42 その一撃、技につき――
片手で脇腹を抑え、面頬の隙間から血反吐を垂らすレイラを見下ろしながらモラウ=バラは愉悦に浸る。
いつ見てものぼせ上がった貧弱な雌が地面に這い蹲り、無様な格好を晒すのは身体の奥を熱く滾らせるものだ。
「俺は寛大だからな、お前にもう一度チャンスやろう。俺に媚び諂い、みっともなく懇願すれば命だけは助けてやるぜ?」
いつの間にか中庭にやってきていた生き残った配下達を見渡しながら伝えれば、立ち上げるために地面を握りしめていたレイラの手がピクリと反応する。
そして面頬を投げ捨て、震えながらも立ち上がったレイラは血で汚れた口元を荒々しく拭う。
「……貴方と違って、私は自分を殺してまで家畜に成り下がるなんて真っ平御免よ。そんな事をするぐらいなら自分で腹を掻っ捌く方がずっとずっとマシね」
「減らず口を……まぁいい、そんな強がりも組み伏しゃ一瞬で泣き言に変わる。おいオメー等、俺が抱いた後も生きてたならソイツは好きにして良いぜ。生かすも殺すも好きにしろっ!!!」
レイラの顔が顕になったからか、レイラたちを遠巻きに囲んでいた男達から下卑た歓声が上がる。中にはレイラにどんな事をさせようかと下劣極まる事を宣う輩まで現れる始末。
それでもレイラの瞳は揺らがず、真っ直ぐに見つめ返してくるレイラの態度がモラウ=バラの気に障る。
この絶望的な状況に至ってなお、諦観の感情が浮かばないのが気に食わないのだ。
モラウ=バラが好むのは意志の強い女が無様に頭を垂れる姿であって、いつまでも歯向かい続ける愚かな女ではないのだから。
「その目、叩き潰してやるよ……」
「やれるものならやってみなさいな」
立っているのもやっとと言った風情を晒しながらも、未だ心が折れていないレイラにモラウ=バラは歩み寄る。
目と鼻の距離で睨み合う二人だったが、その姿は対照的だった。
体格や姿勢は勿論のこと、モラウ=バラには傷らしい傷は数える程しかないのに対し、服は返り血や地面が転がった際に着いた泥で汚れながら青い顔をするレイラ。
誰が見ても形勢は明らか。
それでもレイラは揺らがず、その赤みのある琥珀色の瞳は真っ直ぐにモラウ=バラを捉え続ける。
ただ何を考えているのか、〝斬り裂き丸〟を腰に納めて両の拳を構えるレイラにモラウ=バラは訝しげにしながらも、小生意気な口とは裏腹に自棄を起こしたのだと嘲笑を向ける。
そして拳を振り下ろし、対抗するように繰り出される拳を真っ向から迎え撃つモラウ=バラ。
拳と拳が真正面からぶつかりあい、拮抗したのは一瞬にも満たない僅かな時間。体格と膂力の差からレイラの拳は身体ごと殴り飛ばされる。
再び地面を転がるレイラを嗤う声が周囲から響き、モラウ=バラも不様な姿を嗤おうとした。
「アァァああああああッ?!」
しかし突如として内側から裂けるようにレイラを殴りつけた右腕から血が吹き出し、モラウ=バラは嗤う暇もなく悲鳴を上げた。
周囲が当惑する中、静かに立ち上がったレイラはモラウ=バラと打ち合った右手へ視線を落とす。
そこには揃って関節が外れ、あらぬ方向に曲がる人差し指と中指があった。
ジクジクと痛みを訴えてはいるが、たった指二本の関節が外れた程度でモラウ=バラの腕に浅くはない損傷を与えられたのなら収支としては黒字だろうとレイラは評価を下す。
「テメェ……俺の腕に何をしやがったッ!!」
「大したことは何も。ただ貴方のしている事をそのまま返しただけよ」
緩んだ螺子を締めるような気軽さで関節を嵌め直し、事も無げに言ってみせるレイラにモラウ=バラは愕然とした。
モラウ=バラが放った不可視の一撃はアルブドル大陸では非常に珍しい、由緒正しき流派――――ルチャ・ガラミアと呼ばれる徒手武術――――が伝える〝技〟だった。
対蛮族の要所であるアルブドル大陸では対人に重きを置いた武術は需要が少なく、対処法どころか武術という物を知っているのは貴種やそれに連なる者、そして一部の豪商の子弟ぐらいであろう。
故にモラウ=バラは今まで技を破られたことはなかった。
人に知られぬ技というのはそれほどまでに強く、正体を暴く前に大抵の人間を倒してきたのだから。
そんなモラウ=バラの技を破るだけでなく、やり返された驚愕は如何ほどのものか。
「あなたのそれ、多量の魔力を拳にまとわせているのでしょう?そして触れ合った魔力が反発し合う性質を利用して攻撃範囲を広げ、打撃と同時に魔力を放って守りの奥を擬似的な打撃で叩くもの。違ったかしら?」
図星だった。
たまたま武遊の旅をしていたルチャ・ガルミアの門下生を腕力で捩じ伏せ、珍しく傷を負ったモラウ=バラが興味本位で〝聞き出し〟、その有用性から大成の為にと柄にもなく鍛錬の果てに身に着けた自信の根底ともなった技。
