2-3 死神ミコト
2-3 死神ミコト
「たしかに地獄だった」
エリザベスのお針子部屋での出来事は思い出したくもない。
「なあ、見かけが女の子になったらわからへん思ったやろ?」
思い出させるな! 俺はミコトをキッと睨む。しかし答えてやろう、彼も同じ地獄を潜り抜けた同志だ。
「女性になりたいと言っても一括りにできるものでもないだろう。上辺だけ見ればお裁縫が得意な金髪の女の子にしか見えないが。いわゆる〇カマさんの口調は女性に似せかけているようで、そうでもないんだな」
同じ痛み。それはエリザベス主催による着せ替えファッションショーだった。
「分かってもらえればそれで幾分かはましや」
痛みは分け合う事もできる。ミコトは俺の肩に肉付きの薄い手をポンと置いた。
「それにしても、同じ少女にこれほどの遅れをとるなんて!」
思い出したくはない。だが思い出してしまう。
「ベス公は元プロレスラーやからなあ」
なるほど。それであんなに大きかったのか。勝てるわけはない。俺達はステージ上で巨女によって着せ替え人形にされたのだ。
「視線にあれ程の圧力があるとは」
観客はアジトの面々。奴らは少女の面してここぞとばかりに男の欲望をぶつけてきた。
「せやな。わしは以前のこと風呂に沈めた女もようさんおるし、踊り子さんかてそうや。因果かなとは思うてる」
そうか。商売だったんだろうな。しかしこれが因果だと思うと、
「フフ」
どうしても笑いが漏れだしてしまう。これが箸が転げてもおかしいという奴か。
「ヒビキはんは、似合ってるからええやないか」
涙目のミコトは、フリフリ付きのペパーミントグリーンの女児用ビキニを着せられていた。
「いや、元気一杯なミコトにこそ、それはよく似合うと思うが」
彼にこそ及ばないものの、俺の格好も恥ずかしい。
「まあ、ヒビキはんのも大概まにあっくやなあ」
ニヤニヤと笑うミコトの視線は、俺の穿いている紺色のブルマの三角地帯に集中している。
「見るな!」
見られる圧力を感じたのだ。これは気のせいではない。おれは胸のあたりに「ひびき」と書かれた大きなゼッケンを縫い付けてある体操着の裾を伸ばしてガードを試みる。
「ほなこと言うても。この服は皆の投票で決まったんやから。新入りは必ず通る道なんや。ここが耐え時、堂々としてればええねん!」
ミコトは豪快に笑いながら、パアン! と背中を叩いてくる。俺はショーの最中を思い出す。あの観客の少女達の食い入るような目。あれは雄の眼光だった。涙が出てきた。背を叩かれたせいにしておこう。
「新入り。だとすればどうしてミコトが?」
これがいわゆる新人歓迎の儀式だとすれば、どうして彼が。ショーの中での彼は、俺よりも悪目立ちしていた。
「?? 女の子の気分を維持するために定期的にやってるんやで。新人さんは必ずやらされるだけや。まあ、それにしてもわいは、えらい回数多いけれどなあ。ここで一番やんちゃやからかもしれへんな!」
舌を出して笑うミコト。顔つきが完全に悪い事を考えている少女のものになっている。元ヤクザの思い描く「やんちゃ」については聞きたくもない。話題を変えよう。
「しかしどうしてミコトは、水着ばかり着せられるのか」
似合ってはいるものの疑問だ。
「外回りの子らは、これほどやないけれど軽装が多いで。特に下半身の隠したいところはどうしても布が少なくなる」
そうかなるほど。
「最後の武器があれだからか」
理詰めなのかそうでないのかよくわからない話だ。
「せや。おしっこや!」
そんな胸を張って言うことでは絶対ない。
「ううっ!」
話題のせいなのか、下半身に軽い衝撃を感じた。
「おしっこか?」
ミコトはうざい。
「そうかもしれない。まだ大丈夫だ」
羞恥心からの強がり。
「先輩として言っておくわ。前と違って女の子は耐えられへんで。トイレは行けるときに行っておき!」
柔らかく暖かい感触。ミコトの手が俺の貧弱な手を包み込む。
「恥ずかしがらんと! 場所が分からへんのやろ。こっちやで」
手を優しく握り、俺をトイレに誘う夏の妖精。ミコトが度々ショーに呼ばれる理由がわかったような気がした。
「女子用しかないのかとばかり思っていた」
