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その者、化けの皮につき――  作者: 星空カナタ
三章 その動乱、始まりにつき――
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34 その事件、終幕につき――

 

 レイラがウィリアムの生首がペースト状になるまで見つめていた背後、誰もレイラの表情を伺えない位置にいたヴィクトールとバルディークは安堵の息と共に肩に入っていた力を抜いた。

 あの絶対的な窮地を脱する手立てを持っているなど思いもしなかったのだ。


「いやはや、まさか〝霞の羽衣〟をあのように使うとは、彼女の才覚には驚くばかりですね……」

「全くですナ。一人で突っ走り出した時は何を考えているんだと思いましたヨ」


 眼の前にいたウィリアムでは難しいだろうが、やや離れた位置にいた二人にはレイラが凶刃の餌食にならなかった理由を理解できていた。





 レイラは魔道具〝霞の羽衣〟を使ってあの迫る刃を躱したのだ。




 それだけならば大したことはない。

 〝霞の羽衣〟は珍しくはあるものの、著名な冒険者や貴種に連なる者ならば持っていても不思議ではないほど流通している。


 驚くべきはその使い方と〝霞の羽衣〟という強烈なカードを切るタイミングだった。


 レイラは〝霞の羽衣〟を肌を裂く直前から刃が通過した直後と言うごく短時間のみ使用したのだ。

 普通〝霞の羽衣〟を使うとき、その長く短い効果時間を短縮する者はいない。

 元々緊急避難的に使われているのもあるが、もしも効果を短縮する時間が短すぎれば使用者に致命的な結果を生み出すからだ。


 〝霞の羽衣〟は効果時間中、使用者の姿を霞へと変えてあらゆる事象からの干渉を受けない。

 使用者も干渉することができなくなるが、物理的魔法的問わず全ての事象を避けることができるのだからその効果は絶大だ。


 しかしその絶大な効果に対して、まるで釣り合いを取るように〝霞の羽衣〟には一つだけ致命的な欠点があった。

 それは〝霞の羽衣〟の効果が切れ、霞から元の姿に戻るときに身体が再構成される位置に別の物体――――容易に押し退けられない質量を持っている物に限られるが――――が存在していると、その重なり合う一部分を避けるようにズレた位置に身体が再構成されてしまうということ。


 喩えるならば〝霞の羽衣〟の使用者が腰元にテーブルの天板がある状態でその効果を切らしたとき、天板の上には上半身だけの奇っ怪なオブジェが置かれ、テーブルの下では上半身との繋がりを失った下半身が血を垂れ流しながら崩れ落ちることになるのだ。


 故に大抵の使用者は〝霞の羽衣〟の効果時間を目一杯使い、時間の許す限り再構成しても問題のない位置へと移動するようにするのだ。

 更に一般的に効果時間を短縮した所で得られるメリットは魔具に込められた魔力の消費を抑えられる程度であり、死のリスクに見合うものではないとも考えられていたのだ。


 実際〝霞の羽衣〟を知るヴィクトールやバルディークは、レイラの使い方を見るまでそう思っていた。


 しかしレイラは効果発動時から全身が霞へと変わるまでの極短時間にのみ発生する使用者の全身が霞には変わっておらず、されどその物理現象から切り離された状態という特異な状況を利用し、さも刃がレイラの身体をすり抜けたかのように演出してみせたのだ。

 遠目で見ていた二人だからこそ演出の種に気付けたが、息を吸い合うような至近距離でやられればヴィクトールやバルディークでも気づける自信は無かった。


 更に〝霞の羽衣〟を使うタイミングも絶妙だった。


 ウィリアムが勝利を確信し、最も油断した所でのどんでん返し。

 思索を巡らし、何手も読み合いながら辿り付いた王手の瞬間に盤上をひっくり返すような仕打ちだ。

 やられた側としては堪ったものではないだろう。

 それ以前に使っているなら仕掛けの種に気付けなくとも対処の一つもできただろうが、腐るほどあった命に届き得る場面でも使わず、最後の最後に見せられれば対処など到底不可能だ。


