学校
3月11日、2時46分、歩達は学校行事の中の一つ、全校一斉大掃除を終え、いつもより少し早い時間帯だったが帰路についていた。
歩は、幹汰と大地と幸芽と一緒に下校途中だった。
通学路になっている通い慣れた道を4人で歩いていると、突然立っていられないような激しい揺れに襲われた。
歩達は一斉に体勢を崩しながらも体を寄せ合い抱き合いジッと揺れが収まるのを待った。
脇を流れている川から奇妙な音が聞こえ4人で体制を崩しながらもガードレールの隙間から覗き込むと魚が一斉に跳ねていた。
幼いながらも異様な事態だと察した小学校低学年の歩と幸芽は遂に泣きだした。
「大丈夫だ!直ぐに収まる!とにかく収まったら母さんの所に行こう!」
幹汰が泣きじゃくる歩達を励ました。
その横で大地は瞬く間に一変していく街並みを信じられない思いで呆然と見つめた。
一向に収まる気配が無かった揺れが、ようやく収まった所で何とか4人立ち上がり、幹汰と大地は幼い歩と幸芽の手をしっかり握り千春が勤務する、不動産屋へと急いだ。
・・・・急いでいるつもりだった。
不動産屋へと向かう道のりは異様に険しく長いものになっていた。
歩達が居る場所から不動産屋は普段は子供の足でも、徒歩で2~3分程度で行ける距離にあったのだがブロック塀が倒れ電柱が倒れ道路に亀裂が走り段差が生じ、歩達の行く手を阻んだ。
周辺に響き渡る物々しい防災無線に焦りは増すばかりだった。
迫りくる大きな危機の恐怖にパニックになりそうになりながらも大地と幹汰は懸命に自分を奮い立たせ歩と幸芽を励ました。
そして普段より時間をかけ何とか母親が勤務する不動産屋へと辿り着いた。
不動産屋の中もひどい状態だった。
色んな物が倒れ、散乱していた。
従業員達はそれぞれ、各自の家族や友人と連絡を取ろうとしていた。
「あ!歩!大地、幹汰!幸芽ちゃん、ビックリしたね!怖かったね、大丈夫よ!ここまでよく頑張ったわね、直ぐに学校に行きましょう!避難所になっている筈だから!」
「お父さんと連絡は?!お爺ちゃんとお婆ちゃんも急いで迎えに行かないと!」
幹汰が一緒に住んでいる祖父と、少し前から寝たきりになってしまった祖母を心配し駆けだした。
「ダメ!危ないから!津波が来るって!避難しなさいって放送、聞こえてるでしょう、大丈夫!2人にはお父さんが付いているわ!さっき、お父さんと連絡が取れて、お爺ちゃんとお婆ちゃんを迎えに行った後、一度、高台に避難して、落ち着いたら避難所に来るって言っていたから、お母さんと一緒に学校で待とう?」
その時、幸芽の父親、秀治が風邪気味で保育園を休んで家に居た美咲を抱きかかえて必死の形相で地形が変わってしまい、歩くのも大変な道を走ってきた。
「幸芽!鏑木さん!」
「・・・・お母さんは?!」
繰り返される防災無線と泣き続ける美咲の声に搔き消されまいと秀治が懸命に声を張った。
「直ぐに来るから大丈夫だ!お爺ちゃんとお婆ちゃんを迎えに行った!避難所で待ち合わせしようって、とにかく早く逃げるぞ!鏑木さんも行きましょう!」
「はい!」
歩達は、そろって、また学校へと引き返す事になった。
学校には続々と被災者が集まったが、体育館の前に立ち入り禁止の赤いコーンが置かれていた。
体育館は天井が崩落し、ガラスも割れて危険な状態だった。
急遽、校舎が避難所として開放された。
歩達は、そこで家族を待ち続けた。
階段を登る足音を聞く度に期待して廊下に出たが・・・・・。
歩達は何度も落胆を繰り返した。
そして数日後・・・・・。
自衛隊等の必死の救助活動の最中、幸芽達は最愛の家族と対面した。
その数日後、歩達も変わり果てた父親と無言の対面を果たした。
更に、その翌日、祖父母とも無言の対面を果たした。
大事な家族も住んでいた家も、職場も失い絶望の只中に居た。
それでも立ち止まる事は許されなくて、住み慣れた地を離れる決断をした。
いつもの時間に鳴る目覚まし時計。
歩は手を伸ばし時計を止めて体を起こした。
とてつもない憂鬱感に苛まれながらも制服に着替えて階下に降りた。
リビングに入ると油揚げの味噌汁と焼き魚の匂いが漂った。
「おはよう」
「おはよう・・・・頂きます」
カバンを隣の椅子に置いて、軽く手を合わせて歩は食事を始めた。
