2-2 アヤ先生のキノコ講座
二-二 アヤ先生のキノコ講座
「違和感でありますか?」
メイにはこの違和感は理解できないようでキョトンとした顔つきをしている。
「それは誰も、食料に関連したものを作ってないからではないかな」
幼い、だが落ち着き払った声がアジトの中に拡散される。
「これは、アヤさん!」
メイは敬意を示すように直立不動の体勢をとる。
「連れてきたでえ」
白衣を着たアヤと思しき少女の隣にはミコトがいた。お前はなにやらヘラヘラクネクネしていたのではないのか。
「お初にお目にかかる。私がアジトのリーダーだ。アヤと呼んでもらおう」
白衣の下はジャンパースカートと女児向けアニメのキャラクターが印刷されたシャツを着ていた。ぱっと見たところ、博士のコスプレをした女児にしか見えない。髪型は肩口に行かないぐらいの髪をちょこんとしたツインテールにまとめていた。それをまとめるゴムにもプラスティック製の可愛いお花があしらわれているとなるとそれはもう女児だ。
「フフ。おかしいかね。おかしいだろう。旧文明では割と稼いでいたし女に困ったこともなかった。それが年端もいかない女児の格好を強いられているのだよ」
アヤは、そんなに自嘲的でもなく笑った。
「強いられている、ということは、何か理由があるのか」
俺の言葉にアヤは強く頷く。
「勘のいい子は好きだよ。この世界がどうなったか。いまだに分からない事は多いが、私の推論でよければ聞くかね?」
今度は俺が力強く首肯する。
「十年前、この世界はキノコの脅威に晒された。それがどのような方法で行われたのかは知る由はない。とりあえず「大菌殖」と呼んでいる。私はこの十年間現象面と医療面からから観察を続けてきた。まずは文明破壊だが、これは私が名付けたものだが「男茸(おだけ)」という物が原因だ。なぜか男茸が発生したものは機能しなくなる。特に精密な部品があるものは無理だ。特に清浄にしているアジト内でさえ単純な発電機と電球で精いっぱいだ」
ここの人達は文明の火を消すまいと頑張っているのか。
「なるほど、街をうろつくキノコ人達は?」
キノコの脅威に関係していることは間違いないのだろう。
「我々は「茸女(たけめ)」と呼んでいる。上半身は菌類だが下半身は人間の女性だ。彼女らは元人間だ。と思われる」
アヤは少し歯切れが悪そうに発言した。
「思われる?」
それは確定情報ではないという事か。
「ああ。ところで君、大菌殖が起きた時の記憶はあるかね」
ふむ、そういえば。俺は何とか思い出そうと目を閉じて話をはじめる。
「たしか、休暇で彼女に会うためにこの街に来て……あとは覚えていない」
思い出そうとすると頭が痛む。何か嫌なことでもあったのか。
「そうだろう。気に病むことはない。当時の事を覚えている者は少ないのだから。だが覚えている者も数名いた。彼らには共通点がある。当時女性のスカートの下にいたという事だ」
いや、待て。
「それが共通点と言われても!」
どう反応していいか分からない。
「気持ちはわかる。そして一番記憶が残っている者の証言では、その女性の小水を浴びで生き残ったそうだ。外にいた男はみな男茸になり、女は茸女になった」
いやいや、待て。
「男茸は文明破壊をするとか言ってなかったか?」
男は皆茸に? 俺は混乱した。
「文明の大部分を築いたのは男性で間違いないだろう?」
少女の格好でそんな事を言われても。
「男性性を吸い上げて成長する。男茸にはそんな特性がある。もう一つの証拠を示そう。我々も保菌者であり、男性性が勝りすぎると暴走して男茸になってしまう。我々は最大四十名いた仲間のうち、八名をこれで亡くしている」
男性性? 暴走!?
「それはつまり気持ちの問題か? 心因性なのか別に問題があるのかという事だが」
そんなつまらないことで!
