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見れば見るほど

 見れば見るほど、麗しい。


 見れば見るほど、恐ろしい。


 生まれて始めて、勇者はその二つの感情を同時に感じた。


 美しいものはいくらでも眺めたくなる。一度目を背けても、またまもなくそれを思い出して、眺めたくなる。


 しかし恐ろしいものからは目を背けたい。だが、目を背けても、それの正体が知りたくなって、見たくなる。


 そんな、全く相反するもので、しかしなぜか似たような行動を取らせるもの。


 その二つの原因が両立している存在。


 たしか――ルチフが一瞬つぶやいたことによれば――この美しい魔族は、『クリューヴ』。


 全体的にすらっとした体のシルエット。風にたゆたう群青のさらりとした髪。微笑む艶やかなピンクの唇。瑠璃紺色の落ち着いた気配のする目。


 勇者はいい歳をした男である。美しい(同種かもあやしいが少なくとも外見は)異性に興味がないではない。


 だが、今この場において、それはそんなものなぞ超越していた。そんなものが、入り込む隙間もなかった。


 ただただ、美しい。だが、恐ろしい。そんな感覚がどこかでくせ・・にもなり、いつまでも眺めていたい。

 勇者は、いつの間にか、呆けた様子で魔族を見つめまわしていた。


 その様子に、クリューヴは、手の甲で口元を隠して、ふふ、と可笑しそうに笑った。その可愛らしさの垣間見える所作にも、勇者は一瞬見とれていた。


 一瞬あと、我に返る。


 クリューヴが、何かの言葉を口にした。


「カト ヘアー エウ ハンエン」


 セヴァンにそれは理解できない。しかし、何かしらおどけるような言い草であることは窺い知れた。


 しかし、それでようやくセヴァンは、警戒心を取り戻す。剣に手をかける。


 自分の言ったことに、首を傾げるセヴァンを見て、クリューヴはまたふふっと笑った。


「かわいい勇者ね」


 セヴァンの理解できる言葉だった。一点の訛も不自然さもない、完璧な中央諸国語だった。初めて出会った魔族のような、歪な言葉ではない。


「以前出会った勇者はもう少しお堅かったのだけれどね」


「以前出会った勇者?」


 セヴァンは思わず口走った。


 クリューヴはセヴァンが聞いてくるとは思わなかったのか、少々意外そうな顔をしたが、一瞬だけだった。


 その所作は、なんとも人間らしい。


「知りたいの?」


「――――」


 一瞬、『ああ』と肯定の言葉が口から出そうになった。しかし、堪えた。


 人間の形、人間の言葉、人間の反応、人間の所作。全く違和感のない存在。その禍々しい魔力さえなければ、人間に紛れていたとしても、魔族だと認識されるはずがない。だから、セヴァンは、まるで人間を相手にするかのように応えようとしてしまった。


 しかし、違う。相手は魔族だ。人間の敵。レーゼンを貫き、傷つけた――!


