41 その一撃、重きにつき――
〝黒鯉の水面酒房〟で屯していた冒険者崩れを粗方再起不能にし、レイラは店の奥へと逃げた一人を追って歩き出す。
開け放たれたままの扉を辿って厨房と倉庫を抜けると、そこには十数人の人間が横並びで剣を振っても余裕のある中庭が広がり、更にその奥には石造りの巨大な屋敷が聳え立つ。
表の〝黒鯉の水面酒房〟も随分と大きかったが、それと同等以上の大きさを誇る屋敷。
貴族か豪商の屋敷と言っても遜色ないそれは、一体どれほどの金と血を礎にすれば作れるのかレイラには検討も付かなかった。
「数は…三、八……一二………ざっと三〇って所かしら」
副作用の頭痛が酷くなり始め、意識的に痛みを切り離しても集中力を乱れる中で魔力感知を駆使して屋敷にいる反応を数え上げる。
その内、一六程の反応が中庭に繋がる両開きの重厚な扉へと向かってきていた。
レイラは取り置くためなのか、口一杯に水で満たされ栓のされた水瓶に手を掛ける。そして扉が開いた瞬間に投げつけ、水瓶が砕ける快音と共に先頭で出てきた二人の男が吹き飛んだ。
「舐めやがって、生きて帰れると思うなよっ!!」
「先に舐めたことをしたのは貴方達でしょうよ」
代り映えしない口上に嘆息しながらレイラは前に出る。
ほとんど押っ取り刀で出てきたのか、〝黒鯉の水面酒房〟に居た面々とは違って碌な装備も身に着けず、得物片手に出てきた男達に斬り掛かる。
レイラは真っ先に振り下ろされた安い数打ちの長剣を根本から叩き折り、掬い上げるように持ち主の膝を中程まで切り裂い。
そして悲鳴と共に崩れ落ちる男の襟首を掴んで、次に襲い掛かろうとする男に投げつけ、仲間を払い除ける動作でがら空きの顔面に石突きを叩きつける。
更に首を狙った横薙ぎの一閃をしゃがんで躱し、不届き者の足を蹴り払って落ちてくる顔面を鉄靴の爪先で出迎える。
だが一人一人の練度が高いのか、それともわざわざ集団戦の鍛錬を積んでいたのか。
骨の砕ける感触が伝わるのとほぼ同じくして、レイラを狙って複数の穂先が突き出された。
咄嗟に引き抜いた短剣と〝斬り裂き丸〟を差し込み飛び退くことで何を脱したが、レイラが視線を前に向ければ盾と短槍を使った槍衾が形成されていた。
しかも前列四人、後列五人で作られた槍衾の両端には長剣を持った猪頭人と盾と剣を装備した有鱗人が回り込まれないように目を光らせている。
目の前で三人の仲間を――――水瓶で吹き飛ばされた二人も含めれば五人だが――――やられたと言うのに、男達の瞳に映る動揺の〝彩〟は薄い。
また組まれた盾の壁に隙間はなく、突き出された槍はブレる事なくレイラの事を捉え続けている。
余程熱心に訓練しなければこの槍衾は作れないだろう。
そして正面からは勿論、回り込もうにも両端の剣士に妨害され、その隙に転回した槍衾の餌食となるため正攻法での攻略はほぼ不可能に近い。
そんな布陣を見せられたレイラは彼らに下していたただの破落戸の集まりという評価を修正しつつ、だからどうしたと鼻で嗤う。
たかが槍衾、たかがこの程度の手勢に手をこまねいているのなら、レイラの身体は骸となってとうの昔に朽ち果てている。
何故なら野盗に身を窶していた者は、何も戦いの素人たちだけではないのだから。
レイラは躊躇うことなく正面から槍衾へと向い、突き込まれる穂先が触れる直前に〝霞の羽衣〝を発動させる。
「なっ、消えたっ?!」
「馬鹿ッ、後ろだっ!!」
〝霞の羽衣〟の事を知っている者も居たようだが、気付けた所で意味はない。
隙間なく構えていたせいで男達が振り返るのに必要な空間はなく、完璧に見えた横列は儚くももつれるように崩れていく。
そんな好機をレイラが見逃すはずも無く、難なく背後に抜けて実体化したレイラはまごつく男達の背に返り血を浴びるのも気にせず喰らいつく。
列に加わわらず、自由に動けた両端の二人が即座に対応しようとするが、レイラが横陣の中へと入り込んだせいで逃げ惑う仲間の身体が邪魔をして間合いに捉えることすらできなかった。
そうしてあっという間もなく一四人の男達を平らげ、跪く最後の一人の顔面に蹴りを入れて気絶させると閉じていた屋敷の扉が勢いよく開け放たれる。
「おいおい、随分と部下たちと遊んでくれたみたいじゃないか。コレは御礼をしなくちゃならねーなぁ」
