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針~君と刻む時~  作者: 渋谷幸芽
6/17

悲しき再会

千春と大喧嘩して数日、結局、歩は学校には登校しないまま、千春とも口を聞かず・・・・・。

学校に行ってないだけ、危害を加えられる恐怖はないけど、大地達と居て楽しいだけの毎日を送る自分に、焦っていた。

このまま傷の舐め合いを続けていれば落ちる所まで落ちる。

焦って、どこか苛立っている歩に、大地も焦りを感じていた。

まともな道に戻るなら早い方が良い。

自分より、シッカリしている歩なら、まだ自分を取り戻せる。

そう信じて、大地が胸の内を歩に告げた。

一度、入浴の為に健二達と別れて、2人で自宅に帰る途中。

「歩・・・・学校に戻れよ」

サッと歩の顔色が変わった。

「無理だよ!もう戻れない!行きたくても行けないの!学校の靴を履こうとすると吐きそうになる!勉強なら一人でやった方がずっと頭に入るし、行く意味が無いの!!」

「だからって、俺達と一緒に居たら、ダメになる」

歩は足を止めた。

「良いよ!ダメになっても、最近やっと気づいたの、自分も腐った方が楽だって」

必死に縋り付く妹を、大地は突き放した。

「腐るのが良い事のわけがないだろ!学校に戻れ!お前なら出来る!」

・・・・今の歩には、最も逆効果な言葉。

大地の言い分が正しくても、歩には、どうする事も出来なかった。

これ以上、大地の口から、学校に行けという台詞を聞きたくなくて走り出した。

「おい!歩」

途中まで追ったが、息が切れて見失った。

大地は情けない自分に舌打ちした。

「これは禁煙だな、暫く・・・・・」

咳き込んで額の汗を拭いながら歩の事は暫くソッとしておこうと考えた。


 息を切らせて帰ってきた歩はポストを開け空っぽの郵便受けを見て、ため息をついた。

自室のベッドに寝転んで、ボンヤリとカレンダーを見つめた。

「私の事なんて、どうでも良くなったんだね・・・・」

一頻り泣いた後、机の引き出しの一番下を開けて、赤いチェックのお洒落な箱を取り出して中から、これまで届いた幸芽の手紙や年賀状を憎しみに任せて捻り潰して捨てた。

再びベッドの上で大の字に寝転びモヤモヤした気持ちを持て余し涙していると。

 カタ!

不意に郵便受けから物音がした。

下に駆け降り、ポストを開けると一通の手紙が入っていた。

一縷(いちる)の期待を抱いて取り出した封筒の裏に記された差出人は『坂口翔』とあった。

「翔?」

再び自室に入り開封した。

中から出てきたのは一枚の便箋。

たった数行の呆気ない別れの手紙が、どん底の歩を打ちのめした。

『あれから色々考えた、考え抜いて別れる事がお互いの為だと思った。

どんなに考えても他に良い方法が無かった。

だから終りにしよう、今までありがとう』

「もうダメだよ、私・・・・」

生気を無くした虚ろな瞳が、机に飾られた写真立てに止まった。

小学校の卒業式の日に2人で撮った写真。

その写真立てを手にして、振り上げ勢いよくフローリングの床に叩き付けた。

簡単に壊れた写真立てが、まるで今の2人の様で・・・・自分の心の様で悲しかった。

割れた一番大きな破片を拾い上げ、細い首筋に押し当て、力を入れて引いた。

これで、やっと楽になれる。

光は、こんな所にも有ったんだ。

そんな事をボンヤリ感じながら、歩は意識を暗闇の中に沈めた。

鮮血が床に広がり、別れの手紙は、たちまち血に染まった。


 適当に街をブラついて、時間を潰した大地は帰宅してきた。

そして、歩の部屋の前で声を掛けた。

「歩、さっきの事だけど」

当然ながら返事は無い。

「・・・・怒っているのか?」

いつもなら怒っていても、必ず返事をする歩が返答しない事に不審に思いドアを開けた。

ガチャ!