「そういう結論だな。ちなみに女に傾きすぎても今度は単なる茸として自然に戻ってしまうので注意が必要だ。この格好は男としての矜持を持っている奴もいるからな。主である私がすれば従わざるを得まい」
なるほど。あと聞かなければならないことは。
「茸女に襲われたんだが」
これも何か理由があるに違いない。
「そうか。大変だったな。ということは、」
アヤは意地の悪い笑みを浮かべて。
「クックックッ。笑ってしまっては悪いが、お漏らしをしてしまったんだろう?」
なぜそのことを! かつての俺なら静かな怒りを燃やす所だが、妙に顔が赤く自分では処理できないもやもやした感情が沸き上がる。
「は、恥ずかしい」
羞恥とは違うと思うのだが何やら俺には言い表すことができない。
「解るよ。できていたはずの事ができない。例えそれが大したことで無くとも人は落胆するものさ。その正体は、我々も大人になる前に何度か体験した、無力感という奴だ。少女という檻に囚われた我々は、何重にもそして幾度ともなくそれを味合わされることになる。元から少女だったものよりそれは深いものになるだろう」
アヤの顔がサディスティックに歪む。
「そんな、女性だって好きで弱いわけじゃないだろう!」
自縄自縛。見えない糸につるされた人形にでもなった気分だった。
「おしっこを茸女達に飲まれでもしたかな? 確かにあれはやるせない気持ちになる。まるで特殊なプレイをする娼婦にでもなったような」
あの時の光景を思い出すと涙が溢れてくる。そうか気づかないうちに俺は蹂躙されてしまったのだな。
「ぐす……」
何十年ぶりの悲しい気持ちからの涙。俺は確実に弱くなった。それが、器の脆さからくるものか、環境の変化からくるものなのか。それとも俺の思いつかない全く別の要因によるものなのか分からなかった。
「いいのだよ」
アヤは、背が低いくせに俺の頭を胸に受け止めて抱きしめた。薄くて頼りないが柔らかさを感じる。
「俺はどうすれば?」
この世界はミコトが言っていたほど楽観的なものではない。早期に目覚めたという彼の意見はそれなりに長生きしているのだろうから楽観的になるのだろう。
「我々はほぼ人間だが、明らかな新種だ。男女の間を行き来しながらその生を存え、しかも肉体的にはか弱い少女のままという。過去には腕に覚えのあるものが体を鍛えようとしたが男茸化してしまうだけだった。今の君は、少女に傾いている様子だし少しぐらい男らしいことをしても問題はないだろう。ここで作業をしている連中がいるだろう。物作りはいいぞ、作るものの内容によってはどちらに寄せる事も出来るし、基本的に使う相手を思いやる行動だから中道に寄る」
なるほど。あの道具作りはそんな意味が意味があるのか。そういえばまだいくつか聞きたいことがあった。
「疑問に思ったのだが」
不思議とメソメソした気持ちはどこかに行っていた。これも地獄の訓練の賜物なのかも知れない。
「何かね?」
アヤは俺の頭から離れてから少しあいまいな笑みを浮かべた。
「色々な作業をしているのは確かに見た。心のバランスを保つためなのか実用のためなのか。多分その両方だな」
まずは確認。
「そうだね。こんな体になってしまったとはいえ中にはプロの職人さんもいる。実用で使う道具もある」
そうか。
「食べ物やそれに関する器具を作り出す作業が皆無だったように思えたのだが。調理は別の場所で行っているのか」
料理は女性のするもの。その決めつけは勿論当てはまらない。
「我々は水さえとっていれば無補給で活動することができる。ほら、いつまで経ってもお腹が空かないだろう?」
そう言ってアヤはウィンクした。
「そうか。それはすごいな。それと茸女を動かなくしたあの水鉄砲には何が入っていたんだ?」
これは身を護るためにも知っておきたい事だ。
「彼女らの習性。我々のおしっこを吸収したがるというものだが、十分に満足すると彼女らは動きを止めるという事が判明した。高濃度のおしっこを浴びせればその状態に持っていくことができるのではないかという発想だった。実験はうまくいった」
これは、嫌な予感しかしない。
「もしかして……」
俺は答えを言い当てようとしたが、口に出すのはためらわれた。
「高濃度のおしっこと殺菌成分のダブルパンチだ」
おしっこを水鉄砲で飛ばす? 戦国時代の攻城戦か?
