38 その行動、衝動につき――
外套を羽織り、小具足と面頬を付けたレイラが人気の少ない道を歩く。
未だ先に起きた事件の影響か、夜半過ぎだというのチラホラと人の歩く姿はあるものの、道を歩くレイラを見た者達は慌てたように離れていく。
まるで血に濡れた殺人鬼を目の当たりにしたかのような反応を示す衆人を無視してレイラは歩き続ける。
「付いてきて……なんて頼んだ覚えはないわよ」
じろりと音がしそうなほど緩慢な動きで振り返ったレイラの視線の先には、ヴィクトールが立っていた。
目を合わせれば子供が泣き出しそうなほど剣呑な瞳に睨み付けられても、ヴィクトールの飄々とした態度は変わらない。
「なに、私もこっちの方に用があるだけだヨ。それに、折角知り合った都合の良い人物をみすみす見捨てるのも勿体ないからネ」
「そう。貴方も物好きね……」
「君に言われたくはないネ」
文末に巷では悪名高いとそこそこ認知されていた――――レイラは興味もなくて知らなかったが――――〝雷火の猛牛〟の名と呼び出しの場所を示す一文が書かれた矢文を読んだあと、傷だらけで鎧としての機能を発揮できない物以外を身に着けたレイラがフロアに戻れば、当然の如く制止の声が掛かった。
一つはどんな罠を仕掛けて待っているか分からないから行かないでくれ、と言う叔母の声。
もう一つは高々貧民区の子供のために罠に飛び込むのは馬鹿げている、と言うハロルドの声。
更にハロルドには隠していた不調――――ウィリアムに負わされた傷と、薬効が抜けて出始めた副作用などだ――――を見抜かれており、指摘されて以降は制止の声は大きくなった。
バルディーク司祭から奇跡を受けているとは言え未だ傷が癒えたわけではなく、既に魔法薬の薬効も切れてあとは重い副作用を待つばかりのレイラも無謀なことは重々承知していた。
しかしレイラは分かっていながら〝羊の踊る丘亭〟を後にしていた。
「君を良く知る訳ではないけど、それにしても君らしくないんじゃないのかネ?」
「そうね、私もそう思うわ……」
ハロルドの言う通り、たかだか貧民区出の――――それも雑用程度の扱いをしている子供を助ける為に危険に身を晒すなど馬鹿げている。
その上マリエッタともベルナデッタとも、身の安全を保証すると言った類の約束を交わしたこともなく、見捨てたところでレイラの信条にも反しない。
マリエッタを見捨てたせいで多少面子や積み上げてきた信頼に傷は付くが、致命傷になるわけでもなく直ぐに取り戻せる範疇だろう。
それどころか危険を犯してまでマリエッタを取り戻した所でレイラが得られる物など無く、下手を打てば取り返しのつかない未来が待っている。
そう氷のように冷え切った理性が主張しようと、矢文に目を通してから煮え立つ脳が理性を即座に切って捨てるのだ。
まるでそうするのが当然かのように、当たり前だと言わんばかりに。
前世どころか少女の精神を取り込んでからも、これほど脳が沸騰したように感じるのは初めてのことだった。
理性でもって制御できないなどレイラにとっては前代未聞の事態であり、ある種の不快感すら覚えてもおかしくはなかった。
だのに本物のレイラちゃんによって行動を制限されている訳でもないのに思考を無視し、自分が異常な行動をしている自覚はあるのに不快に感じていないのが不思議だった。
「しかし、君にも怒りって言う真っ当な感情があるのが分かって少し驚いたヨ」
自分の異常の正体を掴めずにいたレイラだったが、ヴィクトールの何気ない言葉にきょとんとした表情を向ける。
どうしたのかと言わんばかりに見返してくるヴィクトール。
それはこちらの台詞だという喉元まで出掛かった言葉を飲み込み、レイラは問いかけた。
「怒る?私が?何に?」
「ん?自分のお気に入りの子供を拐かされて怒ったからこんな軽挙に出たんじゃないのかネ?」
「………」
おかしな物を見るような視線を無視し、レイラの足が止まった。
そして煮え立つ脳を強引に回転させて考える。