ドアを開けて最初に視界に飛び込んできた床の鮮血。

「歩!」

床に広がる鮮血の量と、完全に血の気が失せた歩の顔色に大地は錯乱しかけた。

「歩!なにバカな事してるんだよ歩!!」

何か止血出来そうな物は無いかと、辺りを見回して、ベッドから洗い立てのシーツを引き剥がし、止血しながら子機に手を伸ばし救急車を呼んだ。

救急隊員の、ゆったりした声にイライラしながらも、焦った口調と言葉使いで何とか状況と住所を伝えた。

自傷行為から、大地が発見するまで、相応の時間が経過していた。

救急車が来るまで、冷たさを増していく歩の体に恐怖を感じながら救急隊に指示された通りに応急処置を施し、声をかけ続けて励ました。

程なく救急車のサイレンが近付いてきた。

大地は外に飛び出し、角を曲がってきた救急車に、大きく手を振って叫んだ。

「こっちだ!」


 歩は受け入れ可能な総合病院に搬送され懸命の救命処置が行われた。

躊躇いも何処かに有ったのか、傷は、出血の割に浅かったが危険な状態だった。

大地は家族控え室で待たされた。

そして、その部屋で大地は自分を呪った。

自分の事を許せなかったが、先日、ろくに話も聞かず歩を追い詰めた千春に対しても怒りを覚えた。


 トントン。

控え室に一人の看護師が来た。

「鏑木歩さんの、ご家族ですか?」

「・・・・歩は!?」

看護師は落ち着いた様子で話し始めた。

「今まだ治療中です、入院に必要な手続き等したいので両親にも来て貰いたいのですが」

一度家に帰らないと何も出来ない。

千春の職場の電話番号も分からないし、幹汰が居る寮の電話番号もアドレス帳を見ないと分からない。

「分かりました、どれ位で戻ってこられるか判りませんが一旦帰ります、妹を頼みます」

大地は家族控え室を後にして正面玄関に設置されたバス停の時間をチェックしながら周囲に人がいないのを確認して携帯を開いて着信履歴の一番先頭に出ていた健二の番号を選択して通話ボタンを押した。