ニュースを聞き流しながら素早く食事を済ませて、手早く身支度を整えて家を出た。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
1人で、いつもの道を歩きながら、角を曲がると歩の憂鬱感は最高潮に到達した。
学校へ向かう足取りは、とてつもなく重いものだった。
原因は判らないが、1年の2学期からイジメに遭っていた。
学校に近づく度、律義に具合が悪くなり逃げだしたくなったけど、その時、鮮明に幸芽の顔が脳裏に浮かんだ。
幸芽も、こんな思いに苛まれながら、それでも乗り越えたのだから自分も負けていられないと自身を奮い立たせ、鞄の取っ手をギュッとキツク握って深呼吸した。
・・・・幸芽も山梨に移住してから、小学校を卒業するまでの間、ずっとイジメに遭っていたのだ。
地震で母親と、母方の祖父母を、大切な人を一度に3人失い、幸芽は心の処理が全く追いつかなかった。
幸芽は・・・・・涙が出なかった。
泣かない強い子と大人に評価されても漠然と違和感を覚えていた。
変わり果てた冷たい亡骸。
冷たい母と祖父母の亡骸の前、幸芽は立ち尽くした。
まるで泣き方を忘れたように、幸芽はずっと無表情だった。
実感できなかった。
そんな幸芽が母親達の死を実感して受け止めたのは山梨に、引っ越してきて直ぐの事。
祖母を手伝い、一緒に洗濯物を取り込んでいた幸芽を見かけた近所の噂好きの主婦が励ますつもりで言ったのであろう一言。
「貴女は、まだ幸せな方なのよ、両親を亡くした子もたくさんいるんだから元気出して頑張りなさい!」
流石に悪意こそ感じなかったが、全く胸に響かない励ましの言葉だった。
死んだ魚のような双眸で自分を見つめ返す幸芽に更に発破をかけるように語り掛けた。
「いつまでも暗い顔して死んだお母さんを悲しませるような事しちゃダメよ?テレビで見たけど、幸芽ちゃんよりずっと辛い思いしている子たちの方がずっと元気だったわよ」
幸芽は、何故なに一つ失ってない人に、何も判ってない人に、そんな事を言われないとならないのか内心反発を強めていた。
被災もしてない第三者に、あえて諭されなくても大事な家族を亡くした辛さは皆一緒だという事は幸芽も充分に判っていた。
判っている上で、それでも、その喪失感にどう対応したらいいのか判らないまま、自分を立て直すことも出来ないまま、新しい学校への初登校日を迎えてしまった。
そして幸芽の長い冬の幕が開けた。
幸芽が被災者であることは担任から皆に知らされていて、最初は歩み寄ろうとしてくれたクラスメイト達だったが、幸芽は何一つ受け入れる事が出来ず、立ち直れないままウジウジし続け周りをウンザリさせ続け、程なくイジメの標的になり小学校卒業まで階段で押されたりボールをぶつけられたり殴られたり蹴られたりバイ菌扱いされたりと壮絶なイジメに遭った。
そんな現状を幸芽は入念に口外を口止めした上で歩に打ち明けていた。
小学校卒業まで登校拒否にならず通い通せたのは、まぎれもなく歩の支えがあったから。
けれど、中学に進学する頃には色んな失敗を重ねて来た幸芽も少しは成長を果たし、性格も小学校時代よりは好転した。
おかげで平凡に中学校生活を送る事が出来ていたのだが、成績が伸び悩んでいた幸芽は父親の意向で塾に通わされるようになり、ある日突然、通っている塾で再びイジメの標的になってしまった。
加害者は3人とも他校の生徒なので今のところ学校での安全は確保されているのだが度々万引きや土下座を強要されていた。
歩と同様、幸芽も原因が判ってなかった。
ある日突然、塾の椅子に画鋲が置かれるようになり、休み時間にトイレに行けば閉じ込められたり、ここ数ヶ月は万引きを強要される日々が続いていた。
勿論、本当に万引きをするのではなく、貯金と小遣いを切り崩し購入し、店で袋もレシートも受け取らず3人に差し出していた。
顔を合わせるたびに万引きを強要されていては貯金も底をついてしまうので、相手に付け入る隙を与えない為に被害を最小限にする為に休み時間は、解らないところを質問に行くという体で、極力、講師と一緒にいる事にしていた。
正直に家族に話して塾を辞めさせてもらおうとも考えたが、現時点で出来ていない。
行動に移せない理由の一つとして親に心配をかけたくないという思いが大きかった。
そんな幸芽のストレスの捌け口は、最低と自覚しつつも同居している祖父に向いていた。