 一体どれほどの観察眼と戦闘センス、そして狂気じみた思考があればそんな一手を取れるのか。


 齢一六。

 前途洋々な若人が行うには異常な偉業と才覚に、バルディークは才能豊かな人物の台頭に喜ぶと同時に、自分の半分も生きていない少女に嫉妬すら覚えそうだった。


「ヴィク、コレは貴方に譲るわ」

「コレは……」

「ウィリアムが死んだ後の残骸に残ってた唯一の物よ。私には売る以外に使い道もないし、貴方なら有効活用できるでしょ」


 いつの間にかウィリアムの残骸から離れ、二人の元にやってきたレイラはヴィクトールへ二つの小さな物を投げ渡した。

 ヴィクトールの手の中に収まったのは一つはかつての地下水路事件でレイラが拾った同じ黒曜の硬貨。そしてもう一つは歪な形状の魔石。

 黒曜の硬貨は言わずもがな。魔石の方は朝方にヴィクトールがレイラ達に見せた吸血鬼の魔石とは異なり、三日月のようにやや偏った位置に穴が空き、やや黒ずみ掛かった紅色をした不定の形状。

 吸血鬼本来の魔石とは掛け離れた形状だが、転化する前に憑依していた魔人の影響が合ったと考えれば不自然ではなく、魔石としての価値はそこそこだろう。


 また後日魔石を詳しく調べれば、ウィリアムに憑依していた魔人の系譜――――蛮族神それぞれによって連れてきた魔人の種類は異なるのだ――――も判明するだろう。

 そうなれば硬貨に刻まれた意匠と合わせれば、ウィリアムの裏で糸を引いている者の検討がつくかもしれなかった。


「しかし良いのかネ、コレを売ればそこそこの値段にはなると思うがネ?」

「お金には困ってないから別に良いわ。それに貴方はそう言う特殊な魔石を求めてこの大陸まで来たのでしょう?」

「……それは、そうだけどネ」

「なら、欲している人間が手にするのが一番でしょ」


 傍目からでは分からないが、やや艶が増し満足気にも見えるレイラを見たヴィクトールは苦笑いを浮かべる。

 既に十分に瞳を輝かせる〝彩〟が失せる瞬間を堪能して満足しているのだと察したヴィクトールは素直に魔石を受け取ることにした。


「……くしゅん!」


 そんなやり取りをしている間にも降り続ける雨のせいで戦闘で火照った身体が冷えたのか、レイラは先の激闘を勝利した人物とは思えない可愛らしいくしゃみをした。

 一瞬キョトンとした表情を浮かべるヴィクトールだったが、あんな狂人じみた戦いをしていてもレイラは人種の娘であることを思い出して着ていたコートを羽織らせる。


「……微妙に加齢臭がする気がするわ」

「吐かせ。それより本当に良いのかネ?その鎧、仕立て直すにしろ作り直すにしろ、結構な金が掛かるんじゃないのかネ?」


 ヴィクトールに言われ、コートの中を覗き込めば上衣下衣共に至るところが引き裂かれ、生々しい傷跡から溢れた血で赤黒い染みが出来ていた。

 装甲部分は問題ないだろうが、それ以外の部分はボロ布同然だった。コレではまともな冒険者稼業は行えないだろう。


「……コレを一から作り直すしてもまだ十分な蓄えはあるから大丈夫よ。まぁ、この依頼が大赤字なのは否定しないけど」


 算盤を弾き、出た結論にレイラは渋面を作る。

 使った魔法薬の補充、防具の仕立直し、出来たて早々ながら中々に酷使した〝斬り裂き丸〟の整備にと必要な出費は金貨を出して足りるかどうか。

 対して今回の依頼の報酬は銀貨数枚、出費の半分にも届かない。

 吸血鬼と言う上位の蛮族を討伐した報奨が出ればいいが、その可能性は期待を寄せられるほどのものではない。

 ウィリアムを目撃して生きているのは冒険者が数人。目撃証言としてはあまりに信憑性に欠け、頼りの物的証拠は腐った肉となったウィリアムの残骸のみ。

 そもそも上位の蛮族の報奨金が幾らになるかも分からず、仮に高額だったとしてそんな大金を証拠の乏しい状況で領主が支払うとは思えなかった。