「どうしたって、勇者は勇者ということかしら」


 変わるセヴァンの目つきを目にして、クリューヴは口端を上げた。しかし、今度は手を口を隠す代わりに、前に広げた。


「〚ラハドエラヴ〛」


 山の側の林の中、禍々しくも白い魔力の奔流が、まばゆくあたりを照らした。




「――――ハァっ、はあっ、あぁっ――――」


 苦痛にゆがむ表情の筋肉。痛みに連動して震える体。それでまた痛み、また震える。眼前がぼやけ、苦痛に視界と体が揺れるように感じ、えぐいほどに不安を超えた恐怖を煽る。


 人生において幾度か経験した、この恐怖。この恐怖から常に逃れることが、常にすべての生命の目的の一つ。


 ――千年経っても、痛いものは痛い。


「ああっ――――」


 なんとか魔法で背から着地した、木々の合間の岩の上で、着地した体制のまま、レーゼンは喘いでいた。

 岩の大きさは半端で、頭と足ははみ出て、足は下へ垂れている。


 こぶし大に、半月状にえぐれた横腹。


 手に、患部に魔力を集中し、そこを強く抑え、血を無理やり止める。それなりの激痛が伴うが、こうでもしなければとっくに出血で致死している。


 幸運か不幸か悪運か。多分全部だろうが、とっさに魔力で防御したお陰で、内臓や骨はそれほどえぐれなかった。骨は概ね無傷、内臓は大腸が少し。


 テルンに頼めば内臓も治してもらえるだろうか。でも確か内臓は筋肉や皮膚と違って再生しないものだっけ――――。


 意識が朦朧としてくる。汗が全身から吹き出し、動悸と鼓動と共に脳が叩かれているように痛む。


 最早痛むと言うか、体全体がきしんでいるかのようだった。何かを少し動かすだけで、体が激痛とともに悲鳴を発する、


「はあっ、はあっ……」


 こわばっていた体中が、疲れたのか弛緩してくる。

 大き過ぎる傷口を抑えていた腕から、少しずつ、自分の意志に反して力が抜けていくのが分かる。ここは岩の上だから、手から力が抜ければ腕は下へ放り出される。せめて地面だったら、力関係なく抑えられたのに。


「っ…………」


 弛緩してきた頭に力を入れ、首を起こす。右の指を立て、この先を中心に収納魔法の解除の陣を書く。すると、そこに短い方の魔法の杖が飛び出るように出現する。


 それを捕まえ、一瞬で飛行魔法の陣を行使する。


 左手で左横腹を抑え、右手で魔法を保つ。


 そして体を浮かび上がらせ、まずは上半身を起こそうとする。


「あっツっ!!」


 強制的に脳が力を抜けと命令し、一番の戦犯である腹筋が弛緩する。


 あがりかかった背が、岩に激突した。


「っ――――はあ、はァっ…………」


 だんだん呼吸するのもままならなくなってきた。出血のせいで脳に行く酸素がそもそも少なくなっている。


 そもそも、ルチフの飛行魔法によって飛んでいる間にかなりの血を流してしまっていた。


 杖を握る手に力を入れ、今度は他に力を決して入れないように、飛行魔法だけで体を浮かび上がらせる。

 それでも腹を激痛が襲うが、まだマシだった。


「――ふうっ」


 ゆっくりと、浮かび上がる。そして、ゆっくりと、移動させる。


 ほんの十秒程度の長い長い時間を経て、レーゼンは自分を土の上に着地させた。


 草と柔らかい地面が体を受け止めてくれる。


「はぁ――――っ……」


 顔を歪ませながら、大きく息をつく。


 顔を照らす日光の具合から見て、吹き飛ばされて着地してから、まだ三〇秒程度か。


 震える杖の手を動かし、寝床に虫が寄り付かないようになる魔法と、体を洗浄する魔法を行使する。傷口の影響を考慮して、洗浄はその周辺に留める。


 体中をほのかに温かい、ぬるま湯のような感触が包み、それが皮膚を流れる感触とともに汗や汚れが落とされていく。


 これで微生物や感染症を少しでも減らせると良いのだが。


 千年生き続けても、終わる時は終わるものか。そしてそれを恐れる理由も、ただの本能だ。


 千年生きたって食欲は湧くし、眠くもなる。例外と言えば性欲だけだ。あれだけは最初の百年程度で別れを告げた。


 皮肉なことに、ぼんやりとした日常で、ここに存在していると実感させてくれるのは、痛みくらいのものだった。これだけは、命が侵されようとしているこの現象は、今この瞬間の命を際立たせてくる。


 そして痛みが終わったら、もう思い出せず、また日常に戻る。だが、それが起きている今この瞬間は地獄だ。


「ふぅ――――…………」


 泥水に浸かっているような感覚がする。温かい布団の中で眠っているような。


 体に力が入らなくとも、魔力は頭で操れる。だが、意識が途切れれば、自己完結している魔法でもなければ魔力は指揮を失い、分散する。


「ああ――――」


 まずい。頭がはっきりとしない。


 意識の手綱を話してしまえば、せき止めていた血液は、決壊した水門のように一気に体から流れ出る。


 太陽の光が頭を刺激してくれるが、そもそももう瞼が開けていられない。



 駄目だ――――――――



 閉じる――――――



 ――――――――



 ――――



 ――







 ――?



