36 その望み、蘇生につき――
ヴィクトールの出自は吸血鬼が跋扈する領域ではありふれた物だった。
孕まされた女を出産間際に吸血鬼へと転化させ、人と吸血鬼の特性を持った子を作るという実験によって作られた半吸血鬼。
陽光を克服し、また陽光の降り注ぐ日中でも人族と戦える尖兵の一人として産み出された兵器と言ってもいい。
それがヴィクトールが産まれた訳であり、唯一同じような半吸血鬼達と違った点を上げるとするならば、それはヴィクトールの事実上の母親が半妖精であったことだった。
その境遇をヴィクトールが不満に思ったことはなかった。
そもそも不満を覚えさせる感情すらなかった。
ただの実験体として、人類を滅ぼす為の兵器として、感情は不必要だったから。
ある女性と、出逢うまでは。
吸血鬼達が食糧を求めて街を襲撃した際、単独行動をしていたヴィクトールはとある富豪の屋敷にあった地下牢を見つけ出した。
その地下牢には一人の女が閉じ込められていた。
灯り一つ差さない牢に女がいる事に疑問も覚えず、吸血鬼へ捧げる食糧を見つけたとしか思っていなかったヴィクトールが牢を破り、俯く女の顔を力づくで挙げさせた時だった。
脊髄を走り、脳を焼くような未知の感覚にヴィクトールは襲われた。
どこまでも深く包み込む夜闇のような黒い髪。
星空を凝縮したような複雑な色を湛える濃紺の瞳。
傷一つ、染み一つない純白な肌。
人成らざる美貌を備えたその女はヴィクトールの母親と同じ、取り替え子による半妖精だった。
四分の一ほど流れる妖精の血がそうさせたのか、それともその女の容姿に一目惚れしただけなのか。
ただ純然たる事実として、その日を境にヴィクトールは感情を――――恋という名の感情を獲得した。
その後、恋という病はヴィクトールを同胞や監督として同行していた吸血鬼の目を盗み、半妖精の女を吸血鬼の領域にほど近い小屋に匿うという危険な橋を渡らせた。
自分の命も、女の命も危険に晒す愚かな選択でありながら、女との秘密裏の生活はヴィクトールにとって鮮烈な日々をもたらした。
女の下手な手料理はどんなに不味かろうと今までの食事では考えられないような情緒に溢れ、踏み潰しても気にも止めなかった花々にも目が行くようになった。
全てが新鮮だった。
あらゆる事が幸せを感じさせた。
万事が上手く行ったわけではない。
吸血鬼の尖兵として生きてきたヴィクトールとその半生を牢の中で過ごしてきた女がそう簡単に打ち解けられるはずもなく、度々言い争い、喧嘩することも多かった。
元よりヴィクトールの一方的な思いから始まった生活だと言うことを思えば、当然の帰結だろう。
しかし二人の喧嘩ばかりの生活は時が経つに連れ、双方共に笑顔が浮かぶようになっていった。
そして次第に二人は惹かれ合い、気付けば女性の身体の中に新たな命が二つ芽吹いていた。そう、女が宿した子供は双子だったのだ。
懐妊を知ったときは、ヴィクトールにとってはまさに至福の瞬間だった。
筆舌に尽くしがたい幸福が身を包み、些細な事でも胸が踊るような毎日の連続だった。
だがそんな日々は長くは続かなかった。
出産日が間近となり、身重の女を匿い続けるのは難しいと判断したヴィクトールは自身を作った吸血鬼達と袂を分かつ決意をした。
そして明確な手立てがようやく整ったその日、女と暮らす隠れ家へやって来たヴィクトールを迎えたのはいつもの如く帰参を待っていた女ではなかった。
ヴィクトールと同じ半吸血鬼の同輩が三人。
吸血鬼が一体。
そしてゴミのように打ち捨てられ血を流して倒れる女。
何故バレたのか。
どうして吸血鬼へ女を転化させなかったのか。
そんなことを講説する吸血鬼のことなどどうでも良かった。
気付けばヴィクトールは自身の幸福に土足で踏みいる全てを殺し尽くしていた。
「勘違いしないでもらいたいんだがネ、蘇らせると言っても屍術を使うと言う意味じゃないヨ。そもそも方法としては憑依が近いしネ」
