エルフの記憶
「こんばんは」
レーゼンの近くの地面に、ルチフは静かに着地した。
最初から気配を察知していたのか、しゃがんでいたレーゼンは静かにそちらを向いた。
「自分から話してくるなんて珍しいね」
ゆっくりと立ち上がり、ルチフを振り向く。
「一人の時間はあまり邪魔されたくないんだけどな」
その左手には、中心は黄でその周りは青色の花弁をたくわえ、茎は黄色の、かわいらしい花が十本近く握られていた。
「特に今日はね……別に怒っているわけじゃないよ」
「分かりました」
ルチフはいつもの物静かな様子で応えた。
「なんでここに来たの?」
レーゼンも態度はいつもと変わらなかった。ただ、少しだけ静かなように見えた。
「ディエンさんとテルンさんが心配していましたので」
「ふーん……そっか。仲間だもんね。七ヶ月は人間には長いもんね……」
足元に視線を落として彼女は言った。
「命を懸けてテルンさんたちを守ったでしょう」
魔王はまた自発的に言った。
「今日はよくしゃべるね」
レーゼンは意外とルチフの細かい所をみているようだった。
「あれは義務みたいなものだよ。仲間じゃなくても人の命ぐらい助けるよ、普通は」
「そういうものでしょうか」
「人間ならわかるでしょ。魔族の環境の中で生きてても」
人間と言われれば人間なのだが、そうでないと言えばそうでもない。
というか人生の中では人間の環境の中で生きていた時期の方が長い。
「エルフで長い時を生きているものと思います。その長い人生の中でも、若いころの死を疎んだりするのでしょうか」
レーゼンの眉がぴくりと動いた。
「知っているの?」
少し感情がこもっている声だった。ほんの少し、声音も表情もまったく変わらない。
しかし魔王はそれを捉えていた。彼女は、一〇〇〇年生きる中で薄くなった感情を少しでも揺らがせた。
「わかりません。しかし花を摘んでいるあなたの気配は、とても物静かでした」
「……気配でそこまでわかるんだね」
気配が静かになる場合はいくらかある。
自らそれを意識して行っているか、何か真剣に考え事をしているか。
そして哀しみの感情はそのうちの一つだ。レーゼンのそれはひどく小さなものだったが。
「聞きたいの?」
レーゼンはルチフに目を向けた。
「はい」
「……別に隠してるわけじゃないんだけどね。ああ……なんとなく言いたくないって感覚は久しぶりだ」
レーゼンは少し目を泳がせた。明らかに少しずつ動揺が大きくなっていっていた。
「私も正直、よく覚えていないんだけどね……」
レーゼンはそれをしゃべるために口を開いた。
「ほら、私ってエルフでしょ。人間並みに子を成せるのは最初の百年だけ。それでも百年の間に子供を作るエルフは少ないし……最初の百年でも性欲ないし。だから、エルフは里で暮らすんだ。最初の百年を過ぎると、もうまともに女性は月が来ない。だから、最初の百年を過ぎた後に伴侶ができたエルフは、里でその伴侶と暮らし続けるんだ。そうでもしないと子どもが作れない」
レーゼンは、左手に握った花を顔の前にあげ、右の人差し指でいじり始めた。
「そしてエルフは子育てもちゃんとやるんだよ。エルフってね、最初の百年間の記憶は曖昧なんだよ。かくいう私も、生まれた百年間の記憶はあんまりない」
左手の花の束から、そのうちの一本を引き抜いて見せる。
「自分の子どもに顔を忘れられるなんて嫌でしょ。だから成人したエルフは、子どもが成人するまで里で暮らすんだ。かくいう私も、里で育ったんだよ」
ルチフが全く知らないことだった。三〇〇〇年生きた間に一度も、そもそもエルフの里がどこにあるかも知らなかった。どう頑張っても、大陸の隅々まで探したとしても見つけることはできなかった。
「でも私は親の顔を覚えていないんだ。親がいたことは覚えているんだけどね。でも、わからないんだ。この意味が分かるよね?」
ルチフは一呼吸を置いてから答えた。
「亡くなったのですか?」
「そう。私が成人する前にいなくなったんだ」
「その弔いということですか」
「そう」