その頃、家に帰って愛犬とのスキンシップを愉しんだ後、シャワーを浴び、さっぱりした体と心で母親の財布を漁っていた健二。

満足げに財布の中を覗いて紙幣を複数枚、自分の財布に押し込んだ。

突然、胸に伝わってきた携帯の振動に驚いて思わず財布を取り落としそうになった。

液晶に「大地」の表示。

『大地?どうした?』

「・・・・もしもし」

『なんだよ、暗い声出して、財布でも落としたのか?』

「落ち着いて聞いてくれ」

『どうしたんだよ』

「・・・・・歩が死んじまうかもしれない!俺の所為で!息してなかった、あいつ、首切って」

大地の、衝撃的な告白に思わず今度こそ財布落とした。

『・・・・・は?』

それ以上の二の句が継げず、お互いに長い時間、沈黙していた。

『・・・・・って言うかお前、今どこに居るの?』

ようやく健二が掠れ切った声で確認した。

確認され、同じく掠れ切った声音で力なく答えた。

「救急車に同乗して中央病院に居る、今はバス待ち」

『バス待ち?一度、家に戻るのか?』

「ああ、一回家に戻る、母親と片割れにも報告しないとならないからな」

『判った、なら、とにかく俺も、家行くわ』

一度電話を切り、直ぐに健二は勝に報告を入れた。

勝も、先ほど別れたばかりの健二からの入電に少し驚きながらも通話ボタンを押した。

「もしもし、勝、俺」

『どうした?』

「お前、今どこに居る?」

『どこって、予定通りシャワー浴びて資金を調達する為に家まで戻ってきているけど』

「もう全部済んだ?」

『ああ』

「なら直ぐに大地の家に集合だ」

『そんな打ち合わせしたっけ?』

「落ち着いて聞いてほしい、歩ちゃんが中央病院に搬送されたらしい、今、大地から連絡がきた」

『病院に?何で?』

「歩ちゃん・・・・・首切ったって」

暫し勝も放心した。

「とにかく一緒に大地の家に行ってやろう」

『判った・・・・直ぐ行く』


 大地が病院から自宅の最寄りのバス停まで戻ってきて自宅に帰ってくると、丁度、健二と勝も到着した。

「健二、勝」

「大地」

2人の声が重なった。

とりあえず家の中に入り、アドレス帳を手に数ページ捲ると、千春の勤める居酒屋の電話番号を直ぐに見つけた。

それでも大地は、受話器を手に、いつまでもナンバーをプッシュできなかった。

「大地・・・・」

「どう伝えたら良いんだろう」

悩んでも始まらないと大地は番号を押した。

まだ、心の準備が出来ていないのに、2回コールで電話は繋がって若い男性アルバイト店員が元気に応対した。

大地は慣れない敬語に思わず嚙みそうになったが千春に代わってもらった。

『もしもし?何?職場にまで電話してきて』

「歩が大変だから、直ぐに帰ってきて欲しいんだけど、俺だけじゃ、どうにも出来ない」

『大変って?』

いつもと様子の違う大地に、妙な胸騒ぎを覚えて、職場を出た千春。

千春が帰ってくる前に、3人で歩の部屋を掃除した。

「こんなもんかな・・・・悪かったな2人に、こんな事手伝わせて」

大地は力なく詫びながら翔が書いた手紙を何とか読もうと試みたが読めなかった。

 ガチャ!

そこに千春が慌ただしく帰ってきて、人の気配がする歩の部屋に入ってきた。

初対面の柄の悪い健二と勝にも一応会釈しながら大地の前に立った。

「歩が大変って何?どうしたの?」

千春が血で汚れた手紙を握り締める大地を訝しげに見比べながら恐る恐る確認してきた。

「・・・・・歩は?あんた、何を握り締めているの?それ・・・・・」

一層、手紙を強く握り締める大地。

答えられない大地に代わって勝が告げた。

「歩ちゃん、中央病院に搬送されたそうです」

「搬送って・・・・・どういう事?!ちゃんと説明して!」

「・・・・・俺が見つけた時は、もう首筋切って息も止まってた」

直球すぎる状況説明を受け千春は、顔色を無くし放心して思わず倒れ込みそうになったが壁に手をついて必死で踏みとどまった。

「とにかく、そういう状況だから、幹汰(かんた)には俺から連絡しておくから先に中央病院に行って入院の手続きとか済ませてこいよ、親に来てほしいってナースに言われているんだ、俺も後から行く」