アジトのトイレに行って驚いたのは、男子用のトイレが稼働していた事だった。男の文明は男茸によって破壊されているものとばかり思っていた。
「長くこの体でいればわかるで。スタンディングスタイルが懐かしくなるんや!」
ニヤニヤと笑うミコト。
「体の構造的に無理では?」
女茸に襲われた時漏らした時の経験から言うなら、男の時のそれより明らかに指向性がない。ちゃんとエイミングできるのか。
「それ用の器具があるんやで!」
おっさんのニヤニヤ笑いは止まらない。
「しかし、あの流れてきた液体は水じゃないな」
小水を流す水は、かなり強力な塩素の臭いがした。それも最低限しか流れていない。
「そりゃあ、回収して使うからなあ」
ミコトが鉄砲を撃つ仕草をする。そうか。
「ああ、そうだったな」
女茸を多幸状態にして行動不能にする武器に使うのだったな。
「いやあ、ヒビキはんも外回り組として期待されてるみたいで。わいも仲間ができたみたいで嬉しいわ」
ニタリと今度は共犯者の笑み。
「仲間? 俺達はもう仲間ではないのか。いや、外回り組か。軽装が多いと聞いたな」
腕と足が露出した体操着を纏ったわが身を見下ろす。
「ショーは役割を決める意味合いもある。出自から言うてもきったはったには期待背えへん方がおかしいってもんやろ。あんさんも動きにくいスカートよりは、こっちの方がましやない?」
なるほど。やくざと肩を並べて戦う日が来るとは。まあ、究極的な目的を遂行するにあたって暴力を行使するという点においては同じなのかもしれない。
「外回りというのは、俺のような目覚めて行き場のない人間の救出が主な任務か?」
任務については聞いておこう。嫌なことをさせられるなら心を強く持たなければ。場合によっては心を殺す。
「まあ、あと、アジト以外にも女の子になってしまった子らの集まりがあるねん。「ブロイラー城」に「死映館」だったか」
ほう。
「それは朗報だ。協力関係にあるのか」
協力できなくとも、誰かの生存を聞いて喜ばない理由はない。
「それは危険や。と、聞いてるわ。アヤが交渉を持とう思ったんやけど両方とも失敗した。詳しい話も教えてくれへん。基本的に奴らの根城の近くは進入禁止、行かへんことになってる」
アヤに聞いた話だと俺達は、心構え一つで地獄へと足を踏み外してしまう状態だ。そのための情報隠匿か?
「きっと世の中には知らない方がいい事なんてのはいくらでもある。そうだろう、ミコト?」
「せやな。そんでな。外回りは、他の組織の連中がウチらのシマに入らんように見張るのも任務や」
なるほど。
「了解した」
俺は短く。力強く答えた。
「ほんでな。外回りの任務は基本二人で組を作るんやけどな」
体をモジモジさせながらおよそ少女らしくない秋波を送ってくるミコト。
「ミコトにはいないのか?」
そういえば俺を救った時も一人。相棒がいるとして帰り道でも合流することはなかったではないか。
「わいは死神らしいからなあ。任務中に事故が起こったのは一回だけや。男茸になってしまった奴が四人。アジトの中でや」
!? ちょっと待て!
「男茸になった人数の半分になるのだが!?!?」
それは同時に、その人数足す一の相棒を失ってきているという事でもあるのだが。
「あんさんなら、大丈夫やろ」
太陽のような笑みも少し陰りが見える。
「任務で死ぬなら仕方ないとは思ってはいるが」
国を守るためとまでは大層なものでもないが、人や文明を守ることに違いはないだろう。
「なら、ええやろ?」
執拗に許諾を求めてくる姿勢。理解した、この人は長らく孤独だったのだ。俺なら大丈夫だろうか。確かに心を強くする訓練は受けている。しかし俺の築いてきたものを粉々にされたようなこの貧弱な体では。俺の心はまだ強くあるだろうか?
「何黙ってんねん。何か言えや!」
俺の胸倉をつかむ手。その力も強いとは言い難い。
「勿論俺も任務を一人で遂行する気はない。よろしくな」
胸倉を掴んだミコトの手の上から俺の手を重ねる。
「ああ、よろしゅう! 和製ボニー&クライドと行きたいところやね」
むむ。それでは悪役だ。
「それは駄目だ」
俺は有名な刑事ものの登場人物を挙げた。向こうも気に入らないので応酬になり。結局その夜はバディもの談義に花を咲かせることになった。