お人好し、お魔族好し
「〚ラハドエラヴ〛」
死の光が網膜を照らす。
生を渇望し心臓が跳ねる。
反射的に左へと、勇者は渾身の力で跳ぶ。
バキバキと、小枝たちを割りながら、自分でもわからないほどの威力で体が林を突っ切っていった。
「ッはっ!」
木に体がぶつかり、急激に減速し、地面に転げる。
「はあっ、はあっ、はあっ!」
死への恐怖と疲労により、肺が踊る。
全身の痛みを堪え、その場に跳び起きる。
――どこだ!?
吹き飛びすぎてもう相手がどこにいるかすらもわからなくなってしまった。
体がおかしい。恐怖のせいか、軽い羽のように体が動いてしまう。制御が効かないような感じだった。
「ふふっ――かわいい勇者ね」
眼の前に、それが空から降りてくる。飛行魔法で上から来たのか。
「分かっていないのね」
「何を言っているんだ!?」
剣を強く握りしめて構える。
「教えてあげるほどお魔族好しじゃないわよ」
また、手が前に広げられ、魔法陣が展開される。
「〚ラハドエラヴ〛」
「ッ――――」
この魔族が放つ〚ラハドエラヴ〛は今まで見たものに比べれば、たったの拳ほどの太さ。
しかし、それの脅威をセヴァンは間近で見た。
先程より加減して地面を蹴る。
体が飛ぶ。
かつていた場所を〚ラハドエラヴ〛が通る。
しかし、今度は両の足で着地する。踏ん張りながら地面を幾分か滑り、停止する。
「〚ラハドエラヴ〛」
視界の外の左横から、声と発光が見える。
何かを考える前に、前へと地面を蹴る。逃れる。先程よりも短く地面を滑る。
振り返り、クリューヴの位置を確認する。やはり、その口元は楽しそうに微笑んでいた。
そしてクリューヴの正面の直線上、セヴァンの左手側では、木々が音を立てて次々に倒れて行っていた。貫通魔法の餌食となったのだ。人間の柔肌ならばどうなるかはもうこの目で見た。
一撃でも喰らえば、やはり死ぬ。
「〚ラハドエラヴ〛」
体を右へ倒しながら地面を蹴り、避ける。
頭のすぐ後ろを通っていく。
「っ――――!!」
恐怖で息が詰まる。
向こうの魔法の発射速度が早くなっていっている。そして少しずつ自分を捉え始めている……!
――ヤバい。
このままではまずい。
また一発発射される。
今度は胴体を狙った一撃を、とっさに跳んで回避する。
横腹をかすめ、その周辺の衣服が持っていかれる。そこの皮膚がビリビリし、丹田あたりが冷たくなるのを感じた。もう少しでレーゼンと同じようになるところだった。
とっさに剣を鞘にしまい、そして脚に力を込めた。
どれだけ吹き飛ぶかはわからない。このさいそうこう言っていられない。
「フッ――――」
脚の力を開放する。
一瞬だけ足元が炸裂するのを感じた。
「うわっ――――」
内臓が一瞬軽くなる感覚がしたあと、セヴァンは林の中を、地面のすぐ上をとんでいることに気がついた。
「くっ――」
足を前へ動かし、地面を捉える。
「はっ――」
もう一度、全力で地面を蹴る。
今度は自分がどうなっているか認識できた。
そして、この身体能力は、自分がルチフのところへ走っていっていた時と同じ感覚であることを思い当たった。さっきは夢中で走りすぎていたために気が付かなかった。
足をできる限り速く動かし、飛ぶように地面を疾走する。
前にある木々が、すぐに後ろへと流れていく。
次の瞬間には、目の前にはクリューヴの後ろ姿があった。
避けたあとに、勇者はすぐに方向を変え回り込んでいたのだ。
さやに手をかけ、接近すると同時に抜き放つ。
その剣筋は確実にクリューヴの細い首を捉えていた。
そのはずだった。が、それは障害物によって阻まれた。
金属がぶつかり合う音が、林の中に響く。
反発した剣が飛びそうになり、頭の上まで跳ね返された剣をとっさに両手で握り締める。
その剣に引っ張られ、体が少し地面から浮かぶ。
浮かんだのはほんの数十センチほど。時間にすれば一秒にも満たない。
