ラザーヌディア王
中央歴六七三年、ラザーヌディア王国歴七九八年、ラザーヌディア王国は震撼した。
王はタガをくくっていた。自分は魔族の領域とは線の一本ぐらいを除いては関係ないと。
だから国境を勇者がくぐった報告も、彼らがどこどこの町についたという報告も、王が処理すべき雑多な幾百の事務事項のうちの一つとして右から左へと聞き逃していた。
従者が「勇者一行のご報告ですが」と端を発したとき、王は報告が終わった時のために「わかった」と言う準備をした。その準備は残念ながら徒労に終わった。
カルラーム王国に魔族が出たという話は聞いていた。そして勇者一行によって討伐されたということも。今回ラザーヌディア王国に襲来し潜入していた魔族に関しても、勇者一行の活躍によって追い払われたと。
ラザーヌディア王、ユール・フラー=ジャフ・ラーザーヌディアの王・パラトスク――本名の部分はユール・パラトスク――は、ひとりだけ従者を立たせて、玉座の間を歩き回っていた。
その服装は簡素なもので、着慣れたよれよれの長袖シャツを肘の上まで捲り、ベルトを巻いた長ズボンを着ていた。
予想外だった。いや、予想しようもない。ユール・パラトスク王はそう思っていた。
今まで百年間、魔族が統一的な国家規模の集団を形成してから、一度もラザーヌディア王国は魔族の侵入を受けたことはなかった。それはカルラーム王国も同じことだ。それだけならば、周辺各国への警戒心を刻み付けるいい機会になるだろう。
しかし今回は、町が一つ支配されていた。それも壊滅状態だ。大人と呼べる大人は兵士たちか、唯一その町にある城の地下室に幽閉されていたビストリタ準男爵のみ。後に残ったのは、各家々に残された、親や家族を失った餓死寸前の栄養失調状態の子供たちのみ。
あの魔族に支配されていた町――ビストリタ町は、前々から人口を伸ばし、カーパティア山脈の西側と東側をつなぐ交易の中継地点として近頃栄えていたため、今の領主の代で準貴族の地位を賜っていた(王としては授けた)のだが――これでは台無しだ。ファルイ・ビストリタ準男爵の心中が悔やまれる。彼はいい人間だったのに。
だがそれだけではない。国の規模としては、その町の崩壊はごく小さな範囲だ。つい先日国から兵を出し、事後調査と復興のために向かわせている。それに正直期待していなかったが今は彼らへの感謝の念に堪えない勇者一行の土産話も少々楽しみだ。
問題は、これをどう周辺各国へ報告するかだ。
中欧諸国は魔族やその他敵対諸国へ対抗するため、中央諸国連合なるものを形成している。最近の議題はもっぱら魔族に対抗(名目上はそうだが、多くのものの心中は西の帝国に対)するための中欧諸国連合軍の形勢だが、次回の定期集会においては、このラザーヌディア王国に出現した魔族に関する議案がもっぱらを占めるであろう。
その矢先は紛れもない、ラザーヌディア王国とカルラーム王国だろう。
まず各国は、中欧諸国の国々に魔族が現れたことにひとしきり驚く。次に、それに遭った両国に対して気の毒だったねと上っ面の慰藉の辞を述べる。そしてまるで多重人格のように顔を切り替え、嬉しそうに、「さあ、責任をとれ」と美しいまでに湾曲的な表現を用いて、我々に言うことだろう。
ユール王は彼自身は比較的まともな王の方であると思っている。彼はまだ三十に差し掛かったあたりの弱冠だが、仕事はしっかりとしているし、新しい政策もしているし、相応に宮廷教育も受けてきたし。ただ『心構えがあまり王らしくない』とは言われている。誇りがないだとか、よく言われている。
だが、しっかりと民のことは考えているし、今だってこうやってめんどくさい連合議会の奴らのための弁明文を必死に考案しているところだ。
中欧諸国連合のやつらはまともじゃない。
王の立場的に、向かわせるのは外交官か側近か、その他下のものだ。
王がマトモでも、今回はそいつら代行官がマトモではないのだ。
彼らが言う責任とは、『金』、『謹慎』のことである。
「魔族のためにラザーヌディア王国の軍備を増強する必要があるだろう。連合から軍を出すから、金を出せ」「でも中欧諸国に魔族を侵入させたよね。これからの対処も必要で忙しそうだし、しばらく議会から退いたら?」どうしてそうなった?