 金に執着はないが、欲を満たすためにしている冒険者稼業に影響が出そうなほどの出費にレイラは溜め息を吐き出しかけた。


「ご心配なく、その件については私の名を持って辺境伯へ口添えしておきましょう」


 今まで仲間同士の会話に気を使ったのか、レイラ達から距離をとって気配を消していたバルディークの発言にレイラは喉まで出かかった溜め息を飲み込まざるを得なかった。

 確かにバルディークが口添えすれば、まず間違いなく吸血鬼討伐の報奨金は満額で支払われるだろう。

 だが、それと同時にレイラ達は大きな借りをバルディークに作ることになる。


 権力者にとって、どんな形であれ自身の名前を出すことは槍玉の前に立つのに等しい行いだからだ。


 多大な権力には相応の責任が伴い、またその座を狙う者も相対的に多くなる。

 冗談ではなく、本当に一つの過ちが自身の首に荒縄を巻くことにも成りかねないほど、この時代の権力者が負うべき責任は大きいのだ。


 だから例え血族連枝への指示書だろうが、貴種が自らの名を記すことは滅多にない。

 そんなはてどない権力闘争を繰り広げる貴種を前に、系統は違えど多大な権力を持つバルディークが名を使って口添えをする意味は果てしなく重い。

 その懸念を嫌味にならず、迂遠に伝えたレイラにバルディークは微笑みながら首を振った。


「ハッハッハッ。ご心配召されるな、レイラ殿やヴィクトール殿は言わば我等の恩人。恩人に対して借りを作ろうなどと思うほど、私は欲深な人間ではありませんぞ」

「恩人、ですか……?」

「えぇ。御二人は本来ならば我々が命を賭してでも討たねばならない吸血鬼を討った御方。例え異質な存在であれど吸血鬼は吸血鬼。そんなアヤツを仕留めたお二人には借りを作るどころか、私の名を使ったぐらいでは此方がまだ借りを返しきれていないと言えるほどの事をなさったのだと御二人は胸を張るべきなのです。吸血鬼を討つというのは、我々にとってそれほど大きな意味を持つ偉業なのですよ」


 ウンウンと頷くバルディークと彼の背後に控える武僧たちにレイラとヴィクトールが戸惑っていると、柔和な笑みを浮かべたバルディークはそれにと言葉を続ける。


「辺境伯は自他共に厳しく腹に一物を抱えた方ではありますが、どんな人物だろうと労には必ず報いる御方です。例え私が口添えなぞしなくとも、お二人の活躍が耳に入れば相応の結果を得られるでしょう。それともう一つ。コレは私から、私の代わりに戦われた貴女への報酬です」


 そう言ったバルディークはレイラの目の前で首に下げられていたアミュレットを握り締め、両膝を地面に突くと祈るように頭を垂れる。

 突然の事に慌てたレイラが直ぐに立たせようとすも、バルディークはレイラを無視して言葉を紡ぎ始める。


『神よ、高々たる天に坐す我らが陽光神よ。我は抗う者に御身の守護を願う者』


 バルディークの口から紡がれるのは聞き慣れぬ、されど意味の伝わる古代の言葉。

 辞めさせようとしていたレイラですら手を止めてしまう程に真摯で、犯し難く思うほどに清廉な響き。


『傷付きながらも立ち上がる者に活力を。強者に立ち向かう者に奮い立つ勇気を。背に守りし者を隠す者に幸運を。非力なる我等に陽光の輝きを貸し与え給う』


 それは神に見出され、積み上げた研鑽の果てに辿り着いた者にのみ許された一つの力。

 魔術など到底及ばぬ程に〝正しく〟世界を歪める秘術。

 有り得べからぬ物すら実現せしめる理不尽な現象。




 人はそれを神の〝奇跡〟と呼んだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 主人公の人物造形が絶妙ですな。 苦くて飲めないコーヒー(誠)に少しだけミルク(レイラちゃん)を加えた様な感じ。 [一言] 神の奇跡、レイラちゃんが復活する展開もあり得るのかなあ。 そうなっ…
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