気怠げな所作でレイラが視線を向ければ、扉を押し開けて現れた一際大きな牛躯人がなにか言っていた。
声は聞き取れるが、いちいち内容を理解してやる余裕はレイラにはなかった。副作用の頭痛は酷くなる一方であり、体の節々まで痛みを訴え始めたのだ。
魔力の巡りも悪く、施している身体賦活は普段の半分程度の効果しか感じ取れない。
これより悪くなることはあれど良くなることはない以上、無駄な時間を掛けている余裕はないとレイラは自身の手を見ながら決断する
今日は何かと時間に追われるなと場違いな感想をいだきながら牛躯人――――モラウ=バラへ向き直り、そのよく滑る口を遮った。
「さっきからモーモー、モーモー煩いのよ。いい加減人語で話してくれないかしら?あぁ、そうね。人の姿を真似てはいても家畜は家畜、家畜に人語を話せだなんて土台無理な話しだったわね。ごめんなさい、家畜のことなんて慮った事がないから気が回らなかったわ」
そしてさっさと掛かってこいと言わんばかりにモラウ=バラに向けた人差し指を手招くように二回曲げて見せれば、ぶちりと血管の切れる音が響く。
しかしその獰猛な性格が滲む風貌にも関わらず、モラウ=バラは天を見上げて深い呼吸をするだけで動く素振りを見せない。
おや?と片眉を上げて訝しむレイラだったが、次の瞬間には重厚な籠手に覆われた拳を振り上げるモラウ=バラが眼前に迫っていた。
身を反らしながら飛び退けば、振り下ろされた拳は地面を豪快に抉り湿った土を巻き上げる。
「ほう、コレを躱すか……口だけじゃないみたいで見直したぜ」
確かにモラウ=バラの挙動は早く、その一撃は人族の中でも破格のものだろう。
しかし素早さで言えばレイラでも可能な範囲でしかなく、威力に関して言えばウィリアムや先日討伐した巨人の流れを組む野盗の頭目の方が高かった。
つまりレイラにとっては目を剥くほどのことではないのだ。
「家畜に見直されても嬉しくないのだけど?」
「………大人しく従えば飼ってやっても良かったが、どうやらお前は死にたいらしいな」
「家畜が人を飼う気でいたなんて傑作だわ。笑えない事を除けば最高の冗談ね」
「……………決めたぜ。お前は今、ここで、絶対殺す」
自身でも必要以上に煽っている自覚はあったが、どうしてか蓋をした筈の怒りのせいでレイラの口は止まらない。
人と言うのはこんな厄介な物に影響されて生きているのかと思うとレイラは辟易するが、逆に厄介さを体感したことで人が最期に見せる〝彩〝の激しさがより尊いもののように感じてすらいた。
ただ目の前にいる牛躯人でそれを味わうことが許されていないのがレイラには残念でならなかった。
そんな事に意識を割きながらもレイラは振るわれる拳を躱し続け、大振りの振り下ろしに合わせて脇を潜るように駆け抜け、ついでにモラウ=バラの脇腹に〝斬り裂き丸〝を走らせる。
「チッ、浅いわね……」
脇腹を深々と切り裂いて早々にケリをつけるつもりでいたが、レイラの手にはあまりにも浅い手応えが残るのみ。
原因は分かりきっていた。
副作用のせいで身体を巡る魔力が予想以上に乱れおり、〝斬り裂き丸〝に上手く魔力を込められていなかった。
また魔力だけでなく、奇跡で止血されただけの傷と節々に走る痛みのせいで十分な力も乗っていなかった。
元々構造的に頑健な牛躯人の身体と身体賦活でより硬質化している筋肉を斬るには至らず、皮膚を撫でるようにしか斬れなかったのだ。
「ハッ、大口叩いた癖にこの程度か?」
「……そうね、今の私だとこの程度なのでしょうね」
レイラが刃に乗った僅かな血糊を振り払いながら振り返れば、表皮を切った程度の浅い傷を負ったモラウ=バラが勝ち誇るような笑みを浮かべていた。
それを見てもレイラは苛立ちはしない。
元より自分が不調なのは理解しており、十全に力を発揮できない事も予想できていた。
ただ予想以上に副作用の影響が大きかったに過ぎず、ならば現状に合わせた最適解を見つければいいのだ。
自身の身体の状態に合わせて能力評価を下方修正し、今自分が可能な行動を脳裏に羅列させて適した動きを再現すれば問題はない。
幸い度重なる挑発と深手を受けないという余裕のお陰か、モラウ=バラの動きは大振りで躱すのに苦労はない。
二撃、三撃と拳を躱して行くうちにレイラの目も慣れ、回避に要する挙動も小さくしていくレイラ。
そして五撃目を頬に掠める程の最小限の動きで躱そうと身体を反らそうとした時だった。