それをさもくだらないと言わんばかりに言い当てるレイラにモラウ=バラの思考は追いつかなかった。
「あぁ、答えなくてもいいわよ?別に答えを聞きたいわけでもないし、貴方が素直に答えるなんて思ってもいないしね」
「………仕掛けが分かったからなんだって言うんだ。それだけのことでどうして俺の技を破れるっていうんだよ!!!」
「そんなこと自分で考えなさいな。まぁ、家畜の脳みそじゃあ難しいのでしょうけどね」
モラウ=バラに視線を向けることなく指の調子を確かめていたレイラの目が、ようやくモラウ=バラを捉える。
しかし先までの強い意志の込められた瞳は消え、路端の石を見るような無機質な物へと成り代わっていた。
まるでモラウ=バラが築き上げてきた物は無意味であると言わんばかりに。
積み上げてきた名声と努力は砂上の楼閣だと語るように。
レイラにそんな意志も考えもなかった。
だがモラウ=バラはそう受け取り、そう受け取ったが故に頭へ一気に血が登った。
「無礼るなァァァァああああああ!!!!」
モラウ=バラは恥も外聞も捨て去り、ただ自分に関心をなくした瞳を向けるレイラを打ち倒すべく躍り掛った。
拳を振り下ろし、蹴りを放ち、体重差で押し潰すように身体全体での突進も行った。呼び寄せた師範に習った型を全て繰り出し、型をも投げ捨て本能に従った暴力すら出し尽くした。
だが、それでも。
レイラには掠りもしなかった。
「ガァァアアアアア!!!!」
蹴りは出足を挫くように放たれる蹴りに封じられ、繰り出す拳は魔力を纏わせた部分を外した位置を打ち据えられて軌道を逸らされる。
密着している最中で不意打ちのように身体全体で当たりに至っては、まるで未来を見ているのかというほどするりと躱される。
「ウラァァアアアアアアアアア!!!」
習った型に忠実に沿って技を繰り出しても柳が風に揺られるように受け流され、型を捨てて無秩序に振りまわした手脚は大岩を殴り付けるが如く揺らがない。
全身全霊、全てを出し切る渾身の連撃を息つく間も与えずに繰り出し続けるモラウ=バラ。
それでもたった一人の、たかが人種の女には通じなかった。
「もう、良いかしらね……」
レイラの呟きは、モラウ=バラにはまるで死の宣告のようだった。
振りまわした右の拳を掻い潜られ、脇腹へ打ち込まれた小さな拳はモラウ=バラの臓腑を掻き混ぜる。
腸が捩じれ、肺が飛び跳ね、胃が裏返るような激痛は筆舌しがたく、悲鳴の代わりに食道を登ってきた鉄錆の如き血を吐き出したモラウ=バラは堪らず膝をつく。
感慨もなく見下ろすレイラと、蹲りながら咽返るモラウ=バラ。
この瞬間、立場は完全に逆転した。
静まり返る配下の男達も、そしてモラウ=バラ本人も認めざるを得なかった。
そしてそれはモラウ=バラと言う〝雷火の猛牛〟を支えていたたった一本の柱が倒れた事を意味していた。
力に依って立っていたモラウ=バラには致命的な状態だが、例えどれほど惨めな姿を晒そうと一つだけ挽回する手立てがあった。
「ガキだっ!!今すぐあのガキを連れてこいっ!!!」
血の混じる唾を吐き出しながら叫ぶモラウ=バラに、ハッとした数人が動き出す。
もうモラウ=バラに形振り構う余裕はなかった。
弱みを見せれば同業者に骨の髄まで貪られて屍を晒す羽目になる。
それはモラウ=バラが一番良く分かっていた。
何故なら同業者がそうするように、モラウ=バラも敵対している一団の弱みに喰らいついてのし上がって来たのだから。
だがもしモラウ=バラがどんな形であれレイラを始末できれば、その弱みは帳消しにできる。少なくとも命を失う程の弱みにはならない。
人質を取るなど力が旗印であったモラウ=バラにとって無視し得ない醜聞であり、今の勢力を維持するのは困難だろう。
それでも命を失わずに済むのなら安いものだった。
生きてこそ立つ瀬あり。
例えどんなに落魄れようと、生きている限り再起の芽が潰える事はないのだから。
そう自分を奮い立たせ、攫った子供を配下が連れてくるまでなんとしてでも生き残ろうと再び構えを取るモラウ=バラ。
「ガハァッ?!」
だがモラウ=バラが構えを取ったその時、屋敷に駆け込んだ配下は吹き飛ばされるように中庭に舞い戻った。
「その餓鬼と言うのは、この娘のことかネ?」
呆気に取られるのも束の間、中庭に居る男達は聞き覚えのない声を耳にする。咄嗟に顔を向ければ、不吉な棺を模した暗銀の櫃を抱えた老齢の男が屋敷の中から現れた。
その片手に、地下牢に繋いでいた蜘蛛人の子供を抱えて。




