだ、魔法」
「はい、これからの旅も頑張ってね」
おばあちゃんがルチフに本を重そうに手渡した。
「ありがとうございます」
「勇者パーティーなんですって? 本当に気をつけて、頑張ってね。またよければ顔を見せてね」
そうやっておばあちゃんは得意の笑顔を顔に浮かべた。
「はい、ありがとうございます」
そうやって二人は店から出た。
太陽は少し傾いており、人々の往来も少し多くなったような感じがする。昼時だからだろうか。
道を歩きながら、レーゼンがルチフに問いかける。
「どんな魔法が使えるの?」
顔はルチフの方には向けなかった。
ルチフはそっちに顔を向けて答えた。
「色々使うことができます。収納魔法であれば、ちょっとしたものを収納することはできます。もちろん限界はあります」
「ふーん。魔導書とか読めるの?」
「物によりますが、おおむね読むことができると思います」
「魔法を使っての戦闘はできる?」
「ほどほどですが、身を守るくらいなら」
「ふーん。珍しいね。見た目的にはとてもそうは見えないけど。どうやって魔法を習ったの?」
そう聞かれてルチフは少し逡巡した。
「きっかけは独学です。それから何人かの人々に教えてもらったり、話し合って研究をしたり。そんな感じです。体系的な学習をしたわけでありません」
「そうだよね、それなら魔法書を買ったりはしないよね。でも、じゃあ何で今まで、一回でも魔法書を買おうと思わなかったの?」
「つい先日まで私は中央諸国にいませんでした。南の辺境の地だったのです。そこではとてもまとめられた魔法の書物などは手に入りませんでした。だから独学しかありませんでした」
「最近中央諸国に来たの?」
「はい。ほんの旅の出発の五日前ほどでしょうか。その後旅が始まる直前に、引っ越しの整理が一段落ついたのです。それで日銭を稼ごうとギルドに行っていたら、あなた方勇者パーティー と出会ったのです」
「それって、今家は大丈夫なの?」
「出発の前に一応整理はしましたので、大丈夫かと」
「何年も帰れないかもしれないのに?」
「エルフのあなたならわかるでしょう。数年とは短いものです。 数十年であっても、数百年であっても、今この瞬間は、今この瞬間でしかない。何が起ころうと、一〇〇億年の積み重ねがあったとしても、今この瞬間しか存在しないのです」
「そうだね。その通りだ」
街の中心の広場が見えてきた。そこには噴水があり、子供達が遊んだり、大人たちが散歩をしている憩いの場となっている。
そこに、見覚えのある二人が立っていた。セヴァンとディエンだった。それぞれ荷物を持ちながら、何かを話している。
「ああ、レーゼン、ルチフ」
勇者セヴァンがこちらに気づく。その腕には果実の入った袋や肉などの食料が抱えられている。一週間ずっと野宿だったせいで、王からもらった一週間分の路銀は今日のために贅沢に使うことができた。
ディエンの手には、サビのついたボロボロの長剣が鞘から抜かれた状態で乗っていた。どうやら鍛冶ギルドで鍛え直してもらうことはできなかったようだ。
「ちょうど今後の方針について話し合っていたところだ。まずはテルンのいる宿屋を探そうか。みんなも一緒に、まずは美味しいものを食べよう」
Take care of your body :-)