走る勇者
町から十キロメートルほどの林。吹き飛ばされた後三〇秒程度。
勇者は木々の枝葉を手で避けながら、林の中を疾走していた。
仲間たちは全員どこかへ吹き飛んで行ってしまったし、逃がしてくれたルチフに至ってはどうなったか全くわからない。
その時、頭上に膨大な魔力を感じ、とっさに上を見る。
――追ってきたか?
しかし違った。それは彼らを圧倒した魔族ですらなく、ただの技の一つが――しかも、ほとんどか細い線のようにしか見えない魔力の流れが――上空を通過しただけだった。
その魔力砲に巻き込まれ、青い防御魔法と共に吹き飛ばされている黒い影――ほとんど点――を、勇者は確かに捉える。
「――ルチフ!!」
勇者はとっさに足を止め、幾分か地面を滑りながら急停止した。そしてその方向へと首を向け、行き先を見定めようとする。
その魔力の粒子砲は、振り返った先に堂々と屹立する、彼らが超えて来た山へと向かっていた。
そして勇者の目は、それが七合目あたりの白い岩肌へ、着撃したのを目にした。
「ルチフ!!」
届くはずのない呼び声を、勇者は発した。
同時に、彼を無力感が襲った。
彼は、ここにおいて、何もできなかった。
ルチフが――レーゼンが、腹を貫かれた。それほどの魔法を肩代わりし、逃がしてくれたルチフが――また。
そして、わからない。
レーゼンやディエン、テルンがどこへと飛んで行ったのか、今どうなっているのか。ルチフが山へ衝突して、無事なのか。無事でないのか。
孤独感。それが、彼をぞっと襲った、無力感を手伝ったのかもしれない。
このパーティーには何も欠けるところはないと、勇者は思っていた。
しかしそれがバラバラになってしまえば、自分はこうも無力なのか。
ルチフはもしかしたらば、大丈夫かもしれない。あのルチフならば。
しかし、あのレーゼンは、直に、実際に、腹の横を貫かれてしまっている。
彼女が何百年生きているかはわからない。しかし、そんな彼女にとっても良いことではないのは確かだ。
残念ながら、自分には魔力を感知するという便利な技術も、気配を察知するという気の利いた能力も存在しない。ならば、今目の前にある、目の前で起こった、確かに信頼できるこの目でとらえたものへと、向かわねば。
そしてルチフならば、レーゼンを探し出して、助けてくれるかもしれない。
セヴァンは全力で地面を蹴った。
そしてそれを、全力の速度で繰り返す。
自らを過小評価しやすい勇者セヴァンは、ただでさえ弱い(と思っている)自分の能力が、これ以上下がることを良しとせず、日々人外の領域へと向かう身体能力を鍛えていた。
地面を飛ぶように、セヴァンは駆けていた。
腰と頭が平行に来るほどにできるだけ姿勢を低くし、抵抗を少しでも下げ、加速する自分の下半身に上半身が置いて行かれないようにする。
風を切る音が、彼の耳にびゅうびゅうと響く。
両手を大きく振り、全力で走る。
もしこの勇者が誰かを横切ったら、山を駆ける獣か、獲物のために超低空飛行をする隼かと思うかもしれない。
「ふっ、ふっ」
吐いた呼気が、一瞬にして後ろへと流れて行く。
そして、とんでもないスピードで、顔に風が吹きつけ、肺へと直行する。
風に攻撃されて何とか開いている目は、ぐんぐんと着実に大きくなるカーバティア山脈と、そのはるか上部に見える、雪崩れる雪を捉えていた。
すこしずつ傾斜がついてくる。
ある岩をまたぎ、一メートルほどの断層を飛び越え、窪地にある魔物の巣の上で弧を描き、更に駆けていく。
「はあっ、はあっ!」
山脈の下層の荒々しい岩肌が確認できるようになってくる。
まもなくして、視界の全部を山脈が占める。
そしてさらに厳しくなっていく起伏。
それをものともせずに、体を躍動させて跳んでいく。
目的の場所がぐんぐんと近いづいてくる。
雪崩はまだ続いていて、すこしずつ規模を増しながら重力に従って斜面を駆けおりてくる。
しかし今のセヴァンならば、それをものともしないだろう。
この状況で、あるものを除けば。
「エプレト・アウ・シャール」
耳に響く、聞いたことのない音の節。
山脈へと直行していた体が一気に強張る。
とっさに前の斜面を蹴り、急激にスピードを落とす。地面が抉れ、土が飛び、それでも減速しきらず斜面に沿って坂を上がる。
なおも前進し続ける体のために、続けて二三度それをくりかえし、坂の上で停止する。
「はあっ、はあっ、はあっ」
疲れがどっと襲ってくる。肺が急激に縮み、そして膨張し、空気を求め、それを幾度も繰り返す。
――今の声は。
体中から汗が吹き出す。そしてその中には、おそらく、冷や汗も混じっていたであろう。
たった数度、ささやくようにしか聞いたことがなかったその声は、しかし、絶望の感情を呼びおこすのに十分だった。
気配を感じ、とっさに振り返った勇者の目には、その絶望の原因が映っていた。
見開き切った目に、風が吹き、かねてから乾燥していた目が細まる。
同じ風によって、ソレのたおやかな群青の髪がなびく。
勇者は不条理を感じた。
なんで、こんなにキレイで、美しくて、麗美な、こんな人が。
なんでこんなにも、冷淡に、冷やかな、恐ろしい絶望を。
あたえてくれるのか。
金剛石がちりばめられた、深紅の紅玉を頂く頭環髪留めが、きらりと輝いた。
e aprat au shor