レーゼンは目を落として答えた。
「でもね」そして右手にとった青と中心が黄の花をルチフへ向けて見せる。「私はエルフの弔い方をしらない。覚えられる前に教える人がいなくなったからね。ぼんやりと、親が盛り上がった土の前に、こんな感じの花を添えていたことを、何とか覚えている」
レーゼンは右手を下ろした。
「ほんのちょっぴりだけどね。あれがほんとに親だったかもわからない。もしかしたら他人だったかもしれないし、弔いの儀式でもなかったかもしれない。でも唯一なんとか覚えている記憶の一つだ」
すがらずにはいられない。
その後ろにはそれが続くのかもしれないと、魔王は予想した。
「話はこんな感じでいいかな? 親がいなくなってずっとつらかった。それが成人してから感じてた若いころの記憶だよ。それが、九〇〇年間、しっかりと覚えられるようになった記憶の中に押しつぶされていく。思い出せていた親の記憶がなくなっていく。今では記憶の中のどれが親なのかもわからない」
困ったことに、つらいのだけは残ってるんだ。とレーゼンはつづけた。
「九〇〇年間それが私の足かせっていうのかな。残り続けてるんだよね。だから今もこうしているんだ」
レーゼンは話し終わった気配を漂わせた。ルチフは何も答えなかった。
魔王も最初の一〇〇年のことはほとんど覚えていない。しかし、その一〇〇年の間にそのようなことはなかった。一〇〇年を過ぎてしばらくして、自分がその生まれてから一〇〇年間の記憶を少しずつ失いかけていたことに気が付く。
今ではもうこの世に生まれ落ちた瞬間の、あの星空のことしか覚えていない。
「思い出したいですか」
ルチフはにわかに言った。
レーゼンの気配が、今までで一番大きく揺れ動く。
しかしそれを表には出さない。本人も自覚していないのか。その後に自分の感情の機微に対する動揺の気配がする。自分でも驚くほど驚いたのだろう。
「どういうこと?」
次の瞬間には、少しそれが落ち着く。
「そのままの意味です。思い出したいですか?」
レーゼンはルチフに合わせていた眼をそらした。
「……今日はいつになくしゃべるんだね。四回も自分からしゃべるなんて」
ルチフは何も言わなかった。
レーゼンは顔をルチフからそらしながら、考えるような気配を出した。
そしてしばらくして、静かに口を開く。一瞬閉じる。またほんのちょっとして、口をまた開いた。
「思い出したい……って言いたいけどね。でも、それが……いったいどういうものなのか、忘れてしまった」
レーゼンは少し言葉を止めた。
「恐ろしい記憶だったかもしれない。思い出さない方がましだった、ってまた思うかもしれない」
レーゼンの気配はせめぎあっていた。それは彼女の無意識のうちの言い訳だったろう。
「……今はやめとくよ」
しばらく考え込んで彼女はようやく言った。気配が嘘をついていると言っても、結局は出力したものが結果だ。
それを尊重しないわけにはいかない。
「わかりました。思い出したければ、いつでも言ってください」
「…………」
レーゼンは視線をまた下に向けて黙り込んだ。
「今日は本当によくしゃべるね」またしばらく黙ってから彼女は言った。「思い出す魔法を知っているの?」
「はい」
「そう」
レーゼンは短く答えた。
「もう戻ろうか。こんな時間だ。いつ悪質な魔物が出るかもわからない」
彼女は気を取り直すように言った。
「そうですね」
ルチフは同調した。
「戻ろう」
レーゼンは町の方に向かって歩いて行った。
結局核心に迫るところは教えてもらえなかった。うまくはぐらかされたような気がする。
魔王は生まれてから百年を除く三〇〇〇年間の記憶をたどってみた。たしか、どこかで読んだ本に、レーゼンが手にしている花の名前が記されていたような気がする。
少し思考したところで、魔王は一つ思い当たった。
北方のとある山のふもとにある民族の弔いに使う花。一説によると、その民族はかつてエルフと交流があったという。その民族が昔エルフから受け継いだ花。
名を『鎮情花』。花言葉は『懐古』だ。
snowy




