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どこか深いところから

 どこか深いところから引き上げられるように、セヴァンの意識は戻ってきた。


 ――――苦しい


 肺の外に紙やすりが一枚入っているのか、呼吸するごとに胸骨と肺自体がひどく痛む。


 そもそも酸素が足りない感覚がするのに、深呼吸をしようとすると軋む肋骨がそれを阻むのだ。


 ひどく長い間寝ていたような気がする。頭がなにかに常にはたかれているかのように定期的に痛む。


 それと連動しているようにはねる心臓だけが、いつもと変わらない様子で動いていた。


 目を開ける。ひどく懐かしい光が網膜に飛び込んでくる。それによって頭がズキズキと痛んだ。


「うっ」


 声を出そうとすると、かわりに一瞬つまり、すぐに咳き込んだ。それと一緒に頭も肺も肋骨も痛んだ。それで刺激されてさらに咳き込みが止められなくなる。


「げほげほっ! げほっ! がはっ!」


 セヴァンは寝床の上で跳ねた。

 内科器官だけでなく、体じゅうの筋肉や骨もいたんでいた。


 自分の体に何が起こったのかわからない。そもそも自分は一体いくら寝ていたのだろうか?


「がはっ! はあっ! はあっ……はあ…………」


 ひとしきり咳の波がおさまると、セヴァンは体じゅうを今度は倦怠感が襲ったのを感じた。


 そして自分がどうやら寝床の上にいて、木の天井を眺めている事を認識した。窓の側のベッドに朝の光が差し込んでいるらしい。


 体を起こそうとすると、腹筋に激痛が走り、それ以上力をいれることを許さなかった。どうやらひどい全身筋肉痛に見舞われているようだった。


 比較的被害が軽微な左手を寝床につき、なんとか体を押し上げる。

 頭の位置が高くなっていくにつれて、脳に血液が不足したのかズキズキと更に痛みが増していく。


 ――――一体どんな運動不足になってしまったんだ、僕は


 頭を起こしてしばらくすると、人間としての習慣が戻ってきたのか、頭がある程度冴えてきた。


 ――――ああ。そうだ。確か、魔族と戦っていたんだ。


 セヴァンは自分が倒れる原因となった戦いを思い出した。


「はあ…………」


 それにため息をつく。


 セヴァンはあの戦いが嫌いだった。あまり思い出したくないらしかった。思い出しかけていたものをすぐに断ち切る。


 かわりに首を動かして、自分がいる場所の把握に努めようとした。


 けっこうなボロ小屋だった。直ぐ側の窓ガラスや床に目立った汚れやホコリなどはそれほどなく、手入れ自体はされているようだが、家自体が古かった。


 そもそも、僕はなんでこんなところで寝かされているんだ…………?


 窓の外を眺めてみると、道の向こう側の家々が目に入る。どれも石やレンガでできているように見えたが、セヴァンがいるような大部分が木でできている家はほとんど……いやまったく見当たらない。


 それに、町自体もものすごく静かだ。朝だと言うのに誰がいる気配もないし、レンガで敷かれた街道の隙間からは雑草が生え、大きくひび割れているところもある。


 家の向こうに見える、大きな山や背の高い石垣のお陰で、どうやらここがあの町であることは分かった。そう言えば町の名前はまだ知らなかったっけ? とセヴァンは思い当たった。


「…………どうしよっかな」


 セヴァンは困った。


 自分をここまで運んで寝かせてくれた人はここにはいなさそうだ。

 ベッドから降りて歩くにはかなりの痛みがつきまといそうだが、歩くだけならば大丈夫そうだ。寝室の外の何処かの部屋に、自分がお礼を言うべき相手がいるかも知れない。


 そう言えばあの魔族はどうなったのか。クリューヴだったかな。自分が生きてこの町に寝ているということは、仲間たちが追い払ってくれたのか、もしくは倒してくれたのか。自分で考えてもわからない。仲間に詳細を聞きたかった。


 まずは起きるか…………。


 セヴァンはかけ布団をよこへやり、ベッドから足をおろした。筋肉痛に軋む全身に顔をしかめるが、両足を地面についた。


 立ち上がろうと痛む腹筋と腿を意識していると、そこで自分の服装に気がついた。いつもの、冒険用の服じゃない。誰かに、多分自分を寝かせてくれた人によって着替えさせられたのか。いつも服の下に着る簡素な下着を身にまとっていた。十分部屋着としても使えるものだ。


 痛む腹筋と腿に力を入れ、ブルブルと震えながら立ち上がる。今の身体には立ち上がるのだけで重労働のようだった。ベッドの一部に掴まってようやく立つことができた。


 普通に歩くと痛いので、摺るように少しずつ足を運びながら扉に向かう。痛む腕を伸ばしてノブに手をかけ、開ける。


 どうやらリビングのようだった。ボロいが机や棚などの家具のようなものもある。長い間誰も使っていないように見えるのに、しっかりと手入れされてきれいになっているのが少し奇妙だった。