その一瞬で、片手で剣を持ったクリューヴが、勇者の腹へと切っ先を向けていた。
白銀の刀身を持つ、鍔に青い宝石のはまった両刃剣だった。
セヴァンは浮かびながらも剣を振り下ろし、相手の刀身を叩き落とす。
「――――っ」
ようやく地面に着地する。
正面に目をやる。
クリューヴは片手で優雅に剣を構えながら、セヴァンを見て微笑んでいた。
「剣の方はなかなかやるのね」
それはこちらもだ――――魔族が剣の方もなかなかやるとは、全く思っても見なかったことだった。
「いいわ。この際、これで相手してあげましょう」
その美しい不気味な微笑みを、クリューヴはさらに深めていく。
不運なことに、剣がセヴァンにとって唯一の幸運――勝負ができる可能性のある幸運だった。
勇者が絶望する傍らで、エルフとクリューヴは、魔法でぶつかり合っていた。
エルフ側の三門の魔法陣から、魔力の粒子の一つ一つに指向性を持たせた魔力砲、〚アスファル〛が放たれる。
魔法が着弾する直前、魔族はそれぞれに対応する六角形を出現させ、受けようとする。
しかしその瞬間、着弾すれすれで〚アスファル〛は蛇のように方向を変え、防御魔法を避けてクリューヴに襲い掛かかった。
轟音とともに粉煙が上がる。
「エルフを見るのはいつぶりかしら?」
流れるような音節が、煙の向こうのクリューヴの口から発される。
百年前に登場した、魔族たちの統一的な言葉。
それはまた、時と共に流れるように変化し、いくつもの系統に分かれていく言語。その言語の特性か、どうやら、当の魔族にもそれは止められないらしい。
粉煙が晴れ、不気味に微笑むクリューヴの姿が現れる。その繊細な肌には攻撃魔法どころか、ちりやほこりの一つすらついていない。
――どうやって防いだのかわからない。
レーゼンが抱いた感想。
そして、わかった。
この魔族の実力が。
この超至近距離で、攻撃魔法をほとんど完璧に防ぎ切り、加えて、一片の魔力すら、レーゼンに探知させなかった。
「分かってはいたけど、手ごわいね」
杖を振り、周りに五門の魔法陣を展開する。
クリューヴが、笑みを深める。
「ええ、あなたも。いつ、その魔法を習得したのかしら?」
「教えるほど、おひとよしじゃないよ、私は」
――〚リムホーク〛+〚ラハドエラヴ〛
例え防御魔法を展開したとしても、〚ラハドエラヴ〛によって引っぺがされる。攻撃魔法で対抗しようとしても、〚リムホーク〛で打ち消される。
三つの〚ラハドエラヴ〛、二つの〚リムホーク〛が発射される。
そして当たれば、もちろん死。
だが、クリューヴは笑みを深めるのみ。
当たる直前、クリューヴがそこから消える。
魔法が空にあたり、地面を抉る。
こういう戦法の一番の弱点。あたらないこと。最初にレーゼンが、取らせてもらえず、腹を貫かれた戦法。
後ろから声がする。
「いい魔法ね。それに良い魔力」
魔力――というより、魔法陣の気配。そして首筋の悪寒。
何の魔法だろうか。今までに見たことがないのなら、考える必要はない。
体に飛行魔法をかけ、半回転しながら少し横へ避ける。
そして振り向きざまに杖を向ける。
魔法陣が展開されていたのはクリューヴの指先。それをレーゼンに向けている。
一瞬で魔法を展開し、クリューヴの顔へ。
「〚アスファル〛」
「〚リショーン〛」
――しまった。
クリューヴが展開していたのは攻撃魔法とばかり思っていた。
だが違った。それは付与魔法だ。発動してから、ようやく気が付いた。
そしてその効果は、〚睡眠〛だ。
指向性を持たずに、全範囲にその魔法の波動が広がり、レーゼンの頭にもそれは届く。
頭の中がかき混ぜられるように、ぐわりと揺れ動く。
視界が混濁し、その視界の中で、自分の〚アスファル〛が防がれたことを認識する。
全身から力が抜け落ちる。
瞼が混濁した視界に蓋をする。
「ふふっ――――」
