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その者、化けの皮につき――  作者: 星空カナタ
三章 その動乱、始まりにつき――
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37 その騒ぎ、新たな問題につき――

 

 夜半のせいで人気はなく、光源として置かれたレイラの魔道具に照らされた二人の人影。フロアを包む暗闇に似た重い沈黙が二人の間に流れる中、階段の軋む音がした。


「待たせたわね。ハロルド、叔母さんは?」

「明日の早朝には仕入先と打ち合わせに行くってんで、寝てて貰ってる」

「そう。じゃあベルナデッタさん、話を聞かせて貰えるかしら?」


 雨の染み込んだ鎧を脱ぎ捨て、平服に着替えたレイラが布巾で髪を乾かしながら水を向ければ、居心地悪そうにしていたベルナデッタが漸く顔を上げる。

 つい最近まで臥せっていたと言うマリエッタの言葉は本当なのか、健康であればレイラとは違った親しみ安さのある色香を漂わせる顔立ちは随分と痩せこけていた。

 しかし顔色はお世辞にも良いとは言えないものの、瞳はしっかりとレイラを捉えており、瞳に宿る彩は芯のある母親のものだった。


「その、お昼過ぎぐらいに言伝てのついでにウチに寄った娘が今日は日が沈むまでには帰れそうだって言ってたんです」


 そう言えばと、レイラは思い出す。

 ニナ達が塒としている宿屋のほどにマリエッタの暮らす家はあること。

 その上、今日の事件が大きな騒ぎになる可能性があると分かっていたため、マリエッタには伝言を伝えたあとは残っている仕事が終わり次第家に帰るように伝えていたことも。


 であれば、ニナの元に向かう途中で家に立ち寄っていたとしても可笑しくはないだろう。

 ハロルドは気に入らないようだが、仕事中ではあるものの仕事に支障がなければ隙間時間やお使いの途中で何をしようとレイラは気にしない。


「でもいつまで待っても娘は帰って来なくて、最初は用事を頼まれて帰りが遅くなったのかと思って待ってたんですけど、外が急に騒がしくなって……それで心配になって来てみたんですけど、そしたら―――」


 言葉を区切るかのように酷く咳き込むベルナデッタにハロルドが淹れてくれていた香茶を勧めつつ、ハロルドを見やれば仏頂面で頷かれる。


「お前さんは依頼の打ち合わせでエッタを送り出す前に店を出ちまったから知りようもないが、エッタは夕刻どころか店仕舞いする時間になっても戻ってこなかったぜ」


 バルセットの中心に近く第二市壁内にある〝羊の踊る丘亭〟から、第三市壁にある東門にほど近いニナ達の塒である〝青鹿毛の牡鹿酒房〟まではそれなりの距離がある。


 とは言え、子供の足かつ雨の影響で足元が悪くても片道で半刻掛かるかどうかだ。

 それでも戻ってこないとなれば、道中で何かがあったと考えるべきだろう。


「可笑しいとは思わなかった?」

「正直、な。母親の前で言うのもなんだが、貧民区出身の子供なんてのはどいつも手癖が悪いからな。お前さんの留守を利用して、なにか金目の物でも盗んで逃げたと思ったよ」

「娘はそんなことをするような娘じゃありませんッ!!」

「ベルナデッタさん、落ち着いて」


 勢いよく反論したものの、再び激しく咳き込むベルナデッタを宥めすかして落ち着かせたレイラは湯気の立つ香茶を啜る。

 自分の好む黒茶ではないが、冷えた体を温めるのには丁度良かった。


「依頼中ニナに会ったのだけど、伝言どころかエッタはニナの所には来なかったそうよ。ベルナデッタさんを庇うわけじゃないけど私もエッタがそんな馬鹿なことをするとは思えないから、なにかあったのだとしたらエッタが家を出てから〝青鹿毛の牡鹿亭〟に行く間でしょうね」

「なら探しにいかないとっ!!」

「待ちなさい。気持ちは分かるけれど、こんな夜更けに探しに行っても空振りに終わるだけよ。それに今は衛兵も事件の収拾に手一杯で取り合って貰えないわ」


 それでも食い下がるベルナデッタにレイラは溜め息を吐き出し、今にも飛び出しそうな勢いのベルナデッタの肩に手を置いた。

 元々、寒さに弱い蜘蛛人のベルナデッタの身体は酷く冷たくなっており、僅かばかりに震えていた。


「その体で探しに行ってどうするの?探してる最中に貴女が倒れてしまうわよ」

「でも……それでも……っ!!」

「分からない人ね。貴女が倒れでもしたら、もしもエッタが帰ってきたとき貴女の快復を喜んでたあの娘が一番悲しむわよ。夜が明けたら私が探しに行くから、今はエッタの無事を祈って待ちましょう」