 右側には奥の、恐らく台所に繋がる扉が一つ。左には恐らく出口への扉が一つあった。


 台所から、何やら音がしている。人がいるようだ。

 どれだけ寝ているかわからないが寝すぎたせいか、なぜか人と合うのが久しぶりに感じられて、ドキドキする。そもそも居候状態の身なのもあるかもしれない。


 右の扉に近づき、ノブに手をかけて開ける。やはり人影があった。


「あの〜…………すみませーん」


 遠慮がちにセヴァンは声をかけた。恐らくこの家の主である人間はセヴァンに背を向け、棚の前にしゃがみこんでいた。


「ん?」


 すると、その男がセヴァンを振り返った。


 それはセヴァンにとってとても良く見知った顔の一つだった。


「テルン!?」


 セヴァンは思わずその名を呼んだ。

 茶褐色の髪に聖職者の装束。トレードマークのメガネ。間違いようもなく、僧侶職のテルンだった。


「セヴァンさん!」


 テルンも同じく声を上げた。その声はかなり嬉しそうだった。

 その場から立ち上り、セヴァンに近寄った。


「やっと起きられたんですね! 体調のほどはどうですか!? 一週間以上も寝ていたんですよ!」


 テルンはセヴァンの手を掴み、彼の体中を眺め回していた。


「僕は一週間も寝ていたのかい!?」


 セヴァンは驚いて聞き返した。


「そうですよ! でも無事に起きられて良かったです! まあ色々と検査が必要でしょうが……とりあえず良かったです」

「ありがとうテルン。きっと君が一生懸命診てくれてたんだろう」

「いえ。私が最初の治療をしていたことは確かですが、皆さんセヴァンさんを気遣って、交代で様子を見てくれました。……まあ、レーゼンさんを除く、ですが」

「レーゼンだって!?」セヴァンはきゅうに声色を変えた「そうだ! レーゼンはどうなったんだい!? レーゼンはお腹を…………!」


 テルンはセヴァンの態度の変わりように目を丸くした。

 そしてすぐに穏やかな顔に戻り、諭すような態度で話しかける。


「大丈夫ですよ、セヴァンさん。彼女の体もしっかりと、私が治療しましたから」


 すると、セヴァンの表情と体から力が抜けていった。


「良かった……ありがとう、テルン。君がいてくれてよかった。何から何まで助かってばかりだ」


 セヴァンは胸に手を当てながら言った。


「例には及びません。そもそも、最初に離れ離れの位置にいたセヴァンさんやレーゼンさんのところに私を連れて助けたのは、ルチフさんですから。それに、セヴァンさん。あなたは、呼吸と心臓が止まっていたのです。それを救ったのもルチフさんです」

「えっ!?」


 セヴァンは動揺した。


「それは……どう……僕の、心臓が?」


 セヴァンは起きた時の、いつもと変わらないように鼓動する心臓を思い出した。


「そうです。ですから、セヴァンさんが一番お礼を言うべきなのはルチフさんです」


 セヴァンは返答に窮した。正真正銘、彼は死んでいたに等しい状況に陥っていたのだ。

 それを救ってくれた者とは、命の恩人とか言いようがない。いや、この勇者パーティの全員が、何かしらの形で誰かの命を救っているのだろうが、このさいルチフは最も直接的にセヴァンの命を救ってくれたのだ。


「ルチフは今どこに?」


 セヴァンは聞いた。


「案内しましょうか?」


 テルンは優しくそう言った。


「ありがとう」


 セヴァンはこくりと頷いた。



 ✕



 魔王は暇だった。


 三〇〇〇年長い時を生きてきたのに、このちょっとした退屈感がどうしても慣れない。


 レーゼンに話を聞きたいのに、本人はもう話したくない気配を出しているし、なぜ彼女が昨日に両親を弔っていたのかなどもまだ聞けていない。


 できれば魔王はレーゼンの隅々まで知りたかった。しかし相手も心を持たぬ木偶の坊ではないので、根気強くこの旅の中で聞いていく必要があるだろう。


 今後はそれが自身の楽しみになりそうだ。


 魔王はあいも変わらず、一週間前から尻の下にしている木の小屋の上で空を眺めていた。今はまだ昼上がりなので眺めているのは青空なのだが、魔王の目は太陽の光にかき消された星星の小さな瞬きを捉えていた。


 青い空というのは魔王にとっては異質だった。ぎゃくに青い空が夜には暗くなるのも少し変な感じがした。昼に青いんだから夜も青くてよいのではないか?などと夢想したこともある。


 空が青いのを、この星の希薄な大気による強力な太陽光の散乱と心得てからは、そのような懐疑を抱くことは少なくなったが、今でも昼と夜で空の色が全く違ったものになるというのに時たま違和感を覚える。外から見れば宇宙は全部黒なのに。