千春は大地に促され「しっかりしなきゃ」と呪文のように繰り返し必要最低限の物を持って車に乗り込もうとした。

すかさず、大地は、それを止めた。

「そんな精神状態で運転したら危ないから!タクシー呼ぶから」

「そうね・・・・・」

健二と勝は、どうしてやる事も出来ず、立ち尽していた。

程なく到着したタクシーで病院に向う千春を見送って幹汰の高校に連絡した。

慣れない敬語を使い、何とか幹汰に代わってもらうと、言葉少なく状況を説明した。

受話器の向こう、歩の自殺未遂を聞いた幹汰も動揺を隠せない。

『母さんの事、頼んだぞ、俺も今から行く!』

電話を切り、大地は子機を充電器に戻した。

「大地・・・・」

「2人が居てくれて心強かった、俺もまた病院に戻る」

「判った、俺等は邪魔になるから帰るけど何かあったら何時でも良いから連絡くれよな!直ぐに行くから」


 気が遠くなるような時間を、家族控え室で無言で2人で待機していると若い看護師が入ってきた。

「看護師さん!歩は!?」

千春が詰め寄ると、看護師が顔を曇らせ、先ほどから 心停止に陥ってる状態を説明した。

更に説明を続けようとする看護師の言葉を大地が遮った。

そして、考えるより先に体が動いていた。

膝を折り、両手をついて頭を下げた。

「頼むから!絶対に死なせないでくれ!!」

「助けてください!あの子は、まだ中学2年なんです!今日が14歳の誕生日なんです!」

懸命に懇願する2人を落ち着かせ、看護師は現在行われている救命するための処置内容を伝え2人が理解・納得した事を確認して部屋を出て行った。


 そこから更に長い時間を2人で過ごした後、幹汰が到着した。

「大地・・・・母さん!ゴメン、遅くなって、電車の乗り継ぎで時間が掛かっちゃって、歩の状態は?」

「心停止に陥ったって・・・・・だから胸を開いて直接心臓にアプローチして蘇生させるって」

大地の説明に幹汰も言葉を失った。

3人で絶望していると内線電話が鳴った。

3人の間に、言いようの無い緊張が走る。

泣き崩れている千春は電話に出られない。

受話器に伸びる大地の指先も震えていた。

大地より先に幹汰が受話器を取り掠れ切った声で応答した。

「・・・・・・もしもし」

『もしもし、鏑木歩さんのご家族で間違いありませんか?オペを担当しました大橋と言いますけど』

「はい」

『たった今オペが終りまして、ICUに収容しました』

「ICUって事は、妹は助かったんですか?!先ほど心停止という説明を受けたのですが」

『その後心拍が再開しまして何とか一命は取り留めました』

助かった・・・・・。

「有り難うございました!」

見えない相手に頭を下げる幹汰を見た2人は一安心したが、直ぐ幹汰の様子は一変した。

受話器の向こうで、大橋が言いにくそうに気になる事を告げたからだ。

『ですが、出血から処置できる時間が少し長かったので意識が戻るまでは何とも』

「どういう意味ですか?」

『脳に障害が出る可能性もあります』

「・・・・脳に障害?」

千春と大地が思わず椅子から立ち上がった。

『詳しい事は後ほど説明させていただきます、もうしばらく、そちらでお待ちください』

大地は、受話器を戻した幹汰の肩を揺すった。

「何だよ!脳に障害って、歩が植物人間になるっていう事なのか?!」

「よく判らないけど・・・・・とりあえずまだ、此処で待つようにって」

そんな会話をして3人で困惑を深めていると控え目のノックの後返事を待たずドアが開けられた。

「失礼します、3A東病棟の看護師の窪田里美と言いますが、皆さん、鏑木歩さんの家族の方で間違いないですね?」

「はい」

確認を取った後、看護師がカルテを開いて説明を始めた。

「先ほど、治療が終りました、現在ICUに収容して、治療を続けています、今は人工呼吸器で、補助呼吸を続けていますが心臓の動きは非常に安定していますので明日には数分の面会も可能になると思います、ICUからも早めに出られると思います」

「ありがとうございます」

ホッとした顔で深く頭を下げる千春に、だけど申し訳なさそうに看護師が告げた。

「ただ胸の傷は救命第一だったので、大きく開いたので一生残ると思います」

「あの、執刀して下さった大橋先生が言っていた脳に障害っていうのは、どういう事なんですか?!また元気に笑えるようになるんですよね?急変の危険性とかは大丈夫ですか?!」

矢継ぎ早の幹汰の言葉にも、微塵の動揺も見せずに遮って淡々と説明を続ける看護師。

「まだ非常に若くて体力も充分ありますので急変の危機は脱してきています、脳障害に関しては大量出血から搬送されてくるまでの間どれだけ脳がダメージを受けたかが問題になるのですが必ずしも障害が出るわけではありませんので悲観的に成らないで下さい、私達も最善を尽くします」