魔族が出た。だったら、全員で金を出して、被害に遭った国に無条件とは言わずとも、人情にのっとって支援をするだろう。だが、マトモじゃない奴らの主題は『金』なのだ。そして、自分のいうことに反発する、マトモな人間たちを議会から退かせるために、先の『謹慎』文句をあたかも当然のような顔で発する。
今のところユール王が思うには、議会でマトモな王は、自分を除いてカルラーム王だけだった。結構な年を召されている王だったが、その年の功でうまい具合に国を治めている。見習うべきところも多々あるし、彼のおかげでラザーヌディアはカルラームとうまくやれている。そして、議会の中で唯一すがれる仲間だ。
ラザーヌディアとカルラームだけが、王その人自身が中欧諸国連合に自ら出向いていた。
そして、そこにいる唯一の良心だった。
そして、魔族の脅威に対して、(少々油断しながらも)一応現実のものとしてとらえている国だった。
ほかの西方諸国ならばともかく、内地と呼べる中欧諸国から(低待遇だが)勇者を出すなどという政策を実行した。これにはユール王もおどろいた。
しかし、あの議会にはもう出向きたくない。百年近く前に創立された中欧諸国連合。平和と統合を求めて設立された、ハーブを咥えた白い鳥の旗を掲げた中欧諸国連合。
人間は戦争や争いの惨禍など一世代隔てただけでも忘れる。百年たてば、当初の理念などもう心になく、書面上でそれらしく踊っているだけだ。
各国はにらみ合っている。
人間が永遠に団結できる唯一の要素、『共通の敵』という魔族と西の帝国(ユール王は敵と思っていないが)があるというのに、もう互いの中で懐の中を探りあっている。
まともな王は他にもいるのだろう。しかし、議会にやってきた外交官の限りでは、もうため息をつくほかになかった。
「ヨース!」
ユール・パラトスクは足を止め、玉座の間に響く良い声を上げた。
端に立っていた従者の女が、凛とした声で返事をする。
「はい」
いかがいたしましたか、と彼女は言った。
「調査報告は? ――いや、いい。勇者たちは?」
青みがかった長い髪を持った、二十代前後の女性だった。ラザーヌディア王に仕える代々の従者の家系で、その当主の嫡子を王の従者として仕えさせるという習わしが、百年以上前から続いていた。
「はい」彼女はほとんど無表情で口を動かした。
「勇者一行はビストリタ町に滞在しており、現在派遣兵とともに町の復興に当たっているそうです。ビストリタ準男爵は現在療養中であるものの、可能な範囲で積極的に町の復興に貢献しているそうです。加えて、準男爵によって魔族の情報や、町の侵略支配の過程についての報告書が届いております」
「そうか」
彼は短く答えてから、また考え込んだ。
「後で読もう。取り寄せてくれ」
しばらくしてから、彼は言った。
「かしこまりました」
従者は質素に答えた。
「ありがとう」
彼は何百回も発した辞を述べた。
「この後はいかがいたしましょう?」
一拍おいてから、従者ヨースは訊いた。
「夕食はいつからだ?」
彼女は従者衣装の懐から懐中時計を取り出した。
「現在十六時三十八分。現在は夕食の準備が始まったところだと思われますので、いつも通り十六時から……二十二分後に夕食が始まるかと」
「そうか」
王は無造作に答えた。そしてため息をつく。
「私は自室に戻る。夕食になったらもしくは何かあったら、呼んでくれ」
王はため息をつきながら、玉座の間の端の出口に向かった。
かしこまりました、と有能な従者の返事を背にする。
胸に一物の不安を抱えながら、彼は部屋への扉を開いた。
kakikukekonigiri.
new chaper starting!




