ビストリタの木小屋
勇者一行が出発してから七ヶ月。ラザーヌディア王国。カーパティア山脈西側麓、ビストリタ町。
薄暗い空に明るい星々がぽつぽつと息を吹き返し始めたころ、ラザーヌディア王国のユール・フラー=ジャフ・ラザーヌディアの王・パラトスクが喉を通りにくい食事をしているころ、魔王は木の家の屋根の上にいた。そして頭上にある星々のともる天蓋を眺めていた。
彼の座っている木の家の下には、二つの命の気配がする。
二つとも人間。しかし、うち一つはとても弱弱しくか細い気配だった。
その者の魂はとても高潔で、爛々と輝いてすらいる。
しかし、それが発する生命エネルギーはそれと不釣り合いなほどに弱々しい。
もう一週間この具合だ。勇者セヴァンが、老魔五柱クリューヴと渾身の聖剣を交わしてから。
一週間、ほとんど魂の灯を見せずに勇者セヴァンは、それと連動して体も一週間起きないでいる。龍と戦った時はこれほどのようなことはなかった。
やはり、あの女神から祝福を得た、聖剣によるものだろう。実際にあれが聖剣かはわからないが。
それにしてもひどいものだ。何が祝福だ。命を吸っているのと同じようなものだ。あれは。と魔王は思った。
魔王がじっくり観察したところによると、厳密には違うが。しかし命を吸うよりも、見ようによっては悪質な力だ。それを制御できていない勇者のせいともいえるかもしれないが、それに取扱説明書もつけないでいた女神の方がよっぽど悪い。自分が希望を込めて祝福し、力を託した勇者が、過労で死んだらどうする。
勇者がクリューヴと戦っているときに気絶したとき、あの時は勇者セヴァンの心臓と肺は止まっていた。おそらくは急激に体を襲った疲れによるショックによるものだろうが、あの後ルチフが駆けつけていなければ勇者セヴァンはあそこで死んでいた。まさか魔王になってから勇者に心肺蘇生法をほどこすとは。夢ぐらいにしか思っていなかった。クリューヴが知ったらきっと阿鼻叫喚で部下に八つ当たり所では済まないことだろう。今もそうなっているかもしれないが。
胡坐をかいている自分の下の気配のうち、元気でぴんぴんしている方が移動を始める。目指す先は出口のようだ。
ギィーと嫌な音を立てながら、扉が開かれ、赤茶色の髪が顔を出す。
聖職者の装束に身を包んだ眼鏡男。僧侶職のテルンだ。
しばらく歩いて夜風を浴びるようにしてから、彼は顔を上げ、こちらを振り返る。
「ルチフさん」
節々から優しさを感じる聖職者らしい声だった。
「今日もまたそこですか。寒くないのですか?」
「はい。冬も明けて一か月近くです。これくらいは」
そもそも相当な寒さでもなければこの体はびくともしないのだが。
「町の復興も始まってきましたね。四日ほど前から国から兵が派遣されてからは」
「そうですね」
ルチフは愛想はないが、怖くも感じない、つまりいつもの調子で答えた。
クリューヴの一件が終わってから、動けるのはルチフとディエンだけだった。テルンは超重症のレーゼンの治療、セヴァンは呼吸と鼓動と一瞬の意識は取り戻したものの、その後全く意識を取り戻さない。
そのためこの一件をどこかに報告するにも、ディエンは地理をしらず(というか多分誰も知らない)、結局ルチフが町に残った残存兵とともに隣町まで報告に行った。
それが飛脚の手によって即刻王都へと報告され、兵が来たのがクリューヴ戦の三日後、今から四日前だった。随分と早い対応だ。その代わり兵の数も十数程度だが、それも日に日に増えていっていた。
今、勇者は一週間前に寝かされたビストリタ町の空き家にずっと寝かされている。レーゼンもつい数日前まで重傷で動けなかったが、テルンの賢明な治療により今では一人でどこかへと歩いて行っている。
テルンの回復魔法は神術にも近かった。そもそも聖域を展開するということ自体が、この世の二十本の指にも入る高等離れ業だ。血管どころか神経や内臓までも損傷したレーゼンの肉体を、複製や巻き戻しにも近い精度で、ほとんど完璧に直して見せた。それもクリューヴとの戦いのほとんど直後に、魔力をぎりぎりまで消費しながら。そのあとテルンまでも倒れたため、魔王がレーゼンとセヴァンを担ぎ、ディエンがテルンを頭の上に担いで町に戻っていった。
「旅が始まって、もう七ヶ月ほどですか」
テルンが話題を変えた。
「今日でちょうど七ヶ月です」
ルチフがそう答える。
「そうですか……」感慨深く、テルンが顎を撫でる。「思い返してみれば、長い旅ですね……順調にいけば二ヶ月だとか、たいしたことないだとか考えていたころが懐かしいぐらいです」
