老魔五柱 クリューヴ
「じゃ、行くよ、みんな」
上空二〇メートル。勇者一行が浮遊していた。
「本当にこうやらなきゃダメ……?」
腰が吊り上げられるように浮いた勇者が嘆いた。
ほかのディエン、テルンは特に怖がりもせずに、直立して浮かんでいる。
「ルチフ、気配は感じるんでしょ?」
レーゼンが顔を横に向けて聞いた。
「あの城に一人、兵士が走っていきました。戦いが始まる前に」
「でしょ」レーゼンは憂鬱な顔をする勇者を見て言った。「これが一番手っ取り早いんだから」
「でもさ、レーゼン、ルチフ」なおも言い逃れるようにセヴァンは言う。「町にはまだ、少ないとはいえ人がいるんだろ?」
「はい」
「彼らはどうするんだい。巻き込んでしまうかもしれないだろう」
「ちまちま助けてたらそれこそ不意打ちされてやられてしまうよ」レーゼンが割り込むように否定する。「そうしたら誰もこの町を助けられなくなるよ。そんなふうに言ってるけど、セヴァン。怖いんでしょ」
素っ気なく指摘する。
「誰がこれを怖くないっていうんだ。生まれて初めてだよこの高さの浮遊は」
眼下には、先ほど倒した兵士たちが、指先ほどの大きさで見える。
「でもやるしかないでしょ。作戦はさっき言ったとおりだ。この方法なら、多分巻き込まれない」
「う~~~~ん……」
何か考えていたようだが、結局何もです、勇者は黙りこくった。
「それじゃ、行くよ」
「テルンはなんでそんなに何もうわっ!」
飛行魔法によって体が前方に加速する。
「わあああああああああああ」
勇者の断末魔が横から聞こえる。
勇者の身体能力のレベルであるならば、この高さからの自由落下くらい、わけないと思うのだが。もしくはただの高所恐怖症か。いや、山脈では特に何も言っていなかった。まあ本能か。
城がぐんぐんと近づいてくる。眼下を家々がつぎつぎに流れていく。
城まで、残り一〇〇メートル……
八〇……
五〇……
三〇。
「ルチフ!」
「はい」
レーゼンとルチフが同時に、杖と左手を前の――城へと向ける。
「「〚ラハドエラヴ〛」」
半径二メートル、空中でなければ展開できないほどの巨大な二つの魔法陣が、回転しながら一瞬で形成される。
魔族が開発した、本来は鉱山などでの掘削のための貫通魔法。威力は申し分ない。人間の技術で作られた城の一つや二つ、貫通するのはわけないことだ。
放たれる、白い魔力の奔流。
その本質は、魔力の粒子、一つ一つに貫通の術式を刻み込んだもの。
しかし、予測が正しければ、これは――――
巨大な青白い魔力の壁が、〚ラハドエラヴ〛を阻む。
それば五角形交じりの六角形で形成された、魔族の防御魔法。
それでも〚ラハドエラヴ〛ならばある程度の効果はある。バリバリと、防御魔法の表面を削っていく。
だが、最終的に、複数の層を持つうえに、曲面に展開されていた防御魔法によって、二門の〚ラハドエラヴ〛は横へと受け流されていった。
巨大な防御魔法陣が手元に回転しながら収束していき、消える。
「答え合わせはすんだみたいだね」
「はい」
飛行魔法の加速を止め、その場に浮かんだままになる。
もはや間違いはなかった。ここに、ルチフを超えるほどの魔法の実力を持つ、何か――十中八九魔族――がいる。
防御魔法陣が薄くなり、そして消えていく。
「これは――――」
セヴァンだけでなく、ディエンもテルンもが動揺する。城のどこかから発せられる、異質で異様な、膨大な魔力を見て。
「老魔五柱」
ルチフのつぶやきに、全員が反応する。
「それは――」テルンが半ば無意識にそれを問うた。「なんですか」
それはそうだろう。未だ、それに出会ったものは、少なくとも名乗り口上を聞いたものは、誰も帰ってきていないのだから。
「魔王軍最高戦力の五体の魔族。その一体が、ここにいます」
どよめきが走る。
竜よりも膨大で、最初に見た魔族よりも圧倒的で、それらすべてに互角以上の戦いを強いた、ルチフよりも強大な、その魔力。
「その名は――――」
それを言い切る前に、それは姿を現した。
一瞬、この場にいる、ソレと魔王除く全ての時間が、止まったようだった。
美しい。
長身にして細身。その体は全く無駄のない八頭身。
まったくため息がでるほどの完璧さ。
群青の長い髪。瑠璃紺色の深い瞳孔。少しつり目で幼さをどこかに残したその表情。ピンク色の唇は、微笑むように端を上げている。
不思議なことに、その髪は、腰の下よりも長いというのに、どこにも結ばれていないはずなのに、全く彼女の美貌を邪魔することなく、風にふかれるまま、ぱらぱらと揺蕩っていた。
魔王の一言で、すべての時間はまた動き出した。
「クリューヴ」