心配掛けたくない・・・・今の状況を認めたくない。
イジメに遭っているなんて情けないし男親には理解してもらえないだろう。
幸芽は、解決させる手段を見出せず、最低な方法でストレスを発散させていた。
本当は、発散されたわけじゃない。
でも、その時の幸芽は、スッとしたと思い込んでいた。
幸芽は、いつからか、何がキッカケなのかさえ思い出せないが馬が合わないと感じ始めて祖父に辛く当たるようになった。
中1の夏に、心の支えだった祖母を病気で亡くしてからは幸芽の祖父に対する風当たりは一層強くなった。
祖父のやる事、全てが気に喰わなくて、口汚く罵り困らせた。
この日も幸芽は朝から祖父にきつくあたり自己嫌悪に苛まれながら登校していた。
「今日は塾の日か・・・・」
盛大にため息をついて思わず呟きながら幸芽は下駄箱の扉を開けた。
同じ頃、歩も体調を崩しながら気力で足を運んだ。
生徒玄関で同じ部の友達の小沢真希が自分の下駄箱に交換日記のノートを入れたのを目撃して声を掛けたが、真希は振り向かずに行ってしまった。
深く考えず、そのノートを手にして確認したが、次の瞬間、表情を強張らせノートを握り締めた。
そのノートは、歩の日記の所だけがビリビリに、カッターのようなもので破られていて、最後のページに殴り書きがしてあった。
『今まで歩が可哀想でボランティアで友達してきてあげたけど、もう限界!だから廊下ですれ違っても気安く話しかけてこないで!今時交換日記とかアナログ過ぎて付き合い切れないし、歩のつまらない日常にも興味ないから!』
ノートを握り締める手が失望で震えていた。
失望と憎しみに任せ、ノートを捻じり潰して傍らのゴミ箱に叩き入れた。
そして、ふら付きそうになる足取りを心の中で叱り付け、教室に入るとイキナリ気持ちが重くなる状況が目に入った。
机の上に枯れた菊の花が乱雑に置かれ、椅子は水浸しだった。
思い思いの場所で雑談していたクラスメイトが一斉に歩に注目してクスクス笑い始めた。
歩は、表情を変えず、菊の花を捨て椅子を拭いて席に着いた。
どうして自分がイジメのターゲットになってしまったのか、自分の何を正せばイジメは終るのか、今日も頑張って推察してみたが答えにたどり着けなかった。
心当たりがないが、嫌がらせが始まったのは中学に入って最初の中間テストが終った頃からだった。
最初は特定の男子に皮肉を言われる程度で済んでいたので、歩は大きく構えていた。
だけど、夏休み明け、イジメはエスカレートしていった。
誰に話しかけても無視されるようになった。
クラスメイトは徹底して無視を決め込み度々歩の持ち物を隠す嫌がらせをした。
律義に傷ついていると精神が持たないので歩は自分が皆を無視していると思う事にした。
結局、1年の3学期まで、そんな状態が続いたけど、2年になってクラスが変わった。
しかし、1年の時、イジメの中心に居た甲本悠太が同じクラスになり状況は悪化の一途を辿るばかりだった。
最近では朝のホームルームが始まるまでの時間、担任が来るまでの短い時間ではあるが、硬式用のテニスボールをぶつけられたり、黒板消しを投げつけられたり確実に内容はエスカレートしていった。
歩が刺す様な胃痛と無表情で戦いつつ警戒していると左肩に消しゴムがヒットした。
それを合図のようにチョーク、雑巾、テニスボール、教科書等、色々な物が飛んで来た。
歩は壁に掛かった時計を、何とか盗み見た。
もう担任が来る時間なのに、来る気配が全然無かった。
「先生なら来ないぞ」
歩の祈りを嘲笑う様に悠太が言った。
「1時間目は自習って、残念だったな」
こんな時間を50分もやり過ごす自信は流石に無かったので、身の安全確保の為、保健室にでも行こうと席を立ったが。
悠太に足を引っ掛けられ転んだ。
打ち付けた膝と掌がジンジン痛んだ。
歩は身体を起こし、悠太を睨んだ。
日頃、暴力で訴える事は無い歩だったが体が自然と動いていた。
悠太の座っている椅子の脚を掴み、思い切り引いて転ばせ、手加減せず平手を叩きこんだ。
一瞬、目眩さえ覚える程の強さだった。
予想外の歩の行動に、悠太は鼻血を出しながらポカンとしていた。
そして歩も自分の行動に驚いていた。
放心している2人。
周りの皆も呆然としていた。
悠太より先に我に返った歩は、そのままカバンを片手に学校を飛び出した。