その言葉で、微かに希望を抱いた。

「この後、執刀医の方からも治療の流れ等の説明も有ると思いますが、これから私、窪田が退院まで歩さんをメインで担当させて頂く事になりますので、不安な事や心配な事は遠慮なく仰ってください」

お互い頭を下げナースは話を続けた。

程なく執刀医も入ってきて現状の説明を始めた。


 10時過ぎ、疲労困憊で3人は帰宅した。

とても食事をする気になれなかったが千春は台所に立って軽めの夕飯を作り始めた。

階下から漂う良い匂いを感じながら、大地は歩の部屋で立ち尽くしていた。

「何をしてるんだ?大地、歩の部屋で」

「・・・・・俺が、あいつの時みたいに歩を追い詰めたのかなって思って、同じ失敗したのかなって」

「どういう事?」

「・・・・・偉そうに学校に行け!なんて言ったから」

「学校に行けって・・・・・え?歩、まさか不登校だったのか?」

「ずっとじゃないけどな、少し前までは行けていたんだ、イジメに遭いながらも、でも少し前から行けなくなって」

「イジメ?!何で歩が?勘違いじゃないのか?」

「歩が認めたんだ、イジメに遭っていた事!つい最近の話だ、制服が不自然に汚れていたりした事も有った、でも、くれぐれも母さんには話さないでくれよ、歩から口止めされているから」

言われて(おもむろ)に制服が吊るされたハンガーに近づき、足元を見てなくてゴミ箱に(つまず)いた。

「何してるんだよ」

呆れながら大地は、ゴミ箱を起こし、中身を拾いながら一瞬、手を止めた。

幸芽からの手紙と年賀状が捨てられていたからだ。

「?そのゴミが、どうかしたか?」

「ゴミじゃない!!これ・・・・おい、見ろよ幹汰、全部、幸芽からの手紙と年賀状だ」

「え?何でそんな大事な物が、そんな状態でゴミ箱に?!」

「ケンカでもしたのか・・・・・でも、どうする?幸芽には、この事・・・・」

大地に確認され幹汰も暫し考えた。

正解を見つけられずにいると歩の携帯が幸芽からのメールを受信した。

2人迷いながらもメールを確認した。

『歩、ハッピーバースデー、お祝いがこんな遅い時間になってごめんね、そして、もう一つ謝ることが有るんだけど、プレゼントを送れるのが少し遅くなるけど待っていてね、今月中には必ず送るからね』

「・・・・・ケンカは、してない様子だな」

「そうだな・・・・」

「じゃあ・・・・・知らせないのも違う気がするし報告のメール、幸芽に送るぞ」

「・・・・ああ」

大地に確認され幹汰も頷いた。

途中までメール文を作成したが、大地が手を止め幹汰を振り返った。

「こういうのって、電話の方が良いのかな?駄目だ、俺、何か冷静な正しい判断が出来なくなっているわ」

何が正しいのか完全に見失っているのは大地だけでは無かった。

暫し、2人で考え込んだが時間も遅かったのでメールで状況を掻い摘み伝える事にした。

『幸芽、久しぶり、元気そうだな、今日はお前に大事な話が有る、実は歩が今日、緊急入院した、場合によっては脳に障害が出る可能性も有ると言われて、今は意識も無くてICUに入っている状態なんだ、幹汰・大地』

歩からのお礼のメールが届くとばかり思っていた幸芽は程なく、大地から届いたメールを違和感を覚えながら、とりあえず開封し、内容を確認して愕然として思わず電話していた。