ただ幸か不幸か、女は徒人とは違う取り替え子。肉の殻が壊れようとも、その魂までは死んでいなかったのだ。その形質を色濃く受継いでいた二人の子供たちも。
だが所詮は取り替え子。
純粋な妖精のように肉の殻なくして長く生きていけるはずもなく、ましてやその半分しか妖精の性質を持たない娘達なら尚更だった。
ヴィクトールは持てる全てを使った。
兵器として与えられた魔術、付術、錬金術などの技術で愛する者たちの命を繋ぎ、自身に流れる吸血鬼と妖精の力で降り掛かる火の粉を払い、古くから生きる者たちしか知らぬ古代の知識で僅かな望みを探し求めた。
そうして満身創痍になりながらも、ヴィクトールは希望の地へと辿り着いた。幻想の中にしか存在しないと考えられ、徒人では到底至れぬ妖精郷へと。
しかし死に瀕し、愛する者たちの命が消え掛けて辿り着いた希望の地はヴィクトールが求めた希望ではなかった。満身創痍で立つこともままならなかったヴィクトールを出迎えた妖精郷の主である妖精王は言ったのだ。
ヴィクトールとその血を分けた娘たちを妖精郷に受け入れることも救うこともできない、と。
更に妖精王が続けた言葉はヴィクトールを深い絶望へと叩き落とした。
人と混ざり過ぎた妖精の魂は人の理にも、妖精の理にも入れず、死んだ魂は虚無へと堕ちて輪廻に還れず朽ち果てて泡沫と消えるのみだと。
ただ死ぬだけに飽き足らず、来世へ向かうこともできない。
受け入れ難い言葉を拒絶するように暴れるヴィクトールを小指一つ動かさずに封じ込め、力尽くで現実を受け入れさせた妖精王。
だが妖精王は何を思ったのか、周囲に漂う妖精達にヴィクトールの傷を治させた。
そして絶望に捕らわれたヴィクトールにはあまりに眩く、希望に飢えた者にはあまりに甘い言葉を囁いた。
「人としての天寿を全うすれば、その生の中で娘たちの魂は妖精としての理から完全に外れ、人の理に魂が完全に馴染むらしいんだよネ。ただその為には今のような妖精の性質が色濃い魂だけの状態じゃなくて、人としての〝形〟が要るんだヨ」
「……つまり貴方は、人と同じ姿形をした〝容れ物〟を作る気なのね?」
「話が早くて助かるヨ。要はかつて存在したという自動人形に近しい容れ物に娘たちが入り、人と同じように笑い、人と同じように食べ、人と同じように老いていく。その過程を踏んでようやく娘たちは輪廻の輪へと還ることができるんだヨ」
更に妖精王は耳を疑う言葉をヴィクトールに言った。
全ての妖精の母であり、生い茂る木々の化身たる貞淑と狩猟の女神から神託として容れ物を作る為の知識、そして完成までの延命装置となる〝エルダンシアの柩〟を授かっている、と。
ただし神の家畜と成り果てぬ為に、代償として愛する者達と過ごすこれからの一五年の時を貰い受けるとも。
何故、貞淑と狩猟の女神が神託を寄越し、それを半分とはいえ蛮族側でもあるヴィクトールへ与えたのかは分からない。
そもそも高次元に存在し、人とは掛け離れた思考回路から導き出された物を人の身で推し量るなど不可能なのだ。であるならばその真意を考えるのは無駄の極みであり、重要なのはそれで愛する娘達を救う術を手に入れられる事だった。
だからヴィクトールは娘達が孤独な虚無に苛まれる事がないのならばと一二もなく了承し、妖精王が指をかざした次の瞬間には十五年もの歳月が過ぎ去っていた。
気付けば傍らには妻と成長した姿をした娘達がおり、譲渡された覚えのない〝エルダンシアの柩〟が置かれ、妖精郷とは似ても似つかない草原に立っていた。
「そこから更に一〇年の歳月を掛けて必要な材料の過半を集め、残るはここアルブドル大陸原産の素材と特殊な性質を持つ魔石――――特に私や娘達とも相性の良い吸血鬼の魔石を集める所まで漕ぎ着けたんだヨ」
「……なるほどね」
「冒険者になるのは偏に根幹技術を秘匿したいからだネ。なにせ、妖精を必要とする不完全な自動人形とは言え前時代の技術に近しいものだからネ。権力者たちに知られてしまえば蘇った後の娘達がどんな目に遭うか分かったものではないと思わんかネ?」