旅が始まってから一ヶ月と二週間ほどたった時の、ポレシエ湿地の小屋の時の話だろう。思い返してみれば、あの時も、勇者は聖剣を使って、女神と対話をしていた。本人が聖剣の力を使って対話していたと知っていたのかは知らないが。なるほど、だからあの時勇者はすぐに寝てしまったのか。
人間にとって、特に若い人間にとって、一年は長い。成長するにつれてだんだんと時の流れを早く感じるようになっても、結局百年やそこら、限界でも百二十年生きるか生きないかの程度の人間では、一年は死ぬまでひどく長い。
何百年どころの話ではない魔王やレーゼンになってようやく、それが短いことを実感してくるようになる。
一年とは、何かを成すにはあまりにも短い。魔王でも、魔族の国を建国し完成させるまでには、百年の時がかかった。
「そういえば、この七ヶ月の中で、誰かが誕生日を迎えたりはしてないんでしょうかね」
テルンははたと思いついたような顔をして言った。
そういえばそうだ、と魔王は思った。
魔王がこの世に生まれ落ちたのは、果たしていつだったか。三〇〇〇年の記憶を最初からたどってみる必要があるかもしれない。
この旅の中で、誰かの誕生日を聞くということはそういえば、終ぞ一度もなかった。
勇者一行が出発したのは九月の下旬あたり。そして今は四月の下旬だ。その一年の過半数の間、誰かが誕生日を迎えていないとも限らない。
それに近いうちにそれを迎える者がいないとも限らない。たとえそうだとしても祝われられる状況ではない者が一名ほどいるが。
人間の中で誕生日は一〇〇回程度しかない。それを大事にめでたく祝うという文化はほとんどの文化文明圏に存在し、それは魔王でも知っている。魔族にそんなものは生物学的な事情でほとんど存在しないが。
ちなみに以前クリューヴが誕生日を聞いて来たのだが、魔王も正直はっきり覚えていないので答えなかった。
「ルチフさんの誕生日はどうなんですか?」
テルンが顎から手を放し、屋根の上のルチフを見上げて聞いた。
クリューヴには面倒くさい半分で応えなかったのだが(そうでもしなければ国を挙げて祝いそうなのが半分である)、ここでそう答えるわけにもいかない。
けっこうな長さのそれなりに長い人生を思い返すか……。
「思い出しますね」
一言断ってから、自分の長い人生を思い返そうとする。
この星に生れ落ちてから最初の一〇〇年ほどの記憶はあいまいだが、生れ落ちた瞬間に見た数多の星空の姿は、それだけは今でもはっきりと覚えている。そこから逆算してみればなんとか…………。
見当がつき、下に顔を向けて、訝し気な顔をしているテルンに向けて言った。
「七月二十六日です」
たぶんそうだろう。生れ落ちたあの日の星空は、いやでも忘れない。
そこから今現在の星の位置からいろいろ複雑な式と三〇〇〇年間眺め続けて来た星空の記憶を使って逆算すれば、おそらく七月二十六日の夜に自分がこの世に生れ落ちたことがわかる
我ながらよく思い出せたものだ。思い出すというよりかは計算して特定したという方が正しいか。
あの頃は、まともな暦を使う民族すらいなかった。
いたとしても、現代の中欧諸国その他が使っている暦に直す必要があっただろう。
「七月二十六日ですか」テルンが微笑んで言った。「その時になったら是非お祝いしましょう。かくいう私は、六月三十日です」
「誕生日の話か」
いつの間にか近くまで歩いて来ていたディエンが低い声で言った。
考えてみれば、ルチフと同じくらい感情を表に出していなかった男だった。
手には、町の外の森から拾ってきた薪が抱えられていた。
「丁度いい。俺の誕生日も発表しようか」
「おっ、いいですねぇ。いつですか?」
もったいぶったディエンにテルンが合いの手を入れる。完全パワー系のディエンとデスクワーク系のテルンだが、この二人はなんだかんだ言ってこの旅で一番相性がいいのかもしれない。
「大体来週だ!!」
ディエンが大きな声で発表した。低い良い声があたりに響き渡る。
テルンは度肝を抜かれたようにのけ反った。
「大体来週ですか!?」
「大体来週だ!!」
ディエンが全く同じ調子でオウム返しで繰り返した。
「どういうことです!?」
テルンが説明を求めてつっこむ。
夜の山からの冷たい北風が吹いて、一瞬テルンの髪が巻き上がった。
「俺の故郷ではまともな暦がなかったんでな。この国は太陽と季節の周期を元にしているみてぇだが、俺の故郷では『だいたい月が十二回満ち欠けしたら一年』って感じだったんだ」
そもそも暦とは(魔王の記憶によれば)農耕民族の産物だ。これまた魔王の記憶の限りでは狩猟採集民族だったドワーフにしては上等な認識の方だろう。
「俺は大体月が五回満ち欠けした時の春らへん、っていう感じになってた。だいたいそういう季節になったときに、同じ誕生日ぐらいのやつらが集められて、誕生記念の祭りみてえなのをやってたんだ」