「もしもし!お兄ちゃん」

『幸芽・・・・』

大地が疲弊を隠しきれない声音で応えた。

「どういう事?!歩が入院って!車にでも撥ねられたの?!」

自室で大声で話しているとすかさず隣の部屋から父親の秀治が部屋に入ってきて咎めた。

「こんな時間に誰と電話しているんだ!大声で何してるんだ」

幸芽は通話口を押さえて小声で簡潔に秀治に伝えた。

「歩が入院したって、お兄ちゃん達から」

「え?!何が有ったんだ!」

『落ち着いて聞いてくれ、詳しく話せないけどメールで送った通り、歩が入院した、出血が多くて、命の危機は脱したけど脳に障害が残る可能性が有るって』

幸芽は、中1の夏休みのワンシーンを思い出していた。

駅の改札口の前、再会を約束して別れた、歩の元気な笑顔を鮮明に思い出していた。

その笑顔を2度と見られなくなるかもしれない恐怖に支配され思考は満足に動いてくれなかったが。

「・・・・・歩に会いに行くよ!お兄ちゃんたちが迷惑でなければ、終業式の後、直ぐに行くよ!来週の水曜日が終業式だから!」

傍に行きたい気持ちに駆られ幸芽は告げた。

電話口を押さえ、秀治にも念のため確認を取った。

「良いよね、行っても・・・・」

秀治は複数回頷いて見せた。

『・・・・・・ありがとう、じゃあ、来週の水曜日、駅まで迎えに行く』

再会を約束してお互いに電話を切った。

「そう言う事だから、来週、学校が終わったら静岡に行ってくる」


そして、約束どおり、歩に会う為に、幸芽は終業式後、すぐに山梨を発った。

朝、出勤前に秀治は念を押した。

「ちゃんと挨拶して、失礼が無いようにするんだぞ!手土産も忘れるなよ」

「はい」

「とにかく、気をつけて行きなさい」

「うん」


幸芽は長い時間電車に揺られて、大地と幹汰との約束の駅に向かった。

「久しぶり、元気そうだな?美咲も元気か?」

幹汰がさり気無く幸芽の荷物を持った。

「うん、美咲も元気だよ、あ、ありがとう、それで、歩の容態は、どう?」

「まだ、意識が戻らなくて・・・・でも急変の心配も完全になくなって人工呼吸器も外されて今は個室に居るよ」

「そうなんだ、まだ意識が戻らないんだね」


 早速、幸芽は歩の入院している病院に案内された。

大地と幹汰に付き添われ、個室に通された幸芽は、眠り続ける歩に言葉を失った。

頸に緩く巻かれた白い包帯と血の気の無い顔色は余りに痛々しい。

「どうしたら首なんて怪我出来るの、まさか自分で・・・・どうして?何が有ったの?」

大粒の涙を零しながら歩の冷たい手をきつく握りしめた。

肯定も否定もできず大地も歩に声を掛けた。

「幸芽が会いに来てくれたぞ、寝ている奴があるか!起きろよ」

刺激を与えるように髪を撫で、手を握った。

特に反応を見せなかったが、手を握ったり声を掛け続けたりと刺激を与え続けた。


「母さん、ただいま!」

千春は、シフトを交換してもらうなどして大半の時間を、歩の為に割いていた。

「幸芽ちゃん、久しぶり、歩の為に遠い所まで来てくれてありがとう、駅まで迎えに行けなくてゴメンなさいね、今日はどうしても仕事の休みが取れなくて・・・・」

憔悴し切った様子で、それでも幸芽を歓迎してみせた。

「すっかりご無沙汰しています」

恐縮して見せながら、秀治から持たされた山梨の名物を差し出した。

「これは心ばかりですが・・・・・」

「ありがとう、幸芽ちゃん」

 PRRR・・・・・。

突然リビングの電話が鳴り出した。

傍らに居た幹汰が2コールで出た。

「鏑木です、はい、大変ご無沙汰しております!お世話になります、はいお待ち下さい」

保留ボタンを押して千春を促した。

「母さん、歩の担任の岸本先生から」

「ちょっとゴメンね、幸芽ちゃん」

幸芽に断り、千春は岸本に対応した。

言葉少なく会話して受話器を置いた。

傍から見ても露骨に岸本に対しの苦手意識がにじみ出ていた。

「あの女、俺の中1の時の担任だったけど贔屓(ひいき)激しいから嫌いなんだよな!幹汰は成績優秀だからか好かれていたけど俺は嫌われていたな、2年の時に一回、幹汰と間違えられて廊下で期末テストの結果を褒めながら本人を目の前にして俺の事を(けな)してきた時はムカついたな」