「〚メヴダード〛!!」
一番最初に意識を取り戻したエルフが、とっさにそれを叫ぶ。
すると、目の前の美しい魔族が、何かをつかみ、引っ張るような動作をした。
美女ごと全員をとりかこむように円を描くように展開していたもやのかかった薄空色の帯が、半分のところで停止する。
「!」
震えるように帯が振動する。
杖を前面に突き出していたレーゼンが、動揺の直後、その魔法の主導権をめぐる戦いを始めていた。
勇者パーティーは、今初めて、レーゼンが魔法で押されるところを目にした。
異空間の帯はふるえながらしだいに細まっていき、ついには消失してしまうかと思われた。
しかしこの作戦はこの魔法がなければ成り立たない。そうすればすべてが崩れてしまう。
「〚聖域展開〛」
テルンが手を広げ、巨大な円球の聖域を構築する。
「もういちど!」
テルンは叫ぶ。
再び杖を構えなおし、レーゼンは隔離魔法〚メヴダード〛の構築を再開した。
ほとんど線のようになり消えかかった半円の帯が、息を吹き返すかのように少しずつ太さを増し、同時に円を閉じるように端から伸びていく。
魔族がもう片手を前に突き出し、空を掴む。
すると、またぴたりと〚メヴダード〛の構築過程が止まった。円は閉じたが、そこから球へと広がる過程で止められる。
「ルチフ頼む!!」
セヴァンの叫びに応じ、ルチフは手を仰ぐように、魔族の方へと突き出した。セヴァンの体が急加速し、飛んでいく。
剣に手をかけ、間合いに入った瞬間、目にもとまらぬ速さで剣を抜き放つ。
ぴたり。
と剣が女魔族の首に到達するほんの数センチメートル、そこで止まった。
絶望のような、驚愕のような表情が、セヴァンを襲った。
その瞬間、魔族が腕を交差させ、何かを解き放つように、一気に広げた。
その直前に、魔族はこう口にしていた。
「〚メヴダード〛」
一瞬、真っ白な空間が視界を支配する。
一瞬にして構築された異空間の帳。その色だった。
すべての気配が魔王の観測可能領域から消え去る。
ただ一つ、ある気配が、数瞬してから顔を出す。
美しい、いや、麗しい。
この地上に生れ落ちてから、魔王がそう感じたのは、たったの五本の指にはいるほどもない。
重力のない白い異空間の向こうから、群青髪の美女が、顔を出した。
「魔王様」
その頬は、うっすらピンクに染められていた。
「お会いできて光栄でございます」
無重力のその場所で、彼女は膝まづく。
「魔王様」
まるで宝物の名を言うかのように、吟味するかのように、彼女はそれを口ずさむ。
女が、顔を上げる。
その顔は恍惚としていて、瑠璃紺色の目は、光がともったかのように輝いていた。
「ああっ……」
魔王と目を合わせ、女は顔を伏せる。
「もったいなき……」
まだ何も言っていないししてもいないというのに。
変わらない。この者は。
美しい、いや、麗しいというのに。
「クリューヴ」
魔王は口を開いた。
「ああっ……はいっ」
クリューヴは、顔を上げた。
やはりその顔は、嬉しそうな表情で、声は高く上ずるかのようだった。
「忘れ物をしていないか?」
すると、クリューヴははっとした表情をした。
「申し訳ありません」
すぐさま懐に手を入れ、そこから、白銀の頭環髪留めを取り出した。
各所に金剛石がちりばめられ、きらきらと輝く。
その頂には、菱形にかたどられた、深紅の紅玉がはめ込まれていた。
クリューヴはそれを額につけ、側面の髪を広げ、髪留めの環の部分を隠した。
「良い」
クリューヴが顔を上げると、魔王はそれだけ一言言った。
その髪留めは、魔王が直々に、クリューヴに与えたもの。老魔五柱としての階級を示す、唯一にして絶対の証。
魔王の許可をいただき、クリューヴはゆっくりと立ち上がる。
「まさかこんなところまで来ていたとはな」
魔王が言うと、クリューヴは頬を染めて、目を細くする。
「もったいなきお言葉でございます」
「しかし単体やってきたようだな。一人ではるばる飛んできたか」
「ご明察です」
嬉しそうにうなずく。
魔王は少し言葉を止め、クリューヴの体を頭からつま先まで眺めた。
まったくもったいないくらいに美しい。
その視線を察してか、彼女の顔がまた少し紅潮する。
「時間はどうなっている?」
魔王は彼女の目に視線を戻した。
「もちろん、魔王様の貴重なお時間は取らせません。時間の流れは少々いじっております」
「それならいい。だが、それでもやりすぎると面倒なことになる。で、私に会いに来たんだろう。何か言うことはあるのか?」
するとクリューヴは嬉しそうに表情を晴れさせた。
「僭越ながら、魔王様の目的のささやかなお役に立ちたく存じます」