「そうだったんですか……」
テルンは風によって乱れた髪を直しながらつぶやくように言った。
またタイミングを見計らったように冷たい風が優しく吹く。今度は風を感じたはなから髪を抑えていた。聖職者にしては髪にこだわりがあるらしかった。
「だからもし祝うとしたら大体来週にしてくれ。その日でピーンと来ることはないが、早すぎても遅すぎても、なんか感覚でわかるんだ。少なくとも今週じゃない。再来週でもちょっと遅いだろう。だったら、大体来週だ!! って感じがするんだ」
「へ、へぇ~~~~……そんな文化もあるんですね。不思議な感覚です」
魔王のように生まれた瞬間の何かしら時間を特定する要素を記憶しているか、日数を事細かに覚えてもいなければ、暦がない中で自分の誕生日を特定することは難しいだろう。
ディエンの故郷に行けば何かしら手がかりを得られるかもしれないが、残念ながら今回の旅はそれとは方向が真逆だ。
「じゃあ決まりですね。ディエンさんの誕生日……というか誕生週祝いは、大体来週と言うことで!!」
もし一週間の長さが七日ではなく五日とかだったらもっと細かく特定できたのだろうか、と魔王は思った。神は気まぐれだから、そのうち天地創造をもともと五日だったという風にする日が来るかもしれない。
「じゃあ、あとはレーゼンさんとセヴァンさんですね。ああ、ディエンさん、私とルチフさんの誕生日は――」
と言う具合にテルンがディエンに先ほど話した誕生日を説明する。
その間に、ルチフはレーゼンの気配を探した。
さて、どこにいるか。ビストリタ町にいないことは確かだった。数百以上の男女子女の気配があるが、しかしそこに、一〇〇〇年生きた者の静かで重厚な魂は見当たらない。
すでに太陽の名残である薄暗さは尾を切り、完全なる星空と暗闇が空を支配し始めていた。
「レーゼンさんはいつ戻ってくるんでしょうか……。もうかなり暗くなってきましたよ」
「大体昼上がりからいなかったが、病み上がりなのによかったのか?」
「本当はあと一か月は動いてほしくなかったんですが……いつの間にかいなくなっていて……」
そんな話をしている間に、レーゼンの気配のみに集中して探知を絞っていた魔王は、ようやく足掛かりを見つけた。
「――――森の中にいます」
ルチフはにわかにそう言った。
「分かるんですか?」不思議そうにテルンが首を上げて聞いた。「そんなに遠い所が……?」
ルチフは控えめにうなずいた。胡坐をかいた膝に肘をつき、そこに顎をのせながら。
唇に人差し指をついてトントンさせながら、ルチフは説明を始めた。
「かなり集中しました。私たちが登ってきたカーパティア山脈の登山道の道の近くにいます。だいたい中腹の少し下あたりでしょうか」
「なんだってそんなところにいるんだ?」
ディエンが訝し気に聞いた。
「分かりません。ただ、戦っているというようなわけではないようです」
「散歩としては長いですね」テルンがそう言った。「迷子になったのも考えにくいですね。レーゼンさんならばひとっ飛びで帰ってこられるでしょうし」
魔王は興味がわいた。魔王はエルフのことをほとんど何もと言っていいほど知らない。
テルンの女神の魔法も、セヴァンの聖剣も興味があるが、それを知る足がかりと心当たりはある。しかし、エルフに関しては、彼女レーゼン自身しかない。それ以前には、一度会った赤髪のエルフとの逢瀬のときのみ。
だから、魔王はレーゼンに対してひとしおの興味を抱いていた。
「私が見に行きましょうか」
ルチフは珍しく自ら提案をした。
「それが良ければありがたいのですが……」
テルンが言うと、ルチフは飛行魔法を展開する。
「では、行ってきます」
木の家の上から、魔王は静かに、しかしながらわずかな風音を立てながら、空に飛びあがった。
テルンとディエンが、その光景を不思議そうに、テルンに至ってはどこかうらやましそうに眺めていた。
ある程度の高度――上空二十メートルほど――に達すると、飛行魔法の制御をある程度強くし、それなりの速度で飛んでいく。
その間に、魔王はエルフの気配を眺めていた。
彼女の魂は物静かな状態だった。そして、そこから読み取れる体の動きも。
静かに歩き、しばらくすると止まり、その場にしゃがんで、地面にある何かを拾うような動作をする。
レーゼンは花を摘んでいた。そしてその手には、ある一種の花だけが十本近く握られていた。
魔王にその行動の意味は分からない。ほとんど心当たりはつかない。そして、それが何よりもうれしく楽しかった。
Mai of syori.
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