 ――――あの、膨大な魔力は?



 ぱちり、と目が開く。


 空に、一筋の魔力の流れが、視界の下から上へと突っ切っていった。



 あれは――――!?



 感覚的には、超強大な魔力の塊。


 裏腹に、視界に映るのは細い糸のような。


 しかし、高密度に圧縮された魔力。


 セヴァンはその脅威を正確には理解できていなかった。


 しかしそれにこもっている魔力量は、レーゼンにとっては、耳元で大音量で叫ばれるようなものだった。


 なんとか首を上げ、それの行く先を見る。


 それはまっすぐにカーパティア山脈の七合目辺りに飛んでいっていた。そして間もなく、それは衝突し、山を削り、大規模な雪崩を引き起こす。


「ルチフ……」


 肺を縮ませ、なんとかささやく。


 しかしどうすることもできない。だがルチフならあるいは無事かもしれない。それより、今は自分の生存確率のほうが低い。


「テルン……」


 自分を治せる可能性があるのは、おそらくテルンだけだ。


 どこへ飛ばしたかは概ね覚えている。だから、そこらへんまで魔力探知を広げて探し出せば、なんとか――――


「ああ…………」


 仲間の位置はすべてわかった。仲間じゃない者の位置も。


 なんて静かな魔力。探知をしても、一瞬何か分からなかった。


 圧倒的で暴力的で禍々しかった初対面とは、何もかもが違う。


 例えるならば、獅子がネズミのふりをしているようなもの。


 魔力探知の感覚の中で、それは滑るように地面を移動し、レーゼンの方へと向かって来ていた。


 ほんの数秒後、足元の方の木々の隙間から、それは姿を表した。


はじめましてイ・シュ・ハー


 日の下にでた紅い宝石が、きらりと煌めいた。


「――以前聞いたときとは――ずいぶん様相が異なっているね」


 横になりながら、なんとか首をもたげて、それを目に映して、口に出す。


 その静かで上品な魔力とふさわしい、美しい存在。

 群青の長い髪が歩くたびにくうに揺蕩う。


「前はもうすこし母音が長かったよね」


 そして、今気づいた。先程はそんな余裕もなかった。


 その微笑む魔族の耳は、レーゼンのそれと同じように、長く――いや、よく見れば少し短いか――先が尖っていた。


 それが、ふふっと口端をあげた。


「これでも努力したほうですのよ、かわいいエルフさん」


 レーゼンから少しのところで、足を止める。


「クリューヴって言うんだっけ?」


 ルチフがあのとき囁いた一瞬の名を、レーゼンは耳に捉えていた。


 杖に力を込め、飛行魔法で体を押し上げるように浮かばせる。


「ああ、無理をなさらないで。内臓も傷ついているのでしょう」


「心配はいらないよ」


 体を縦にし、地面と足を垂直にする。


「魔族と話をしても無駄だしね」


 傷口付近に魔法陣を展開する。


 それは、対物理防御魔法。


 三日月形の傷口に対応するように円形に展開されたそれを、傷口に、押し当てる。


「っ――――」


 痛みで体中が引きつり、筋肉が収縮する。


 傷口を抑えていた、手と魔力を解除する。


 抑えられていた血が防御魔法の隙間から吹き出す。


 しかしそれは対物理防御魔法に吸い込まれ、そして中へと溜まっていった。


 そして、血が止まる。


 クリューヴは驚いたように、広げた手を口元にかざしていた。


「ずいぶんとご無理をなさること」


 レーゼンは魔族の表面だけの心配を無視し、実践用魔法杖を顕現させ、手に取る。


 そして、瞬時に三門の魔法陣を展開した。


「はじめようよ」


 まるで痛みを忘れたかのように、レーゼンの顔は、いつもの冷静で無表情のそれに戻っていた。


 クリューヴが、にやりと口端を引き伸ばす。


「ええ。――――楽しみましょう、是非とも」


Mazoku's language.

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