細部まで話す必要はないとしてヴィクトールはあったことの全てを語りはしない。
だが代わりに、ヴィクトールは嘘も吐かなかった。
バレた時の信用問題などもあるが、純粋に親しい人間にすら本性を隠し通してみせるレイラを前に嘘を突き通せるとは微塵も考えられないからだ。
嘘吐きというのは、殊更に他者の嘘に敏感なものだから。
「さて、本来の目的も打ち明けたし今度は私の番だヨ。君の返答を聞かせてもらえるかネ?」
「そうねぇ。貴方の素性を誰にも明かさないと約束してしまった以上、そのネタを使わないで貴方と合法的に敵対する上手い言い分を用意出来そうにないのよね……」
予想はしていたが、二つ目の天秤についてレイラの口から語られるとは思っていなかったヴィクトールは自身の頬が引き攣るのを感じた。
一瞬だけ自分の選択を後悔しかけたが、既に誰にも明かしてこなかった秘密を明かしてしまった以上は後戻りもできない。
じっと静かにヴィクトールが待っていると、やがて答えが出たのかレイラは顔を上げる。
「いいわ。貴方の提案、受けることにするわ。後で配分とかの諸所の取り決めをきっちりと書面として残しましょう」
「そこまでするのかネ?」
「あら、後々に貴方が言った言わないで私と争いたいって言うなら私は構わないけど?」
「……分かったヨ。二人で協力しながらしっかりと内容を詰めようじゃないか」
物的証拠となる書面を残すのはレイラなりの誠意の現れだと解釈したヴィクトールは頷き返し、それはそれとして書き出さねばならない内容を考えるのに頭を悩ませることとなった。
一人ウンウン唸っているヴィクトールを連れ、レイラは夜半近くのバルセットを歩く。
平素なら静まり返っている時間帯だが、ウィリアムの起こした騒ぎのせいで未だに街中は騒然としている。
それでも距離が離れるに連れて静けさは増していき、〝羊の踊る丘亭〟が間近になる頃には人通りもほとんどなくなっていた。
あとは薬の副作用がやって来る前に眠るだけ。
レイラはそう思っていた。
「……なんか、騒がしくないかネ?」
「確かに。誰かが言い争ってるみたいね……」
今回の事件とは無縁であるだろう近所でまた厄介事かと顔を顰めた二人は、無言の内に関わらないことを決めて〝羊の踊る丘亭〟への最短ルートから外れる。
しかしどういう訳か〝羊の踊る丘亭〟へと近づくに連れて聞こえてくる声は鮮明になっていき、入口が見える頃には会話の内容も聞き取れるまでになってしまった。
「だから何度も言ってるだろ!!アンタん所の娘は今はウチには居ないッ!!」
「でも夕方前に一度帰って来たときに今日は遅くなるって言ってたの。大きな事件もあったみたいだし、娘が無事かどうかだけでも知りたいだけなんです。お願いします、レイラさんに合わせて下さい」
「わっかんねぇ奴だなッ!!だからそのレイラも今は留守にして居ないんだよッ!!いい加減いしないと衛兵に突き出すぞッ!!」
内容を聞き取った二人が顔を見合わせていると、聞き覚えのある男の声―――恐らく住み込みのハロルドだろう――――の持ち主に突き飛ばされたのか、言い募っていたらしき人影が短い悲鳴を上げる。
流石に自分の名前が出ている以上、無視を決め込むわけにもいかないかとレイラは溜め息を吐き出して〝羊の踊る丘亭〟の玄関へと歩き出す。
「コレは一体なんの騒ぎなの?」
「よう、嬢ちゃん。丁度いいところに――――」
「レイラさんッ?! お願いします娘を探して下さいッ!!娘が、娘のマリエッタが帰ってこないんです!!」
ハロルドにすげない対応をされていたのは何処か面影のある女郎蜘蛛系蜘蛛人の女――――マリエッタの母親だった。
漸く面倒事の一つが片付いたばかりだと言うのに、その言葉を飲み込んだレイラは物言いたげなハロルドを宥めて店へと入る事にした。
もうちょっとだけ続くんじゃ