「そんなものが俺たちの武器になるというのか」
俺は頭が痛くなって額を押さえた。
「生存する為ならば、なんだって使おうではないか。我々の服装が基本スカートなのも最後の武器を有効活用するためだぞスカート以外でも簡単におしっこできるような服装になっているはずだ」
確かに、考えてみればミコトのスクール水着もそうなのか。
「しかし女の子らしくしすぎるとキノコになってしまうのだよな」
どちらに寄っても茸。人の道は狭いのだ。
「とはいっても我々は男。いつも女の子の格好をしているぐらいで丁度いいのだよ。ちなみに君の名前はヒビキだったな。女の子らしくない名前だったなら改名するところだがそのままでいいだろう」
しかし茸になった場合どんな弊害があるのだろう?
「例えばここで俺がキノコになった場合はどんな被害があるのか」
これは重要だろうから、聞いてみた。
「ふむ。茸というのは地面の中に潜んだ菌糸体というのが本体なのだが、我々が茸と呼んでいる部分子実体はさらに遠くに菌糸をばら撒くために使われることが多い。つまりそれが生えているという事は空間まで汚染されているとみていい」
ふむ。このホームセンターに茸が生えていないという事は。
「バイオハザードか」
徹底的に洗浄されてしまうのだろうなと頭の中で思い浮かべた。
「扱い的にはそうなるね。直接的に接触するのもまずいのだよ。おしっこを吸収された時、色々な場所を擦過されただろう?」
いやらしい顔。このエロ医者め。
「確かに。感染の危険があったというわけか」
茸女から害のある行動はされなかったといっていい。少女目線から言えばそうではないがこれは置いておこう。つまり危険なのは感染なのだ。
「そう。限られた場所なら殺菌も可能なのだよ。根こそぎ除染してしまうのはかわいそうという意見があったので、それぞれ袋詰めして病院に廃棄、いや弔ってやることにしているのだ!」
自信に満ち溢れたアヤの満面の笑みには破壊力があった。これが小水の事で無ければナデナデしてやりたいくらいに。
「武器があるという事は、ミコトのような外回りの部隊が数名いるのか」
心強い仲間がいるのはそれだけで嬉しいことだ。
「力自慢の奴らは、早々に男茸になってしまった。今も残っているのはミコトぐらいだな。後は必要がない限り外には出ない。ここ数年で我々もすっかり引きこもりになってしまったようだよ。そうだった、ミコト君と言えばエリザベスが君を呼んでいたよ」
アヤは、話に参加せず上の空だったミコトに話しかけた。
「あっ。話は終わりましたんか?」
ぼけっとしていたミコトはアヤの言葉を聞いていなかったようだ。
「ああ。ミコトちゃんエリザベスさんが君を呼んでいたよ」
裏があるようなにっこり笑い。
「ベス公が!? あかんわ、わし調子悪いわ」
くるっと背を向けてどこかへと立ち去ろうとするミコト。
「どれどれ先生に診せてみなさい」
強引に腕をつかんで心拍を取るアヤ。
「助けてぇ、ヒビキぃ」
目じりにキラキラ光る涙を浮かべたミコトは、守ってあげたいかと言われると勿論そうなのだが状況がよくわからない。
「……この場所と状況に危険を察知することができないのだが」
分からない以上、思ったことを口にするしかなかった。
「この人でなし! ベスはな、鬼なんやで新手の!」
鬼と来たか。きっとミコトにとっては面倒な相手なのだろう。
「と言われても。このアジト内にいる人物で安全なら問題はないだろう。そこらへんはどうなんだろう、アヤ?」
彼なら上手くまとめてくれるだろう。
「エリザベスは我々の衣装係だ。現時点での危険は無いことを保証するよ」
親指を立てて保証してくれるが。
「嘘や! また変な服を着せるんやろ!」
変な服を着せられてしまうのか。これはご愁傷様。
「困ったな……ああ、そうだヒビキ君もついていけばいい!」
ポンと手を打つアヤ。
「こうなったら、地獄に道連れや!」
ミコトは俺の手を強くつかんだ
「ヒビキ君のTシャツ一枚は特殊性癖すぎるからな。ミコトは妙に興奮していたし、早急に対策を講じる必要があるだろうからね!」
アヤが手を振る。俺はミコトと一緒にエリザベスの元に向かうことになった。