「俺も大地と間違われて無駄に怒られたな!幹汰って判った瞬間、態度豹変したけど・・・・・母さん、そういえば岸本先生に会うの初めてだっけ?あの頃、家庭訪問や学校行事の時は、お爺ちゃんとお婆ちゃんが対応していたし」

「実は、この間、お会いしているのよ、他の先生方と、うちの店に来たんだけど、まぁ、貴方たちから聞いていたように随分と変わった方だったわね、家庭訪問が廃止になってくれていて本当に良かったわよ、あんな人の話を聞くために時間を割くなんて辛いもの」

千春は皮肉たっぷりに岸本を評価した。

「一言で説明すると無能の中年だな!!」

悪態をつく大地を2人は咎める事も、教師をフォローする事もなかった。

そんな所からも3人の苦手意識が伝わってきた。

「ごめんなさい、幸芽ちゃんに判らない話をしちゃったわね、8時過ぎには来るみたいだから少し早いけど、夕飯にしましょう」

冷蔵庫の中を覗いて手際よく作ったのはハンバーグだった。


 夕食の後、食休みした幸芽は、一番風呂に入れてもらっていた。

一番風呂なんて申し訳ないからと、断る幸芽に千春は、それでも快く一番風呂を勧めた。

あまり遠慮して断るのも、何だか逆に悪い気がしてきて結局、一番風呂に入った。

血流が良くなっていく心地よさを感じつつ何をしていても、歩の事が気になった。


脱衣所でパジャマを着ていると、居間の方から口論のような声が聞こえてきた。

それでもお風呂を上がった事を報告しないとならないので、怖々と濡れた髪を拭きながら居間に入った。

酷く張り詰めた空気が流れていた。

「あの、お風呂ありがとうございました」

千春と大地と幹太と対峙していた岸本はリビングに入ってきた幸芽を吟味でもするように上から下まで目線を走らせた。

そして大して興味を見せず、挨拶をすることも無く前に向き直った。

幸芽は思わず、岸本に会釈するタイミングを逃し自分の居場所がよく分からなくなり立ち尽くしていた。

そんな幸芽の反応に気付いた幹汰が自分の横に促した。

いそいそと幹汰と大地の間に座ると幹汰が耳元でそっと教えた。

「歩の担任の岸本先生」

担任と紹介され、歩が自殺を図った一件で訪問したのだろうと直ぐに判ったが、そのわり横柄な印象を受けた。

誠意の欠片も感じられない担任教師に千春は怒りも露に、判り切った質問をする。

「では何としても、学校側に原因は無いし心当たりも無いと言うんですね」

「ええ、何度も言っている通りです」

「ふざけるな!そんな筈ないだろう!真面目に調べろよ!」

大地がテーブルを叩きながら怒鳴った。

「貴方、今も昔も本当に乱暴ね!今も説明したけど貴方の妹はホテル街で写真を撮られるような問題児なの!」

殺気立ち、容赦なく岸本に掴みかかろうとする大地を幹汰が抑えた。

「こんなの誰かが作った合成写真だろう!本当の事を話す気が無いなら帰れ!」

大地を抑えつけながら幹汰も訴えた。

「僕達は、ただ真実を知りたいんです!本当にイジメが無かったのか、無かったなら歩をそこまで追い詰めたものは何だったのか、担任として何か思い当たるなら話してほしいんです!」