 む、と魔王は、尻の下木の板数枚隔てた場所の気配が、一週間ずっと寝ていた気配がついに目を覚ましたことに気がついた。


 尻の下の気配は二つ。一つはテルン、もう一つはようやく目を覚ましたセヴァンだ。一週間ぶりの起床はさぞかし辛かろう。


 下で何やらやり取りする気配のあとに、テルンがセヴァンを連れ、木小屋の中から共に出てくる。


 そしてテルンが振り向き、家の上のルチフに声をかけた。


「やはりそこにいましたか。ルチフさん」

「どうも」


 ルチフはいつもの素っ気ない態度で家の上から顔を出した。


 テルンの横にいるセヴァンだが、なにやら言いたげな様子でルチフを見ている。


 それを察して、ルチフは屋根の上からとびおり、二人の前に立った。


「ルチフ、ありがとう」


 セヴァンは真剣な顔で言った。


「僕の命を救ってくれて」

「救うほかありませんでしたから」


 セヴァンは一瞬あっけにとられたような顔をした。


「ふふっ――そうか」


 目を細めて微笑む。


「レーゼンと似ているね」

「そうでしょうか?」


 ルチフはセヴァンの意図が見えなかった。


「彼女も、命を救うことを義務のように言っていた」


 確かに、昨晩のレーゼンはそのようなことを言っていた。


「命を救うことは、誰でもできることじゃないのに」


 セヴァンはまっすぐルチフを見ていた。

 それにルチフは口を開いた。


「あなたは勇者でしょう。あなたにもできています。それに勇者パーティです。全員それができる人間だと私は思っていましたが」


 勇者はまたあっけにとられた。

 すぐにその顔は笑みに染められた。


「そうだね、その通りだ」


 実のところ魔王はずっとあっけにとられていた。

 セヴァンの気配はいつもつねに楽しそうと言うか、嬉しそうなのだ。今の彼の気配は、その彼の笑顔が心の底からのものだということを示している。

 そして、戦いの時はそれがいつも薄れるのだ。とくに命を奪う瞬間に。


 ディエンは戦いのときには高揚するし、レーゼンは戦っていてもものすごく静かなのだが、魔法を発動した瞬間には楽しさの気配が一瞬揺れ動く。


 テルンはまあ戦いの時は常にバキバキに緊張している。彼の交戦経験はまだ楽しむ余裕があるところまで達していない。


 だがセヴァンは戦っていてもある程度心の余裕がある。そしてそれは命のやり取りの際になくてはならない心の余裕だ。戦いの時の感情もそこに現れる。


 セヴァンにはそれはある。だが、それは、セヴァンの強さのレベルには似つかないほど否定的な感情が大半を占めている。あれだけ強いというのに、彼は戦いをテルンと同じくらい楽しんでいない。


「? どうしたんだい?」


 セヴァンの顔をじっと覗き込むルチフに彼は聞いた。


 思いの外気になってしまっていたようだ。


「嬉しそうだなと思いまして」

「?」


 彼は純粋に『?』という顔をした。その気配は少しも負の方向に向かっていない。


「ともかく、元気そうで良かったです」

「ああ。ありがとう」


 セヴァンは頷いた。


「そういえば、レーゼンはどこに言ったか分かるかい? 彼女はお腹を…………」


 テルンとルチフの二人に向けて聞いた。


「彼女は無事です。テルンさんが懸命に治療を施したので。場所はわかりますが、今日は探さないほうが良いかと」


 ルチフがそう言った。


「なんでだい?」

「今日は彼女にとって大事な日だからです」

「そうなのかい…………なるほど、分かったよ」


 セヴァンは少し考えてから思い当たったように答えた。

 ルチフが聞いた答えにたどりついたのかは分からないが、気配からは女心を察したかのような感じがした。旅が始まってから一度も月が来ていないというエルフの生態を知っているのだろうか?


 彼女は昨日の深夜からまたみんなの元を離れている。浅かった夜の時に採った十本の鎮情花を持ち、小屋を離れ、今まで戻ってきていない。


 そしてずっと山の麓にいる。ずっと殆ど動いておらず、十本の花の前で座り込んでいる。


 これが彼女のいたエルフの里の弔い方なのか、彼女自身の弔い方なのかはわからないが、少なくとも何よりも真剣な行いであるはずだった。


「では、私は戻ります」

「うん」


 頷いたセヴァンを背に、ルチフは足に力を込めて跳び上がった。木の小屋の上に着地すると、また座り込んで青空の向こうの天体観測に勤しみ始めた。


 その下のテルンとセヴァンは、彼が戦っていた魔族クリューヴについての情報共有や、彼が倒れていた間にあったことなどについて会話をしていた。


 セヴァンはクリューヴが分身で全員と戦っていた事を知らなかったらしく、他の全員が分身をそれぞれを撃退したことに驚いたりしていたが、分身体それぞれが強さが異なっていたらしいことをテルンが説明していた。


 そしてセヴァンはレーゼンの治療のお礼やテルンに対しての称賛をひとしきり浴びせていた。


 魔王はそれを耳にしながら、太陽の支配の向こうで懸命に輝く恒星たちを眺めていた。生まれて百年の記憶がなかったとしても、それが生まれながらの習慣であることは、疑いようもなかった。


Awaking of the hero

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