今の自分の状態を前世で読んだ創作物の登場人物達の心理描写と照らし合わせ、今まで観察してきた多くの人間が見せた怒りと比較する。
過ぎ去っていく脳裏の記憶と照らし合わせれば合わせるほど合致する符号は多くなり、ある数を境にレイラはストンと腑に落ちる感覚を覚えた。
理解したつもりになっていたが、未だに自分の変化を把握できていなかった事にレイラは自嘲した。
「そう、そうなのね……どうやら私は〝雷火の猛牛〟に対して怒っているらしいわ」
存外気に入っていたらしいマリエッタを攫われたこと。
軽く脅せば唯々諾々と従う存在だと甘く見られたこと。
自分が最も快適に過ごせる環境を壊されたこと。
それら全てを成した〝雷火の猛牛〟への怒り。
それがレイラの突飛な行動を引き起こしたのだ。
「おいおい、これから一つの徒党に殴り込みに行くのに大丈夫なのかネ?」
「仕方ないでしょ。誰かに、何かに怒るなんて初めてなんだから」
「ホントに言ってるのかネ?だとしたら君は私が思っているより随分と奇特な人間みたいだネ……」
「否定はしないわ」
自分の不可思議な状態に〝怒り〟と言う名が付けられ、レイラは沸騰していた脳が急速に冷えると共に普段通りの冷静さを取り戻していくのを感じた。
だが実際には怒りが治まった訳では無い。
理性が辛うじて怒りに蓋をしたに過ぎず、何かの拍子に蓋は容易に砕け散るのも理解できていた。
ならばとっととこの不安定な状態を解消するために原因を排除しなくては。
そう決意したレイラは獲物を前にした時とはまったく違う、猛獣も斯くやな獰猛な笑みを口元に描く。
そして面頬に隠されていたためレイラの凶悪な笑みを直視する事こそなかったが、あからさまに物騒な気配を漂わせ始めたレイラを見てヴィクトールは思った。
余計な事を言ってしまったかもしれない、と。
「あぁー……コホン。それよりこれからどうするのかネ?まさか本当に正面から乗り込んで辻斬りの汚名を被るつもりかネ?」
触らぬ神に祟りなし。
何やら猛っている人間に不用意に接するべきではないと知るヴィクトールは懸命にも話題を変えることにした。
変えた先は、この事態の解決法だった。
「まさか。そんなことをしたら私の欲求を誰に謗られることなく満たせる環境がなくなってしまうじゃない」
「じゃあどうするのかネ?」
「要は私じゃなくて、こうなったのは向こうに非があるのだと認識させれば良いのよ」
含みのある言葉に先が気になるものの、ヴィクトールは敢えて誰にとは聞かないことにした。
どうせレイラのことだから悪辣で、それでいて確実な手段を思い浮かべているのだろうと予想がついたからだ。
ならばヴィクトールがすべき事は全貌を把握することではなく、自分ができることを確実に成すだけ。
なにより下手に聞いて道連れにされるのだけは御免である。
レイラとの付き合いはあまりにも短いが、ヴィクトールが全てを察するには十分過ぎるほど濃密な時間があった。
「まぁ、どんな手段を考えてるかは聞かないけど、私は私にできることをさせて貰うヨ」
「実はその事で貴方と、貴方の家族に頼みたいことがあるのよ」
「リリアン達にもかネ?」
名前を呼ばれたからか、ヴィクトールが担ぐ〝エルダンシアの柩〟の縁から三本の腕が現れる。
レイラは周囲に人がいないと分かっていながら、わざとらしく四人の元に口を寄せて〝頼み事〟を伝える。
「うーむ、それなら私達が罪に問われることはないだろうけど――――」
考え込むヴィクトールとは対照的に、話を聞き終えた段で勢いよく親指を立てる妖精三人組。
いつにもなくやる気を見せている家族達にヴィクトールは溜め息を吐き出し、降参だと言わんばかりに両手を挙げてレイラの提案に乗ることにした。
そして頼みを確実に実行すべく、ヴィクトールはその場でレイラから離れていった。
「さて、誰に喧嘩を売ったのか思い知らせましょうか……」
去っていくヴィクトールの背を見送り、〝雷火の猛牛〟が塒としている〝黒鯉の水面酒房〟の前に立ったレイラは獰猛な笑みを携えて入り口の扉を蹴破った。