「だから、イジメは無かったと皆が言っているの!アンケートにも何度も答えてもらっているの!私の説明が信じられないなら、自分たちで見たら良いわ」

言いながら、傍らの、少し厚いA4の茶封筒を千春たちに差し出した。

大地が興味無さそうに茶封筒を突き返し毒づいた。

「そんな無意味なアンケート、誰がまじめに答えるんだよ!どれだけ無能なんだよ!」

千春も怒りの余り、大地の「無能」発言を微塵も咎める気になれなかった。

「アンケートが無意味かどうかは、あなたが決めて良い事じゃないでしょう!強いて言うなら歩さんは著しく協調性を欠いた子だから馴染めなくて苦にしたんじゃないかしら」

「協調性が無い?!本当に開いた口が塞がらないわよ!!よくそんな適当な事が言えるわね!」

「何故適当なんて言い切れるんです?」

「言い切れるわよ!娘は絶対にそんな子じゃないわ!そんな風に育てた覚えはないわ!」

「子供が自分の理想通りに簡単に育ったら誰も苦労しないわよ!とにかく担任の私から見た歩さんは協調性の欠片もない浮いた子だったというのが真実よ」

4人で睨み合った後、岸本はチラリと室内の時計を確認した。

「じゃあ、出来る報告は以上ですので、これで失礼します、このアンケート結果は持って帰りますけど、ご自分たちの目で確認したくなったら、一報入れた後に来校して下さい」

「・・・・・見ないわよ!そんな無意味なアンケート結果なんて!!」

不快感を露わにされ、岸本も不快感を露わにして見せた。

「そうですか!じゃあ、失礼しました」

岸本は歩を(けな)し、言いたい放題言って帰っていった。

「もう!本当に、話には聞いていたけど、どれだけ無能なのよ!!」

遠慮なく憤った後、困惑しっぱなしの幸芽を振り返った。

「ごめんね、幸芽ちゃん、見苦しい所を」

「いえ・・・・気持ちは凄く判ります、酷いですね、歩に協調性が無いなんて、生徒を全く見てない証拠ですよね!」

「幸芽ちゃんもそう思うでしょう?!合成写真を作った犯人も調べようともしないで!」

「合成写真?」

先ほどから度々耳にするキーワードに訝しげに首を傾げた。

「これよ」

千春が引き出しから写真を出してきて幸芽に差し出した。

「これは大地の中3の時の担任で、歩が所属している陸上部の顧問でもある両角先生」

一目見た瞬間に幸芽も、大地が言ったように悪意に満ちた合成写真だと感じた。


 その頃、狭いアパートの一室で、とても苦しんでいる少年が居た。

イジメの輪を広げた悠太だ。

自殺にまで追い込んでしまった。

耳に蘇る歩の情報。

『首切って意識不明だって』

悠太は、自分の犯した過ちに苦しんだ。

「どうしたら良いんだよ!教えてくれ!」

一人の人間の、二度と戻らない大切な時間を奪ってしまった。

自分の辛い過去を言い訳に、何の落ち度も無い歩をイジメで追い込んだ。

償い方を何一つ知らないまま。

此処に来て、ようやく気付いたのは、クラスで孤立こそしてなかったが、心から何でも言い合える友達が一人も居ない事。

教師に正直に事実を打ち明ければ、少しでも責任を取る事や償いになるのか。

だけど、そんな事をしたら、今度は自分が第二の鏑木歩になってしまうのではないか。

色んな考えが浮んでは消えていった。

しかし、その苦悩は、悠太だけが抱えているわけではなかった。

クラスの大半の人間が自分の過ちに苦しんでいた。

それでも、イジメに遭うのが怖くて、誰も真実について、一番の問題について話し合う勇気が無かった。

苦しみ抜いて、逃げるように悠太は夜の街に飛び出していった。

久しく、あのストリートミュージシャンの3人とも会っていなかったと駅前を歩いてみたが当然だが、そこに3人の姿は無かった。

急に全てに見放されたような心細さに襲われて結局、家に引き返した。

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