 レイラの言に納得した訳ではないだろうが、それでも渋々ながらも落ち着いたベルナデッタに息を吐くレイラ。

 雨の降る夜中に病み上がりの人間を一人で返すわけにも行かず、新しい外套を取ってくると言ってレイラが立ち上がった時だった。


「ッ?!」


 視界の端、〝羊の踊る丘亭〟にある数少ない硝子窓の外で小さく煌めく物をレイラは見逃さなかった。

 咄嗟にベルナデッタの襟首を掴んで飛び退くのとほぼ同じく、窓を突き破って小さい何かが飛来する。

 突然の事に目を白黒させるベルナデッタを無視し、レイラは自身が座っていた場所のすぐ近くに突き刺さる物を凝視する。


「コレは……矢文か?」

「そうみたいね」


 けたたましい音を立てて砕けた硝子が散らばり、二階で寝ていたエレナや就寝の準備をしていただろうヴィクトールが起き出す音がフロアに響く中、いち早く我に返ったハロルドの問いに頷くレイラ。


 そしてレイラは未だに呆けているベルナデッタをハロルドに預け、割られた窓を慎重に覗き込む。


 分かってはいたが、既に窓から見える範囲に射手の姿は見当たらない。

 魔力感知も家屋の中で眠る者達に紛れてしまい、居所どころか逃げた方向を掴むには至らなかった。


「一体何事だい?!」


 夜着替わりの粗末な服を着込んだエレナとヴィクトールが殴り込む勢いでフロアに入ってくるが、目配せで対応をハロルドに任せたレイラは床板に突き刺さる矢文の前にしゃがみ込む。

 そして雨で湿気った紙が破けないよう慎重に矢柄から解き、インクが滲んだことを加味しても読み辛い汚い字を追っていく。


「お前さんよ、こんな粋なことしやがる奴の要件は一体――――ッ?!」

「ひっ…」


 レイラの次に状況を理解しているハロルドが代表してか、ハロルドが内容を聞き出そうとしてレイラに近づこうとした。

 だが全ての言葉を吐き出すより早く、ベルナデッタが引き攣った悲鳴を上げ、ハロルドは無意識の内に飛び退いていた。


 ハロルドの反応は意思を持っての物ではなかった。

 動物としての本能だったのか、それとも引退して久しくとも人生の過半を費やした経験によるものだったのかは本人にも分からない。


 だが、どちらにしろ足が不自由にも関わらず反射的に動いたせいで蹈鞴を踏んでいても、ハロルドは無意識の内に置いて久しい得物を探してしまう。


 そんなハロルドの姿を怪訝そうに見ていた他二人だったが、視線をレイラへと向ければ直ぐに答えを理解した。


 エレナに至っては僅かに身を引いてしまうほど実感した。


 手元の紙に視線を落とすレイラの立ち姿は変わっていない。

 だがレイラの纏う雰囲気は、読む前と後では一八〇度変わっていたのだ。


 常に余裕を含んだ表情を称えるレイラの横顔からは感情が抜け落ち、にも関わらず据わった瞳だけは目を惹くほどにギラついている。

 更に抜き身の刃のように鋭く、それでいて絡みつく泥のように酷く重苦しい気配を放ち、まるでレイラの周囲だけ光が届いていないのかと思えるような錯覚を引き起こす。


 人はそれを、殺意と呼んだ。


 それも争い事とは無縁のベルナデッタに悲鳴を挙げさせ、自分に向けられたものではないと分かっていてもハロルドの本能が警鐘を鳴らすほど濃密な殺意。

 普段の姿を良く知る――――裏を返せば町娘として過ごし、時折店の手伝いをしてくる優しい娘としての姿しか知らないエレナとハロルドには殊更に怖気を走らせた。


「お、おい、レイラ―――」

「ごめんなさい、急用ができたわ」


 震えそうになる体を意思でねじ伏せ、意を決してハロルドが声を掛けるも素気なく切り捨てたレイラは手にしていた紙を押し付け厨房の奥へと姿を消した。

 戸惑う面々だったが、レイラの変化を知る唯一の手掛かりが手の中にあると思い出したハロルドが慌てて手紙に光を当てる。










『お前の小間使いは預かった。無事に返して欲しければ一人で俺達の元にやって来い』










 手紙には簡潔すぎる内容だが、全てを察するには十分な一文が書かれていた。

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エッタのコーヒーが飲めなくなるのを危惧してるのかな?
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