86話 夢の世界
ルグレの中まで戻ってきたが、人が居ない。それに、よく考えたら18時はゲーム内でもまだ夜の筈だ。それなのに夕方、茜色の光が差し込んでいる。
「誰も居なーい…」
露店も、雑貨屋ぐれ〜ぷにも、アリスさんの店にも居ない。師匠から貰った黄昏の首飾りも使えない。
人を探しても見つからないというのは変だ。田舎とかならともかく、ルグレやサスティクなんかの街はNPCが多いし、更に言えばルグレはFFを始めて最初に降り立つ街だ。プレイヤーだって他の街と比べて多いだろう。
何故。疑問は尽きないものだ。
思い当たる節があるとすれば、エニグマが言っていた「夢の世界」というやつか。何かの条件を満たして寝るか、かなりの低確率で行けるらしい。
夢の世界って、ルグレとかの地形がちゃんとあるのか。もしかして特殊マップに分類されてたりするんだろうか。それならマップのデータを流用出来る…これはメタいな。
「夢の世界ねー」
確かに、視界の端が常に白いのとか、物の輪郭が少しぼやけているのは夢っぽい。
「…夢っぽい?」
……。
いや、そうでもないな。でも夢は起きた時に一気に思い出すみたいな感じだから、詳細は覚えてない。明晰夢も見たことないし。
そういえばうさ丸も居ない。起きた時に居なかったから着いてきてないとかのかな。草原にモンスターも居なかったし、本当にどういう意図のマップなのか分からない。
ルグレを歩き回ったが、結局人は誰も見掛けなかった。教会にも行ったけどファストトラベルは使えなかったので、他の街に行けるにしても徒歩になる。端的に言うと無理だ、謎に速い馬車でだってそれなりにかかるのに、徒歩で行ったら数時間じゃ済まない。
「どうしよっかなー…」
どうやったら戻れるかなんて知らないし、かと言って人もモンスターも居ない世界を延々と歩き続ける気にはならない。
チャット機能も制限されてるからエニグマに聞くことも出来ない。幸い、ログアウトは出来るようだけどなんかそれも勿体ないから最終手段として取っておこう。
存在するからには何か意義があるんだろう、という考えが浮かんできた。
夢の世界なんて現実にあったらそういう物なんじゃないかと思ってしまいそうだけど、今はゲームの中。この夢の世界も作られた物である以上、その創造には理由があると思う。
だが運営はこの夢の世界で何をさせたいんだろう? 人も居なければモンスターも居ない、そんな所で何を…。
と、考え事をしながら城壁の門へ向かって歩いていると、視界が突然切り替わる。ルグレの中だったのに、次の瞬間には真っ白な空間に立っていた。
後ろからはペッタンペッタンという音が聞こえ、振り返ると頭に鉢巻を巻いた2人の男性が餅を搗いていた。
「なんで…?」
急に変わりすぎて脳の処理が追いついてない。
夢の世界って別にマップを流用した訳ではないのか? 最初に居たのが偶然ルグレと同じ地形だっただけで、ちゃんと夢っぽい所もあるのかな。だとしても何で急に変わったのか分からないけど。
「ハァッ!」とか「セイッ!」という掛け声と共に何回も何回も餅を搗き続けているのを眺めていると、何処からか高くか細い声が聞こえてくる。
「助けて…助けて……」
「えぇ…怖ぁっ」
シュールな夢かと思っていたのにホラーなテイストを交えてくるんじゃないよ。
声を主を探して謎の真っ白な空間を歩き回っていると、どうやら声は餅を搗いている方から聞こえてきているようだ。近付いて声を聞く。僕の空間把握能力が正しければ、声は木臼の中から出ているように思える。
「もしかしてこの餅…?」
何とか隙をついて餅を取れないかと手を伸ばしてタイミングを伺うと、餅を搗いていた男性がその手を止める。不思議に思いながらも餅を手に取ると、「ありがとう…」と言われる。やはり餅から声が出ているのか。
餅を搗いていた2人の男性、片方は杵を地面に立て、それを支えに体重の半分くらいを預けて立っている。もう片方の男性、餅をひっくり返していた人はしゃがんだまま。2人ともこちらを見つめている。
「えっ、なに、怖っ…」
男性達は何も言わないし、餅もありがとうとしか言ってこない。
これあれだな、夢見た時にしばらくしてから「あれ何だったんだ…?」ってなるやつ。寝起きは頭が起きてないから特に何も思わないけど、今は意識がしっかりしてるから現在進行形で「何これ…?」ってなってる。
「餅はこのまま持ってても平気なのかな?」
木臼に戻したらまた搗かれそうだけど。
丸々とした餅を下から持ち上げたまま、少し歩いてみる。さっきのルグレからここに来た理由が分からない以上、何も出来ない。ログアウトで戻れる保証はないが、仮に戻れるとしてもなるべくなら正規の方法で戻りたい。