尊敬しすぎる彼女であるが、しっかりと自尊心もある。胸に手をあてて、彼女はそう言った。
「お前がなにをする?」
魔王は態度を崩さずに聞いた。
クリューヴは答える。
「僭越ながら、魔王様は勇者一行と旅をし、魔族の国を目指しておられると予想致しました。そのうえで、その目的が魔族の国を試すことであると」
よくわかったものだ。魔王は出てくる際にあたって魔族の元首くらいにしか話していない。
老魔五柱にすら、その誰にも声などかけなかった。
「その通りだ」
「というか、そもそも魔族の国を造ったのは、それが目的でございましょう」
この女はどこまでわかっているというのか。魔王の頭には「ファン」とか「マニア」とか「オタク」とかの語彙がちらついた。
クリューヴは、魔族の元首など都合上よく合う者を除けば魔王が一番多く顔を合わせた魔族だった。つまり都合上合わなければならないというわけではない。この女がひとりでによく会いに来るのだった。どこからか聞いたのか、魔王の居場所をかぎつけ、会いに来る。そもそも魔王は建国の最中ですら、玉座につくことは少なかった。なのに、だ。
ひどいときは――というか、今が一番ひどい時だ。ひどいときは、魔王が国を出て、まだほとんど無名の勇者パーティーに加わったことすらかぎつけ、会いに来る。
「続きを話せ」
「はい。魔王様がおひとりで魔族の国を試さず、勇者一行に加わったのは、勇者一行の可能性を見るためでもありましょう」
正確には少し違う。しかしわざわざ訂正してやることもない。
「ですので、恐れ多いながら、わたくしめは、勇者一行の指南をしたいと存じます」
恭しくクリューヴは言い終わった。繊細なピンクの唇をきりっと結び、魔王の返答を忠実に待っている。
「ふむ」
魔王は思考した。
正直、この段階で老魔五柱が出てくるとは思っていなかった。しかし、居るとするならば、クリューヴであることも、クリューヴがある程度魔王の事情を考慮に入れているということもおおむね予想していた。
今の勇者一行にとって、老魔五柱のクリューヴほどの相手は荷が重い。ルチフが共にいなければ、この町が最後の行き先となっていただろう。
だがクリューヴならば良い。勇者一行を殺さず傷つけず、良い所で戦い、成長させてくれるだろう。
「悪くない提案だ、クリューヴ」
クリューヴは破顔した。
「光栄でございますっ」
「しかしやり方は私が決める。どうか」
魔王が聞くと、クリューヴは長い群青色の髪をたゆたわせ、首を小さく横に振った。
「とんでもありません。わたくしめに口を出す権利などありません」
魔王は特に返事をしなかった。
自分の意見や技能を反映したうえで役に立ちたい家臣か、ただ単に主の役に立ちたい家臣か。
張り合いのあるのが前者で、そうでないのが後者だ。そしてクリューヴは後者だ。そして後者はごくまれだ。そのような者は、するすると手ごたえのないような感覚がする。はじめは『気持ちのいい相手』だと思えるが、逆に手ごたえがなさ過ぎてしだいに不安になる。武器も荷物も、軽いに越したことはないが、それに重さが全くなければかえって不安になるだろう。手ごたえと言うものが大事なのである。
魔王は条件を話した。
「ひとつ。まず勇者一行の誰も、後遺症の残るような傷はつけるな。ふたつ。お前は力が弱い分身として勇者たちと戦い、良い所で姿を消せ。みっつ。エルフの魔法使いに気をつけろ。小手先では欺けない」
「承知いたしました」
クリューヴはうなずく。
「あとはお前に任せる。存分にやれ」
「感謝いたします。わたくしめに、機会を与えていただいたこと」
クリューヴは胸に手を当て、魔王に頭を下げた。
「では、まかせた」魔王は話を終わらせるために言う。「いち、にの、さん」
ぱん、とクリューヴが合図に合わせて手をうった。
一瞬にして白い世界が晴れ、かつての通常空間に体が放り出された。
同時に、勇者一行たちも。
みな、何が起こったかわからない様子で、空中に浮かんでいた。
セヴァンは剣を振る前の場所にまで戻され、テルンが展開した聖域は消えていた。レーゼンは杖を構えていたが、それは異空間に封じ込められた時に対処しようとしたのだろうか。
魔王とクリューヴ以外にとって、白い異空間に居た時間は、ほんの数秒にも満たない程度の時間であったことだろう。
そして、勇者たちの前に、不敵な笑みを浮かべるクリューヴが浮かんでいた。
凝らした策略の全てが打ち砕かれたことへの絶望を彼らが感じたとき、クリューヴは自らの体の周りに、魔法陣を五門展開した。
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