唯一、聴覚だけが最後まで残った。しかし脳が完全に意識を失えば、その情報も入ってこない。
それを最後に、今度こそ、意識が消える。
意識を失い項垂れていくエルフに、魔族の細い手が伸びる。
がしっ、とそれは左の肩を掴んだ。
完全に弛緩した右半身が、ずるりと倒れようとする。
それを、クリューヴは左手で支えた。
飛行魔法で浮かせ、眼の前に横にする。
その頬は、恍惚とした表情で、赤色に染まっていた。
「エルフの肉体……」
魔族の言葉でクリューヴは囁いた。
「美しい……」
手を伸ばし、エルフの頬を撫でる。
顎へと下り、首へと下り、胸へ到達する。
「ふふっ――」
短くほほえみ、手は更に下って、傷口へと到達した。
そこには、未だに残る青い対物理防御魔法があった。
中に、抑える横から滲み出して吸収され、溜まっていった血液があった。
レーゼンが気を失っても消えない。ということは、自己完結している魔法だ。
クリューヴはそこに手をかざす。
手に魔力を込める。
術者の意思が介在しない自己完結型の魔法は、少しでも傷をつけてしまえば、もう修正が聞かず、壊れる。自己修正の機構もこの魔法には刻み込まれていない。
魔力を込めた手で、それに触れる。
精密な魔法式で成り立っているそれは、遺物である魔力による阻害を受け、すぐに動作を停止した。
魔法がささやかな悲鳴を上げるように、淡く発光したのち、崩れていく。その中に溜まった血が、びちゃりと足元に落ちる。
「――――あら?」
違和感。
レーゼンのその傷口から、血が出てこない。
――そして――――手に力が入らない。
とっさにその右手に目を向ける。
「――――!」
右手が、無かった。ひじの中央から先が。
魔力探知に、二つの魔力が引っかかる。
一つは、吹き飛ばされ、宙を舞っている自分の手。
もう一つは、〚ラハドエラヴ〛の式が刻まれた魔法陣。
顔を上げ、自分の手と魔法陣を視認する。
〚ラハドエラヴ〛が放たれる。それはクリューヴの右手を飲み込み、無慈悲にも、後には右手を構成していた物質の粒子しか残さなかった。
三つ目の、魔力の気配。
それは、自分の目の前。
加えて、十二の、小さな魔法陣の魔力。
自らを取り囲むようにして展開した、十二の魔法陣。
「――――〚ラハドエラヴ〛」
自らを包囲した魔法陣の向こうで、体を起こしたエルフが、杖を握っていた。
死の白い光が視界を満たす。
「ああ――――」
クリューヴは笑った。
十二の魔力砲が空間を満たす。
〚ラハドエラヴ〛同士が衝突し、跳ね返り、軌道を変え、その場に渦を生み出す。
陣の包囲の中では、貫通魔法が満たされ、竜巻のように渦を巻く。更に放たれ続ける魔力により、飽和状態となり、渦が膨張を始める。
膨張し続けた渦を巻く魔力の塊が、それ自身の魔法陣に到達し破壊しようとする直前、魔法は終わった。
互いに衝突し合うように展開されていた魔法は、互いに互いを飲み込み合い、いくらかを外界に漏らしながら、その場で自己完結するように減衰し、消えていった。
そこにはもうクリューヴの姿はなく、あるのは少しだけ削られた地面と、その前に浮かぶレーゼンだけだった。
「はあ」
レーゼンはため息をつく。
「少しは勘が戻ってきたかな」
杖をひょいと操り、傷口を防ぐ対物理防御魔法を制作する。今度は円形ではなく、傷口に丁度合わさるような形になっている。
それを傷口にあてがい、少し顔をしかめる。
そして、飛行魔法で体を浮かせて横にし、体を地面に寝かせる。
無理をして動いた体が、もう限界だった。これ以上血を流し、体力を使えば本格的に危なくなる。
レーゼンの魔力探知には、それぞれ戦う仲間たちが捉えられている。だが、それを助けに行くような体力はもうなかった。
まあ何とかなるだろう。一〇〇〇年間生きた勘でそう思い、レーゼンは目を閉じた。
Kind person, kind mazoku.