「ッ?!」
モラウ=バラがニヤリと嗤い、訝しむ間もなく拳を躱した筈のレイラの頬を凄まじい衝撃が襲う。
咄嗟に施した身体賦活のお陰で殴り飛ばされるだけで済んだが、もう少し遅ければ意識と共に首の骨を砕かれていただろう。
勢いに抗わず、豪快に転がって衝撃を地面へと逃しながらレイラは立ち上がろうとするが視界は歪み、膝が笑って膝を立てるのもやっとだった。
それでもレイラは魔力に物を言わせて後方へ飛び退き、追撃として振り下ろされる震脚から逃れてみせる。
「町中で蛮族を見たような顔をしてどうした?」
「……喧しいわね」
嘲笑を隠そうともしないモラウ=バラに毒づきながら、口から滴る血を拭おうとしたレイラははたと気づく。
凄まじい威力の拳を頬に受けた筈なのに、頬を覆う面頬が外れるどころか何一つ異常が無いこと。傷どころか、括るための紐もほとんど傷んでいない。
いくら硬質な事で知られる朱殷檀と言えど、金属の篭手が直撃すれば傷の一つ、罅の一つはできるものだ。
ましてや首の骨が砕けかけるような一撃を受け、朱殷檀よりも遥かに脆い留め紐が切れてないのは不自然に過ぎた。
「どうしたっ!!動きが鈍ったぞ!!」
「ッ!!」
何故、そう思考するレイラを邪魔するようにモラウ=バラが畳み掛けてくる。
頭痛と殴られた衝撃でまとまらない思考を必死に搔き集める傍ら、モラウ=バラの攻撃を躱すレイラの余裕は完全になくなった。
未知の攻撃。
それを万全とは言いない状態にあるにも関わらず、放置するというのはレイラには受け入れ難かった。
相手が一段有利な位置にいるのもあるが、なにより予測できないと言うことは思わぬことが致命的な事態に発展する可能性があることを示し、例え万に一つだろうと自身の未来を奪う可能性があり得ると言うのは許せないのだ。
全力を尽くして至らぬならば良い。
まだ見ぬ〝彩〟を見ずに死ぬのは惜しくはあるが、人事を尽くしたなら満足して死ねると確信できる。
これが〝彩〟を見るための攻防ならば良い。
我欲を満たすためにレイラが刃を振るうように、相手も生きるために命を削っているのだからレイラを殺す権利を相手も持ち合わせているのだから。
しかし〝彩〟を堪能することが許されず、それでいて不確定要素が絡む状況などレイラの望むものではない。
使える手を有していながら、あるいは自身の身可愛さにに使える手札を切らずに死んだのではレイラにとって後悔しながら病床で虚無を見つめていた前世の惨めな末路と変わらない。
〝疾風の首飾り〟が使えないのも痛かった。
〝疾風の首飾り〟さえあれば、モラウ=バラの未知の攻撃を敢えて受けてもその場で仕掛けを明かし、的確に対処をしながら最小限の被害に収める事すらできたのだ。
そうすればレイラはこれほど悩むことなく仕掛けを明かして、早々に決着を付けられたことだろう。
しかし魔力の流れが乱れ、かなりの魔力をウィリアムとの戦いで消費してしまっている状態で消費魔力量が異様に多い〝疾風の首飾り〟は使えない。
仮に魔力量が十分であったとしても、この酷い頭痛に苛まれている中で脳への負荷が大きい〝疾風の首飾り〟を使えば流石のレイラと言えども意識を保っていられる自信はなかった。
とは言え無いもの強請りをした所で現状は変わらない。
それに初めて〝疾風の首飾り〟使って以来、本物の〝疾風の首飾り〟と比べれば効果は劣るものの、身体賦活を利用して疑似的な効果は再現できるようにはなっていた。
ならば、致し方ない。
モラウ=バラの拳を余裕を持って躱しながらレイラは腹を括る。
攻撃に合わせて薄い切り傷をモラウ=バラへ与えながら、ごく自然な流れを装ってモラウ=バラの行動を誘導していく。
そして丁度一〇手目となる拳を躱したレイラは膝の力が抜けたように小さく態勢を崩し、モラウ=バラの渾身の一撃を誘発させる。
「コレでッ、終いだっ!!!!」
掬い上げるように迫る肝臓打に上腕をもう片方の腕で挟む防御姿勢で受け、更に打擲の衝撃を上方に逃がしながら拳の速度に合わせて後方へ跳ぶ。
威力を殺しきることは出来ないが、それでもただの拳であれば十二分に威力を軽減させた手応えはあった。
しかし完全に防ぎ切ったはずのレイラの胴体へと予想通り不可視の一撃が叩き込まれ、血反吐を吐きながらレイラの身体は宙に弧を描いた。