まあ、その正規の方法が分からないから困っているのだが。
「ありがとう…これをあなたに授けます…」
「えっ? あぁ、どうも?」
よく分からないまま餅の声に返事をしてしまった。
その直後、餅の中からモニュっと何かが飛び出してくる。餅の真上へ飛び上がった物は、重力に従って餅の上に降りてきた。
「これは…?」
スキルオーブ…に似ているが、所々違う。スキルオーブは球体の水晶だけど、これは球体ではあるが水晶ではない。だが限りなくにている。光が屈折する事なんかも水晶に似ている。違うのはその硬さと重量。
スキルオーブなどの水晶ならば重量もそれなりにあり、手に持ったら重さと硬さを認識出来るのだが、これは見た目に反して軽いし、硬さもしっくりこない。ボール程ではないけど、なんか柔らかく感じる。
「……あ、これスーパーボールだ」
祭りとかで景品として貰って家の中で遊んだことあるな、これに近いやつ。こんなに透明で大きくはなかったけど、スーパーボールってこんな感じだったと思う。
「ありがとう。きな粉餅になって、また会いに行きます…」
「きな粉餅?」
持ち上げていた餅は端から光となって消えていく。餅を搗いていた男性達もいつの間にか居なくなっていて、また1人になってしまった。
「何だったんだろう…」
何にせよこのスーパーボールをしまおうとメニューからインベントリを開いて収納しておく。
メニューを閉じようとすると表示されている現在時刻が目に入る。今はなんと21時14分。夢の世界に来てから既に1時間半くらいは経過しているらしい。そんな長居したつもりはないのだが。
そしてまた歩いていると視界が変わる。
今度は家の中だ。やけに明るくて暑く、影も出来ている。景色は家の中なのに外にいるような感覚。光もLEDみたいな安定した光ではなく、明るさも形も不安定な……って、これは。
「燃えてない?」
後ろを振り返ると、扉や本棚、壁に着いた火が僕の視界を潰す。光が強すぎる、目が痛い。
「ヒェッ」
火の手は止まる事なく広がり続け、僕の足元まで近付いてくる。暑さのせいなのか表示されているHPバーも少しずつ減ってきている。
夢の世界でも死ぬ事があるのだろうか。気にはなるのだがレアなイベントっぽいし勿体なくて出来ない。
「えっとえっと、まず逃げないと」
後退して少しずつ広がる炎から距離を取り、この炎から逃げる術を探す。このスピードならあと30秒ほどは平気そうだ。一旦落ち着こう。
逃げると一言に言っても、扉の方は燃えているから通れない。袋小路のような構造だ。唯一、後ろに窓があるが、そこから見える景色は普段より高い。どうやらここは2階らしい。
「…仕方ない、落下ダメージが少なくなりますように!」
開け方が分からなかったので急いでバットを取り出し、窓に叩き付けて割ってから飛び出す。ジャンプの瞬間に足を引っ掛けるとかはなく、無事に逃げれたが着地が下手なせいで膝が痛い。
…うむ、今度からマット運動はしっかりやるか。VRゲームはやるつもり無かったしマット運動はあまり好きではなかったけど、使えそうな技術は多そうだ。
「ふぅ、なんとか」
マット運動は置いておくとしても、脱出は出来た。燃え盛る家を見ながら冷静になると、ますます意味が分からなくなってくる。
最初はルグレの近くにいて、少し歩いてたら白い空間で餅が喋り出して、次は火事の最中の家の中に。
…関連性を見いだせない。確かに夢は意味不明な事が多いが、実際に意識があるとこんな物なのだろうか?
「わぁー、リンだー」
背中に衝撃を受ける。倒れそうになるのを足を踏み出して抑え、後ろを確認するとヒュプノスさんが抱きついている。
「ヒュプノスさん? 何で居るんですか?」
「それはこっちのセリフかなぁー。ここに人が居るなんて珍しいねぇ」
まるでここによく居るとでも言っているように感じる。
……よく居るのか? ここに。常に寝ていると言っても過言ではないヒュプノスさんなら、普段から夢の世界へ来ていてもおかしくはないのかもしれない。ビギナーズラックというので低確率を引き続けているのか、僕の『迷い人』みたいな称号があるのか。
「ここについて何か知ってますか?」
「知ってる知ってるー。ここは『夢幻世界』、人々の夢が集まる場所だよー」
ゆったりとした喋り方でこの場所について教えてくれる。詳しいな。
「むふふー、夢幻世界に来れたって事はリンも『夢見る者』なんだねー」
ドリーマー。夢を英語にしたdreamにerでドリーマーだろうか。それなら夢を見る人とかになる。FFに職業システムはないし、称号の事? でもそういう称号はないな。
「その、ドリーマーって何ですか?」
「んむゅー? 夢幻世界に来る資格を持った人の事、かなぁ」




